映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「真田太平記(十二)雲の峰」 池波正太郎

2010年12月31日 | 真田太平記
真田家は永遠に・・・

真田太平記(十二)雲の峰 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


              * * * * * * * *

さあ、とうとう最終巻となりました。
大晦日にふさわしく、これを持ってきましたね。
はい。ロングランとなりましたが、ゆっくりたっぷり楽しみました。
切りよく、平成22年で幕としたいと思います。
もう真田幸村もいない・・・。さみしいなあ・・・。
そうだね、だからこの巻は兄信之のその後、ということになるね。
とにかく豊臣家が滅んで、徳川幕府安泰の体制に入りました。
しかし、家康もついに命の尽きるときが来ます。1616年。75歳。
えーと、夏の陣が1615年だから、本当にまもなくなんだね。
結局自分の思いを貫き通して、やるだけのことをやって亡くなったのか・・・。
この本の中では結構嫌な奴だったけど、偉大な人物なのは確かだなあ。

将軍の地位はもう既に秀忠が継いでいたのだけれど、家康亡き後、いよいよ彼が実権を握ることになる。
家康は結構真田信之を気に入っていたんだよね。
自分のお気に入りの重臣の娘をいったん養女としたうえで信之に嫁がせたくらいだから。
ところが問題は秀忠。
彼は関ヶ原の戦いの折、上田城で真田昌幸・幸村に足止めをくらい、
関ヶ原の決戦に間に合わなかったことで、真田家を非常に敵視しているんだよね。
秀忠は信之のことまで逆恨み。信之は始めから徳川方についていたのにね。
ふん、コイツもやな奴だよ・・・。
それでね、前巻にあったシーンだけれど、信之がひそかに幸村と対面したことをかぎつけて、信之の罪を問おうとしたんだ。
しかーし、お江さんらの働きによって、徳川方のこうした企みはちゃんと事前に察知してあった。
信之、慌てず騒がず。
「会ったのは冬の陣と夏の陣の合間の「休戦」中。
しかも、それは亡き家康の指示で会ったのだ」と、家康直筆の書状を突きつける。
ぐうの音も出ない秀忠方。
うひゃー、やったね!!気持ちいいですね!! 


真田の草の者たちはあくまでも昌幸・幸村の元で働いていたんだ。
でもこの度の戦でみな死に絶え(佐助も!!)、残ったのはお江さん一人になってしまった。
このお江さんも60を過ぎているというのに、若い!! 
森光子か?吉永小百合か?って感じだねえ。
それで彼女はこの先どうしようかと途方に暮れるわけだけれど、
信之の家臣のなにやら怪しい行動を見てしまったので、
信之に一応教えておこうと信之の元を訪ねる。
この二人は何となく顔を合わせたことがあるくらいで、特に親しくはなかったんだね。
そう、だから始めはお江さんも、後はもう信之なんかどうなっても知らないワ・・・と思っていたのだけれど、
幸村がとても尊敬していた信之なので、心が動いた。
そうして実際にあってみれば、なるほど、幸村の言葉にウソはない。
身分が下の者にも分け隔てなく接し、本当に信頼が置けて尊敬できるお人柄。
それで、お江さんも、上田城下に移り住み、
ときどき信之の元で情報収集したりすることになった。
幸村亡き後に、こうした彼のゆかりの人たちがつながっていくのがいいね。
気落ちした同士が肩を寄せ合う感じ・・・。


さて、そうは言っても秀忠は着々と幕藩体制を強めていく。
各地の大名があちらへこちらへと移封になる中、信之も安泰ではなかった。
えーと、つまり幕府によって、
アンタは今度からどこそこの地を治めなさいって、いきなり言われるわけだね。
そう。断るなんてとんでもない。それはお家の断絶を意味する。
将軍の命が下れば否応なく一族郎党ひきつれて、
見知らぬ最果て(?)の地に引っ越さなくてはならない。
それで信之は上田の地を去り、松代に行くことになるんだね。
はい! この秋、その松代を訪れたので、そのあたりのことはよく解りましたっ!!
上田と松代はそれほど離れているわけでもないし、
まあ、まだましな方だったと思うね。
それが1622年。
ストーリーはこの信之57歳のところで終わっています。
過ぎ去った日々が思い起こされる、余韻のあるラスト。
いやいや、どうもお疲れ様でした。
タイムマシンに乗って旅をしたような感じです。


さてと、『後書き』として、さらに後の信之のことも記されています。
信之が移ってきて以来、この松代藩はこの地で明治維新まで続くんだよ。
それもすごいよね。
いや、それよりも、この信之さんは93歳まで生きた!
ひゃあ・・・93歳ですか。
今でも充分長寿といえるけど、当時ならほとんど妖怪だね・・・。
弟、幸村の分まで生きたんだよ。
家康、秀忠、家光、・・・と来て四大将軍家綱の時代だって!
う~ん、ざまあごらんあそばせ、ってところだ。
悔しかったら、これだけ生きてみなさいよ!、と。
家康も秀忠もかなわなかったね。
ただ、松代の信之が安泰だったかといえばそうでもなくて、
いろいろお家騒動もあったらしい。
歴史とか、人の営みは奥が深いなあ・・・。

というわけで、ほんとうにこれで読了。
長い間、真田サーガにおつきあいいただきまして、ありがとうございました。


あ、それから皆さん、上田市である署名運動が繰り広げられていました。
それは「真田幸村をNHKの大河ドラマに」という要望の署名です。
もちろん、私も署名してきました。
ストーリーは充分大河ドラマ向きです。
皆様も、もし機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
さて、もしそうなったら、幸村は誰がいいでしょうね・・・?
まあ、それはまた別な話・・・。


さて、次はどうします?
今度は伊達政宗あたりを読んで、ぜひ仙台へ行ってみたいと思うのだけれど・・・。
とりあえず年末年始に読むべき本がたまりまくりなので、もう少し先、落ち着いてからにしましょう。
では、またおあいしましょう!
皆様、良いお年をお迎えください。



「真田太平記(十一)大坂夏の陣」池波正太郎

2010年12月27日 | 真田太平記
真田幸村落命

真田太平記(十一)大坂夏の陣 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


         * * * * * * * *

ああ・・・。
何だか解説する気力も失せるような・・・。
さみしくて・・・悲しくて・・・そして呆然。
解っていたことではありますが、この巻でついに真田幸村が命を落とします・・・。
大坂夏の陣。


