映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「卵のふわふわ」 宇江佐真理

2007年08月30日 | 本(その他)

「卵のふわふわ」 宇江佐真理 講談社文庫

時代小説。
まったく私の守備範囲ではなかったのです。
宮部みゆきの江戸ものは好きでよく読みますが、それ以外は皆無といっていい。
それがなぜ突然読むことになったかといえば、この題名です・・・。
卵のふわふわ・・・?
料理の名前らしい。
目次を見ればこれもすべて料理の名前だし・・・。
時代小説でも、これは江戸前グルメの薀蓄を絡めた物語?。
食いしん坊の私はむしろそちらに引かれて手に取ったわけです。

さて、ところが、私はちょっと感動しています。
まだまだ、私の知らないジャンルでも、面白いものはたくさんあるものなんだなあ・・と。
毎日毎日無数の本が出ていて、実際に読んでいるのはそのほんの氷山の一角にしか過ぎず、未知の部分にどれだけの宝が隠れているかと思うと、めまいがしてしまいます。
今回は、たまたまの選択でしたが、私の中では「ピン・ポン♪」の正解でした。

想像のように、江戸の料理の話も出てきますが、この本は、夫婦の再生がテーマです。
八丁堀北町奉行所の同心、椙田(すぎた)忠右衛門の長男、正一郎の元に嫁いで6年になる、のぶ。
舅の忠右衛門も、姑のふでも、口は悪いけれど、やさしくさっぱりした性格で、嫁としてかわいがられ大変うまくいっている。
ところが肝心の夫、正太郎は妻のやることがすべて気に入らないらしく、いつも難しい顔をして、気に入らないと怒鳴りちらし、時には手も上げる。
実はのぶとの結婚の前に、心に決めた人から手ひどい裏切りをうけたのだという。のぶがかつては道ですれ違ったときなどに、ステキな人・・・とあこがれていた正一郎なのですが。
まったく心が通い合わず、また、子供も、2度流れてしまい、その後できないこともあり、悩むのぶ。
とうとう離婚を決意し、家を出るのですが・・・。

この本の魅力は、登場人物のいろいろな個性。
のぶは、大変かわいらしいのですが、きちんと自分の考えで行動できる気丈さも備えています。
正一郎は、女性に対してトラウマを抱いており、それゆえに、きちんと妻と向き合えないでいたようなのですが、少しずつ変わっていくところが、みどころ。
この二人の会話シーンが、そう多くはないのだけれど、とてもいい。(はじめのほうはちょっと、怖い)
ロマンス小説を読んでるみたいに、ちょっと、どきどきしました。
どうということないのに、何でなのか、自分でもよく分かりません。
正一郎は結構イケメンの設定なんですよね。
イケメンのお侍さんとのやり取りなんて・・・、私の中ではすごく新鮮!
おっとり、ボーっとしているようで、人の心を読むのに敏感、食道楽の忠右衛門もいいし、仲がいいのだか悪いのだかよく分からない、ふでも、いい。

ラストに悲しい余韻をのこしつつ、まずまず納得できる着地。
よい本です。

満足度 ★★★★★


ボルベール<帰郷>

2007年08月28日 | 映画(は行)

おばの葬儀から帰ると、車のトランクから、とうに死んだはずの母が現れる。
あなたは幽霊?
なぜ、母は「死んでいた」のか。

                 * * * * * * * *

さていよいよ、ペドロ・アルモドバル監督の3部作。第3弾。
監督の故郷であるというラ・マンチャが、この映画の舞台となっています。
風の強い日。
亡きき母のお墓参りに訪れたライムンダと、姉のソーレ、娘のパウラ。
そんなシーンから映画は始まります。
この強い風がこれからの波乱を暗示しているかのようです。
もともと、風の強い地域なのでしょうね。
ラ・マンチャといえば風車で有名ですが、この作品では現代風に風力発電のたくさんのプロペラがこの土地のシンボルとして何度も登場します。

さっそくの事件は、娘のパウラが父親を刺し殺してしまうということ。
彼は「お前は実の娘ではない」と彼女に迫ってきたという。
「これは、私が刺したことにするのよ」、固く言い聞かせる母、ライムンダ。
この死体の処理はどうするのか、うまく殺人を隠しとおせるのか、というのが、気になる一点。

そして、また別にいくつかの謎が提示されていきます。
彼女たちの両親は以前山小屋の家事でなくなっていること。
同じ頃、隣人のアグスティナの母親が失踪したまま行方不明になっていること。
どうしてか、ある時期からライムンダが母親を嫌うようになり、ほとんど交流も絶えていたこと。
彼女たちの母親は実は生きて、おばの家に隠れていたのがわかるが、なぜ、死んだことにしたまま、隠れていなければならなかったのか・・・。

このような謎が、少しずつ解けていくのです。
なかなか、先が見えない、ミステリアスな展開なので、いったいどのように収束するのかと、緊張感を持ったまま、終盤まで見てしまいます。
しかし、その描写はけっして「スリラー」ではありません。
ほんのりとユーモア漂う、監督の温かい視線が感じられます。

なぜこんな馬鹿なことが・・・と思いながら見るうちに、現れる真相は、本当に、そう簡単に口に出せるようなことではありませんでした。
大変重い秘密を抱えたまま、しかし、日々、大切な家族を支えるため、生活していなければならない。
奇しくも同じような重荷を背負った母と娘。
その怖いくらいのたくましさに感動を覚えるのです。
死体の入った冷凍庫のあるレストランで平然と店を開くライムンダ。
そのたくましさを、ペネロペ・クルスがたくみに演じています。
この映画の題名である、タンゴ曲「ボルベール」を歌うシーンは見所。

