映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

追憶と、踊りながら

2017年03月31日 | 映画(た行)
故国を離れ肉親をなくした老女は何を思う・・・



* * * * * * * * * *

ロンドンの介護ホームで暮らすカンボジア系中国人の女性ジュン。
息子のカイが面会にきてくれることだけを楽しみにしています。
カイは、友人のリチャード(ベン・ウイショー)と暮らしているのですが、
ジュンはなんとなくリチャードが嫌いなのです。
そもそも言葉が通じません。
ジュンはかなり前からイギリスに移住していたようなのですが、
ついに英語は覚えないままなんですね。
一方この地で育った息子カイは英語も中国語もペラペラ。
移民の家族にはよくある構図です。
さて母は、カイとリチャードは単なる友人と思っているのですが、
実は恋人同士なのです。
カイはそのことを母に言い出しかねていました。
しかし、勇気を出してカミングアウトし、母と一緒に暮らしたいと思うのです。
リチャードもカイが望むならそれで良しと思っています。
そこで母に真実を告げようとしたその日・・・。



ジュンは、なんとなく気配を感じ、
カイに馴れ馴れしいリチャードを苦手だと思うようになっていたのでしょうね。
なんというかこのカイとリチャードのベッドで戯れるシーンとかが、なかなか美しいのですよ・・・。
ボーイズラブ好きの女子の視線にも十分に耐えられると思います。
が、しかし、
映画でも初めからわかるように描かれているのでネタバラシしてしまいますが、
カイはその日亡くなってしまうのです。
だから彼が現れるのは、すべて回想シーン。
カイを最も愛し、かけがいのない存在と認める母とリチャード。
双方の喪失感はもう、見ているだけでも切ないです。

それでリチャードはカイのお母さんを放っておけない気がして、
施設に通い面会するのですが、やはり言葉が通じない。
知り合いの女の子に通訳を頼みます。



言葉などなくても通じるものはたしかにありますよね。
そう、先日見た「ボーダレス」のように。
けれど、細かなことはやはりムリ。
言葉の壁というのは意外と大きい。
通訳がついてやっとほっとするけれども、
ダイレクトに話せないのはやはりまどろっこしい。
でも本当は一番大事なこと、カイを思う気持ちは共通のもの。
そこだけお互いに理解できれば、かなり歩み寄ることはできそうなのだけれど・・・。
故郷も帰る家も家族も失くしたジュンの切なさが胸にしみます・・・。



追憶と、踊りながら [DVD]
ベン・ウィショー,チェン・ペイペイ,アンドリュー・レオン,ナオミ・クリスティ
アットエンタテインメント


「追憶と、踊りながら」
2014年/イギリス/86分
監督・脚本:ホン・カウ
出演:ベン・ウイショー、チェン・ペイペイ、アンドリュー・レオン

パッセンジャー

2017年03月30日 | 映画(は行)
SF仕立てのラブストーリー



* * * * * * * * * *

アメリカのコミックヒーロー物にはすっかり懲りている私ですが、
まだSF作品には期待を寄せているのです。
本作も楽しみに拝見しました。



20XX年。
乗客5000人を乗せた宇宙船が、新たな居住惑星を目指しています。
その星までは120年を要するので、
運行スタッフも乗客もみな冬眠装置で眠りについています。
宇宙船はすべて自動で運行されているのです。
ところが、冬眠装置の異常で、惑星到着予定の90年も早く目覚めたものがいました。
エンジニアのジム(クリス・プラット)と
作家のオーロラ(ジェニファー・ローレンス)の二人。
船内の冬眠装置では改めて眠りにつくことができません。
広大な宇宙船内にたった二人きり。
彼らは命尽きるまで目的地につくこともなく、
長い孤独の時を過ごさなければならないのでしょうか・・・? 
しかしそんな中でも、船内装置の異常作動が次第に頻繁に起こるようになってきます・・・。



う~ん、ネタバラシはまずいのでしょうか。
ジムが目を覚ましたのは確かに装置の異常。
けれども、オーロラが目覚めたのは別の理由からだったのです。
そのことがせっかく接近した二人の心をまた離すことになってしまいます。
つまりは本作、壮大な宇宙を背景としながら、
結局ラブストーリーなのでした。
そりゃ、男女二人っきりしかいないところで、そうならないほうがウソですよね。
そもそも彼女の名前がオーロラというのが「眠れる森の美女」を意識しているわけですから。
ま、変な宇宙人が出てこないだけマシか・・・。



でも宇宙船内の様子をとても興味深く見ました。
部屋や食べ物、すべてがしっかり運賃のクラス別で分けられていたり、
プールがあったり。
このプールの無重力状態のシーンがすごかった・・・。
あんなに大量の水でもや無重力下ではやはり球になるのか。
ゲームのゾーンがあったり、宇宙遊泳を体験することもできる。
冬眠している人々は到着の数ヶ月前に目覚めることになっているので、
5000名がしばらく過ごせるような設備が整っているわけです。
宇宙船内の掃除ロボットたちがなんだか可愛いかったし、
上半身人間そっくりのアンドロイドのバーテンダーがいたりする。
言葉の受け答えは素晴らしいのですが、でもやはりロボットはロボットでしかない、
ということも露呈しますけれど・・・。



ラストシーンが、ちょっと感動的ではあるのですが、そこをもっと盛り上げてほしかったと思います。
私ならいっそ、そのシーンを一番初めに持ってきますね。
120年の時を経て、宇宙船クルーが冬眠から覚めると、
船内の様子が全く変わり果てている。
一体なぜこんなことに・・・?
ふと見ると、クルーに向けたメッセージが残されており、
そのメッセージが、ジムの目覚めのシーンとオーバーラップしていくのです・・・
どうでしょう・・・?