冬の陣の後、関東勢と豊臣勢のまあ、ちょっとした休戦状態だったんだね。
しかし、この間に大坂城の壕が関東勢によってみな埋め立てられてしまった・・・。
それを黙って見ていた関西方も情けないよね・・・。
各地から集まった豊臣に味方しようとする人たちは、そのまま大坂城に残っていたのだけれど・・・。
こんな状態ではもう大坂城に立てこもって籠城することはできない。
討って出て、闘わなければ・・・。
しかし数の上では圧倒的に不利。
大坂勢はもうほとんど負けを覚悟している・・・。
というか、秀頼を取り巻く重臣たちはここに至ってもまだ、
家康の怒りがとけて許されることを期待している・・・。
幸村は、そんな様子をあきれながら、あとは自分の出来るだけのことをするまでと、割り切っているね。
攻められるのを待っていないで、こちらから積極的に攻めなければ・・・
などと言ってもほとんど、耳を貸そうとしない豊臣の人たち・・・。


こんな休戦中のひとときに、幸村は密かに信之と対面を果たしますね。
信之は家康から幸村を徳川側につくよう説得するようにとの命を受けて、
この対面となるのだけれど・・・
信之はもともと説得できるとは思っていなかった。
幸村の気性をよく知っているから。
幸村も、そんなつもりはさらさらなくて、ただ最後に、兄と会ってみたかった。
双方、それだけだったんだね。
静かに酒を酌み交わしながら語り合う二人。
これが最後と二人には解っていた。
ううん・・・じんわりと来るシーンです。


ところで、ここで信之さん、今までのイメージでは考えられないことになってしまいますね。
うん、この二人の出会いをお世話したのが小野のお通という女性なんだけど・・・。
このひと、何故か徳川側の人や豊臣側の人、どちらとも密かに通じているような怪しい雰囲気の人だったよね、これまでは。
そうそう、信之も実はそう思っていた。
でも実際あってみると、謙虚で温かみがあって、すごくステキな雰囲気の人だったんだ。
で、思わずぽーっとなってしまった信之さんは、
何とかまた会いたくて、長い手紙を書いたりする。
それであげくに振られてるのね!
うーん、いい年して、信之さんのこのていたらくは、アンビリーバボーだ・・・。
いや、でも、緊迫感いっぱいのこの巻で、ここだけはすごく微笑ましくて救われたよ・・・。
たぶん、信之の千々に乱れた心の迷いごとなんだよ・・・、ね。


そんな休戦もつかの間、5月(現代の6月)いよいよ決戦の火ぶたが上がった。
関東勢15万5千。
大坂勢7万8千2百・・・。
幸村はとりあえず協力し合えそうな者と作戦を練るのだけれど・・・
できるだけ我慢して、敵をうんと引き付けてから、一挙にたたこう・・・という風に。
けれど、彼らは我慢できずに幸村との約束も忘れて飛び出してしまう。
とにかくこの戦いは幸村が大将のわけではなくて、
何事も彼の思うように運ぶことが出来ない。
そんなもどかしさの中で、あきらめの笑みを口元に漂わせて・・・
それでもやはり、彼は自分の戦いをしようと思う。
一挙に家康を討ち取って見せようと・・・。
最後の真田勢はすごかったですよ・・・。
本当に家康の陣へまっしぐらに突き進んできた。
家康を守るべき者たちの中でも、
あまりの恐ろしさに逃げ出してしまった者も多かったという・・・。
そう、すばらしい戦いぶりでした・・・。
ただ、あまりにも敵の数が多かったんですね。
傷つき疲れた幸村はついに・・・。
幸村49歳ですね。
若くして死んだというイメージが合ったけど、そう若くもないか・・・。
いや、そりゃ当時の平均寿命かも知れないけど、
今で言う49歳なら充分早死にでしょう。
思うに、九度山の蟄居がやっぱり問題だね。
この間にすっかり安穏と生きることに嫌気を感じてしまったんじゃないかなあ・・・。
そんな気持ちが彼を死に急がせてしまった気がするね・・・。
実際、そこで寝返って、徳川にへつらって長生きしてもよかったんだよ・・・。
いやあ・・・そうなったら、真田幸村の名前はぜんぜん残らなかっただろうけどねえ・・・。


幸村が命を落としたのは茶臼山の安居(あんご)神社付近・・・ということでした。
茶臼山は、今動物がある?
そう。思わず地図をみてしまったよ。
かつての合戦の場が今では遊園地だったりする・・・。
時の流れだねえ・・・。
今度、大坂城とかその近辺、是非行ってみたいですね。


それから、幸村の息子大助くん。
彼も最後は幸村と寄り添って最後まで闘いたかったけれど、幸村の命で秀頼の元に行く。
幸村は秀頼に何とか一度でも先頭に立って、皆の気持ちを鼓舞してもらいたいと思っていた。
それで、その話を伝えるために大助を大坂城の秀頼のところに行かせたんだ。
でもぐずぐずしている内にもう敵が攻め込んできて、城に火を放った。
秀頼や淀君とともに大助も命を落とす・・・。

壮絶なのと共に、何だか滅び行くものの美を感じてしまうね。
全く、動揺してしまう一冊でした・・・。


さて、いよいよ残り一冊となりました。
幸村のいない真田太平記・・・。
考えただけで寂しさがこみ上げてしまいますが。
信之のところでもう一波乱ありそうですよ。
では・・・また。

「真田太平記(十)大坂入城」 池波正太郎

2010年12月17日 | 真田太平記
ようやく幸村の出番が来たけれど・・・

真田太平記(十)大坂入城 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


               * * * * * * * *

えーと、方広寺の鐘銘に難癖をつけて、家康はなんとしても豊臣方をつぶそうとはかっている・・・というところでした。
やむなく、豊臣方は大坂城にたてこもることになるんだね。
あれ、今頃気づいたんですが、「大阪」じゃなくて「大坂」だったんだ!
「大阪」になったのは明治以降だって・・・。
今までぜんぜん気づかずに「大阪」を使っていました。許してくだされ・・・。
しかし実のところ、豊臣方、特に淀君ですかね、何も戦をふっかけようなんて気持ちはなかったように見受けられる。
そうだね。マトモに闘って勝てるとはやはり思っていなかっただろう。
ハンストみたいな感じかな。
ここで粘っていれば、いずれ家康の怒りもとけるのではないかと・・・。
でも一応、各地の浪人などに救援の声をかけるんですね。
そう、それでやっと真田幸村の出番です!!
大坂冬の陣へ突入!!