母と、娘が秘密を打ち明けることで和解。
そして最期は、ガンを患う孤独な隣人アグスティナの介護を母が務めることにするのですが、たくましさの底に流れる揺るがない愛、やさしさ、そういうものをみせて、余韻を残す、いいラストだと思います。
結局私は3部作の中で、これが一番気にいりました。

2006年/スペイン/120分
監督:ペドロ・アルモドバル
出演:ペネロペ・クルス、カルメン・マウラ、ロラ・ドゥエニャス、ヨアンナ・コバ
「ボルベール<帰郷>」公式サイト

余談ですが、ラ・マンチャといえばドン・キホーテ。
「ラ・マンチャの男」は有名ですが、「ロスト・イン・ラ・マンチャ」という映画がありまして。
これにジョニー・デップが出ている。
・・・ところが、これが、「未完の映画」がなぜ未完に終わったのかが、くどくどと描かれているというシロモノで、ジョニー・デップが出てくるのはほんのちょっぴり。
ぜんぜんおススメできません!
だまされて、見てしまった私です。
・・・すみません、蛇足でした。


トーク・トゥ・ハー

2007年08月26日 | 映画(た行)

ペドロ・アルモドバル監督、3部作の第2弾です。

看護師のベニグノが一人の昏睡状態の女性をとても大事に介護している。
そんなところから物語りは始まります。
彼は4年も昏睡状態の彼女をマッサージし、髪を整え、自分が外で見聞きした舞台・映画のことなど、いつもやさしく語りかける。
もともと、彼は、彼女がバレエ教室に通うときからあこがれていたのだけれど、その様子を見れば彼が彼女を愛していることは一目瞭然。
けれど、これは一方的にベニグノが彼女に想いを寄せているだけで、元気な頃の彼女は彼については見知らぬ人。

同じ病院に、こちらも昏睡状態の女性闘牛士リディアがいて、その恋人マルコが看病をしている。
同じような境遇で、ベニグノとマルコの間には友情が芽生えていく。
けれどマルコはベニグノのように、彼女が意識あるかのように語りかけるようなことができない。

ベニグノのこれは、究極の片思いといえるのではないでしょうか。
彼女の体にじかに触れ、愛撫めいたことまでするのに、彼女には意識がなくただ人形のよう。
ほんの少しでも、心を伝えたい、伝えてほしい、そのような心の渇望がある。
でもこれは、反面危険なことでもあるのです。

劇中劇「縮みゆく恋人」というサイレント映画がありまして、これがなかなか強烈に、エロチック。
映像自体はユーモラスとも思えるものなんですが・・・。
それに触発されてある日とうとうベニグノは・・・。

あふれ出る人の愛の気持ち。
けれど、それがいつも喜びを持って受け入れられるとは限らない、そんな切なさを歌っているのだと思います。
ベニグノの純粋さ、一途さは裏返すと異常。
この微妙加減が、難しいところです。

昏睡の果て、意識を取り戻すのはバレリーナか、闘牛士か!?
それはやはり、あふれ出る愛の勝利。ということですね。
悲しい勝利ですが・・・。

スペイン映画ならではの「闘牛」、しかも女性闘牛士!などというシーンもあったりして、ちょっとお得な感じのした作品でした。

2002年/スペイン/113分
監督:ペドロ・アルモドバル
出演:レオノール・ワトリング、ハビエル・カラマ、ロサリオ・フローレンス、ターリオ・グランディネッティー

「トーク・トゥ・ハー」公式サイト


オール・アバウト・マイ・マザー

2007年08月25日 | 映画(あ行)

今、ペドロ・アルモドバル監督の「ボルベール<帰郷>」という作品が公開されています。
「オール・アバウト・マイ・マザー」と、「トーク・トゥ・ハー」、あわせて3部作といわれています。「ボルベール」は近日中にぜひ見たいと思っておりますが、その前に、予習ということで、前2作を見てみることにしました。

「オール・アバウト・マイ・マザー」

この作品の主人公マヌエラは、17歳の一人息子エステバンを事故でなくし、失意のまま彼の父とであった街、バルセロナへ向かいます。
実は彼の父のことは、息子にも語ったことがなかった。
というのは、その父は女装し、豊胸手術もしているという人物で、また同時に男性でもあり、マヌエラは妊娠したことも彼に告げないで、別れたきりになっていた。

この映画は女、母性の物語といっていいのではないでしょうか。
常に人を気遣い守る立場になってしまうマヌエラ。
エステバンの父同様の性癖で、それを商売にしていた友人。
・・・彼女は本当は男性であるのですが、ここでは「女」として描かれていると思います。情熱的、世話好き。
妊娠していて、HIVにも感染しているロサ。子供を生み育てる覚悟をしています。
同性愛者の女優と、その愛人。

マヌエラをはじめとして描かれる女性たちは誰もが、守り、育て、愛する女の生を精一杯に生きています。
その姿はなんとたくましいのでしょうか。
あえて倒錯的な性をも描きながら、女というものを表現しています。
劇中劇として「欲望という名の電車」があります。
このストーリーを知っていれば、もう少し本ストーリーとのつながりも見えたりして、楽しめるかな、とは思うのですが、不勉強ですみません。
このことはよくわかりません・・・。

修道女でありながら、私生児を身ごもるという役のペネロペ・クルス。やっぱり、彼女はすごくきれい。スペインの情熱的女性、なにしろ本物ですからね!