「パッセンジャー」
2016年/アメリカ/116分
監督:モルテン・ティルドゥム
出演:ジェニファー・ローレンス、クリス・プラット、マイケル・シーン、ローレンス・フィッシュバーン
孤独度★★★☆☆
ロマンス度★★★☆☆
満足度★★★☆☆

「ゲド戦記Ⅱ こわれた腕環」 ル=グウィン

2017年03月29日 | 本(SF・ファンタジー)
テナー、解放される女の物語

こわれた腕環―ゲド戦記〈2〉 (岩波少年文庫)
ゲイル・ギャラティ,Ursula K. Le Guin,清水 真砂子
岩波書店


* * * * * * * * * *

ゲドが"影"と戦ってから数年後、
アースシーの世界では、島々の間に争いが絶えない。
ゲドは、平和をもたらす力をもつエレス・アクベの腕環を求めて、
アチュアンの墓所へおもむき、暗黒の地下迷宮を守る大巫女の少女アルハと出会う。


* * * * * * * * * *

ゲド戦記の2巻目。


テナーという少女が幼いころに親と引き離され、
アチュアンの墓所に連れてこられます。
彼女はそこで名前を取り上げられ、
大巫女(アルハ)に祭り上げられるのです。
彼女はそこで墓所の地下の迷宮を守る役割を務めています。


テナーの「喰らわれしもの」「名なき者」という立ち位置こそは
「女性性」を表している、と我が「大人のための児童文化講座」講師はおっしゃる。
女性と迷宮はこれまでも様々な物語で対になって登場するもののようです。
子どもを持つ女性はある一定期、母子一体化して、
「わたし」ではなく「わたしたち」という感覚になるのではないか。
本人の「わたし」という感覚が希薄になる。
そこがこのテナーの状況であるということなのでしょう。


さて、本作でゲドはいきなりこの暗黒の迷宮の中に現れるという、
意外な登場のしかたをします。
ゲドとテナーはそこでいきなり出くわしてしまうのですが・・・。
その「玄室」と言われる場所は、明かりをつけることを禁じられているのです。
だからテナーは何度もその場所を通りながらも、
実際の様子を目にしたことはなかった。
ところがその時、ゲドが明かりをつけてその場所を観察しており、
テナーはこのいるはずのない闖入者とともに、
言いようもなく美しく輝くその鍾乳石の洞窟をはじめて目にすることになる。
…なんという劇的なボーイ・ミーツ・ガール! 
この時テナーの目にゲドの姿が焼き付いてしまうわけですが、
後にわかりますがゲドの方も同じだったようです。
しかし、ことはそう簡単には進みません。
神聖な洞窟に忍び込んだこの盗人を、大巫女は許すわけには行かないのです。
テナーは洞窟にゲドを閉じ込め、餓死させようとしますが、
何故か心は乱れ・・・。


私は、この後の展開でゲドに「大人」を感じてやみませんでした。
実際彼はテナーに殺されかけるわけなのですが、
その彼女に対して憎しみを向けたりはしない。
う~ん、前巻「影との戦い」を経て成長した彼の姿は
ニセモノではなかった。
立派にオトナの対応。
こりゃ~、惚れないほうが嘘だわ・・・。


色々なことの末に、ゲドとテナーは、
この迷宮とテナーの生活の全てである墓所から脱出することになります。
ここでようやくテナーは自分の名前を取り戻すのです。
(ここまではアルハと呼ばれていたわけですが、
混乱しそうなので私の文中はすべてテナーとしました。)


しかし、解き放たれたテナーの最初の行動は、
両腕に顔を埋めて泣くことでした。

「彼女が今知り始めたのは、自由の重さだった。
自由はそれをになおうとする者にとって、実に重い荷物である。
それは決して、気楽なものではない。
自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、
しかもその選択は、必ずしも容易ではないのだ。
坂道を登った先に光があることはわかっていても、
重い荷を負った旅人は、ついにその坂道を登りきれずに終わるかもしれない。」

解き放たれたことで、手放しで喜ぶわけにはいかない、
そうした重みの感じられる素晴らしい結末でした。


この後、テナーがどのように女の物語を紡いでゆくのか。
彼女は今後も登場するようなので楽しみにしています。

「ゲド戦記Ⅱ こわれた腕環」ル=グウィン 岩波書店
満足度★★★★☆


くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ

2017年03月28日 | 映画(か行)
世界の壁にとらわれないで



* * * * * * * * * *

ガブリエル・バンサンによる
絵本「くまのアーネストおじさん」シリーズが原作のアニメーション映画です。
残念ながら、私は原作を見たことはないのですが、
柔らかな色使いのこの絵は、原作の持ち味を生かしているようです。



まずは、本作の世界観が面白い。
地上はくまの世界。
地下がねずみの世界です。
どちらも人間界と同じように、近代的文明の中で生活しています。
くまは大きさからすると、ねずみなど問題にならないとは思うのですが、
そこは人間界と同様で、ご婦人方はねずみを見るとキャーキャー騒ぎ立てる。
まあ、どちらかと言えばねずみは嫌われ者。
一方ねずみ界では、くまは獰猛で
ねずみを見れば捕まえて食べようとすると信じられている。
双方隣り合わせ(上下ですが)にいながら、
決して交わろうとはしません。



さて、くまのアーネストは人里離れた山の中に一人で住んでいます。
食えない音楽家。
いつもお腹をすかせていて、
たまに街へ出ては音楽を奏でて人々から恵みを受けています。
そしてねずみの少女、セレスティーナは
絵を描くことが大好きなのだけれど、周りの人々からは歯医者になれと言われています。
しかしどうにも成績が悪い。
そんな二人が、ある時出会って・・・。



