映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「腕貫探偵/市民サーヴィス課出張所事件簿」 西澤保彦

2008年01月31日 | 本(ミステリ)

「腕貫探偵/市民サーヴィス課出張所事件簿」 西澤保彦 実業之日本社 ジョイ・ノベルス

いつもユニークな設定の西澤保彦氏ですが、これがまた、新スタイルの探偵登場です。

「市民サーヴィス課臨時出張所
櫃洗(ひつあらあい)市のみなさまへ
日頃のご意見、ご要望、なんでもお聞かせください
個人的なお悩みもお気軽にどうぞ
---櫃洗市一般苦情係」

・・・というような貼り紙を掲げ、あるときは大学校舎内
あるときは病院内、
またあるときは路上にて出張所を開設。
名も知れない、いかにもお役所の人らしき事務員が黒い腕貫をはめ、
じっと市民の相談を待っている・・・。

なにかしら、腑に落ちない出来事を抱えていると、
ふとそこに、いつの間にかこんな相談所が出現しているのです。
彼の前へ座るとなぜかすべて前後の事情まで話しをしてしまう。
しかし、彼はするすると謎を解き明かしてしまう。
・・・と、短編集ですが、すべてこのような運びとなっています。
問題解決の後、再びそこへ行ってみると、もう、跡形も無い。
まるで幻のよう。

しかし、これはこの「櫃洗市」内の出来事なので、
同じ人物が何回か登場したりします。
一番初めに登場した男女二人の学生が、最後の短篇でまた出会い、
いい感じになっていくなんていうちょっとした仕掛けもあったりするので、
楽しめます。

私が思うに、この出張所は警察署に常設するのが一番速いのではないかと・・・。
あっという間に事件解決ですぞ~!

満足度 ★★★

 


「捜査官ガラーノ」パトリシア・コーンウェル 

2008年01月29日 | 本(ミステリ)

「捜査官ガラーノ」 パトリシア・コーンウェル 相原真理子訳 講談社文庫

パトリシア・コーンウェルの新シリーズ。
先日読んだ検視官シリーズ最新刊「異邦人」に先駆けて出たものですが、
私は読む順が逆になりました。
別シリーズなので、ぜんぜん影響ありません。

ここでの主人公となるウィンストン・ガラーノ(通称ウィン)は、
褐色の肌、漆黒の髪、さまざまに変化する瞳、秀でた容姿と確かな手腕を持つ。
父親が黒人、母親がイタリア人という設定。
デザイナー・ブランドのスーツを着こなす。
(実はすべて中古とのこと。)
かっこいいですね!

この本ではまだDNA鑑定など無かった時代の古い事件を、
最新の科学捜査技法で解決しようという試みがなされます。
しかし、実はこれが、女性地区検事モニーク・ラモントの犯罪撲滅キャンペーンによる点数稼ぎ。
ところがそのラモントが、凶悪事件に巻き込まれてしまうというなかなかショッキングな展開。
ウィンは、その古い事件とこのラモントの事件捜査を同時に手がけることになってしまいます。
どうも、古い事件を掘り返されることを恐れる人物がいるようなのです・・・。

コーンウェルらしく、人物関係も、感情のもつれがあちこちにあり、
政治的思惑で動かされるやりきれなさ、腹立たしさも健在。
そんな中で、唯一ホッとするのは、ウィンの祖母の登場シーン。
タロット占いをたしなみ、時にはちょっとしたヒントも。
オカルト要素がほんのちょっぴり加味されて、なかなかいい味になっています。
また、年配の女性捜査官サイクス、彼女は文句なしにウィンのファンで、たよりになる存在。

これだけにとどまらず、シリーズで、また続きが読みたい気がします。
いっそ、スカーペッタのシリーズと合体して、タッグを組めば最高なんだけどなあ・・・。

少なくとも、マリーノよりはずっと役に立つ・・・。

満足度 ★★★


スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師

2008年01月27日 | 映画(さ行)

予想以上にスプラッタでした。
これは、スティーブン・ソンドハイム作のミュージカルの映画化。
ところがこれがなんと1847年に書かれた作品で、以来150年間、続いているという・・・。
私はこんな悪趣味なスプラッタホラーを好むのは現代人ならでは・・・という風に思っていましたが、
今も昔も、怖いもの見たさというか物好きな人は多いということでしょうか・・。