幸村はもちろん九度山の蟄居を解かれたわけではないので、
密かに九度山を抜け出したということになります。
すなわちこの行為だけでもう家康に反逆したことになる。既に捨て身です。
ここで感動的なのは、信之の元に行っていた向井佐平次が、
幸村の行動を察知して、共に大坂入城を果たしたこと。
妻のもよも、夫はたぶんそうするだろうと始めから解っている。
いやあ、絆ですねえ・・・。
ほとんど自殺行為とは解っていても、やるべきことはある・・・か。
大坂城に立てこもる・・・って、私はあの天守閣にみんなで籠城するってイメージしてたんですが・・・。
いやあ、ここで言う大坂城っていうのはすごく広いんですよ。
大坂という土地、といっていいのかな。
何しろここに集まった兵力10万というから、
それだけでもそんな狭いところではないと想像がつくね。
米などの蓄えも1年分以上あったと言うし、
商人なども出入りしていて、一つの町みたいなものだね。
幸村はその外濠の外に真田丸と名づけた小さな砦をつくってここを根拠地にするんだね。
そこから遠くに秀頼のいる本丸の天守閣が見える、とあるよ。
以前の上田合戦で徳川勢を撃退したのはあくまでも父昌幸、と世間では認識していたんだね。
だから幸村はほとんど注目されていなかった。
まあ、だからこそ簡単に九度山を脱出できたわけでもあるね。
でも、いよいよ徳川方との戦闘が開始されてみると・・・
これもすべての勢が一斉に戦闘態勢に入るのではなくて、
多く配置された砦の何カ所かで小競り合いが開始されたという感じね。
うん、だけれど真田丸はそこで非常に威力を発揮した。
ここでの戦いでは徳川軍をさんざんに打ちすえて、
幸村の武名はここで初めて天下に鳴り響いたというわけ。
ふう・・・、つまり幸村はこれがやりたかったんだよねえ・・・。


ところでこの頃の秀頼。
前回ではたいそう立派な有様に、幸村や家康までもが目を見張った
・・・ということになっていたよね。
しかしそれから3年・・・1614年。
秀頼はどんどん太ってしまって、見る影がなくなっている・・・。
作中の描写はこうだよ。

六尺あまりの躰に肉がつきすぎてしまい、
なにやら、白くてぶよぶよした化け物を見ているようなおもいさえする。
眼の光も弱く・・・
京の公卿たちのように顔へ薄化粧を施すようになってしまった・・・・・・・・


うひゃあ、辛辣な描写・・・。
でもこれでは、彼に味方しようとする者たちも、士気が上がらないだろうなあ。
だね・・・。
しかも秀頼は、本丸から一歩も外へ出てこない。
こんな状況なんで、幸村はつまり秀頼のためではなくて、
自分がやりたいから大坂にいる、と。
そういうことなんだろうなあ・・・。
この広い大坂城内、人々も決して一枚岩ではなくて、
敵のスパイもたくさん入り込んでいるし、
先にいったように、そもそもまともに闘う気がある者が少ない。
打って出るなどもってのほか、何とか家康と和解に持ち込みたいというのがほとんど・・・。
こんな中で、幸村はよく頑張ったと思うよ・・・。
本当に幸村はがんばったのですが・・・
東軍はイギリスやオランダから買い入れた大砲を導入。
飛び込んでくる砲丸に淀君が恐れをなし、あっけなくも休戦となってしまう。
何とも戦い甲斐のない戦いで、幸村が気の毒になってしまうね・・・。
ああ・・・、ということで、次回は夏の陣です。


「真田太平記(九)二条城」 池波正太郎

2010年12月06日 | 真田太平記
歴史の大舞台

真田太平記(九)二条城 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


            * * * * * * * *

さて、豊臣秀頼は、家康上洛の際にご機嫌伺いに行くのや否や・・・、
そういうところでした。
淀君はとんでもない!という思いだったのだけれど、今や家康の意にそぐわないというのは非常に危険なことなんだよね。
加藤清正等が奔走し、二条城においてやっと二人の対面が実現。
これが1611年の出来事。
二条城ですね。このお城は、家康が西日本の諸大名に命じて築城したもの。
各地の大名も大変なんだね。
家康の命令を聞いてそのための費用や労働力を負担するということだ・・・。
まあ、それで各大名の力をそぐという目的もあったんだね。
この二条城はそれからまたず~っと後に、大政奉還の舞台にもなっているよね。
つい先日、「龍馬伝」で見たなあ・・・。
いろいろな歴史の大きな局面を見届けているお城なんだね。
遠い昔に修学旅行で行ったような気もするけど、な~んにも覚えてないな。
今度是非行ってみたいね。
それにしても400年前だもんね。
こういうところが北海道ではぜんぜんかなわないところなんだな・・・。
北海道の歴史的名所は、どうがんばってもせいぜい150年前くらいか・・・。


それで、この二人のご対面の話。
秀頼は19歳。実に立派に成長している。
結構体格もよかったらしいよ。
淀君が大坂城から一歩も出さず、たぶん過保護で育てられたであろう割りには、まともに育ったようだ・・・。
大坂から京都に赴く際、行列中の秀頼を見た群衆が、
その若々しくも頼もしく堂々とした様子に目を見張ったとあるね。
この時、真田幸村もこっそりと山伏姿で京都に来ていて、秀頼の姿をかいま見て衝撃を受けた、とあるよ。
いよいよ、また歴史のコマが回転を始めた感じだね。
そして家康もこの秀頼の様子には驚かされた。
けれども、それが逆に家康に危機感を抱かせてしまったんだね。
このまま放ってはおけない、豊臣家をさっさとつぶしてしまわなければ・・・と、思わせてしまったということか。

この時の家康上洛の機を狙って、真田の草の者、お江と弥五兵衛が家康暗殺を謀ろうとするのだけれど、
敵の者に気取られて、実行までこぎ着けることが出来なかった。
弥五兵衛はここで命を落とすんだね。
家康ってホント悪運が強い・・・。

さてさてそんな折に、ついに父、昌幸が逝去します。65歳。
九度山で蟄居のまま・・・。
さぞかし無念であったでしょうね・・・。
いや、でも、この時代こうしてマトモに布団の上で死ねたというのは、幸せなことかも知れないよ。
65歳まで生きられれば、当時としては長寿でしょう。
うーん、ともかく何だかさみしくなってしまったね。
これで幸村も心の奥で決心が固まった・・・というところかな。