どちらも各々の世界では孤独なはみ出し者。
そんな二人が寄りそって生きるようになります。


本作は人によっていろいろな見方があると思います。
この隔てられたふたつの世界は、国境のあちらとこちらのことであるとか。
もしくは、人種や宗教の隔たりのことであるとか。
または、音楽や絵画を創作する芸術家のことであるとか。
拝金主義と自由気ままの生き方のことであるとか。



大人が決めつける社会の「枠」のようなもの。
そんなものにとらわれず、自分らしく自分の感覚で物事を捉えようよ・・・、
そんなことが子どもたちに伝わるといいなあ。

くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ [DVD]
ギャガ
ギャガ


「くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ」
2012年/フランス/80分
監督:バンジャマン・レネール
声:ランベール・ウィルソン、ポーリーン・ブロナー
比喩的世界観度★★★★★
満足度★★★★☆

わたしは、ダニエル・ブレイク

2017年03月27日 | 映画(わ行)
心が失われた制度



* * * * * * * * * *

イギリス北東部、ニューカッスル。
ダニエル・ブレイクは大工ですが、心臓病を患い、
医者から仕事を止められています。
そのため、国から給付を受けようとするのですが、
理不尽で複雑な制度でうまく手続きが取れず、窮地に立たされます。

そんなときに彼はシングルマザーのケイティと知り合います。
彼女もまた孤立無援で二人の子どもを育て、生活するのに大変な思いをしているのです。
ダニエルは何かと彼女を気遣い援助するようになりますが・・・。



お役所仕事のあまりにも紋切り型で血の通わない対応に、
見ていても腹が立って仕方がありませんでした。
パソコンの扱い方もわからないダニエルに、
申請はネットからでなければダメなどという。
病気のための給付が受けられないのなら
(そもそも医者から仕事を止められているというのに)、
求職活動をすれば失業給付が受けられるという。
つまり職を探しているというポーズだけでいいのですが、
正直なダニエルは本気で職を探し、
採用したいと言われて断らなければならなくなったりもする・・・。



イギリスだから、というわけではないですよね。
おそらく日本も制度は同じようなもの・・・。
これまで実直に仕事をし、税金を納めてきたのに、この仕打ちは何だ!!
けれどもダニエルにできる精一杯の抵抗は、
人を殴ったりすることではなくて
役所の壁にペンキで大きく抗議文を書くことだけ。
それも、夜中にこっそりではありませんよ。
白昼堂々、衆目の面前で、しっかりと自分の名前を記します。
「わたしは、ダニエル・ブレイク・・・!」



自分は一人の人間だ。
しっかり敬意を払って対応せよ!

ということなんですね。
それを見ていた街の人達が拍手喝采。
ほんの少し溜飲が下がります。


それでもお役所はやはりお役所なので、
彼の主張が通るわけではありません。
収入が途絶え、いよいよ行き詰まってしまう彼ですが・・・。
そんなところへ、ケイティの娘である少女が訪ねてきます。

「あの時、私たちを助けてくれたでしょ。
どうか今度は、私たちに助けさせて・・・」



公平なはずの制度なのですが、
制度としての本来の「心」が失われている。
まずはそういうところがダメなのですが、
でも、人と人がしっかり向き合って心を通わせれば、
実はできることはたくさんあるということでもあります。


それにしても本作のラストがまたショッキングで、
涙がこぼれて仕方ありませんでした。


本作は、先に引退表明をしたケン・ローチ監督が
どうしても伝えたい事があるとして引退を撤回して取り組んだ作品とのこと。
私はこの10年くらいのケン・ローチ作品はほとんど見ていると思うのですが、
本作が一番好きかもしれません。

「わたしは、ダニエル・ブレイク」
2016年/イギリス・フランス・ベルギー/100分
監督:ケン・ローチ
出演:デイブ・ジョーンズ、ヘイリー・スクワイアーズ、ディラン・フィリップ・マキアナン、ブリアナ・シャン、ケイト・ラッター

社会問題度★★★★☆
満足度★★★★★

「真昼のプリニウス」 池澤夏樹

2017年03月26日 | 本(その他)
人があるから、世界がある

真昼のプリニウス (中公文庫)
池澤 夏樹
中央公論社


* * * * * * * * * *

私はここまで来た。
この山に、この身に、この心に、何が起こるかを見に来た―。
浅間山頂の景観のなかに、待望のその時は近づきつつある。
古代ローマの博物学者プリニウスのように、噴火で生命を失うことがあるとしても、
世界の存在そのものを見極めるために火口に佇む女性火山学者。
誠実に世界と向きあう人間の意識の変容を追って、
新しい小説の可能性を示す名作。


* * * * * * * * * *

プリニウス・・・古代ローマの博物学者ですね。
ヤマザキマリさん&とり・みきさんのコミックで「プリニウス」というのがあって、
未読なのですが、なんとなく名前だけは気になっていました。
そんなおかしなつながりで読んだ本作。
もちろんストーリー中にプリニウスその人は出てきませんが、
でもそのプリニウスになぞらえた行動を
主人公である火山学者・頼子がとってしまうのです・・・。
しかも結末はなし!
「こ、ここで終わりですかい!!」と、
思わず著者に恨み言を言ってしまいたくなりますが。