それにひきかえ、男性は情けない・・・。
この映画に出てくる男性といえば、認知症で徘徊するロサの父親と、
最期にやっと出てきた、エステバンの父親。(実はロサの相手でもある。)
(姿は女性なのですが、ここでは男性として描かれていると思いますが・・・。)
彼は息子が生まれていて、そして最近亡くなった話を初めて聞いてただ、ただ、涙。
男って、ぜんぜん役に立たない・・・。それが男の性。
まあ、この映画の母性を主題とする裏のたとえですよ・・・。

「オール・アバウト・マイ・マザー」は、17歳で無くなったエステバンが、ジャーナリストを目指していて、いつも手帳に出来事をメモしていた。
最期に書いていたのが彼の母のこと。
そこからきた題名ですね。
けれどこれは、すべての人の母について語った、女性への賛歌。
そういう意味もこめられているのかも。

1999年/スペイン/101分
監督:ペドロ・アルモドバル
出演:セシリア・ロス、マリサ・パレデス、ペネロペ・クルス


プロヴァンスの贈りもの

2007年08月23日 | 映画(は行)

南フランスはプロヴァンス。
ロハスな生活。自作の野菜で作るラタトゥイユはいかが?

                 * * * * * * * *

ロンドン金融界の豪腕トレーダーであるマックス。
超多忙の中、フランスに住む叔父の訃報で、20数年ぶりにプロヴァンスの地を訪れます。
少年時代、夏にはいつも叔父とともに過ごした南フランス、プロヴァンスのシャトーとぶどう園。
マックスはそこを相続することになるのですが、自分がぶどう園を維持するつもりはまったくなく、売却しようと思っています。
しかし滞在するうちに、叔父と過ごしたプール、テニスコート、叔父から得たさまざまな知識、知恵、彼にとっては父親も同然だった叔父のことが次々に思い出され、その叔父が愛したこの家や土地を売り払ってよいのかどうか、迷い始めるのです。
また、お定まりではありますが、そこで出会う女性とのロマンス・・・。

今風にはロハスというのでしょうか。
都会に住む人たちはちょっと都会のあわただしい生活に疲れていて、自然の歩調に合わせたゆっくりした生き方にあこがれる。
それはどこの国でも同様なんですね。
南フランス。プロヴァンスですか・・・。
あこがれますねえ・・・。
「トスカーナの休日」というのもありましたっけ。これはイタリア。
わたしならイギリスのコッツウォルズもいいなあ・・・。
ああ、北海道にいながら、わざわざ海外に行かなくても、美瑛という手もあるのだった。
ただ、憧れはするものの、実際に住むとなるとどうでしょう・・・。
この映画でも、マックスの友人は言っていました。
「今はよくたって、退屈ですぐ飽きるぞ。」と。
晴耕雨読。
晴れた日は畑の手入れと犬の散歩。
夏の夕には外でバーベキューにビール。
雨の日や、降りしきる雪の日は、暖かい部屋で読書、DVDで映画三昧。
近所に本屋とレンタルショップとスーパーさえあれば、私は案外退屈しないかも・・・。
あー、今は、パソコンがあればわざわざレンタルショップは行かなくてもいいのでした。
うん、悪くないかもしれません・・・。
先日みた「レミーのおいしいレストラン」に出てきた「ラタトゥイユ」が、南フランスの料理ですよね。
自分の畑で作った野菜のラタトゥイユ、ワインにチーズも添えて・・・。
結構。結構。

マックスのケータイがしょっちゅう鳴っていました。
ケータイが出てきてからから、人はますます忙しくなっている。
ケータイを捨て、野に出ましょう!

マックス(ラッセル・クロウ)の少年時代をフレディ・ハイモアが演じています。いまや男の子の子役ではピカイチ。ステキな子ですよねえ・・・。

2006年/アメリカ/118分
監督:リドリー・スコット
出演:ラッセル・クロウ、マリオン・コティヤール、フレディ・ハイモア、アルバート・フィニー

「プロヴァンスの贈りもの」公式サイト


キャプテン

2007年08月21日 | 映画(か行)

なんと35年前、1972年月刊少年ジャンプに連載されたちばあきお氏の人気マンガの初の実写映画化。
テレビのアニメもよかったですよねえ。
私は2年に一度ほど、不用な本の売却処分をします。
お気に入りのものは残しておくのですが、この「キャプテン」も「プレイボール」も、ちゃんと生き残っています。
これで見逃す手はありませんよね。
野球の映画といえばこの間、「バッテリー」をみました。
バッテリーの原田巧君はたぐいまれな投手の素質の持ち主で、その、プライドも並ではない。
けれど、ここに出てくる谷口君は、まったくの普通の中学生、というか、むしろ、ひどく下手。
その彼が、野球の超名門校の野球部にいた、ということだけで、キャプテンをさせられる羽目になってしまい、逃げ出したい思いでいっぱい。
しかし、「いったん引き受けた以上は、きちんと責任を持ってやれ!」と父親に檄を飛ばされ、特訓を始めるのです。
その父親も、言いっぱなしではなくて、ちゃんと特訓に付き合うあたりは、なかなか・・・。
努力。努力。
そのがんばりで、谷口君は少しずつ実力をつけていきます。
墨谷二中、負け続きの弱小野球チームのメンバーたちも、谷口君に感化され、練習に熱が入る。
チームワークも生まれて、地区予選の決勝にこぎつけるまでになるという成長の物語。