時が進むに連れて、何だか家康がどんどん横暴で嫌な奴になっていく気がするんですが、また事件が起きますね。
豊臣家が取り仕切った方広寺大仏殿の梵鐘の銘文。
「国家安泰」と
「君臣豊楽」という文言が入っている。
これに家康が難癖をつけたんだ。
「国家安泰」は、家康の名を「安」の時で切断しているので、無礼不法である、と。
また、「君臣豊楽」は、豊臣家を君主として末長く楽しむという意味を含んでいて、
この鐘銘は徳川家に呪いをかけ、調伏しようとしている、と。
とんでもないこじつけ、いいがかりだよね。
もう、何でもいいから豊臣家に難癖をつけて、蹴落としてしまえという魂胆見え見え。
さあ、秀頼や彼を取り巻く重臣たちはどうするのか・・・。
以下次号!!


ところで、この本の中で加藤清正は毒殺と言うことになっているけれど本当なの?
いやあ、いろいろな説があるらしいです。
ハンセン病だとか、梅毒だとか言う話まで・・・。
でも著者は毒殺説を採っているんだね。
家康にとって、熊本城という難攻不落の城を持ち、秀頼の肩を持つこの「出来る男」は
非常にジャマだった・・・と。
急死ではなく、じわじわと効いていく恐ろしい毒なのですよー。忍者の用いる毒。
でも、それが出来るなら秀頼にも毒を盛れば良かったのでは・・・という気もするけどね。
あ、なるほど・・・。
まあ、今となっては死因といっても想像するしかないですね・・・。

「真田太平記(八)紀州九度山」 池波正太郎

2010年11月26日 | 真田太平記
無為の日々

真田太平記 (八) 紀州九度山(新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


            * * * * * * * *
 
さて、関ヶ原の戦いで敗れた西軍に組みした真田父子の運命やいかに・・・、というところでしたね。
石田三成や小西行長に対する残忍な扱いをみれば、
真田昌幸・幸村も死罪は免れ得ないところが・・・と思えたのですが。
でも兄、信幸とその岳父(妻、小松殿の実父)本田忠勝の必死の助命嘆願のおかげで、
死罪は免れ、紀州の九度山と言うところに蟄居ということになった。
蟄居というのは?
武士に科した刑罰のひとつで、自宅や一定の場所に閉じ込めて謹慎させたもの・・ということだね。
牢に押し込められているわけではなく、家来も何人か就いてはいるけれども、
監視されていて自由に出歩くことは出来ない、と、そんな感じ。
真田父子としては2年か3年・・・5年後くらいには、
家康の怒りも解けて許されるだろうと思ったんだ。
それとこの時に、信幸さんは「信之」と名前の漢字を変えるんだね。
謀反人の昌幸と同じ字を使うのはまずい・・・ということなんだろうね。
とにかく、昌幸・幸村は上田城を出て、紀州九度山で失意の日々を迎えることになる。
ここで向井佐平次は信之の沼田城に残り、
息子佐助が九度山にお供をすることになったんだね。
そう、佐助は草の者だから、連絡要員でもあったんだね。


関ヶ原の戦い後の状況は・・・?
家康は、徳川将軍の地位を秀忠に譲ったけれど、依然実権は握っている。
本拠地は江戸にあるけれど、秀忠を将軍につけたときに、京都に来ているね。
行列の先頭が京都へ到着したとき、最後尾の将兵は江戸を発したばかり・・・
とかいう、ものすごい大行列だったそうな・・・。
今や、大阪城にいる豊臣秀頼は、他の武将と並ぶ一大名にしか過ぎない
・・・というような家康の認識なんだ。
それで、京都伏見城から大阪の秀頼に「挨拶に来い」と催促をする。
秀頼の母、淀の方は
「豊臣家の臣下であるはずの徳川家へ、なんで頭を下げねばならぬ」と、断固拒否。
結局この時は、拒み通したわけだ。
回りはみんなハラハラだね・・・。


京都には真田家の屋敷もあって、
時折佐助や、なんと大胆にも幸村が様子を探りに姿を現していたという・・・。
まあ、監視されていたといっても、かなり緩んでは来ていたんだね。
家康と秀頼の緊張関係・・・、まだ何かありそうだという感じ。
世間は固唾を呑んで見守っているし、
それぞれがそれぞれの思惑で、動向を見定めようと情報活動に余念がない。
真田家の草の者たちも、このままでは終わるまいと信じて様子を探り続けている。
・・・そうこうするうちに、真田父子の九度山生活も10年以上になってしまうんだね。
頼みの綱の本田忠勝も亡くなってしまい・・・、
許されるのはかなり望み薄になってきた。
そんなこともあるのだろうけれど正幸は、病の床に就いてしまう。
65歳ですからねえ・・・。無理もないですね。
そして幸村は45ですよ。
無為の日々はさすがにつらかったでしょうね。
さてこの年、また家康が上洛するわけです。1611年。
この期に乗じて、家康の暗殺を計画する真田家の草の者、お江と奥村弥五兵衛。
そして今度こそ秀頼は、家康のご機嫌伺いに行くのか???
というところで「つづく」です・・・。
この巻はちょっと幕間的なんだけど・・・、しかし、その間10年以上か。
平和といえば平和。
でもその平和を良しとしない、戦国武将の性を感じますねえ。真田父子。
では、次巻を待ちましょう。

「真田太平記(七)関ヶ原」 池波正太郎 

2010年11月16日 | 真田太平記
関ヶ原の戦い、西軍に影ながらの助力もむなしく・・・

真田太平記(七)関ケ原 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


              * * * * * * * *

さて、ついに関ヶ原の戦いですかー。
徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍の激突ということなんですが・・・
これがなかなか・・・、各地の大名たちはどちらにつこうかと悩みに悩むわけですね。
日和見したり裏切ったり・・・いろいろと葛藤の後が見られてこれも興味深いところですよね。
とにかく何でもいいから勝ちそうな方につこうと考える。
どっちが正しいかなんて二の次だもんね。
確かに、どっちが正しいも何も、よくわかんないというのがホントのところでしょう。いやいやながら巻き込まれちゃった、みたいな。
そんな中、真田家は・・・。
昌幸、幸村は上田城にいて、守りを固めます。
そこを家康の息子秀忠率いる東軍の第2軍が攻めかかる。
こんな所はちゃちゃっと片付けて通り抜け、家康の1軍と合流するつもりだったわけですね。
ところがですよ、以前も徳川の大軍勢を撃退した上田城ですよ。
そう簡単にいくわけがない。
いろいろと敵を翻弄させる策略を巡らせてある。
戦いは頭でするもの。そして度胸。
こういうところが、真田家の人気の理由なんでしょうね。
とにかく、意外にも苦戦を強いられ、足止めを食った秀忠は、
ついに関ヶ原の戦闘開始には間に合わないというわけです。
結果、真田家は西軍の大きな援護をしたことになりますが・・・。
しかし、それにもかかわらず西軍は敗れてしまいました・・・。

