映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「月夜の散歩」角田光代

2023年10月21日 | 本(エッセイ)

肩の凝らない日常の話

 

 

* * * * * * * * * * * *

どう工夫してもイマイチな仕上がりになる不得手料理(ポテトサラダ)に頭を悩ませ、
近所では入手困難なご当地調味料に胸をときめかす。
なぜか調理前が高揚のピークになりがちな、かたまり肉やおでん。
友人が集う家飲みの日は深夜の料理を目一杯堪能。
冷めゆく天ぷらに絶望し、弁当屋で「あ、かつ丼の人」と顔を覚えられた恥ずかしさに悶え、
飼い主に似てきた猫を愛でては心を整える……。

思い描いた「立派な大人」にはなれぬまま、加齢と変化を重ねていく人生での
ささやかな思考や出来事を、味わい深く見つめ出す。
“ふつうの生活”がいとおしくなる、日常大満喫エッセイ待望の文庫化!

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角田光代さんのエッセイは、なんだかホッとして元気が出ます。

本巻は、雑誌「オレンジページ」に連載していたものをまとめたということで、
当時ご本人が撮った写真も付いています。

「あとがき」にあるのですが、その連載を始めた時に、
重苦しかったり、何か考えることをしいたりする文章は書くまいと決めた、とのこと。
昼下がり、あるいは晩酌時に、たらたらとしゃべっているようなことを書こうと思った、と。

確かに、そういうどうでもいいような、肩の凝らない日常の話であればこそ、
私のどこかホッとする感じも生まれたのでしょう。

友人とおしゃべりするとき、特に内容に意味はなくて、
一緒に笑いながら時を過ごす、そのことに意義があったりするのと同じこと。

時に角田光代さんに共感したり、私とはちょっと違うな、と思ったり。
笑ってみたり嘆いてみたり。
ささやかなそういう時間を楽しめました。

「月夜の散歩」角田光代 新潮文庫

満足度★★★.5

 


「やがて満ちてくる光の」梨木香歩

2023年07月13日 | 本(エッセイ)

自然と向き合って

 

 

* * * * * * * * * * * *

作家として、旅行者として、そして生活者として
日々を送るなかで、感じ、考えてきたことーー。
読書に没頭していた子ども時代。
日本や異国を旅して見た忘れがたい風景。
物語を創作するうえでの覚悟。
鳥や木々など自然と向き合う喜び。
未来を危惧する視点と、透徹した死生観。
職業として文章を書き始めた初期の頃から近年までの作品を集めた、
その時々の著者の思いが鮮やかに立ちのぼるエッセイ集。

* * * * * * * * * * * *

梨木香歩さんの新旧エッセイを凝縮した貴重な一冊。
私、やはり梨木香歩さんの自然と向き合って物事の本質を見極めるような、
そんなエッセイにいつも心惹かれるのであります。

 

★生まれいずる、未知の物語

キノコは目に見えない「菌糸」として繋がり合っているのがスタンダードな状態で、
たまたま何かの異常事態で外に出てきたのが「キノコ」。
人間も同じで、死ぬということも、キノコがまた菌糸に戻るように、
また「ひとつ」に戻っていくことかも知れない。

・・・生物が歳をとると、なんとなく輪郭がぼやけていくような気がする。
クリアな個から、だんだんぼやけていって、
「ひとつ」になる準備をしているのかな、と。

著者は「境界」のことをよく口にしますが、これもそんな話と繋がっているのかも知れません。
自己と他者の境界が次第にぼんやりとして、一つになっていくのが死なのだ、と。
なんだかそう考えると「死」もなかなか豊穣であるような気がする・・・。

 

 

★記録しないと、消えていく『家守綺譚』朗読劇講演

かなり前の話だと思われるのですが、著者が『家守綺譚』の朗読劇を鑑賞したときの話。
その時の演者が佐々木蔵之介さん、市川亀治郎(現・四代目市川猿之助)さん、佐藤隆太さんの三名。

著者はこのとき、舞台が次元の違う深みへと醸成されるような、
ものすごい奇跡の瞬間を見て、いたく感銘を受けたというのです。
それは、その舞台と役者、天候や観客の意識など
あらゆる要素が絡んで生み出した奇跡の瞬間であった、と。
ここに猿之助さんの名前が出てきたのにもビックリ。
もう戻ってはこないのでしょうか・・・。

 

★永遠の牧野少年

今、NHK朝ドラのモデルとなっている牧野富太郎氏の話であります。
氏の半生はまあ、およそドラマで見ていた通りなのですが、
その先のところで驚いた!!