みんなでやる野球。
中学生の野球としては、この方が気持ちがいいなあ。
常に、控えめでシャイな谷口君が、プレイでは堂々と自己主張。
そんなところがいいですよね。
出演の野球部メンバーはすべてオーディションで選んだそうです。
そこで見出された布施紀行君こそ、監督も一押しの谷口君のはまり役。
正直、この子は演技下手・・・と、私が見ても思いました。
でも、プレイがステキで、なるほど、それこそ普段は自意識過剰で不器用になっちゃう谷口君そのものかも・・・ということなんです。
コミックの谷口君よりはずっとハンサムですしね!!
スポーツのよいところは、35年前のストーリーでも、ぜんぜん古くならないということです。
ちょっと、コミックを物置から引っ張り出してみてみると、谷口家の食事は懐かしいちゃぶ台で、そんなところに、やはり時代の移り変わりは感じますが、野球の部分はほんとに古さを感じません。
丸井君、イガラシ君のキャラもいいのですよね~。
原作にはない、野球部の顧問ということで若い女性教師が出てきまして、彼女は野球なんてまったく興味がなかったのに、野球部の一生懸命さに感化され、次第に真剣になり、教師としても成長していくと、そんなサブストーリーも出てきます。
そういえば原作には顧問も監督もいませんよねえ・・・、そこまで、見捨てられたチームだったんだ・・・。

弱小チームが、裕福な強豪チームに挑戦し追い詰めていく、そんな爽快さがいいんだなあ・・・。
ちょっと、うだつのあがらない小市民としては、胸がすく感じ。

コミックのファンも、コミックを見たこともない方も、単純に楽しめます。

2007年/日本/99分
監督:室賀 厚
出演:布施紀行、小林麻央、岩田さゆり、筧利夫、宮崎美子

「キャプテン」公式サイト


「夜は短し歩けよ乙女」 森見登美彦

2007年08月19日 | 本(SF・ファンタジー)

「夜は短し歩けよ乙女」 森見登美彦 角川書店

2007年 本屋大賞2位の作品。
超ユニークな登場人物たちと、彼と彼女のファンタスティックなラブストーリー。

ファンタスティック???
そのような言葉には何か違和感があるけれど、いってみればやはりそうとしか言いようがない、といいましょうか・・・。
古都京都が舞台ということもありそうですが、森見登美彦が織り成す不思議な感覚の世界です。
何か懐かしくて、あやしい。
たとえば、宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」に出てくるお風呂屋さん。李白翁の3階建電車にはそんな雰囲気がある・・・。

ここに登場する大学生の「彼女」は、かわいくキュート。
しかし、時にとても大胆。
女の目から見ても、相当魅力的です。
しかも、とてつもなくお酒に強い!!

第一章では、とにかく飲み歩く。京の夜をひたすら飲み歩くお話。
それにしてもよく飲むねえ、といわれて彼女が返す言葉は、
「のんびり飲んでいたら醒めてしまいます。」
お~、頼もしい。
そんな彼女が最期にたどり着くのは李白翁の3階建電車。
一階は書斎。
二階が宴会場。
三階が銭湯で屋上は竹林があり池があるという代物です。
その2階の宴会場で、彼女は李白翁と飲み比べをします。
そのお酒が偽電気ブラン。
「口に含むたびに花が咲き、それはなんら余計な味を残さずにお腹の中へ滑ってゆき、小さな温かみに変わります。
それが実にかわいらしく、まるでお腹の中が花畑になっていくようなのです。
飲んでいるうちにお腹の底から幸せになってくるのです。」
こんな表現をされるお酒がほんとにあったらいいんですけどね・・・。
見事勝利した彼女は、かすかに夜明けの気配を感じる頃に、
「乙女の慎みとして、夜明け前には寝床に戻らねばなりません。」
と、一人静かに帰宅。
いや~、酒飲みとあるものはかくあるべし!

え、どこがラブストーリーかと?
実はこの彼女を見初め、ぜひ近づきたいと、ひそかに彼女を追い求める、彼女のクラブの先輩男子がおりまして・・・。
つまりは、この本は彼が彼女に想いを告げるまでの悶々としたストーリーでもあるのです。
それは、彼が友人に「外堀埋め過ぎだろ?いつまで埋める気だ。林檎の木を植えて、小屋でも立てて住むつもりか?」と言わしめるほど。
情けなくもじれったい彼ではありますが、そのアクションに感動するほどがんばったりもして、なかなかこれも楽しめる趣向でございます。

他に、古本市や学園祭を舞台にした話、すさまじい強力な風邪が巻きおこす話、どれも、楽しいストーリー。
このような本にめぐり合えるとは何たるしあわせ。
願わくば、また、同じときめきを我に。なむなむ。

満足度 ★★★★★

・・・・え~、夏のスペシャル、「怒涛の毎日更新」は本日で一応ストップです。
お疲れ様でしたっ


イン・マイ・カントリー

2007年08月18日 | 映画(あ行)

舞台は1995年南アメリカ。
悪名高いアパルトヘイトが終焉。
その後の処理として、真実和解委員会(TRC)という組織ができた。
黒人差別。つい最近まで合法的にそれが行われていたことこそ脅威ですが、その制度がなくなるまでには、その抵抗運動で命を亡くした人も少なくありません。
白人の警察が、黒人を監禁し、拷問、処刑・・・そんなことが平気で行われていた。
TRCは、残虐を受けた側、行った側、双方の言い分を聞き、被害者側の痛みを共有させ、真実を語ったものには恩赦を与え、罪を問わないこととした。
告解と恩赦というカトリック的方法論、とのこと。

真実を話し、謝ればばそれで済むのか。
これは白人側にとってばかり都合のよいことのようにも思えるのですが、ただ、いえるのは、このことでさらに犠牲者を出すのは、憎しみの連鎖を生み出すだけ、ということも確かだと思うのです。
白人側の主張としては、自分たちを守るためにやったのだ。
上司からの命令でやったのだ。・・・と。
一方そのような混乱の中では、黒人からの攻撃で傷ついた白人も。