著者は真田父子にこのように語らせていますよ。

「勝てる戦に何故、勝たなかったのであろう?」
「不思議きわまること・・・・」
「何故、勝とうとしなかったのか・・・・?」
あのような作戦、あのような戦将たちの決戦場における離反は、真田父子にとってとうてい信じかねるものだったといってよい。


そんなとき、真田の草の者たちが彼ら自身の手で家康暗殺を謀り暗躍します。
お江や、壺谷又五郎たち・・・。
あわや・・・というところまで行くのですが。
これは家康の悪運の強さ・・・ですよね。
まあ、そういうことになりましょう。
お江は、瀕死の重傷を負い、又五郎はついに命を落としてしまいます。
この巻でついに明かされるのですが、向井佐平次は又五郎の息子で、
つまり、佐助は又五郎の孫ということなんだね。
ははあ・・、そうか納得しました。


家康はその後、逃亡した石田三成や小西行長を捜し出し、処刑。
なかなかむごい措置でしたね・・・。
手かせ、首かせをはめられて、市中引き回しの後処刑されるという・・・。
かつて誰もがひれ伏した人物・・・と思えばいかにもむごいです。
戦国時代・・・と、今脚光を浴びてはいるけれど、結局そういう時代なんだよね。

そういうことだから、西軍の味方をした真田昌幸・幸村のことが心配なんだなあ。
家康が許すわけがない・・・。
ですね。どうなっちゃうのか。
・・・それは次巻につづく、ということで。
いやはや、さすがに、激烈な一冊でした。

「真田太平記(六)家康東下」池波正太郎

2010年11月05日 | 真田太平記
雷鳴轟く運命の一夜

真田太平記(六)家康東下 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


          * * * * * * * *

何だかいよいよ緊迫してきましたねえ。
そうだねえ。今や伏見城で頂点に立ったようにみえる家康なんだけど、
目の上のコブなのが上杉景勝と石田三成。
それぞれに戦の準備にかかっているというような噂が聞こえてきて、
家康はたびたび真意をただそうとして書状を送ったり、上洛するように催促したりするのに、
双方無視。

ついに業を煮やした家康は、上杉を討つ決心をする。
全国の大名に自分に味方するように告げて、自らは伏見城を出て自国、江戸に向かいます。
一方石田三成は、これを機に兵を挙げる。

諸国の大名は困惑・・・。東の徳川家康か、西の石田三成か・・・。
どちらも秀吉の遺児、秀頼を守ると言っている・・・。
どっちが正しいか、というよりも、どっちに味方すると有利か・・・ということだよね。
そりゃもう、自分の命だけでなく一族の命運にも関わってくるのだから慎重にならざるを得ない。
実にいろいろな武将がいて、それぞれが元の主従関係とか婚姻関係とか、
いろいろなしがらみでぐちゃぐちゃになって、それぞれ必死、
という状況が書かれていて興味が尽きないね。
そしてそれは真田家でもおなじなんですよ。
始め、信幸はもちろんなんだけれど、昌幸、幸村も家康の要請に応えて出陣するんだ。
けれども、この二人が頼りにしている幸村の岳父である大谷吉嗣が
石田三成側についたと聞いて、いよいよ決断をする。
会津出陣の途上、折しも雷鳴の轟く運命の一夜。
幸昌、信幸、幸村の三人の会議がもたれる。
ここですよね、一般には「真田の家を絶やさないように」あえて道を分けた・・・という風に言われていますが、
この本のこのシーンではそういう会話は出てこないんだね。
うん。そもそもここまで読んでいればどちらにつくかはわかりきっているもんね。
まあ、実際に、そういう心積もりもあったかも知れないけれど、
池波氏の解釈は、それぞれの意志をお互いに尊重したのだ、という風だね。
うん。あれこれ計算してというのではなくて、多くは語らず、それぞれの意志を確認した・・・と。
それで、昌幸と幸村は西側に、信幸は東側につき、明日からは敵同士・・・ということになってしまったんだ。
池波氏の解釈では西につきたいというのは昌幸の意志であって、
幸村は実はどっちでも良かったなんて書いてあるね。
うん、幸村はイデオロギーがどうこうというよりは、
何かの目的のためにまっしぐら、そういうことが好きなだけだって・・・。
まあ、だからこそ何だか爽やかな感じがするんだな。
それで、昌幸、幸村は徳川軍を離れて、上田に戻るんだね。
そう、それで今度は二度目の上田合戦へ・・・ということになっていくわけだ。


そんなわけで、いよいよ家康と石田三成の天下分け目の戦いへと入っていくんだけれど・・・、
まあ、言わずともこの結果だけは誰でも知っている。
著者は石田三成についてこんな風に言っているよ。
三成は知能はすぐれていたけれども人の心が読めなかった。
三成は優れた政治家であったとしても、すぐれた武将ではなかった。
うーん、厳しいけれど、だからこその結果なんだろうなあ。
その辺は、次巻でまた・・・。