彼の妻は、苦労続きで13人も子供を産み、
食うに困ってとうとう「待合」まで始めてひたすら彼の研究を支え続けた、とあります。
待合などとずいぶんふんわりとした表現ですが、
やはりちょっと怪しげな、そういうことですかね。
さて、ドラマではどうなるのか分かりませんが、
子供13人って、そこまでひどいとは思わなかった・・・。

夜寝る暇もなく研究していたようだけれど、やることはやっていたわけね・・・。
いやあ、なんというか、牧野富太郎氏は尊敬すべき人物と思っていましたが、
フェミニズム立場からは、ちょっと夢が覚めた感じです・・・。

 

★風の道の罠―――バードストライク

知らなかった意外な話。

風力発電の大きなプロペラは、再生可能エネルギーの代表格のように思っていたのですが、
オジロワシなどがぶつかり翼をもがれるなどの事故、
すなわちバードストライクが多発しているというのです。
そもそも風力発電施設は風の通り道に作る物。
そこは猛禽類などさまざまな鳥たちが風の力を利用して通る道でもある。

人の都合で作った物が鳥たちの大きな脅威になっているというのは、なんとも残念な話です。
なんとかこの脅威を減らす方向で研究が進むといいなと思います・・・

 

・・・と、色々と示唆に富む梨木香歩さんのエッセイは、
やはり今後も大切に読みたいと思います。

「やがて満ちてくる光の」梨木香歩 新潮文庫

満足度★★★★☆


「介護のうしろから『がん』が来た!」篠田節子

2023年01月18日 | 本(エッセイ)

節ねえの闘病記

 

 

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直木賞作家として第一線で仕事を続けながら、
認知症の母親を自宅で介護してきた著者。
症状が進行し介護施設に入所させた直後に、
自身の「がん」が見つかる。
母親を優先した生活で、自分の健康は後回しだった。
医師のアドバイスはもちろん、周囲の温かな思いも受けて、
納得のいく治療を進めようとする。
だが、入院中も母が心配で……。
介護と闘病に奮闘する日々を克明かつユーモラスに綴る名エッセイ。

* * * * * * * * * * * *

篠田節子さんの闘病記。

篠田節子さんは、自宅で認知症のお母様の介護を続けていたそうなのですが、
病状が進行して介護施設に入所。
その直後、多少時間にゆとりができた著者が久しぶりに健診を受けてみようと、
受診したところで、乳がんが見つかります。
そのため、初期のうちに発見できたわけで、
劇的なタイミングではあったのですね。

本巻では乳房の温存か、切除かの選択のこと。
そして再建のこと。
差し迫った選択に著者が決断を下していく様子が実に詳細に描かれています。

でも、悲壮感はない。
サバサバと肝が据わっていて、しかもユーモラスでもある語り口、
さすがに私のかねてから敬愛する篠田節子さんではあります。
これはぜひ「節ねえ」とお呼びしたい!
(あらやだ、調べてみたら私と同い年だった・・・!!)

そしてまた、その手術が終わった頃に、
今度はお母様の介護施設を移らなければならず、
その行き先を決めるのにもまた奮闘。
しかしそんな中で海外旅行にまで行っているというのがなんともすごいです。

そしてまた、このバタバタの日々の中で吉川英治文学賞受賞の知らせが入ります。
なんとも劇的ですねえ。
私は何も知らずにその受賞作「鏡の背面」を読んだわけです。

 

現在もお元気な「節ねえ」、
今後もワクワクドキドキの著作を楽しみにしています!!

 

「介護のうしろから「がん」が来た!」篠田節子 集英社文庫

満足度★★★★★

 


「イリノイ遠景近景」 藤本和子

2022年12月13日 | 本(エッセイ)

一介の人々の生き様を聞く

 

 

* * * * * * * * * * * *

刊行後即重版! 名翻訳者による、
どこを読んでも面白いエッセイの傑作。

近所のドーナツ屋で野球帽の男たちの話を盗み聞きする、
女性ホームレスの緊急シェルターで夜勤をする、
ナヴァホ族保留地で働く中国人女性の話を聞く、
ベルリンでゴミ捨て中のヴァルガス・リョサに遭遇する……
アメリカ・イリノイ州でトウモロコシ畑に囲まれた家に住み、
翻訳や聞書をしてきた著者が、人と会い、話を聞き、考える。
人々の「住処」をめぐるエッセイの傑作。 

* * * * * * * * * * * *

 

藤本和子さんというのは、正直私にはなじみのなかった方なのですが、翻訳者なのですね。
アメリカの方と結婚して、現在も米イリノイ州在住。
83歳。

本書はエッセイ集ですが、「小説新潮」に1992年~1993年に連載されたものが
単行本として1994年に刊行され、それがさらに文庫化されたものです。
というわけで、今から30年ほども前に書かれたものながら、
その内容はちっとも古びてはおらず、今もハッとさせられることが多いのです。

多くは人と出会い、その話を聞いたことを紹介しています。
それも、いわゆる成功者や著名人のインタビューではなく、
ごく一介の人々や、特異なことを成し遂げた人。

ナヴァホ続保留地で働く中国人女性の話、先住アメリカ人の陶芸家の話・・・。
藤本さんはあまり多くは語らず、相手の言葉――生きる思いを
するすると引き出しているように思われます。