さて、この映画では、南アフリカを故郷とする白人のジャーナリスト、アナと、アメリカ人のワシントンポスト特派員、黒人のラングストンが、TRCの活動を取材していきます。
アパルトヘイトを恥じているが、今後の進展に期待を抱いているアナと、恩赦というやり方に懐疑的なラングストンは、反発もするのですが、心惹かれても行くのです。
結局二人の思いは根幹では同じ。
肌の色の違いと係りなく人は共感し理解し合えるのだと、二人は象徴的役割なのだと思います。

圧倒的に搾取の側であった白人の意識をまず変えなければならないのでしょうけれど、どちらが悪いというのでもない、このやりきれない差別の問題は、時間をかけて解消していかなくてはならないのでしょう。
重く受け止めたいと思います。

このように、ちょっと重いテーマですが、淡々としたストーリー運びで、静かに語られていきます。アナとラングストンのロマンスは・・・、心の交流だけでも十分だったかも・・・。

この映画の音楽、アカペラの合唱がいい。
ゴスペル好きの私にはジーンときました。

2004年/イギリス=アイルランド=南アフリカ/104分
監督:ジョン・ブアマン
出演:ジュリエット・ビノシュ、サミュエル・L・ジャクソン


「シクスティーズの日々~それぞれの定年後」 久田 恵

2007年08月17日 | 本(その他)

「シクスティーズの日々~それぞれの定年後~」久田 恵 朝日文庫

なぜか突然現実的なルポルタージュです。
定年を迎え、人生の転機を迎えた60代。
何を想いどんな生活をしているのでしょうか。
朝日新聞の連載コラムをまとめたものだそうです。
我が家は地方紙なのではじめて読みました。
そもそも、「ブログ」を見ている方々は若い人が多いのでしょうか?
だから、まだあまりピンとこないかもしれませんね。
私自身、仕事を持っていますが、まだ50代前半なので退職には間があります。
ただし、うちの夫は団塊世代で、後一年半ほどで、定年退職を迎えます。
ということで、「老後」の生活設計は正に切実なことではありますので、読んでみました。
分量はさほどなく、元が新聞のコラムなので、一篇の話も短く、ごく簡単に読めてしまいます。
ただし、その内容はどれもこれもが一つのドラマの凝縮で、大変に興味深いのです。

たとえば、ひたすらまじめに働いた銀行マン。田舎の山を買って、雑木林・沢・池、自分だけの場所で「少年」に戻って遊ぶ毎日。そんな夢をかなえた男性。

50代で離婚。妻も子も別れたきり、一人ぽっちだが、家がないから、どこへでもいける、家族がないから余計な心配は要らない。一人暮らしにも慣れている。お気楽で、自由なくらしをそれなりに満足している男性。

一日中何もしないで家にいる夫に耐え切れず、「私、昼ごはんは作りません」と宣言した妻。

それぞれ、連れ合いをなくした男女。趣味も話も合って、親しくなったけれど、お互いの家族への配慮などもあり、あえて結婚はぜず、恋愛関係を楽しむ男女。

故郷の田舎に帰り、母の介護と、地域活動に生きがいを見出す男性。

・・・とにかく一つ一つがそれぞれの生き方で、そこには、どれがいいとか言うような答えはありません。
自分なら、どうするか・・・それを考えるための本といえます。
夫婦のあり方も、そこでまったくダメになってしまったり、危機を乗り越えたり、お互いあきらめて好きなことをしてみたり、それも千差万別。

ただ、せっかくここまで一緒にがんばってきたのだから、お互いに無理のない形で、この先も乗り越えられたらいいなあ・・という気はしました。

この先、いよいよ団塊世代の大量退職。
この本には書ききれないエピソードがまだまだ生まれることでしょう。

「この戦後の民主教育を受けた第一世代の60代は、古い家族観と新しい家族観の狭間で大揺れ状態にあり、百人百様の混迷の中にある。」と、作者は言っています。

構図としては、家庭を省みず、ただただ企業戦士として、仕事をしてきた夫。
家事に育児、ひたすら家庭を守ってきた妻。
夫は、仕事から開放され、これからはのんびり家庭で癒されたいと思う。
しかし、妻のほうは、もう母やら、妻の役割からは解放されたいと思っている。
このギャップがさまざまなドラマを生んでいるようなのです。
「ここを乗り切るには夫が働き続けた歳月、妻が家事や育児のために費やした歳月、ともに働いてきた歳月、そのいづれも人生においてかけがえがなく、お互いが支払った努力は等価であったとの相互の評価にたって、関係を仕切りなおすしかないように思われる。」とのまとめがありました。
肝に銘じたいと思います。

ついでに、女性側から、男性へのお願い。
どんなにやさしくて家事が得意そうな奥様でも、それをやって当たり前、と思わないでください。
退職してからは立場はフィフティ、フィフティということにして、家事分担はきちんと話し合うべきだと思います。
これまでの役割からは開放されてのんびりしたいのは、どちらも同じですよ・・・。

この本は、ぜひうちの夫にも読んでもらおうと思います!!

満足度 ★★★★★


タイム・トラベラー/戦場に舞い降りた少年

2007年08月16日 | 映画(た行)

ひっそりとレンタルの棚にありまして、これが私の好きなタイムトラベルものなんで、興味を持って見てみました。

タイムトラベルなので、SFに分類すべきではありますが、このストーリーは、タイムトラベルの謎よりも、人間ドラマが主体に思えるので、「ドラマ」にしちゃいます!