愛する美しい妻、かわいい娘、理髪師としての名声、これらを手にし、ばら色の人生を送っていたベンジャミン・バーカー。
しかしターピン判事が妻に横恋慕し、妻子を奪い、彼は無実の罪を着せられて流刑となってしまう。
15年後、ロンドンに舞い戻った彼は名をスウィニー・トッドと変え、ルーピンに復讐を誓う。
彼が元住んでいた家は、ミセス・ラベットがパイ屋を開いている。
しかしここのパイがロンドン一まずい!
けれど、トッドがそこに住み始めてから、なぜか、パイがおいしくなり大評判。
・・・その謎は・・・?

最後には目的どおり復讐を遂げるのですが、
死んだと思っていた妻が実は・・・!
というどんでんがえしがあり、まあ、ストーリーとしてはそれなりにうまく出来ているとは思います。
でも、これでもかという風に出てくる、のどをかき切るシーン。
・・・ちょっと正視に堪えません。
私は苦手です・・・。

ジョニー・デップの歌は、悪くなかったですね。
朗々と歌うという風でなく、つぶやきの延長という感じの・・・。
いかにもミュージカルというのとはまた一味違う感じです。
監視され自由がない娘の切々とした歌声には、涙を誘われました。


2007年/アメリカ/117分
監督:ティム・バートン
出演:ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、アラン・リックマン、サシャ・バロン・コーエン


「スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師」公式サイト


GERRY  ジェリー

2008年01月26日 | 映画(さ行)

(DVD)

私はいま、これをみて眠り込んでしまわなかった自分を褒めたい!と思います。

車で、ドライブにやってきた二人の青年が、車を降り、ほんの散歩のつもりだったのでしょう、荷物は何もなし。
手ぶらであたりを歩き始める。
そこは、さすがアメリカ、ひろ~い荒野であり、砂漠であり、山地でもある。
いつしか、道を見失い、(というか、はじめから道は無い!)さ迷い歩くことになる。
それがですね、ほとんどセリフも無く、延々とただひたすら歩く映像なのです・・・。
そのワンショットがまた、やたらと長い。
時たま雄大な風景が現れてわ~と思うところもありますが、
それにしても、延々と無言で歩き続ける、その繰り返し。

これはですね、実際にこのようなところで道に迷ったら、確かに無言で延々と歩き続けるしかないでしょうし、
いつ果てるるとも知れないその焦燥感・・・、
それを表現したかったのでしょうね・・・・多分。
タバコだけは持っていたようで、ライターもあったのでしょう、かろうじて夜は焚き火をして過ごせました。
しかし、飲まず食わずで結局3日間・・・。
せめて何かの動物くらい出てきてほしかったですが、それもなし。
(足跡だけ、ありました。)
こんなところで、人知れず行き倒れて死んだら、すごくむなしいと思います・・・。
発見される可能性もほとんど無いですね。
こんなところにほおり出されたら、人間なんて、ちっぽけなものなんですね。

ジェリーというのは、どちらかの名前かと思ったら、これは何か「どじった」時の仲間内の造語のようです。
こんなところで迷子になるなんて「ジェリった」などという。
だから、どじなヤツ、という意味でお互いを「ジェリー」と呼んでいる。
結局最後までこの二人の本当の名前は明かされません。
名も無い青年が、名も無い場所で、目的もなく、人知れずさまようというつかみどころのないおはなし。
そういえば、迷子になって延々と歩き続けるということで、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を思い出しました。
オール野外ロケですし、出演者はほとんど二人だけなんで、
これも実はすごい低予算でできた映画なのではないでしょうか。
(あ、その二人のギャラが、安くはないか・・・)
いっそ、そのようなオカルトなら、もう少し退屈しなかったのに。

でも、この場所はきちんと地図や磁石を持って、キャンプ装備もあったら、すごく面白いトレッキングコースのように思えました。
実際にはどこの場所だったのでしょう? 
西部劇何ぞでよく見かけるような風景でしたが。