中でも、第二次大戦中、ユダヤ人でありながら自らをドイツ人であると偽り、
ヒトラー・ユーゲントに入隊してしまったという
ソロモン・ペレルの話は圧巻でした。
このことは「ヨーロッパ、ヨーロッパ」という映画にもなった有名な話のようですが、
少なくとも私は知りませんでした。
しかし、ユダヤ人でありながらユダヤ人を差別し虐待する役割をしなければならないというその心中は、
たやすくは語ることはできないと思うのですが、
藤本さんは本音を聞き出せていると思います。

 

その他、ホームレスシェルターで夜勤をする話、
広大なトウモロコシ畑に囲まれた家での暮らしの話・・・興味深いことばかり。

大切な一冊となりました。

 

「イリノイ遠景近景」 藤本和子 ちくま文庫

満足度★★★★★

 


「イリノイ遠景近景」 藤本和子

2022年11月29日 | 本(エッセイ)

様々な人の生き様が共感を呼ぶ

 

 

* * * * * * * * * * * *

刊行後即重版! 名翻訳者による、
どこを読んでも面白いエッセイの傑作。

近所のドーナツ屋で野球帽の男たちの話を盗み聞きする、
女性ホームレスの緊急シェルターで夜勤をする、
ナヴァホ族保留地で働く中国人女性の話を聞く、
ベルリンでゴミ捨て中のヴァルガス・リョサに遭遇する……
アメリカ・イリノイ州でトウモロコシ畑に囲まれた家に住み、
翻訳や聞書をしてきた著者が、人と会い、話を聞き、考える。
人々の「住処」をめぐるエッセイの傑作。 

* * * * * * * * * * * *

 

藤本和子さんというのは、正直私にはなじみのなかった方なのですが、翻訳者なのですね。
アメリカの方と結婚して、現在も米イリノイ州在住。
83歳。

本書はエッセイ集ですが、「小説新潮」に1992年~1993年に連載されたものが
単行本として1994年に刊行され、それがさらに文庫化されたものです。

というわけで、今から30年ほども前に書かれたものながら、
その内容はちっとも古びてはおらず、今もハッとさせられることが多いのです。
多くは人と出会い、その話を聞いたことを紹介しています。
それも、いわゆる成功者や著名人のインタビューではなく、
ごく一介の人々や、特異なことを成し遂げた人。

 

ナヴァホ続保留地で働く中国人女性の話、先住アメリカ人の陶芸家の話・・・。
藤本さんはあまり多くは語らず、相手の言葉――生きる思いを
するすると引き出しているように思われます。

中でも、第二次大戦中、ユダヤ人でありながら自らをドイツ人であると偽り、
ヒトラー・ユーゲントに入隊してしまったというソロモン・ペレルの話は圧巻でした。
このことは「ヨーロッパ、ヨーロッパ」という映画にもなった有名な話のようですが、
少なくとも私は知りませんでした。
しかし、ユダヤ人でありながらユダヤ人を差別し虐待する役割をしなければならない
というその心中は、たやすくは語ることはできないと思うのですが、
藤本さんは本音を聞き出せていると思います。

 

その他、ホームレスシェルターで夜勤をする話、
広大なトウモロコシ畑に囲まれた家での暮らしの話
・・・興味深いことばかり。

大切な一冊となりました。

 

「イリノイ遠景近景」 藤本和子 ちくま文庫

満足度★★★★★

 


「ひみつのしつもん」岸本佐知子

2021年09月04日 | 本(エッセイ)

エッセイかと思えば、底知れぬ迷宮

 

 

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頭くらくら、胸どきどき、腰がくがく、おどる言葉、はしる妄想、ゆがみだす世界は、なんだか愉快。

いっそうぼんやりとしかし軽やかに現実をはぐらかしていくキシモトさんの技の冴えを見よ!!

『ねにもつタイプ』『なんらかの事情』に続く『ちくま』名物連載「ネにもつタイプ」3巻め。

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岸本佐知子さんの「ねにもつタイプ」から始まるシリーズの第三弾。
この独特の雰囲気、やはり読まずにはいられません。
ちょっとした身近な話から始まるエッセイのような導入。
しかし、そのコミカルな導入にだまされてはいけない。
私たちは、いつの間にか気がつくと底知れない迷宮に迷い込んでいる自分に気がつくでしょう。
一体どこまでが実体験で、どこからが妄想あるいは異次元の入り口であったのか・・・。
それにしても、著者の相変わらず果てることのない妄想力にも驚きあきれるばかりです。

 

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「不治の病」

著者は、「カードの磁気が必ず弱い」病を持っているという。
ポイントカードやスポーツクラブのカードが、
しばしばエラーとなって読み取れなくなる、と。

そういえば私、時々自動ドアに感知されず、
ドアの前を何度もうろうろしても中へ入れないなどということが起こります・・・。
(ワンタッチ式のドアじゃないですよ。)
次の人が来るとすんなりドアは開いて、すかさずその人のすぐ後ろについて中に入った・・・。