本作中に、江戸時代に浅間山の大噴火を
かなり間近で体験した女性が綴ったという手記があります。
凄くリアルな描写で、私はすっかり怖くなってしまったのですが、
これを読んだ頼子もその文章に感じ入ってしまう。
それ以前に彼女は、
口から出た言葉やあるいは文章に書いた言葉が、
どうしても相手に正しく伝わらないことにいらだちを覚えていたのです。
それは受け取り側のせいばかりではなく、
自分の表現に問題があるのだろうかと・・・。
そこで、彼女は、その書き手の女性を自分の胸中において、問いかける。
―――どのようにして、体験と執筆の間にあるはずの隙間を埋めて、
こんなにも生き生きとした文章をかけたのか、と。


それに対する答え。

「書かれた言葉、話された物語は手で扱うことができます。
怖い体験そのものはただ一方的に受取るだけで、
お山が静まるのを震えながら待っているほか人にはできることがありません。
しかし、それをあとになってから言葉にすれば、
それは目の前にあって、掌に乗せることもできます。
とてもとても恐ろしかったけれども、
そこに書かれた以上には恐ろしくなかった、そういうことが言えると思います。」


つまり、書くことで山に勝ったのだと頼子は思う。
まさしく、物語るというのはそういうことなんだろうなあ・・・と、思った次第。


それから、易を見る男性が言うことも興味深いのです。

「あっちに世界があって、こっちに人がいて、
この人と世界の間で何か付き合いというか交渉というか、それが起こるのではない。
…人があるから、世界があると、こうは考えられんかな? 
人の目が向く先に景色が生じ、草木が生え、お日さんが光る。」


科学者である頼子の中で少しずつ何かが変わっていきます。
で、問題のラストですが、私はそこで火山の噴火があったりはしないと思うのです。
おそらく頼子にだけ意味のある何かが起こる。
あるはずのない花があるとか、いるはずのない鳥が飛んでくるとか・・・。
それは多分頼子のこれまでの人生の何かと関連し、連想を働かせる何か。
そして多分、壮伍との新たな関係に踏み出す・・・。
あまりにも少女趣味かな?
まあ、だからこそ、著者はそこまで書かなかったんですよ、
きっと。

「真昼のプリニウス」池澤夏樹 中央公論社
満足度★★★.5
図書館蔵書にて


さよなら人類

2017年03月25日 | 映画(さ行)
お元気そうで、何より



* * * * * * * * * *

スウェーデンのロイ・アンダーソン監督による
「散歩する惑星」「愛おしき隣人」に続く3部作の完結編とのこと。
う~む、そう言われてもどれも見ていませんが、
でもこれだけ見ても全然支障ないと思います。


曰く、不条理コメディ。
主には、面白グッズを売り歩く冴えないセールスマンの二人の様子を描きます。
断片的にその他の人々のシーンも。
1シーン1カット。
カメラは固定されて、クローズアップも何もなし。
薄灰色の暗い画面の連続。
登場人物たちも皆無表情。
これを最後まで眠らずに見る自信がないなあ・・・などと思っていたら、
暗い画面から妙なおかしみが漂い始めます。



こんな暗い顔をして笑い袋を取り出されても、
買う気になるわけがない。
フラメンコ教師のセクハラまがいの指導に、
美青年は必死に堪えていたけれど耐えられなくなったらしい。

酒場では突然ミュージカルのシーンのようになるし、
カフェには、突如18世紀スウェーデン国王率いる騎馬隊が乗り込んでくる、
なんと乗馬のままで入ってくるのにはビックリ!

そして、終盤には衝撃の残虐シーンがあります。
(結局これは夢のシーンだったようですが)
いや、でもこれは人類が実際に行った歴史でもある・・・。



結局、何度も繰り返される電話のシーンが心に残ります。

「元気そうで、何よりよ・・・」

ろくに感情も込めず、人々は皆この言葉を繰り返すのですが、
つまりはこれが本作のテーマなのかもしれません。
生きにくいことばかりが多いこの世の中だけれど、
とにかく生きて、元気でいられるのなら、それでOKじゃないか・・・。



さよなら、人類 [DVD]
ホルガー・アンダーソン,ニルス・ウェストブロム
TCエンタテインメント


「さよなら人類」
2014年/スウェーデン、ノルウェー、フランス、ドイツ/100分
監督・脚本:ロイ・アンダーソン
出演:ホルガー・アンダーソン、ニルス・ウエストブロム

シニカル度★★★★★
満足度★★★.5

世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方

2017年03月24日 | 映画(さ行)
ちびっこギャングのバイタリティ!



* * * * * * * * * *

ドイツの中央部、平凡で、何もかもが“平均的”な村と認定されたボラースドルフ。
そこへ消費者調査会社が新製品のモニター調査にやってきます。
商品調査に夢中になった大人たちは老人を邪魔者扱いし、
老人ホームに入れてしまいました。
村の子どもたちはまずい青汁フレークを食べさせられたり、
大好きなおじいちゃん、おばあちゃんがホームに入れられてしまったりするのが不満。
おじいちゃん、おばあちゃんをとりもどすには
村を“平凡”でなくすればいいのだと考えた子どもたちは、
「ハナグマ・ギャング団」を結成。
ハナグマのクアッチと共に、幾つかの奇抜なアイデアを実行しようとします。





無邪気で元気を通り越して破天荒な子どもたちの様子が、
あまりにも可愛らしくて、つい微笑んでしまいます。
・・・が、それだけの作品だったかも。
もちろん、過度な消費社会や老人をないがしろにする社会への
警鐘を込めた皮肉の意味もありますが・・・。
でもイチゴミルクのプールで泳ぎたいとはぜんぜん思わないしな。