舞台はイギリス、ヨークシャー地方。一人の少年トムが主人公。
彼は家の近所にあるくずれかけた農家の暖炉の壁を通り抜けて、50年前の世界へ行ってしまいます。

理屈も何もありませんが、嵐で雷が鳴っていることと、時間旅行の水先案内犬とでもいいましょうか、ある一匹の犬がいることが、その壁を通り抜けることの条件です。

壁を通り抜けたそこは、第二次大戦のさなか。ときおりは空襲も受けています。
場所はもとの自分のいたところと同じながら、50年もの昔。
もちろん、周りは見知らぬ人ばかり。
変わった服装をした、見たことのない少年は怪しまれ、街の人々から追われることになってしまいます。
そんな時手を差し伸べてくれたのが一人の少女メイと、両親をなくした彼女を引き取って面倒を見ている家族たち。
家族同様暖かく迎えてくれた人たちを見るにつけ、元の世界で母の再婚を受け入れられなかった自分について反省もするのです。

程なく、トムは同じ壁をとおりぬけて、元の世界へ戻ることができたのですが、50年前の彼らが今どうしているのか、調べて分かったのは、かれらが大変悲惨な運命をたどったということ。
何とか彼らを救うことはできないかと、トムは再び過去へ向かうのですが・・・・。
ということで、過去は変えることができるのかどうか、そこが、この作品の一番の見所です。

あの時、あんなふうにできていれば・・・、もっと違うことを言えていれば・・・、時にはそんなことを思うことも多いのですが、こんな風に、過去へ戻ることができればいいのですけれどね・・・。タイムトラベルは時に想像の翼を広げ、楽しませてくれます。

この作品は少年の心の成長と、家族の愛の物語。
なかなか、拾いものの作品でした。
重要な鍵となるものは、「吸入器」です。

2002年/イギリス/95分
監督:ハーレイ・コークリス
出演:トム・ウィルキンソン、ジュリー・コックス、マシュー・ビアード、シャルロット・ウェイクフィールド


「塩の街」 有川 浩

2007年08月15日 | 本(SF・ファンタジー)

塩なのに、あっま~い?!
ラブコメアクション、有川ワールドへようこそ。

                * * * * * * * *

「塩の街」 有川 浩 メディアワークス

おっと、久しぶりにハードカバーですね。
お盆とお正月くらいは、たっぷり休暇もとって、リッチに読書しようということなんです。
そこで有川浩という選択は?
図書館戦争シリーズですっかりハマりまして。
でも、他の作品はまあ、見なくてもいいか、と思っていたのだけれど、少し前、某新聞の書評におススメとあったので、買ってしまいました。
これは、有川浩のデビュー作なんですね?
はい、でも、大幅改稿してあるということと、番外編4編もついていて、まったくご存知の有川ワールドが炸裂しています。
自衛隊三部作の「陸」に当たるということだけど・・。
そうなんですね~。自衛隊って、まあ、図書館戦争読んでるから、いまさら違和感ないけど、福井晴敏じゃあるまいし、ってちょっと思うよねー。
そもそも、自衛隊だの軍隊だのって、主義に反するのでは・・・?
そう、そう、ごもっとも。そんな話に何で興味を持ってしまうのか、っていうことなんだけど、つまり、福井晴敏にもいえるのですが、ただただ、キャラクターの魅力なんだと思う。
この「塩の街」にしても、面白くって、一気読みですよ。
せっかくのハードカバーがもったいない感じだね・・・。

話の設定としては、唐突ですが、世界各地に巨大な塩の結晶が降ってくる。
それと同時に起こり始めた、人間の塩化。
ある日突然人が塩に変わっていって命を落とす。
あまりに大量の人が塩害で亡くなって行くので、すでに社会は正常な営みができなくなっている。
その原因も何も、ここでは触れられていなくて、そのような状況から、物語はスタート。
そうしてみるとすごくハードなSFのようですけど・・・。
いや~、これはむしろべたアマのラブコメですよ。
女子高生真奈と10歳程度も年上の自衛隊員秋庭、この二人の・・・。
塩なのに、甘い・・と。
まったくねえ、つくづく思うけど、この「秋庭」像は、女の子が、あこがれる「王子様」そのものだよ。
あ~、図書館戦争にも出てきた、「王子様」か。
ここでは、王子様なんて言葉は出てこないけどね、
だって、やさしくって、強くて、包容力があって、生活力があって、一見強面で口が悪かったりするけど、絶対に信頼できて、そしてどこかかわいいトコもあるなんて、そんな、絵に描いたような理想の男がいるわけないだろ~っ!!! 

た、大変詳しい描写をありがとうございます。
確かに、女の子の理想かも・・・。
そ、それが悔しいことに、私もそういうのがすごく好きで、要するに、そこにハマってるんです~!!
あ、そーなんですか・・・。
それと、他にに登場する、野坂と由美の二人のエピソードもね、もう、うわ~、勘弁してっていいたくなるくらい、ド甘。
だけど、大好きなんだよー、こういうのっ!!
なかなか、屈折してますねえ。この分だと、そのうち「空」も「海」も読みそうですね・・・。
はー、そうなるかなあ・・・・。

満足度 ★★★★★

結局やっぱり大満足してるあたり・・・。

 


リトル・チルドレン

2007年08月14日 | 映画(ら行)

いずこも同じか・・・、冒頭のシーンで、うなってしまいましたね。
日本でもよくある、主婦が小さな子を連れて公園に出かけて日中を過ごすお定まりのようなもの。
その仲間に入れるか入れないかが、結構重要。
アメリカも、同じだとは知らなかった・・・。