 

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「渋滞」

例えば友人から来たハガキに、返事を書こうと思う。
文面もいい感じのものを思いついた。
これを絵はがきに書いて、切手を貼って、近所のポストに入れに行く。
よし。
後はそれを実行すれば良い・・・のだけれど、
手順を思い描いただけですっかりもうやったような気になってしまって、体が動かない・・・。
だからもうハガキをもらってから一ヶ月も経つのにまだ返事を書いてさえもいない。
そのうちにまた別の人からのハガキが来る・・・、
ということで返事を出さない手紙が渋滞してくる、という話。

ああ、なんだか自分にも心当たりがあります。
『グズな人には理由がある』、
岸本様、この本はグズグズしていないで是非とも本当に書いてくださいませ。

 

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「シュレディンガーのポスト」

たまに通る廃墟のようなアパートの前に、
これまたものすごく古びたポストがあるのだという。
このポストはまだ実際に使われているのだろうか?というのが著者の疑問。
とうに使われていないのに、知らずに手紙を入れる人がいるのではないか? 
そんな手紙が中にたまっているのではないか・・・。
そこから著者の想像は広がります。

そこに自分宛の手紙を入れたら、何十年もの未来の自分に届いたりして。
時空を超えるポスト・・・。

なんだかいろいろなストーリーができあがりそうですね。
などと夢見ごこちとになったところで、この項のオチがまた傑作なのでした!

 

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「ひみつのしつもん」

表題作ですが、これはあの、ネット上でユーザー登録などをするときに
本人確認のために決める「ひみつのしつもん」についてです。

「親友の名前」という質問を設定し、著者には一目瞭然の名前が答のはずだった。
ところが、当然すぎるその答を入れてみても、受け付けてもらえない。
何人か、別の名前で試してみてもダメ。
私は一体誰を親友と思っていたのだろう・・・? 
自分の心の迷宮にはまり込む・・・。
なんだかありそうなことで、薄ら寒い気持ちにさせられるのでした。

 

図書館蔵書にて

「ひみつのしつもん」岸本佐知子 筑摩書房

満足度★★★★☆

 


「金曜日の本」吉田篤弘

2021年01月29日 | 本(エッセイ)

「おじさん」の効用

 

 

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仕事が終わった。
今日は金曜日。
明日あさっては休みで、特にこれといった用事もない。
つまり今夜から日曜の夜まで、
子どものころの「放課後」気分で心おきなく本が読める!

――小さなアパートで父と母と3人で暮らした幼少期の思い出を軸に、
いつも傍らにあった本をめぐる断章と、
読書のススメを綴った柔らかい手触りの書き下ろしエッセイ集。

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吉田篤弘さんのエッセイです。
金曜日、仕事が終われば明日あさっては休み。
子どものころの「放課後」の気分のように、心置きなく本が読める!

放課後気分で、他に心置きなくやりたいことがある方も多いでしょうけれど、
子どもの頃から運動は苦手でインドア派の私には、
とても納得のいくたとえなのです。

本巻には、著者の子どもの頃のちょっとしたエピソードがいっぱい。
特に、ご両親の兄弟、「おじさん」との思い出が楽しい。

以前から私は思っていましたが、
子どもにとっての「おじさん」という存在は、
親のように義務感も責任感もなく、
個性豊かな「おじさん」が好意を軸として子どもに向き合うので、
子どもはその言動を正面から受け入れることになるのですよね。
だから子どもの視点から描かれた「おじさん」の話って、すごく面白いものが多い。

今時の子どもにはおじさんもおばさんもそう多くはないと思うのですが、
私くらいの年代だとまだ多いのです。
それは、幸運な経験だったと思います。
親でも教師でもない大人とふれあうことは結構大事だと思うのですが・・・。

 

この本の読後、なぜか私も「おじさん」たちのことを思い出し、
すると自分の子どもの頃のことも、
次から次へと些細なつまらないことまで思い出されてしまいました・・・。
昭和の時代の、ちっぽけなおとなしい女の子のことを・・・。
変な効果のある本です。

 

「金曜日の本」吉田篤弘 中公文庫

満足度★★★★☆

 


「たちどまって考える」ヤマザキマリ

2021年01月13日 | 本(エッセイ)

コロナ禍の中で

 

 

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パンデミックを前にあらゆるものが停滞し、動きを止めた世界。
17歳でイタリアに渡り、キューバ、ブラジル、アメリカと、
世界を渡り歩いてきた漫画家・ヤマザキマリさんにとって、
これほど長い期間、家に閉じこもって自分や社会と向き合った経験はありませんでした。
でもそこで深く深く考えた結果、
「今たちどまることが、実は私たちには必要だったのかもしれない」
という想いにたどり着いています。
この先世界は、日本はどう変わる? 
黒死病からルネサンスが開花したように、また新しい何かが生まれるのか? 
混とんとする毎日のなか、それでも力強く生きていくために必要なものとは? 
自分の頭で考え、自分の足でボーダーを超えて。
さあ、あなただけの人生を進め!