しかしつい感じたのは、近年の日本の子どもたちに、
こんなふうなちびっこギャング的バイタリティが見られないなあ・・・ということ。
みな、ミニサイズの大人みたいだ。



まあそれにしても、この元気でユニークな発想に満ちた老人たち。
彼らに育てられた息子・娘(つまり本作の子どもたちのパパ・ママ世代)も
実はかなりユニークなはず。
だからこそ、こんなにやんちゃな子どもたちができる。
とすれば、実はこの村が最も「平均的」というのがそもそもの読み間違いなのではあるまいか。
人口や職種、年収の度合いという単なる数字のデータだけで
「平均」を決めてはいけない。
そこにある「風土」のようなものを考慮しなくては・・・。
などというつまらぬ感想でお茶を濁して
・・・おしまい。



「世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方」
2014年/ドイツ/83分
監督:ファイト・ヘルマー
出演:ノラ・ボーネル、ジャスティン・ウィルケ、シャーロット・ルービッヒ
子どもの元気度★★★★★
満足度★★.5

絵本「レッドタートル ある島の物語」

2017年03月23日 | 本(その他)
島が語る物語

レッドタートル ある島の物語
池澤 夏樹
岩波書店


* * * * * * * * * *

どこから来たのか どこへ行くのか いのちは?
嵐の中、海に放りだされた男が小さな無人島に打ち上げられた。
必死に島から脱出しようと試みるが、
見えない力によって何度も島に引き戻される。
絶望的な状況におかれた男の前に、ある日、一人の女が現れた――。
詩情あふれるマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督初の長編アニメーションを絵本化。
池澤夏樹の言葉で物語る。


* * * * * * * * * *

先日、「児童文学の条件―子どもの本を書く時、作家は何を考えるか―」という
池澤夏樹さんの講座を拝聴する機会があり、
そのときにこの絵本を購入し、サインをしていただきました!
・・・というかこの日のために、
これまで読んだことのなかった池澤夏樹さんを読み漁っていたのです、実は。


(頂いたサイン)


で、私はスタジオジブリによるこのアニメーションはもちろん見ていますが、
こんな形で池澤夏樹さんも関わっていたということを、この日はじめて知った次第!!
「ある島の物語」という副題を考えたのは池澤氏だそうです。
またアニメの中のどのシーンをこの本に入れるのかということも検討したのだと
おっしゃっていました。


さて、このアニメにはセリフも解説のナレーションもないのです。
それでこの絵本では島が物語を語るという形になっています。
そのため、この本は実際のアニメよりも親切。
映画を見ただけではよくわからなかった部分が、
ちょっとだけ分かるようにできているのです。
といっても、これも解釈の一つにすぎないのかもしれませんけれど。


(アニメの画面に合わせて、変則的にタテ開きとなっています。)


例えば、はじめの方で男は筏を作って何度も島を脱出しようとします。
けれど、何ものかによって筏を壊されて失敗。
そのときに男はウミガメを見かけたものだから、
ウミガメが筏を壊したのだと思って怒るわけです。
けれど、この本によれば、実は男を島から出さなかったのは
島の意志であるように描かれているのです。


なるほど~、色々な考え方ができるんですね。
アニメを見た人でもこれは一読の価値があります。
でもやっぱりこれはあくまでもアニメの補助。
この本を見たらアニメを見なくていいということにはなりません。
ぜひ、アニメの方も御覧ください。


考えてみたら、南の島で起こる不思議。
これは池澤夏樹さん向きのストーリーなのでした。


→ アニメ「レッドタートル ある島の物語」

「レッドタートル ある島の物語」原作マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット
構成・文 池澤夏樹  岩波書店
満足度★★★.5

コールドマウンテン

2017年03月22日 | 映画(か行)
南北戦争を生き抜く



* * * * * * * * * *

公開時に一度見たきりだったものを再視聴してみました。
そうそう、ジュード・ロウ目当てで見たのでしたが、
やっぱりいいんだなあ、これが。


南北戦争末期、コールドマウンテンの田舎町で
インマン(ジュード・ロウ)とエイダ(ニコール・キッドマン)は出会いますが、
すぐにお互い心惹かれます。
けれど、多くの言葉をかわす間もなく、インマンは徴兵され、前線に駆り出されてしまいます。
別れの熱い口づけを交わしたきりで・・・。

戦乱の最中、手紙もロクには届きません。
しかしかろうじて届いたエイダからの手紙に
インマンは郷愁の念にかられてしまうのです。
脱走兵は死罪という危険を犯し、
インマンは隊を抜け出して苦難に満ちた長い旅をはじめます。
脱走兵を狩る義勇軍に捕まったり、助けを装うものに騙されたり・・・
まさに命がけの旅。
ほんの一度口づけを交わしただけで、今はもう待っていてくれるとは限らないのだけれど・・・
インマンにとってエイダが故郷であり、故郷はエイダである。
そしてまたそんな中でも、インマンの力になってくれる人もいる、というところがやっぱり、いい。

私はふと、村上春樹のストーリーを思い出してしまいました。
失われた妻を求めて、死に物狂いで奮闘する話・・・。
結局は同じことなのかもしれない。
村上春樹はもっと心の中の葛藤を中心に描いているのだけれど・・・。


さて一方、エイダは牧師の娘で、いわゆるお嬢様です。
彼女もまた一身にインマンの帰りを待ち続けていました。
けれど父が亡くなり、他に身よりもなく生活に困窮していきます。
フランス語を話し、ピアノを弾き、刺繍をするけれども、
生活のために役立つことは何もできない。
そんなところへ、風変わりな同居人ルビー(レニー・ゼルウィガー)がやってきます。
ルビーは生活力旺盛な田舎娘ですが、
彼女に教えられてエイダは牧畜のことや農作物のことを身につけていくのです。
「私は女中じゃないから、自分のことは自分でしてね。」
と念を押すルビー。
女二人が農場を立て直していくところが、力強くなんとも頼もしい。