ケイト・ウィンスレット演じる主婦サラは、どうもこの母親集団になじめないでいます。彼女は、子育てしている現在の状況自体に満足できていない。
本当に自分がすべきことは他にある。
ここは私の居場所じゃない・・・。
そこへ子連れでやってきた男性、ブラッド。
彼は妻が仕事をしており、彼自身は司法試験に備えての勉強中ということで、育児を引き受けているのです。
この彼もまた、今の自分は本当の姿ではない、本当に自分が求めている自分の生きる場所は、別のところにあると思っている。
この二人がいつしか惹かれあい、不倫の関係になってしまうのですが、これはお互いに、お互いの満たされない部分を、「恋愛」にすり替えて、満足しようとしているだけ。
そのようなことが、なんとなく見えても来るのです。

さて、この映画でもう一人のキーパーソンは、同じ街に住む元犯罪者の、ロニー。
彼は小児性愛癖があり、そのため犯罪をおかし服役していたのですが、釈放となり戻ってきたのです。
年老いた母と暮らしています。
街の人々は、このような人物が同じ街にいることに恐怖を感じ、敵意を抱いている。
たとえば、ある日街のプールにロニーが現れる。ロニーが元犯罪者であることは、町中にポスターが貼られ、知れ渡っている。ひとたびそのロニーがプールにいると認められたとたん、いっせいに人々はプールから上がり、子供たちを引き上げる。まるで「ジョーズ」のようなもの・・・。

一方サラとブラッドは情事におぼれていくのですが、このあたりのシーンから、ちょっと、どきどきしてきまして・・・。
だって、これがハッピーエンドとなるはずがない。どこかで、急展開の事件があって、この愛は崩壊するであろうと、その予想はつくのですが、何があるか読めないところが、下手なサスペンスドラマよりスリルがありました・・・。
あの、子供たちにもし何かあるのだったら、それはいやだなあ・・・と、そんなことも思いつつ。
どこかで、ロニーがこの迫害にたえきれず、爆発することになるのではないか。
しかもそれはこの二人の身に降りかかってくる。・・・そんないやな予感がし始めるのですが・・・。

ある人物のロニーへの嫌がらせがあまりにひどく、激高した母は怒りのあまり心臓発作を起こし、亡くなってなってしまいます。取り乱したロニーはナイフをつかんで家を飛び出す。・・・その結末は!?!

とても感動してしまったシーンがあります。
ロニーを愛し、守り、力づけてくれた母を失い、彼が泣き崩れる場面がありました。中年の男が母を求める幼子のように泣くのです。
もらい泣きです。名演です。
ああ、この人が、リトル・チルドレンだったんだ、と分かります。
幼子は、ただただ、自分を庇護し、愛してくれるものを求めるもの。

サラとブラッドは結局二人とも、自分が現実から逃げているのだということを心の底では理解していたように思います。
だからこそ、まるでつき物がおちたように、自分が実は必要とされていた元の世界へ帰っていくのです。
子供を守り育てることが、今の自分が本当にすべきこと。
今はその役割に徹すればいいのだとサラは悟ったのですね。

たとえば、毎日のようにニュースに出てくる幼児虐待。
これなども、親が、たぶん現状に満足できておらず、本当の自分の居場所は別のところにある、と思っている。
子供は、それを邪魔する足かせのようにしか見えていない。
そんな問題が根っこにあるのかもしれません。
誰もが満たされた想いであれば、いじめも虐待もないのだろうなあ・・・と思いますが、あり得ないことでしょうか?


2006年/アメリカ/130分
監督:トッド・フィールド
出演:ケイト・ウィンスレット、パトリック・ウィルソン、ジェニファー・コネリー、ジャッキー・アール・ヘイリー

「リトル・チルドレン」公式サイト


「残虐記」 桐野夏生

2007年08月13日 | 本(ミステリ)

「残虐記」 桐野夏生 新潮社文庫

桐野夏生の柴田錬三郎賞受賞作品。
桐野夏生といえば「OUT」がやはり忘れられません。
この作品は「OUT]同様、人間の心の奥底、探るべきでない暗い奥底を掘り起こしているようで、なんだか怖い気がする作品です。

10歳の少女がケンジという男に1年あまりに渡り誘拐監禁されるという話です。
あの新潟で実際にあった事件を下敷きにしています。
この少女は、開放され成長した後に小説家となるのですが、事件後、一切事件については語っていなかった。
それがある日、釈放された犯人からの手紙を受け取り、一つの手記を残して失踪。その手記が、この本の大部分となっています。
少女が、ケンジにどのように扱われ、どのように1年余りをすごしていたのかが、語られているのです。
しかしそれは恐怖や痛みで埋め尽くされているわけではなく、意外な真相が語られています。

「OUT」でもそうでしたが、表面に現れた「事件」は到底理解できない異常・異様な様相。
でも、そこに一つ一つ丁寧に描かれたディティールをみると、なぜか理解できてしまう。
そのように、感じること・行動すること、どれもリアルな説得力を持ったことに思えるのです。
そこが怖い。
では異常と異常でないものの境界は何なのでしょう・・・と。


たとえば、妹を殺害して、切り刻んだ兄。
この、理解しがたい事件も、桐野氏にかかったら、案外、納得できるストーリーになるのかも・・・。
そんなこと、納得したいとも思いませんが、それを理解できる「闇」の部分を誰もが実は持っているということなのかも知れません。

満足度 ★★★★


ロード・オブ・ウォー

2007年08月12日 | 映画(ら行)