* * * * * * * * * * * *

 

ヤマザキマリさんの、コロナ禍の世界を見据えたエッセイ。

ヤマザキマリさんのご主人はイタリア人で、イタリア在住。
マリさんは、仕事の関係で日本・イタリア間を頻繁に行き来していたようなのですが、
このコロナ禍で、ずっと日本にとどまり、
ご主人とは長く別居生活になってしまったそうです。
でも毎日の会話は欠かさない。
ネットを通せば映像付きでも無料。
便利な世の中になっていてよかったですよね。

まあそんなわけで、本巻、多くは日本とイタリアの比較文化論のようになっています。

中国に次いでイタリアで、新型コロナウイルスのパンデミックとなった理由。
それはニュースなどでも言われていたとおり
近年の北イタリアと中国との深い結びつきもありますが、
イタリアの人々の、「論議好き」なところが大きい、と。
家族などが頻繁に集まっては食事しながら大声で自己主張・・・という、この習慣ですね。
今日本ではいちばんダメな例として真っ先にあげられることです・・・。
瞬く間に感染拡大したのも頷けます。

そしてイタリアの人々は決して中国を恨んだり目の敵にしたりはしないそう。
というのも、長い歴史の中でこの国の人々は常に外の国との軋轢の中を生きてきた。
良くも悪くも、外国との交わりの中で今日がある。
そうした認識があるから、今回のこともなりゆきで仕方がない、
中国が悪いわけではない・・・という感じのようです。

 

本巻ラストでは、「パンデミックと日本の事情」という章で、
かなり辛口の日本の現状批判も。

政府が提示する情報が不透明であること。

SNS上に見る凶暴な言葉の刃。

異質な人を排除する脆弱性。

戒律としての世間体。

 

そうそう、例えばコロナ感染が拡大している都会から地方への移動。
それが、「感染の危険性が大きい」ことよりも、
「世間の批判が大きい」ことの方が先に立っている
というおかしな状況が、今も根強い・・・。
これぞ、世間体の戒律。

色々、うなずいてしまうことの多い本です。

 

「たちどまって考える」ヤマザキマリ 中公新書ラクレ

満足度★★★.5

 


「風と共にゆとりぬ」朝井リョウ

2020年08月16日 | 本(エッセイ)

自虐ネタ満載。けど、お尻の話はしんどい。

 

 

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『桐島、部活やめるってよ』で鮮烈のデビューを飾り、
『何者』で戦後最年少の直木賞受賞作家となった著者が、
「ゆとり世代」の日々を描くエッセイシリーズ。
雑誌・新聞連載のエッセイに加え、悶絶の痔瘻手術体験を綴った「肛門記」を収録。
後日談「肛門記~Eternal~」は文庫オリジナル。
ひたすら楽しいだけの読書体験をあなたに。

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朝井リョウさんのエッセイです。

何と、予想以上に面白い。
というか、ほとんど三浦しをんさんに匹敵する自虐ネタ満載。


中で、著者はさくらももこさんのエッセイの大ファン、という一文があり、
私には興味深く思われました。
実のところ、私、彼女のエッセイがあまりにも読後に「何も残らない」のが物足りなくて、
あまり評価していませんでした。
というよりむしろ否定していました。
けれども、著者はその「何も残らない」事を受け入れた上で、評価していたようです。
(私には、あまりお手本にしてほしくないところではある。)

 

でもまあ、こんなご時世なので、あっけらかんと笑って過ごす時間は大切かもしれません。
無用の用という言葉もありますしね・・・。

 

そして本巻で壮絶なのが「肛門記」。
著者の痔瘻手術体験記です。
痔瘻というのは痔よりももっと症状がひどいもので・・・、
まあ、読めばわかります。

その痛さに耐える壮絶な日々とか通院とか入院、手術のこと・・・
とにかく人にはあまり言いたくない話だと思うのですが、
赤裸々かつ壮絶な闘病のことが描かれています。

なんだか自分のお尻のあたりがチクチクしてくるような・・・。
あ~、ダメだ。
私すぐにこういうのに影響されてしまうのです・・・。

 

「風と共にゆとりぬ」朝井リョウ 文春文庫

満足度★★★☆☆


「姉・米原万里」井上ユリ

2020年04月11日 | 本(エッセイ)

なんてユニークな姉妹

 

 

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アレルギーを起こすほど卵好き、お便所に三回落ちたなど、
「トットちゃんより変わっていた」伝説のロシア語会議通訳、米原万里。
プラハでの少女時代を共に過ごした三歳年下の妹が、
名エッセイの舞台裏やさまざまな武勇伝の真相を明かす。
「旅行者の朝食」「ハルヴァ」など食をめぐる美味しい話と秘蔵写真満載!

