この間までダンテの「神曲」を読みました。「悪い心」、特に争いや憎み合いを起こさせるような心が、地獄で厳しく罰せられていました。それを思い起こす事で、人生の道を誤らないようにすべし…と簡単に言うと、こんなところでしょうか。
しかし例えば、全ての人が「悪い心」を持っていなければ、本当に理想的な世界になるのでしょうか?その世界に音楽などの芸術はあるのでしょうか?あるとすればどんな役割なんでしょう?
という事で、福永武彦(日本の作家では1~2を争うほど好きです)の「未来都市」という小説を読んでみたいと思います。彼の小説にしては珍しくSFタッチなのですが、多分このテーマにこたえてくれると思います。しばらくお付き合い下さい。
「ある晩、僕はひどく参った気持ちで、薄汚い盛り場を歩いていた。まったくこうして歩いている自分も惨めだったし、行き交う連中もみんな惨めに見えた。陽気におしゃべりをして行く若者達も、物欲しげに街灯の陰に立っている女も、実直そうな会社員や、じだらくな恰好をした遊び人も、みんな生きることの愚劣さを仮面の下に隠していた。」
…これは重症ですね。主人公の「僕」はとにかくボロボロに絶望しきっています。売れない画家で、これまた絶望的な恋にやぶれて、夜の街をさまよっています。そこでこんな看板を見つけるのです。
「BAR SUICIDE」
引き寄せられるように中に入ると、薄暗い店に3~4人の客が、これまた絶望に疲れはてた様子でグラスを傾けています。「忘却を買うために」僕も強い酒を飲み始めると、隣の客に話しかけられます。
「君も死にたいんだろう?みんな死にたい奴ばかりだ。どうして近頃はこう死にたい奴が多くなったのか。そういう俺だって、何も生きているのが面白いわけじゃない。ただ自殺するには何かしら動機が必要だし、その動機が俺にはまだ見つからないんだ。」
するとまた別の客が割り込んできます。
「しかし動機なんて、何の役にも立ちませんよ。現代は死ぬための動機に充満しているんです、そういう時代なんです。問題は、生きるための動機を見つけだすことで、死ぬための動機じゃありません。君はどう思う?」
きかれて僕は答えます。
「僕か。僕にとって人生とは悔恨だ。この世は不安と後悔と失望とに充ちている。しかし、死んでしまえは、その悔恨さえないのだからな。」
すると、彫刻のように黙っていた、人相の悪いバーテンが言うのです。
「死にたければ、特別のカクテルをつくりますよ。」
(今日はここまで。写真はルオーの絵です。この小説の後の方に出てくるので。)
しかし例えば、全ての人が「悪い心」を持っていなければ、本当に理想的な世界になるのでしょうか?その世界に音楽などの芸術はあるのでしょうか?あるとすればどんな役割なんでしょう?
という事で、福永武彦(日本の作家では1~2を争うほど好きです)の「未来都市」という小説を読んでみたいと思います。彼の小説にしては珍しくSFタッチなのですが、多分このテーマにこたえてくれると思います。しばらくお付き合い下さい。
「ある晩、僕はひどく参った気持ちで、薄汚い盛り場を歩いていた。まったくこうして歩いている自分も惨めだったし、行き交う連中もみんな惨めに見えた。陽気におしゃべりをして行く若者達も、物欲しげに街灯の陰に立っている女も、実直そうな会社員や、じだらくな恰好をした遊び人も、みんな生きることの愚劣さを仮面の下に隠していた。」
…これは重症ですね。主人公の「僕」はとにかくボロボロに絶望しきっています。売れない画家で、これまた絶望的な恋にやぶれて、夜の街をさまよっています。そこでこんな看板を見つけるのです。
「BAR SUICIDE」
引き寄せられるように中に入ると、薄暗い店に3~4人の客が、これまた絶望に疲れはてた様子でグラスを傾けています。「忘却を買うために」僕も強い酒を飲み始めると、隣の客に話しかけられます。
「君も死にたいんだろう?みんな死にたい奴ばかりだ。どうして近頃はこう死にたい奴が多くなったのか。そういう俺だって、何も生きているのが面白いわけじゃない。ただ自殺するには何かしら動機が必要だし、その動機が俺にはまだ見つからないんだ。」
するとまた別の客が割り込んできます。
「しかし動機なんて、何の役にも立ちませんよ。現代は死ぬための動機に充満しているんです、そういう時代なんです。問題は、生きるための動機を見つけだすことで、死ぬための動機じゃありません。君はどう思う?」
きかれて僕は答えます。
「僕か。僕にとって人生とは悔恨だ。この世は不安と後悔と失望とに充ちている。しかし、死んでしまえは、その悔恨さえないのだからな。」
すると、彫刻のように黙っていた、人相の悪いバーテンが言うのです。
「死にたければ、特別のカクテルをつくりますよ。」
(今日はここまで。写真はルオーの絵です。この小説の後の方に出てくるので。)
大学2年から3年にかけて、手に入る限りの作品を読み漁りました。草の花、忘却、廃市、死の島、海市などなど。いつも、ロマネスクな女性が出てくるのが非現実的だとは思いましたが、それ以外の作品もありますよね。
自分がどこから福永ファンになったのか思い出せないのですが、詩誌『四季』を主宰した堀辰雄のつながりで知ったのかもしれません。
ところで今日突然、評論家の加藤周一先生が12/5に亡くなっていた事を知り、大きなショックを受けています。
福永武彦とともに1946年のマチネポエティクと呼ばれた集まりを構成した中村真一郎、加藤周一は、これでみな鬼籍に入ったことになります。
なかでも、加藤周一は私にとって最も大きな存在でした。高校を卒業する年に、青森から東京に出て、加藤周一の台本による演劇を観劇しました。会場にいた加藤に出会い、一言二言話をして握手したことが忘れられません。
ところで、家族以外の人物でこんなに人の死が心にこたえるとは思いませんでした。はじめてです。
十代の終わりから現在に至るまで最も多く読んできた評論家でありましたから、『恩師』に近い感覚なんでしょうかね。つい昨夜も彼の近刊を呼んでいたし、その前の週も・・・。残念です。
きっと今頃は、深い星空の奥で福永、中村らと談論風発していることを信じてやみません。
他の場では気持ちを述べることが出来ず、こんな形で書かせていただきました。
福永武彦の盟友ということでお許しください。
ちなみに、福永武彦の子息である池澤夏樹の小説も大好きです。小説がユーモアを含み、かつ人間が自然の一部として生きる力を与え得るものだ、と思える数少ない現代作家です。
ただ、私も自然が大好きだけど、池澤夏樹の小説の舞台は南の海や島が多いんですよね・・・。
これまで南国に暮らしたことがないので、ちょっとそこがなじみづらいです。汗。
福永作品はどれも好きですが、中でも「死の島」は衝撃的でした。最近はどこの本屋にも置いてありませんね。。。
正直息言って、加藤周一の評論は「好きです」と言えるほどには読んでいません。
池澤夏樹とともに、あらためて読んでみたいと思います。