それにしても2回見たいとは思えない作品であります。

2002年/アメリカ/103分
監督:ガス・ヴァン・サント
出演:マット・デイモン、ケイシー・アフレック


エンジェル

2008年01月24日 | 映画(あ行)

舞台は1900年代初頭。英国。
ある田舎町に小さな食料品店を営む母と暮らすエンジェル。16歳。
彼女は、小さいときから近くの「パラダイス屋敷」と呼ばれる豪邸を見るのが大好き。
巧みな想像力で小説を書き、いつか富と名声を手に入れると夢見ている。
彼女の書くロマンス小説は、まだまだ未熟ながらもある編集者の目にとまり、
出版され、瞬く間にベストセラーになってしまう。
人々にもてはやされ、富を手にした彼女は、
売りに出ていた憧れの「パラダイス屋敷」を購入。
そして、一目ぼれした売れない画家、エスメとの結婚。
まさしく夢見たとおりの、ばら色の人生を手に入れたのですが・・・。
お定まり通り、そこから転落が始まります。


・・・総じて、どうも私はさめた目でしか見られませんでした・・・。
これははじめからそういう設定なのだと思います。
ひたすら強引な自分の思い込みと押し付け。無作法。
うそで固めた自らの出自。
とても共感できない。
けれど、これはわざと共感できなく描いてありますね。
そういう意味では、このロモーラ・ガモイの演技は成功ということでしょう。
・・・損な役ですが。

結局自らの夢にしがみつくことに対しての異常な執念、それを描いた映画。
う~ん、でもそれに感動はしがたい。
だって、彼女に愛はないんのだもの。
彼女にとっての結婚は彼女の夢を形どるピースの一つにしか過ぎない。
だから、彼の絵を理解なんかできない。
彼の姿形がかっこよくて、その彼と結婚する自分がステキに思えただけ。

彼女に比べると、秘書役のノラがものすご~く聡明に見えます。
その聡明な彼女が、なぜそこまでエンジェルの小説なんかが気に入ったのか、それが最大の謎!
そして、彼女の弟、画家のエスメ。
彼は、はじめからエンジェルの本性を見抜いていた風に思えるのに、
何で結婚しちゃうかなあ・・・。
まあ、はじめから、結婚に期待なんかしていない、どうでもいい、そんな感じでしょうか。
でも、耐えられなくて結局戦争へ行ってしまった・・・。

ちょっと、「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラを連想はするのですが。
でもあの迫力からみると、かなり小粒。
結局、私にとってはちょっと消化不良に終わった作品でした。

2007年/ベルギー=イギリス=フランス/119分
監督:フランソワ・オゾン
出演:ロモーラ・ガライ、サム・ニール、シャーロット・ランプリング、ルーシー・ラッセル

「エンジェル」公式サイト


「人生が楽しくなる気持ちのいい日本語」 萩本欽一

2008年01月21日 | 本(エッセイ)

「人生が楽しくなる気持ちのいい日本語」 萩本欽一 ゴマ文庫

あの、欽ちゃんの本です。
とにかく「気持ちのいい会話」をしよう、最後にいい気持ちで終わることのできる会話を・・・、
ということで、いつもの欽ちゃんの語り言葉で書いてあるので、まるで、実際に話しかけられているような感じです。
どちらかというと、私も人との会話は苦手なので、なかなか参考になるところはあります。

仮装大賞等で出演者へのインタビュー、さすがに欽ちゃんはうまいです。
いつも、ありきたりでない回答を引き出すので感心していました。
そんなコツについて書いてあります。

たとえば遅刻の言い訳で、
「いや~、目覚まし時計が故障しちゃいまして」とか
「電車が5分止まっちゃって」なんて中途半端ないいわけだとつまらない。
おこれないし笑えない。
こういうときはでっかいウソをつく。
「献血しすぎて貧血になっちゃいました」とか
「うっかり新幹線に乗っちゃって、新大阪までいっちゃいました」とか。
そうすると上司も「バカ言ってんじゃねえよ」って、突っ込むしかない。
・・・・という具合。
楽しい答えが出せるように、こちらも考えてものを言えということなんですね。