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先日米原万里さんの本を読んで、無性に関連本が読みたくなりました。
札幌市の図書館の予約貸し出しシステムが、コロナ拡大に伴う北海道の緊急事態宣言以来
ずっとストップしていたのですが、ようやく再開したので、まずは本作から。

米原万里さんの妹・井上ユリさんが亡きお姉さんについて描いた本です。
単行本では副題に「思い出は食欲とともに」とあるように、姉妹そろって食いしん坊。
いやいや、米原万里さんも大変ユニークな方ですが、
こちらの井上ユリさんがまた、負けずにユニーク。
井上ユリさんは、小説家井上ひさしさんのご夫人。
小学校時代のほとんどをお姉さんとともにプラハのソビエト学校で過ごしています。
そしてその後のことは私も知らなかったのですが、なんと北海道大学卒業。
そして高校の理科の講師となる。
ところがそこから大きく方針を変えて、なんと料理の修行を始めます。
辻調理師学校で学んだ後、ベニスなど北イタリアのレストランで研修を受け、
帰国後は自宅でイタリア料理教室を開いて今に至る。
・・・食いしん坊が高じて料理家になる。
納得すぎるくらいですが、わざわざ北大を出た後に、というのがやはり凄い。
かように、自分のやりたいことに正直で自由な姉妹というわけです。

米原万里さんのことは彼女の様々なエッセイで読んではいたのですが、
本作、その裏話的なことも書いてあって、実に楽しい。
「トットちゃんより変わった子」だったという米原万里さんの真実をのぞき見るようでした。
この伸びやかさは、また、ご両親の養育方針のたまものでもあると思います。
特に、共産党のお父様が魅力的で、姉妹がいかにもお父さんを大好きなのもいいなあ・・・。
米原万里さんファンの方なら必読の書です。
そして、きっと井上ユリさんのファンにもなってしまいます。


図書館蔵書にて(単行本)
「姉・米原万里」井上ユリ 文藝春秋
満足度★★★★☆


「科学する心」池澤夏樹

2020年03月16日 | 本(エッセイ)

文系でも科学は面白い

 

 

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大学で物理学科に籍を置いたこともある著者は、
これまでも折に触れ、自らの作品に科学的題材を織り込んできた。
いわば「科学する心」とでも呼ぶべきものを持ち続けた作家が、
最先端の人工知能から、進化論、永遠と無限、失われつつある日常の科学などを、
「文学的まなざし」を保ちつつ考察する科学エッセイ。

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物理の点数は最悪ではありながら、なぜか「科学」には心躍る私。
未知のものへの好奇心とか探究心はあるつもりなので、
科学する心は常に持ちたいと思っています。
本巻は敬愛する池澤夏樹さんの科学に関するエッセイなので、わくわくしながら読みました。
どの章立ても、興味深いものばかりです。

 

「原子力、あるいは事象の一回性」の中では、
あの震災時の福島原発の事故時の対応についてこんな風に言っています。

圧倒的に強い相手とのテニスのようなものだ。
飛来するサーブを返せない。
こちらのサーブはことごとく強打となって返ってくる。
右へ左へひたすら翻弄される。

予想しなかった事態に、思いつく限りのあらゆる手を尽くしても全く歯が立たない、
そういう感じですね。


「体験の物理、日常の科学」では、「以前は科学は実感で納得できた」と言います。
例えば電熱器のニクロム線。
電気が通れば赤くなって熱をもつ。
なんとも単純明快。
私が子どもの頃家にあった足踏みミシンなども、
ペダルを踏んだ動きをベルトで伝えると言う仕組みが子供心にも納得できたものでした。
しかるに今は、電子レンジの仕組みもよくわからないし、
スマホの中身がどうなっているのかなんて、全く想像もつかない。
ほとんどがブラックボックスの中。
そんな中で、料理が身体感覚を用いる科学の第一歩だと著者は言います。
そうか、料理も科学なんだ!


「考える」と「思う」の違いでは、AIのことに触れています。
特に「ブレードランナー」や「ターミネーター」、「2001年宇宙の旅」の映画を
例にひいて話が進むのがとても興味深い。
著者はAIは「考える」ことはできるが「思う」ことができない、と言います。
ただし、「今のところ」ということで。

 

「パタゴニア紀行」では、私も以前テレビ番組となった
池澤夏樹さんのパタゴニア旅行記を見たことを思い出しました。
日本のちょうど裏側にあるパタゴニア。
行ってみたくもありますが、いかにも遠そうだなあ・・・。

 

最終章「光の世界の動物たち」では、地球上の生物の壮大な進化の歴史が語られます。
地球が今の形をなしたのがおよそ46億年前。
著者はわかりやすく地球年齢の数字を換算し、今、46歳だと言うことにする。
8歳あたりで生命が誕生。
しかし多細胞生物が生まれるのはようやく40歳。
そして40歳半くらいのところで、いきなり多様な生物が登場。
それというのも、生物が「眼」を持つようになったからだというのです。
なるほど~。
壮大すぎてなんだかクラクラしてきます。