「真田太平記(五)秀頼誕生」 池波正太郎

2010年10月22日 | 真田太平記
秀頼誕生、そして秀吉の死・・・

真田太平記(五)秀頼誕生 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


              * * * * * * * *

第五巻、秀頼誕生、ですね。
そう、ここでは朝鮮出兵も膠着状態。
秀吉はなにやらやつれて日に日に生気をなくしていたのだけれど・・・。
なんとここへ来てようやく秀吉に男子が誕生したのです。
うん、実はその前にも男の子が生まれていたのだけれど、幼くして病死してしまっていたたんだね。
著者は、秀吉が九州の名護屋から生母逝去のため、一時大阪に戻っていたときに淀君が身ごもったのだろうなんて書いていましたね。
時期から見るとそうとしか思えないってっことかな?
ま、それはともかく、時に秀吉は58歳! 
ようやくできた跡継ぎにうれしくて、うれしくて・・というふうなんだね。
今度こそはしっかり育つようにと、幼名は拾(ひろい)丸とつけたんだよ。
捨て子を拾って育てると健やかに育つという風習があって、わざわざ一度地面に寝かせて拾い上げたとか。
それはそれでめたいのだけれど、これがまた波紋を呼ぶわけだ。
まず、それまで秀吉の甥である秀次が一応跡継ぎとされていたんだけれど・・・
もう用なし、ってことになっちゃったのかなあ。
秀吉に謀反の罪とか言われて自害させられちゃった・・・。
秀吉亡き後の天下の行く末は・・・、もう豊臣家ではムリ・・・と皆おもいはじめた頃だったんだけど、
跡継ぎができたからには、もしかするとまだ豊臣家でいけるかもしれない・・・そんな考えもできる。
つまり、果てさて、皆さん困惑。

そんなこんなするうちに、幸村には二人の女子。兄信幸には1女、2男ができている。


それから、地震が起きますねえ。
慶長元年の大地震。
さて、震度どれくらいあったんでしょうね。
秀吉が丹精こめた作った伏見城が崩壊したというんです。
・・・耐震構造になってなかったんだねえ。
地震の起こる理屈も何も解らなかった当時、本当にこわかっただろうね。
そのとき秀吉はその伏見城にいたけれども、まずは我が子を抱きしめて無事避難したと・・・。
でもねえ・・・一時衰弱してみえた秀吉が、秀頼誕生によってまた息を吹き返すんだね。
この大地震にもめげず、伏見城再建。
明国の使節と大阪城で対面するけれど交渉決裂で、また朝鮮・明国と戦闘状態。
それで、明国とのやりとりの中でのごたごたで、秀吉の臣下がなにやら不穏になっていくわけだ。
ただただ強気で、日本の優位を信じて疑わない秀吉の意志。
しかし、実際に相手国との戦闘や交渉に当たるものは、そうは行かない。
秀吉の叱責を恐れて、本当のことが言えなくなっちゃってる。
それもこれも結局は秀吉の無為で無理な征服願望のせい・・・。
ほんと、どうしてこんなになっちゃったんだろうね。
若い頃から、とにかく前進あるのみの人だったから・・・
留まるべきところが解らなかったのかも知れない。
だがしかし、そうは言ってもついに彼の人生も終わりを告げる。63歳。
ただひたすら世継ぎの秀頼のことを案じて死んでいったわけ。・・もうただのおじいちゃんって感じで。


そうしたらね、直ちにおこなわれたのが朝鮮撤退。
皆さん、相当懲りていたんだねえ。
そして、秀吉から秀頼の後見人を任ぜられた前田利家もまもなく病死。
また、これまでおとなしくしていた家康がいよいよ本性を表して、
ふてぶてしい振る舞いが見えてきた。
そして、石田三成を中心とする「文治派」、加藤清正らの「武断派」
2派の対立も深刻なってくる。
・・・いかにも不穏ですねえ。
何事も起こらない方がおかしい、と。
でもつまり、この本では真田家はとりあえず傍観者なんだね。
そう、じっくりと状況を見定めているというところかな。
ただ、秀吉側の昌幸、幸村父子と家康側の信幸と言う構図はあって、
双方やや付き合い方も微妙なんだよね。
ここまで読んだところでは、お兄ちゃん信幸も、結構好きだなあ・・・。
父親には疎まれていると知りつつも、よくやっているよね。グレもしないで。

それから、佐平次の息子、佐助がいよいよ草の者としての仕事を始めますね。
これは頼もしいですよ。
では・・・次巻を乞うご期待!!


「真田太平記(四)甲賀問答」 池波正太郎

2010年10月12日 | 真田太平記
真田家と忍者、そして秀吉の朝鮮出兵

真田太平記(四)甲賀問答 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


          * * * * * * * *

「甲賀問答」というだけあって、この巻では忍者の話が中心になりますね。
そうです。第一巻からお馴染みの、真田の「草の者」壷谷又五郎やお江さん。
元々彼らは甲賀の忍者だったんですね。
それが武田家に派遣されていたのだけれど、武田家の命運が怪しくなってきたところで、退却。
しかし中には、そのまま残った者たちがいた。
彼らは武田家に引き続き真田家に仕えるようになっていったんだね。
普通忍者というのは、低い身分とされたそうなんです。
ああ、「カムイ伝」とか見るとまさにそうだよね。
けれども武田家や真田家では、役向きが表か裏の違いだけ、ということで他の侍と同じ扱いを受けたというのです。
それで彼らは甲賀には戻らず、真田についているんだね。
この本を読むと、こうした忍者の裏の情報活動がいかに重要であるか、よくわかりますね。


甲賀側も、自分たちが生き延びるために誰につくのが一番いいのか、研究しているわけです。
今、天下は秀吉が手中にしているけれども・・・、どうもこのまま収まりそうもない。
甲賀ではそのように読むのですね。
そんなこともあり、この巻では甲賀忍びの頭領山中俊房が
秀吉の御伽衆である山中長俊に接近。
その様子を探っていたお江が、大変なことになってしまいます。
敵中深く進入していたのが見つかり、追われ、傷ついて・・・。
もうダメかと思われたのですが・・・。
そこがドラマですよねえ。
ある人物の助けを得て、一命を取り留め、やがては決死の脱出をはかる。
そしてそれもまたあわやと思うときに起きた奇跡!!
おお~、まさに奇跡ですね。思わず興奮しちゃいます。

後々、壺谷又五郎が真田衆にこの話をした時の、幸村や向井佐平次の反応が見物でした。

それから、佐平次ともよの間に生まれた子が佐助といいまして、
これが幼い頃から忍者の修行を始め、まるで猿のようにすばしっこい。
そうです、この子こそ猿飛佐助!!
おお!! そうなんですか。出てくるんですね。ほんとに。猿飛佐助が。