なかなか、シビアな物語です。
ニコラス・ケイジ演じるこの物語の主人公は、いわゆる、武器の商人。
銃砲店というのでなく、国家間の争い、民族間の争いに使う武器・兵器を入手し、売りさばく。
死の商人ともいいますね。
特に米ソの冷戦終了で、ソ連の膨大な武器や兵器が不要となり、それをアフリカや他の開発途上国に売ることによって、巨万の富を築いた、ということなのです。
「平和」がおとずれたと、言っていた陰で、このようなことがあったというのはショック。
そのため、アフリカなどで内戦やテロで、たくさんの犠牲者が出て、また、難民も発生。
アフリカ西部では、ダイヤの原石を現金の代わりとして武器を買っていた。
というのは、少し前の「ブラッド・ダイヤモンド」の映画でも見ました。
この映画の中でも、「ブラッド・ダイヤモンド」という言葉が出てきていました。
血に染まったダイヤ。悲しいネーミングです。

ニコラス・ケイジ演じるユーリーは、武器商人としてなんとなく想像するような、冷徹とか、好戦的そうな性格という様子からは遠く、言ってみれば単に商社マン、という風貌。
ただし、交渉能力には長けている、と、そんな風です。
淡々とした彼のモノローグ。
「現在は世界中で12人に一人が銃を持っている計算となるが、いずれは一人に一丁を目指したい」、と。
自分が売った銃のためにどれだけの人が傷つき、死んでいくのかは、あえて考えないようにしている。
ところが、一緒に組んでいた彼の弟はそれを想像できてしまう。
そのため、麻薬に逃げ、麻薬におぼれて、厚生施設送りとなってしまう。
このほうが、普通の神経のようにおもえます。
だから、もうほっておいてあげればいいのに、また、仕事の手伝いを頼み、弟を破滅させてしまったユーリー。
妻子も、彼の仕事を知ると、彼の元を去ってしまいました。

そして、ラストでまた、虚を突かれます。
武器を売りさばくのは確かに彼の仕事だけれども、その銃を作っているのは誰か。武器を作りそれを流通させている本当の黒幕は国家です。
もし、ユーリーがこの商売から手を引いたとしても、別の人が出てくるだけ。
つらいですね。
終始虚脱したような顔をしているニコラス・ケイジ。
戦争を自体もつらいけれども、それを食い物にして富を貯える者もある。いろいろ考えてしまう作品でした。


2005年/アメリカ/122分
監督:アンドリュー・ニコル
出演:ニコラス・ケイジ、イーサン・ホーク、ジャレッド・レト、ブリッジッド・モイナハン


「月蝕島の魔物」 田中芳樹

2007年08月11日 | 本(ミステリ)

「月蝕島の魔物」 田中芳樹 理論社ミステリYA!

ヴィクトリア朝怪奇冒険譚シリーズと銘打ったこの本。
田中芳樹は久しぶりです。
(これはほんとに第3部まで行くんでしょうね・・・。)
舞台設定は、イギリス19世紀、ヴィクトリア朝ということで、なんだか田中芳樹ムードたっぷりに盛り上げてくれそうで、ちょっとわくわくしました。
一作目なので時代背景とか、人物描写に多くをとられてしまったのは仕方ないですね。
主人公エドモンド・ニーダムとその姪メープル。
大変魅力的でいいコンビです。
実在の人物ディケンズやアンデルセンが登場するのも面白いし、また彼らの性格も楽しい。
これは単に田中氏の想像ではなく、かなり残された記録などをもとに肉付けしているようで、そんなところも興味深いのです。
この話では氷付けの帆船、怪物の伝説、邪悪な領主と消えた島民たち、わくわくする謎を、主人公たちが散々な目にあいながら解き明かしていきます。
とても楽しく読めました。

さて、この理論社のミステリYA!のシリーズは一応十代を読者対象としているようなのですが、これからの刊行予定を見ればこれはもう垂涎のラインナップ。
十代だけになんて読ませておくものですか!
後書きで田中氏も言っていますが、この作品については特に十代を意識しておらず、もともと10歳から80歳を対象にしているのだ、と。
うれしいお言葉です。
実際、この時代背景とか、年表や地図までついているものの、十代ではちょっと難物かも・・・と思わないでもありません。
でも、そういうのは薀蓄として、棚上げしておいても、ストーリー自体は楽しめるに違いありません。
そして、この時代に興味を持っていろいろ調べる気にでもなればいっそういい。
そういう私だって、知らないことばかり。
この時代はイギリスの全盛期といってもいいくらいで、おりしも時は産業革命。
アジアやアフリカ各地に植民地を持ち、国家としては巨万の富を誇っている。
しかし田中氏の描写に寄れば貧富の差はやはり歴然としてあり、
子供がろくな食事もあたえられず、一日中働かせられたり・・・と、なかなか悲惨な世の中でもあったということです。なかなか興味深く、つい私ももっといろんなことを知りたくなってしまいます。
田中氏の参考文献一覧を見ると、すごいですよね。
こういう地道な下調べがあって、その上で自由な発想を肉づけしていく。
大変な作業ではありますが、日々学習。見習いたいものです。

実は少し前に同じミステリYA!で篠田真由美のものを読んだのですが・・・。
私の敬愛してやまない作家なのですが、ちょっとがっかりでした。
彼女は十代を意識しすぎたように思います。
いつもとと同じでよかったのに・・・。
蒼君のシリーズなら、そのまま使えるのにね・・・。
ということで、田中氏にはぜひこの調子で2部3部も間違いなく書き上げていただきたいと願うものです。