 

後日、ぜひ著者にはこの度のウイルス渦について「科学」してもらいたいです。

 

図書館蔵書にて
「科学する心」池澤夏樹 集英社インターナショナル
満足度★★★★.5

 


「謎物語 あるいは物語の謎」北村薫

2020年01月18日 | 本(エッセイ)

ミステリの中に埋もれている謎

 

 

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子どもの頃に読んだ童話や昔ばなしに、
スクリーンに映し出される奔馬の姿に、
『吾輩は猫である』の一文に
―本格ミステリをこよなく愛する著者は、多岐に亘る読書や経験のなかから、
鮮やかな手つきでミステリのきらめきを探りだしては、
私たちだけにそっと教えてくれる。
当代随一の読み巧者が、謎を見つける楽しさ、
そして解き明かす面白さを縦横無尽に綴ったミステリ・エッセイ。
宮部みゆき氏が初刊に寄せた読者へのメッセージに加え、
有栖川有栖氏による新解説を収録した新装版。

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本作、創元推理文庫の新刊なのですが、1996年に中央公論社より刊行されたものです。
それで、作中の北村薫氏の著作がときおり登場するのですが、それがかなり懐かしい。
まあ、そんなお楽しみがあってもいいですね。
北村薫氏があまたに読んだ本、特にミステリについて、
そこに埋まっている「謎」を掘り出していきます。
いや、そもそも「ミステリ」は謎の本なのですが、
ここではそのネタばらしということではなくて、
トリックの先例のことや解釈のこと、含蓄のある考察がたっぷり。

 

ミステリにおけるトリックが他作品との類似を指摘される・・・
などということがたまにあるようなのですが、
それは許されないことなのだろうか・・・?
人の考えることだからどうしても似てしまうこともあるだろうし、
実は以前読んだものですっかり忘れていたのだけれど、
まるで自分のアイデアのように湧き出てきた・・・などと言うこともありそうです。
でも、「ミステリ小説」の面白さはトリックだけにあるわけではありませんね。
登場人物の造形、心理描写、動機、結末、トリックの必然性・・・
ありとあらゆるものが著者の力量となる。
だからまあ、トリックの類似にはあまりこだわらなくてもいいのでは・・・、ということのようです。
確かに。
いっそ全く同じトリックで競演(?)してみては?
なんてね。

 

それとは別に、何か元になる本の中の文章があって、
それに呼応するような文章を誰かが書く。
そしてまたそれを受けて別の誰かが・・・というような
連鎖というかキャッチボールを見つけることが著者にはあるようです。
そのためにはいかにも多くの本を読んでいなければなりません。
少なくても私には無理。
そして著者の「円紫さんと私」のシリーズはそういう筋立てが多いですよね。
小説のネタのため、というわけでなく
普段から物語の謎を見つけるのがお好きなんだなあ・・・、北村氏。

「謎物語 あるいは物語の謎」北村薫 創元推理文庫
満足度★★★.5


「なんでわざわざ中年体育」角田光代

2019年11月20日 | 本(エッセイ)

アクティブな作家!

なんでわざわざ中年体育 (文春文庫)
角田 光代
文藝春秋

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走ることも、汗をかくことも嫌い。
嫌いだと自覚しているからこそ続けられることもある。
インドア作家が43歳でフルマラソンに出場。
ボルダリングから登山、ワイン飲みマラソンまで闇雲に挑戦した結果はいかに?
志の低いユルい楽しみ方は中年の特権ではなかろうか。
笑い転げながら読んでいると不意に感動が襲う爽快エッセイ。

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角田光代さんは、自身もボクシングに通い、
ついにボクシングがテーマの作品をも書き上げたことは知っていましたが、
本作を読んでさらに驚かされました。


定期的に走ることは習慣にしているようなのですが、
フルマラソン、そして山を駆け回るトレイルランまで、
ご本人は決して好きではないなどとおっしゃっていますが、
いやいや、やっぱり結局好きなのでしょう。
そうでなければこのように何度も行ったりはできません。

 

島をあげての応援態勢のように見受けられる「那覇マラソン」は楽しそうですね。
これには毎年参加されているようです。
見物だけでも一度行ってみたいなあ・・・。

 

でも、ひどくつらくて、もう嫌だと思いつつ、
ゴールしたあとの爽快感や達成感、それがいいんだよなあ・・・というのはちょっとわかります。
私自身はそこまで厳しい運動はあまり体験がありませんが。

著作の仕事は家にこもって座りっぱなしということでありましょうから、
こうして時にはアウトドアで思い切り体を酷使する
という真逆のことがいいのかもしれませんね。

「中年体育」と言ってはいますが、こういうことに年齢はあまり関係なさそうです。
あと20年したらきっと「老年体育」の本を書くのではないかな? 
楽しみにしています!