さて、忍者サイドのストーリーはここまでとしまして、
この歴史の本筋では、いよいよ秀吉が朝鮮を攻めます。
秀吉の命により日本全国各地から、武将と軍隊が九州の名護屋にかき集められます。
真田家の三人も当然同行。
秀吉以外はこの朝鮮侵攻は無謀と考えている。
しかし・・・、誰もそのことを言えないんですね。
独裁者の狂気を誰も止められない。誰もが自分の身がかわいい。
どこの国にもそうした歴史はあるようですが・・・、
かつての人を惹きつける秀吉の面影が薄れていく・・・。
戦況は初めのうちだけは威勢が良かったのだけれど、
次第に苦しいものになっていくんだね。
朝鮮は水軍に長けていて、日本勢はかなわなかったそうな・・・。
軍隊が朝鮮に上陸して、瞬く間に当たりを占領したまでは良かったけど、
その後物資の補給がうまくいかなくて、孤立してしまうんだね・・・。
国内の戦なら、これまで秀吉はそういうところの作戦にも長けていただろうと思うけれど・・・。
やっぱり勝手が違ったのかなあ。
でも結局秀吉本人も、真田衆も、朝鮮までは出陣しなかったんだね。
名護屋で無為に過ごすだけ・・・。
そうそう、幸村はこの名護屋に来る直前に結婚しています。
秀吉の家臣、大谷吉継の娘、於利世。
信幸には子供が生まれたのだけれど、女の子でした・・・。
まあ、当時で言えば、残念ということか。

このほか、名胡桃城主の子、鈴木右近のこととか、
甲賀と確執を深めてしまったお江のこととか・・・まだまだこの先興味深いところがたっぷりですね。

「真田太平記(三)上田攻め」 池波正太郎

2010年10月05日 | 真田太平記
5倍の敵軍を退けた!!

真田太平記(三)上田攻め (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


            * * * * * * * *

さて3巻目。真田昌幸が大急ぎで作った上田城。
そこに、徳川・北条の連合軍が攻めてくる、というところだね。
そもそも何でこうなったわけ。
えー、話せば長いことながら、ですね。
沼田の地を巡って真田と北条が以前から争っていたんだね。
この時点では沼田は真田のもの。
けれども北条氏がそこは元々こちらのものだから返すように言ってよ・・・と、
家康に執拗にせがむわけ。
家康は、今のところ真田とは争いたくないので渋っていたけれど、
あまりにも北条氏がうるさいので、根負けして真田に沼田を北条に渡すように言ったんだね。
しかし、真田はきっぱり拒否。
・・・ということで、こういう状況になってしまった。
徳川軍が一万に対して真田軍は二千。
普通なら勝ち目がないと言うべきところだね。
でも、その圧倒的有利さが、徳川の油断をよんだわけでもある。
まともでは勝てないから、頭を使うわけなんだな。
天正13年(1585年)8月。
先鋒は信幸。20歳。若いですねー。
約500の部隊を引き連れ、徳川軍の中核へ突入。
何とも鮮やかでかっこいいです。
この部隊は、思うさま敵をかき回し攪乱させて、さっと城へ逃げ帰る。
逃がしてたまるかと、徳川軍が一斉に後を追い、城門の前に固まったところへ・・・
石垣の上から、大量の樹木や石が落ちてきて徳川軍を打ちのめす。
その混乱のさなか、弾丸や矢が襲いかかる。
更にはいよいよ真田勢も場外へ打って出て・・・。
こうして、真田軍は見事に徳川の真田攻めを防ぎきったわけだね。
ただし、この場に家康は来ていませんが。
この勝利が、真田の名を広く世間に知らしめたんだ。


その頃、幸村は上杉景勝の元に人質として差し出されていたのだけれど、
この争いの時には上田に戻ってきていたんだね。
けれど上杉家に気に入られた幸村は、人質ではなく出仕の扱いを受ける。
その上杉家は秀吉に忠誠しているわけです。
秀吉の権力はもはや動かしがたいものになりつつあり、
秀吉の反感を買うことは、すなわち身の破滅。
結局、秀吉の調停で真田・徳川は和解するんだね。
さらに、家康の家臣、本田忠勝の娘をいったん家康の養女とした上で、信幸に嫁がせる。
なるほど・・・と言うことで、このあたりで既に、
豊臣・徳川との複雑な関係が芽生えてきているんだねえ。


真田父子が秀吉の大阪城を訪ねるシーンがありましたが、
その大きさ、豪華さに度肝を抜かれていましたね。
そうだね。上田城跡は、先日実際に見てきたけれど、
それほど大きなものではなかった。
・・と言うか、たぶんそれが普通だったんでしょう。
大阪城は普通じゃない!! 
どんどん造り足して、完成までに7年をかけたとか。
屋根瓦に金箔が貼ってあったとかいうのね。
ひえ~、絢爛豪華!・・・ああ、でも、
上田城にも金箔を貼った瓦があったとか・・・。
先日の博物館にもあったよ。
のちに、大阪城をまねて、上田でも金箔瓦を作ったのかも知れないね。
で、そこでまた秀吉が息子を1人人質に差し出せという。
結局幸村は上杉家から秀吉の下にうつることになるんだね。


さてこんな風になって、秀吉にとって最も目障りなのが北条家となってきた。
今や九州もほぼ手中にし、徳川も配下についた。
しかし、北条家だけがプライドが高いというか空気が読めないというか、
秀吉にご機嫌伺いにも行かない。
で、秀吉の反感を買っちゃったんだなあ・・・。
まあ、事実はわかりませんよ。
でもこの物語中では秀吉の策略によって、罠にかけられ、
北条氏は降伏に落としやられた・・・ということになっています。
まことに、何においても油断ならないこの時代。
生き抜くのは大変ですねえ・・・。