でも、それは欽ちゃんだからこそいえる言葉で、とてもまねできそうにない・・・というのも多いですね。

それから、少し私生活に触れる部分も書いてあります。
ちょっと驚いてしまう、こんな話・・・。
まだぜんぜん駆け出しの貧乏時代。
あるお姉さんに世話になっていたことがあるそうで、
あまりお世話になったので、求婚したら、
「何バカなこと言ってるのよ」と言って、姿を消してしまった。
それからしばらくして、テレビなどにも出るようになり、
そろそろ結婚しようかという気持ちになった。
でも、一応お世話になったので、あのお姉さんにも一言お知らせしておこうと思い、
探し出して、別の人と結婚することにしたと告げた。
お世話になったお礼として、何かほしいものはないかと聞いたら、子供がほしいという。
日を改めて、子供を作りに行った。(!) 
一年後に子供が生まれたと電話が来た。(!!)
そこで、やっぱりこれは結婚するしかない、ということで、説き伏せて結婚した。
・・・・なんだかもう、おかしいというかあきれるというか・・・。
でも結局ほとんど通い婚という風で、時々その妻子の住んでる家へ(結局子供は3人!)顔を出しに行く、という状況が今も続いているとのこと。
欽ちゃん流の生き方ですよねえ・・・。
やっぱりこれは誰でもまねできることではない。

テレビ出演等の頼まれごとも、「いい言葉」であれば引き受けてしまうといいます。

あの、24時間テレビのマラソン出演は、どんな「いい言葉」でつられたのか、聞いてみたい気がしました。
この本は2000年に「快話術」として出版されたものなので、そこまでの話しはありません。残念。

満足度★★★★


再会の街で

2008年01月20日 | 映画(さ行)

家族を失うということ。
それもある日突然に。
これは、あまりにも悲しみが大きくて、それを受け入れられない男性についてのストーリー。

ニューヨークで歯科医をしているアランは、ある日、大学時代にルームメートだったチャーリーを見かけます。
呼びかけても気づいてもらえない。
しばらくして、もう一度見かけたときには、
必死で追いかけ、話しをするのですが、ほとんど覚えていない様子。
実は、彼の家族は、あの9.11の事件で命を落としており、その後、まったく連絡を取れずにいたので、アランはチャーリーの身を案じていたのです。
何を話しかけてもうつろ。
TVゲームやロックには夢中。
亡くなった家族の保障や保険で生活しているようで、仕事にも就いていない。
以前とはまったく様子が違ってしまっているチャーリーが気になり、アランは時折彼の家を尋ねるのです。
そんな彼に、家族のことを聞いたりしようものなら、とたんに怒り出し、攻撃的になる。
彼が常に音楽プレイヤーとヘッドホンを持ち歩いているのは、彼が聞きたくないことを遮断するためなのです。
すこしでも、家族を思い出させようとする人、思い出させるものを彼は受け入れようとしない。
はじめから無かったもののようにして、心の奥底に封じ込めてしまっているのです。

アランとの付き合いや、ようやく足を向けた精神科医の言葉によって、ついに、ポツリポツリと家族との思い出を語り始めるチャーリー。
妻と、3人の娘。そして愛犬をも一度に失ってしまった。

ここは、涙涙・・・。
アダム・サンドラーはコメディー出演が多いですが、ここでは本当に泣かされてしまいました。
映画中のある人物が曰く、
「彼は悲しみでボロボロ。」
あの事件後何年を経てもその傷は癒えないのですね。
あの、同じ時に命を落としたたくさんの人の家族にも、同じような物語がつづられているのでしょうね・・・。
しかし、特効薬はどこにも無い。
まずは悲しみを受け入れること。
それから、ちょっとした環境の変化と周りの人の温かい交流。
そういうもので、時間をかけて少しずつ悲しみを薄らいで慣れていくしかないのです。
でも、この周りの人との交流というのが本当に大事なんですね。
そしてまた、一方通行の援助ではなくて、アランの方にもいろいろな気づきがある、というところがミソです。

声高に、反戦を唱える作品ではありませんが、
ごく平凡にささやかな幸せのなかで暮らしている人々に怖ろしい影を投げかける国家間の軋轢というもの・・・。
どうにもならないものなんでしょうか・・・。