さて、そんなことでよれよれになったインマンが
ようやくコールドマウンテンに辿り着くのですが・・・。
そこからまたひと波乱。
なかなか惹きつけられるストーリーなのでした。


本作中でもずいぶん多くの人が命を失っていきます。
それは戦争の前線の人々ばかりではなく、
同じ南部の中でも脱走兵を匿ったことを咎められて処刑されてしまったり(つまりはリンチです)、
一般の人々もずいぶん悲惨な目にあった戦争なのでした。
けれども、生き残った人々は、生きることを諦めず、また前進を始める。
チョッピリ切なくまた、嬉しくもあるラストに癒やされるのでした・・・。

コールドマウンテン [DVD]
アンソニー・ミンゲラ
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント


「コールドマウンテン」
2003年/アメリカ/155分
監督:アンソニー・ミンゲラ
原作:チャールズ・フレイジャー
出演:ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、レニー・ゼルウィガー、ドナルド・サザーランド、ナタリー・ポートマン

海は燃えている イタリア最南端の小さな島

2017年03月21日 | 映画(あ行)
新たな目で、しっかりと世界を見るように



* * * * * * * * * *

本作はドキュメンタリーとは言いながら、一風変わった作りになっています。
イタリア最南端のランペドゥーサ島。
北アフリカには最も近い風光明媚な島。
ところがそこは、アフリカや中東から
命がけで地中海を渡って来る難民や移民の玄関口でもあります。
本作は小さな船にびっしりになって乗ってくる難民たちの様子と、
その島に住む人々の穏やかで何気ない日常を交互に映し出していきます。


難民の船はこんな風。

甲板に人がびっしり、ということで驚かされますが、
実はその内部のほうがもっと悲惨。
身動きならないほどぎっしり人が詰め込まれたその船室は、
暑くて風通りもなく、水もおそらく自分で用意できるだけしかなく、
脱水症状でフラフラになってたどり着ければいい方。
多くの人がそこで亡くなったままたどり着くのです。
この船でのポジションの差はすなわち船賃の差。
…何という過酷な現実。

島の人口5500人のところへ年間5万人を超える難民・移民がやってくるそうです。
船からの救助通信を受け、救助に当たる人々の健闘も描かれますが、
最後に多くの遺体を搬出までしなければならず、
徒労感をにじませます。



一方島の人々は多くは漁業で身を立てています。
12歳の少年サムエレは、友達とパチンコ遊びに興じます。
ラジオからは島民のリクエストの曲。
同じ島で起こっている難民の受難のことは殆ど意識には登りません。
ラジオのニュースで難民の船が遭難し多くの人が 亡くなった
というのに僅かに眉をひそめるだけ。



でも、島の人達がひどいなんていえませんよね。
つまりは、ニュースを聞いていっとき心を痛める私たちと全く同じなだけなのですから。
なかで、このサリエル少年の左目の弱視が見つかり、
矯正用のメガネをかけるというシーンがあります。
今までよく見えていなかったもう一つの目で、
しっかりと世界を見るようにと・・・、
そんな願いが込められているようでもありました。



難民たちがたどり着いて、ようやく人並みのケアを受けられるのはいい。
そして世界各国に受け入れられていくのもいい。
けれども、本当は人は生まれ育ったところに住みたいものなのではないでしょうか。
なんとかそれぞれの国で、平和な生活が成り立つように援助できないものか・・・。
内紛や干ばつなどによる飢え、貧困・・・。
そういうところに自立支援できたほうがいいのに・・・。


「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」
2016年/イタリア・フランス/114分
監督:ジャンフランコ・ロージ
現実を突きつける度★★★★★
満足度★★★★☆

「鍵の掛かった男」有栖川有栖

2017年03月20日 | 本(ミステリ)
孤独な男の真実

鍵の掛かった男 (幻冬舎単行本)
有栖川有栖
幻冬舎


* * * * * * * * * *

2015年1月、大阪・中之島の小さなホテル"銀星ホテル"で
一人の男・梨田稔(69)が死んだ。
警察は自殺による縊死と断定。
しかし梨田の自殺を納得しない人間がいた。
同ホテルを定宿にする女流作家・影浦浪子だ。
梨田は5年ほど、銀星ホテルのスイートに住み続け、
ホテルの支配人や従業員、常連客から愛され、
しかも2億円以上預金残高があった。
影浦は、その死の謎の解明をミステリ作家の有栖川有栖と
その友人の犯罪社会学者・火村英生に依頼。
が、調査は難航。
梨田は身寄りがない上、来歴にかんする手がかりがほとんどなく
人物像は闇の中で、その人生は「鍵の掛かった」としか言いようがなかった。
生前の彼を知る者たちが認識していた梨田とは誰だったのか?
結局、自殺か他殺か。
他殺なら誰が犯人なのか?
思いもしない悲劇的結末が関係者全員を待ち受けていた。
"火村英生シリーズ"13年ぶりの書き下ろし!
人間の謎を、人生の真実で射抜いた、傑作長編ミステリ。

* * * * * * * * * *


本作、図書館の貸出予約を入れてからかなりを経て、
ようやく読むことができました。
でも、待った甲斐がありました!!
"火村英生シリーズ"13年ぶりの書き下ろし、ということで、力が入っています。
舞台は大阪、中之島の小さなホテル。
中之島という地区の歴史や光景がたっぷり紹介されていて、
これもなかなか興味深いのです。
いわゆる観光地ではないけれど、ちょっと歩いてみたくなりました。