 

「なんでわざわざ中年体育」角田光代 文春文庫

満足度★★★★☆


「お友だちからお願いします」三浦しをん

2019年09月24日 | 本(エッセイ)

いい感じに気の抜ける本 

お友だちからお願いします (だいわ文庫)
三浦しをん
大和書房

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本書はふだんよりも、よそゆき仕様の一冊である(自社比・本人談)!
―そうは言ってもボウリング、国際交流、とっさの一言といった
さまざまな分野において最弱王の素質は十分、
おやじギャグの才能はますます磨かれ、
肉体はのろのろなのに妄想だけはのりのりの日常のなかからは、
情熱と愛情と笑いと涙がほとばしる!
アップデートされた「文庫追記」多数もぬかりなく収録。
「『お友だちからお願いします』と言ったことも言われたこともない」
と語る当代随一の人気作家が満を持して贈る、爆笑&胸熱の極上エッセイ集!

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三浦しをんさんのエッセイ集。
一時期はまってずいぶん読んだのですが、久しぶりに読みました。
本人談で「本書はふだんよりも、よそゆき仕様」とあるのですが、確かにその通りだと思いました。
私、北海道の誇る北大路公子さんのエッセイを読みすぎたためか、
多少の自虐ネタでは動じないようになっているようです。
本作では三浦しをんさんの持ち味はそのままに、
そこはかとなく上品でさえあるような気がします。
さすが、キャリアのなせる技か。

内容は多岐にわたりますが、例えばかつて林業の取材で訪れた地を再び訪れたことなどは、
小説のファンとしてはうれしいエピソード。

「旅の効用」というところでは、
「異世界を体験するだけが旅の効用ではない。
旅をすることによってのみ、日常に帰れる場合もある。」とあります。
う~む、ファンタジー、「行きて帰りし物語」だなあ・・・。
深淵です。

相変わらず、ヴィゴ・モーテンセンの大ファンであること(2012年の本だった!)などもうれしい再確認。

 

いい感じに気の抜ける、楽しい本でした。

 

「お友だちからお願いします」三浦しをん だいわ文庫

満足度★★★★☆


「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」 遥洋子

2019年07月17日 | 本(エッセイ)

相手にとどめを刺しちゃいけません

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ (ちくま文庫)
遥 洋子
筑摩書房

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教授は言った。
「相手にとどめを刺しちゃいけません。
あなたはとどめを刺すやり方を覚えるのでなく、
相手をもてあそぶやり方を覚えて帰りなさい。
そうすれば、勝負は聴衆が決めてくれます」
タレントは唸った。
「本物は違う!」
今、明される究極のケンカ道とは?
フェミニズムの真髄とは?
20万人が笑い、時に涙し「学びたい」という意欲を燃えたたせた
涙と笑いのベストセラー。

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著者遥洋子さんは、1997年から3年間、
東京大学大学院の上野千鶴子ゼミを特別ゼミ生として受講。
本作にはその時のことが描かれています。


そもそも著者がこのことを決意したのは、
しばしば出演するTV討論会で、フェミニズム的立場で物を言っても
男たちにことごとく粉砕されてしまう・・・という悔しさからのようです。
その気持は良くわかります。
いくら言っても糠に釘というか、まともに受け止めてもらえない感じ・・・。
なんとかしっかり学んで力をつけて、男どもを打ち負かしてやりたい、と。


しかし教授が「相手にとどめを刺しちゃいけません。」といったのは、上記紹介文の通り。
しかしそもそも、まずこの上野ゼミについていくことが至難の技であった、
というところから話は始まるのです。
東大大学院と聞くだけでもビビりますが、まさにその通り。
資料がどっさり、しかもどれも難解でいくら読んでも頭に入っていかない。
しっかり準備をしなければ授業についてもいけない・・・。
こんな状況をよくぞ3年間も・・・と、
私はそれだけで著者を尊敬してしまいます。


上野千鶴子さんは、相手によって言葉を使い分けされているようで、
私がこれまでいくつか読んだ本の中でも特別に難解と感じたことはありません。
それは上野教授があえて一般庶民にわかる言葉に翻訳して書いていてくれていたからだったようです。

著者が上野教授の「家父長制」を定義する文章として挙げたのが、
『女が自分の胎から生まれた生きものを、
自分を侮蔑するべく育てるシステムのこと』。
まさに、こうしたシステムが連綿と引き継がれてきた結果の今日であります。
過激な表現の底にはそれを支える膨大な理論がある。
その裾野に広がるであろう広大な理論の海を著者は感じるわけですが、
私も、その海を頼もしく思わずにはいられません。

ところでこの本が単行本で刊行されたのが2000年1月。
それから20年近く経つというのに、
女性たちを取り巻く環境にそう変化があったようには思えない・・・。
上野教授が大学の入学式の挨拶で残念な内容をスピーチしなければならなかったくらいに・・・。
女性たちよ、もっと「普通」を疑おう!


「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」 遥洋子 ちくま文庫
満足度★★★★☆