余談ですが、街角に「鍋焼きうどん」と「ラーメン」ののぼりの立った店。
(実はちょっとした事件現場でしたが)
ほんとに、アメリカには日本食が浸透しているんですねえ。

2007年/アメリカ/124分
監督: マイク・バインダー
出演:アダム・サンドラー、ドン・チードル、リヴ・タイラー、ジェイダ・ビンケット=スミス

「再会の街で」 公式サイト


僕のピアノコンチェルト

2008年01月19日 | 映画(は行)

ピアノの旋律も心地よく、しっとりと、そして、楽しい作品でした。
主人公ヴィトスは、知能指数からしても天才の域。
その上音楽の才能にも恵まれ、ピアノについても、モーツァルトを思わせる、まさに神童の少年。
誰しもうらやむそのような立場なのですが、それはそれでまた、悩みはある。
幼稚園では、地球温暖化で、まもなく地球は滅びるという話をして周りの園児を慄かせたという・・・。
周囲から浮き上がり、溶け込めない。
しかし両親はその才能をうまく伸ばそうと使命感に燃え、必死。
そのため、大好きなピアノの先生からも引き離され、音楽学校に入れられる。
楽しく遊んだベビーシッターとも引き離される・・・。

そんなヴィトスにとって唯一心が休まるのは、田舎のおじいちゃんの家。
おじいちゃんだけが普通の子供に接するように、相手をしてくれる。
おじいちゃんは子供の頃からパイロットになるのが夢で、その空を飛ぶ憧れについても語ってくれる。

物語は幼少期から少し飛んで、ヴィトスは12歳。
12歳ですでに高校へ通っていますが、そこでも周りに溶け込めず、
授業そっちのけで新聞を読んだり、教師を馬鹿にした言動をするので、教師にまで嫌がられてしまう。
なおかつ、ピアノについても毎日毎日練習を押し付けられるのにいささかうんざり。母親に、高名なピアノの先生のところに連れて行かれるのですが、「弾きたくない」と、精一杯の抵抗。
高校卒業の資格試験を受けて見ないかという話も持ち上がるのですが、
将来についての方向性を考えるにも、何しろまだ12歳なのです・・・。
ある夜、ついにストレスが高じたのでしょうか、
ヴィトスはマンションから作り物の羽をつけて飛び降りてしまい・・・!

そこから先が、実はもっと面白いのですが、まあ、実際にご覧になった方がよろしいようで・・・。

結局いろいろなことがあった後、彼はやはりピアノに帰っていく。
そのピアノへの情熱はとめることができないもので、将来へもつながるもの、
その気づきのストーリーなんですね。
誰に言われたからでもなく、自分自身で選び取ったもの。

映画の冒頭に、ヴィトスが一人飛行機に乗り込んで飛び立ってしまうシーンがあります。
それが、ラストのシーンでようやくそのシーンに一致。
そして、彼が飛行機で乗りつけた場所!
なるほど~、なんてステキな展開なんでしょう。
人生、これだからやめられない、と思える作品ですね~。

ヴィトス役のテオ・ゲオルギュー君は実際にもピアノの天才少年。
「若いピアニストのためのフランツ・リストコンクール10~13歳部門」の優勝暦あり。
実際にオーケストラとの競演も経験しているという・・・この先が楽しみですねえ。
いつか日本へも公演に来ることがあるといいなあと思います。
・・・まあ「のだめ」とは違って実際に本人がピアノを弾いているので、迫力があります。

そうそう、それからホームパーティーのシーンで、ご馳走の中にお鮨があるのを発見しました。
マグロの握りらしいのと何かの海苔巻き。
近頃アメリカ映画では日本食が出てきても驚かなくなりましたが、これはスイス映画ですもんねえ。
こんなところでもお鮨が食べられているのは、ちょっと感動です。
ハイジも真っ青。

2006年/スイス/121分
監督/フレディ・M・ムーラー
出演/テオ・ゲオルギュー、ブルーノ・ガンツ

「僕のピアノコンチェルト」公式サイト


デッドマン・ウォーキング

2008年01月17日 | 映画(た行)
(DVD)