「真田太平記 (二)秘密」 池波正太郎 

2010年09月26日 | 真田太平記
出生の秘密・・・

真田太平記(二)秘密 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


           * * * * * * * *

さて、第2巻は「秘密」ですか。
それというのは、やはりアレですね。
真田家の長男と次男の出生の秘密。・・・もう二巻で解っちゃうんですか。
まあ、そんなことでいつまでも引っ張っていなくても
これからの展開は十分楽しめるということですよ。
そもそも、その秘密が解っていないとこの先の展開が納得できないじゃないですか。
ですね。だからまあ、ここでもばらしちゃいますが、
つまり源三郎信幸は昌幸の正室、山手殿の子供であるけれど、
源二郎幸村は別の女性の子供である・・・と。
しかも実は二人は同じ年だというのです。
この秘密はある夜に幸村自身が佐平次に打ち明けるんですね。
ははあ・・・、けれど昌幸のかわいがりようで解るけれども、
昌幸が本当に好きだったのは、幸村の母親の方、ということなんだね。
でも、その人がどこのどんな人だったかというのはまだ明かされないわけだ。
ウン。でももう亡くなっているのは確かだと思う。
お殿様なんだからこんな話はいくらでもあるんだろうけどね、
この場合、正室の山手殿というのが異常に嫉妬深いわけ。
この本でも、愛人のお徳さんが昌幸の子を身ごもってしまったものだから、
命の危険にさらされたりするんだ。
それにまた、他にも隠し子発見!!
山手殿の妹の子、樋口角兵衛というのがどうも幸昌の子供らしいんだね。
ひゃー、自分の奥さんの妹にまで手をつけちゃったってこと?
やばいよ、この幸昌さん・・・。
はは・・・。それで、その角兵衛は実はまだ13歳というのに、
体がデカくて行動もやや常軌を逸している。
むろん自分の出自は解っていないんだけど、
昌幸のために自分の母も叔母も不幸になっていると思い込んで、家出。
真田家に恨みを抱き、なんと幸村に襲いかかったりもする。
この確執、この後も尾を引きそうなのです・・・。


おっと、そんなことで本筋を話し忘れていますが、
前巻は信長が明智光秀にやられたところまででした。
ここではもう既にその光秀は秀吉に敗れ、
秀吉vs家康、天下を取るのはこのどちらか、という風に状況が固まってきています。
真田家としては、まだどちらに味方するとも考えが煮詰まらないながらも、
まずは新たに城をつくり、守りを固めようとするのですね。
そう、昌幸の悲願。
城は山城ではなくて平地に建てる。
そこに城下町を作り、商業を盛んにして、豊かな経済力をつけようとする。
なんとなればこれからの戦は鉄砲などの武器や、
忍者による情報収集が非常に重要になるけれど、
どちらも、とてもお金がかかることなんだね。
そういう先見の明で、幸昌は上田(長野)にお城を作ります。
自らも作業に加わるという大急ぎの工事だったみたいだね。

そうそう、それから、あの佐平次は“もよ”という女性と結婚します。
幸村は新妻とイチャイチャしている佐平次が気に入らないのだけれど・・・。
あることの後で、すっかり落ち着いてくるんだよね。
うふふ。
笑っちゃいけませんよ~。真田幸村。なんと言ってもまだ若いオトコノコです。

「真田太平記(1)天魔の夏」 池波正太郎 

2010年09月20日 | 真田太平記
サナダ・サーガの開幕

真田太平記(一)天魔の夏 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


             * * * * * * * *

えーと、珍しいですね。時代物。
イヤ、私の時代物は宇江佐真理さん専門なんですけど、
これは時代物というよりは歴史物ね。
なぜ今これなのかというと・・・話せば長いことながら、
まあ、近々長野に旅することになりまして。
どうせならその近辺の歴史を知っていたほうが楽しいだろうと思ったわけです。
まあ、詳しい事情はまたそのうちお話しできると思います・・・。
そうなの・・・? でもこれ、すごく長いのでしょう。
はい、全12冊。実はある方から貸していただきました。
それでもって、これ、私たちの"ぴょこぴょこシリーズ"で、いいんでしょうかね?
はは・・・。いいんじゃないですか。
クリント・イーストウッドはもうすぐ終わりそうだし。
グイン・サーガを一冊ずつやってたこともあるのだし。
そうだね。これ言ってみたらサナダ・サーガだよね。
おお、いいね、それ。
ではでは、皆さんお立ち会い。
サナダ・サーガの始まり始まり~!!



さて、まず1巻目。状況説明の部分が多くなってしまうのは仕方ないけどね。
時は天正10年(1582年)。
武田家の滅亡から始まります。
武田勝頼が織田・徳川連合軍に倒されたというところ。
真田家はこの武田家の方に付いていたんだよね。
そうです。真田昌幸試練の時。
戦国時代のこの頃、各地の武将は誰の味方に付けば自分の家を守っていけるのか
・・・そういう判断が非常に重要だったわけだね。
この時は、主家武田が織田に敗れたので、そのまま織田家に従うことになったわけだ。
ところがご存じの通り、明智光秀の裏切りによって織田信長が死去。
・・・という下りまでがこの巻の背景ということですね。
はい。それでいよいよご紹介ですがこの真田昌幸には二人の息子がいまして、
長男、真田源三郎信幸(のぶゆき)17歳と 
次男 真田源二郎信繁(後の幸村)16歳。
何故に長男が源三郎で次男が源二郎なのか・・・、それは後に分かってきますよ。
そして、昌幸の正室、山手殿。
この夫婦関係、親子関係がどうもぎくしゃくなんだよね。
何かある。この巻ではそれを匂わせておいて、答えは次巻にあるのだけれど・・・。
こういうところが面白いよねえ。
昌幸は端から見ても解るくらい次男ばかりをかわいがり、長男を疎んじているんだ。
そして、まあ当時のことだから奥さんとは政略結婚で、これが全然そりが合わない。
こういったところが今後の様々な展開に影を落とすということになりそうなんだね。
そうだね。でも、気持ちがいいのはこの兄弟。
性格は別々だけれどお互いを信頼し合っていて、それぞれ頭も良く魅力的。
これですよ、これ。主人公はやっぱり魅力がないとね。


この本は、武田家に仕える足軽の向井佐平次という青年が、瀕死のところを真田の草の者(忍者)に救われるというところから始まるんですよ。
彼はその後、真田幸村に仕えることになる。
その一番始めの出会いのシーンが印象的なんだな。

傷を癒すために佐平次が温泉につかっている。
すると、気がつかないうちに見知らぬ男が一緒の湯につかっていて、声をかける。
なんとそれが真田幸村で、彼はお供もつれず単身でやって来ていた。
問われるままに、戦いで傷を受けたことなど話すと
「よう生き残れたな。めでたい、めでたい」などという。
実は幸村の方が年下なのですが、身分の高い者にこのように親しくで声をかかられ、
ねぎらいの言葉をかけられたので急に泣けてきてしまう佐平次。
そこで彼は幸村に気に入られて、仕えることになるんだね。
しかも、そのとき感激のあまり、とても長く湯につかっていたので、湯あたりを起こして倒れてしまうというおまけ付き。
うん、いいシーンでした。
こんな風に登場人物が魅力的に書かれているので、長い物語も全然飽きないんだね。
はい、こんなわけで、この先もたっぷり楽しめそうです。
お楽しみに~。