さて、本作はこれまでのシリーズとは少し趣が違う。
大抵は殺人事件があって、火村とアリスがその犯人を突き止めていきます。
ところが本作は、ホテルの一室で男が縊死。
警察はそれを自殺と断定するのですが、
彼を知る人々が、そんなはずはないと申し立て、火村とアリスに調査を依頼するのです。
犯人探しよりもまず、自殺なのか、事故なのか、
それとも殺人なのか、それを探らなくてはならない。
普通のスタート地点よりもっと前段階からの出発です。


さてしかし、ちょうど大学の入試準備期間で火村が多忙なため、
まずアリスがデータ収集に当たります。
亡くなった男・梨田は5年間"銀星ホテル"のスイートに住み続けていました。
人当たりは悪くはないのだけれど、
顔なじみの客も従業員も、彼の個人的なことを殆ど知らないのです。
ボランティア活動に勤しみ、訪ねてくるものはない。
身よりもなさそうだ。
まるで彼に鍵がかかっているかのように、彼の過去や身の上のことが何もわからない。
しかし熱心なアリスの聞き込みによって、少しずつ、鍵が緩み始めます・・・。


けれども、彼の身の上がわかったところで、やはり自殺か殺人かはわからない。
後に火村の体が空いて調査に加わったところで、
新たにわかることなんてないでしょう・・・と思われたのですが。
いやはやそこがやはり凡人の考え。
さすが名探偵は、登場するやいなや、ある事実を指摘。
やはり殺人なのでは?という風に話が傾いていきます。


それにしても一体誰が、何のために。
そして、梨田について現れる真実は感動的です。
次々に現れる真実の姿に、心地よく翻弄されて、読了しました。
最後の最後に語られる犯人の動機というのがまた、
極めて現代的だったりするのが、やはり今の物語なのでした。
やっぱりこのシリーズのファンは止められない。

「鍵の掛かった男」有栖川有栖 幻冬舎
満足度★★★★★
図書館蔵書にて

Mommy マミー

2017年03月19日 | 映画(ま行)
憎んでも憎んでも愛が湧き出る・・・



* * * * * * * * * *

15歳スティーヴ(アントワン=オリビエ・ピロン)は、
ADHD(多動性障害)と言われており、情緒不安定。
ちょっとしたきっかけでキレて攻撃的になってしまいます。
そのシングルマザーであるダイアン(アンヌ・ドルバル)は、
息子の扱いに困り果てているのです。
小さな子供ならばまだ抑えが効く。
けれどこんなに大きくなってからでは、
他の人に対して爆発した時にはもうどうにもなりません。
そんな時、隣家のカイラ(スザンヌ・クレマン)という主婦と親しくなります。
カイラは教師なのですが、何かの精神障害で吃音の症状があり、
休職しているのです。
なぜかカイラとスティーヴは相性が良さそう。
そんなわけである日、ダイアンはカイラにスティーヴを託して
用事をたしに出かけます。
ところが、スティーヴは暴発してしまうのです。

しかしカイラは負けない。
思い切りの本音をスティーヴに浴びせかけるのです。
本音と本音でぶつかりあった二人は、何故か気持ちが通じ合っていくのでした・・・。
そしてカイラはこの母と息子に対しては言葉がスムーズに出るようになっていきます。
カイラはスティーヴの家庭教師を引き受け、
もしかしたらスティーヴは進学し、新しい道が開けるかもしれない
・・・そんな希望も芽生え始めます。
しかし・・・。



本作は、画面が縦・横1対1という変わった形なのです。
ところがごく一部だけ、フルスクリーン(16対9だそうですが)に変わるところがある。
その一つは、この3人が過ごすつかの間の穏やかで楽しい時間。
夢が広がります。
そしてもう一つは、終盤。
それは彼らが夢見た「あるかもしれない」スティーヴの人生。
ここは、「ラ・ラ・ランド」の終盤のシーンにも似ています。
明るく夢が広がるようなところだけが、広いスクリーンに映し出されます。
これもまた切ない。



結局これは母と息子の愛と憎悪の物語なのでしょう。
他人同士なら、とっくに何処かで見放している。
(結局カイラがそうであったように)。
けれど、親子、血のつながりは憎んでも憎んでもまだ奥底から愛が湧き出ている・・・。



ちなみに本作は、架空のカナダ新政権で、
「問題児を抱える親は法的手続き無しで子どもを施設に入れてよい」
という法案が可決されたという前提になっています。
だから現時点では、このような結末はあり得ないということなのでしょう。
そう、こういう問題を親子だけのものにしてはいけない
ということなんでしょうね、多分。



Mommy/マミー [DVD]
アンヌ・ドルヴァル,スザンヌ・クレマン,アントワン=オリヴィエ・ピロン
ポニーキャニオン


「Mommy マミー」
2014年/カナダ/134分
監督:グザビエ・ドラン
出演:アンヌ・ドルバル、アントワン=オリビエ・ピロン、スザンヌ・クレマン

ラビング 愛という名のふたり

2017年03月18日 | 映画(ら行)
ひっそりと寄り添うふたり



* * * * * * * * * *

1958年というので、ほんの60年ばかり前のできごとです。
米バージニア州に住む大工のリチャード(ジョエル・エドガートン)は、
恋人ミルドレッド(ルース・ネッガ)に妊娠を告げられ、結婚を申し込みます。
二人はワシントンD.C.に赴き結婚手続きをしました。
そして二人の地元で生活をはじめたのです。
ところがある夜、保安官が乗り込んできて二人は逮捕されてしまいます。

このバージニア州では白人と黒人、異人種間の結婚は犯罪とされていたのです。
裁判の結果は、懲役1年、執行猶予として25年間州外退去ということでした。
つまり離婚しない限りは、この故郷の地から出ていかなくてはならないということなのです。
やむなく二人はワシントンD.C.で暮らし始めます。



町中での暮らしはそれなりに穏やかではありますが、
子どもも増え、子どもたちが安心して暮らせる環境ではないと、
ミルドレッドは思います。
そんな中で、ミルドレッドは自分たちの困った状況を綴り、
ケネディ司法長官へ手紙を出します。
そのことが、大きく歴史が動くことの始まりでした・・・。



このケネディ司法長官というのは、
あのケネディ大統領の弟、ロバート・ケネディなんですね。
たった一人の名もない黒人女性の願いを
真摯に受け止めて対応したことには拍手を贈りたい!!
アメリカ自由人権協会(ACLU)からの弁護士も付きましたが、
でも、最高裁までの道のりはそう簡単なものではないのでした。
結局このバージニア州の法律が変わったのが1967年。
今では信じられないことですが、
こんな法律がつい50年前まで当たり前のようにしてあったわけです。


本作中のラビング夫妻は、決して激昂することがありません。
権力者に向かって拳を振り上げたりすることはない。
粛々と周りの現状を受け入れながら、
その中で二人の間の信頼と愛をつなぎとめていくだけ。
あくまでもひっそりと寄り添っていくこの二人の姿が、とても印象的です。


夫のリチャードは幼い頃から黒人たちと入り混じった生活をしており、
自身は全く人種間の偏見などはない。
ひたすら実直で、自己主張することもなくて、
なんだか頼りない気がするくらいです。
けれども妻を愛し守ろうとする気持ちだけは確かなんですね。
妻がいつも微笑んでそこにいてくれれば、それが一番の幸せと思っている。


一方、妻の方はもう少し先を見ている感じがする。
多分それは子どもたちのためと思うのですが、
子どもたちの未来へ向けて、彼女は希望を見据えている。


作中にもありましたが、ある時黒人の友人がリチャードに言うのです。
「あんたも大変だろうけど嫌になったらミルドレッドと別れればいい。
だけど俺達は(黒人であることからは)逃げられない」と。
ミルドレッドには逃げられないことへの覚悟と守るべき子どもたちがいます。
そうした女の強さが感じられる。
双方素晴らしい夫妻の演技でした。



自由とか平等を声高に叫んでもいない、
そして弁護士が活躍した法廷物語になっているのでもない。
ただの慎ましい愛の物語が大きな感動を呼ぶ、
これはそういう作品なのです。

「ラビング 愛という名のふたり」
2016/イギリス・アメリカ/122分
監督:ジェフ・ニコルズ
出演:ジョエル・エルガートン、ルース・ネッガ、マートン・ソーカス、ニック・クロール、テリー・アブニー

歴史発掘度★★★★☆
満足度★★★★★

「憲法なんて知らないよ」 池澤夏樹

2017年03月17日 | 本(解説)

一家に一冊

憲法なんて知らないよ (集英社文庫)
池澤 夏樹
集英社


* * * * * * * * * *

憲法は国の性格を決める。
やさしい国、強い国。
卑屈な国やケンカ好きな国。
この憲法のもとで、半世紀の間、日本はケンカをしない穏やかな国だった。
そのせいでぼくたちは損をしたか得をしたか。
今、憲法を論じよう。
その土台として、自分たちのふだんの言葉に書き直したのが、この新訳憲法。

* * * * * * * * * *

私が図書館で借りたこの単行本には
“憲法なんて知らないよーというキミのための「日本の憲法」”
というように副題がついています。


池澤夏樹さんによる日本国憲法の、口語訳。
憲法はつまり「国としてまとまってやっていくための基本方針」であるわけですが、
実のところ私はしっかりと読んだことはありません。
そこで用いられている言葉はとっつきにくいですもんね・・・。
そこで、誰にも読みやすい形にしてくれたのがこの本です。
もちろん、原文も、元になった英文も載っていますので、
うんと詳しく知りたい方はそちらを見ることもできます。
この憲法ができた経緯のことにも「まえがき」のところで触れています。
だから受け取り方は自分次第。
決して一方向へ導こうとするものではありません。
私などはやはりいちばん気になってしまう第9条。
全文引用してしまいましょう。


第二章 戦争の放棄
第九条
①この世界ぜんたいに正義と秩序をもとにした平和がもたらされることを心から願って、
われわれ日本人は、国には戦争する権利があるという考えを永遠に否定する。
国のあいだの争いを武力による脅しや武力攻撃によって解決することは認めない。
②この決意を実現するために、
陸軍や海軍、空軍、その他の戦力を持つことはぜったいにしない。
国というものには戦争をする権利はない。



まあ、原文を読んでも特別解釈が難しいというものではないと思うのですけれど・・・。
こんな単純明快なことなのに、
どうして、こんなに複雑な世相になってしまっているのか。
ほとんど全世界で
「国のあいだの争いを武力による脅しや武力攻撃によって解決すること」
を認めていますよね。
というか、認めるも何も、当たり前。
こんなことを言っているのは日本だけ。
全くお人好しだけれど・・・
やはり世界遺産にすべきと思うくらい崇高だと思います。
今あるものは仕方ないけれども、
少しでもこの憲法の言葉に沿うように、努力すべきなのではないかなあ・・・。
憲法を変えるのではなく。


聖書じゃないけれど、一家に一冊、置いておくべきかも。


「憲法なんて知らないよ」池澤夏樹 集英社
満足度★★★★☆
図書館蔵書にて