この題名だけ見ると、ホラーのような感じですね。
でもこれはそうではなくて、なかなか重厚な、実話をもとにしたヒューマンドラマです。

カトリック修道女であるシスター・ヘレン。
彼女の宗派では、あの一般的な黒い尼僧福を着ていません。
彼女は死刑囚であるマシューと話をする機会を得て、彼の助命のために動くことになります。
マシューの罪は殺人罪。
相棒と二人で男女のカップルに暴行を加え、殺害してしまったというもの。
その相棒には腕のいい弁護士がついたため、死刑を免れ無期懲役になったけれど、マシューにはいい弁護士を雇う費用が無く、死刑の判決を受けてしまった。
しかも、本人は実行したのは相棒の方で、自分は見ていただけだという。
シスターはその言葉を信じたわけではないのです。
どちらにしても、事件には係っており、言ったことが本当だとしても、殺人を見過ごしたわけなので。

ここで問題なのは死刑という制度なんですね。
すでに死刑は廃止されている国もかなり多いです。
アメリカでは州によって異なる。
大変大きな問題で、日本の死刑制度もその存続が論議されているところです。

この作品中では、
神は殺人を禁止しているのに、「死刑」という名のもとで行われるとしてもやはり殺人であり、行うべきではない、
というシスターの考えが前面に出されています。
一方、世間一般、被害者の遺族、そしてマスコミは、死刑は当然の報いとして、マシューを助けようとするシスターを非難。
確かに、何の理由も無く突然命を奪われてしまった、その家族としては犯人を憎んでも憎みきれない。
仮に、無期懲役になったとしても、自分たちの税金で囚人がのうのうと生きながらえるということすら耐えられない、という気持ちはよく分かります。
特赦審問会、知事への上訴審、シスターはできるだけの手を尽くすのですが、聞き入れられませんでした。
シスターはマシューの精神アドバイザーとして最後の数日をマシューに寄り添います。

はじめは反省の様子も見られなかったマシューも、次第にシスターの一途な語りかけによって少しづつ心を開いていくのです。
そして最後の死刑執行の場面。
できるだけ受刑者が苦しまないように、人道的(?!)な方法ということで注射による死刑がなされます。

私自身、死刑の制度については、どちらが良いのか、今もって確信がありません。今後もいろいろな動向に注目したいと思います。

それにしても、ショーン・ペンは、こういうマッチョでがらの悪い役が似合います・・・。

1995年/アメリカ/123分
監督:ティム・ロビンス
出演:スーザン・サランドン、ショーン・ペン、ロバート・プロスキー、レイモンド・J・バリー

アメリカン・ラプソディー

2008年01月15日 | 映画(あ行)

(DVD)

ハンガリーからアメリカへ亡命した家族の、実話を基にしたストーリーです。
米ソの冷戦時代。
ハンガリーでは、自由主義的思想を持つものに対して弾圧が行われており、
この一家は危険を感じてアメリカへ亡命することになったのです。
しかし娘が二人。
下の子はまだ赤ん坊で、とても連れ出すことはできない。
手違いもあり、結局アメリカに着いたのは夫婦と上の娘の3人。
下の娘は、田舎の子供の無い夫婦に預けられました。

米政府の力も借りて、ようやくその子がアメリカの両親の元にやってきたのは6歳の時。
6歳といえばもうすっかり物心もついています。
裕福とはいえないけれど、実に愛情こめて正しく育てられた彼女は、
いきなり言葉も通じない、見知らぬ街へつれてこられ、
「私たちが本当のパパとママだ」といわれても戸惑うばかり。
この、子役の子が飛び切りかわいらしくて、
養父母との別れのシーンなどはつい涙を誘われます。
実父母とはいえ、ひどいことをする・・・、
という風に思えてしまうのですね・・・。
彼女は「本当のおうちに帰るのだ」と、家出を決行。
しかし、近所の公園にたどり着くのが精一杯。
そこで彼女の父親は言うのです。
大人になって、自分で本当に帰りたいと思うのなら帰ってもいいと。
二人の約束です。
このシーンはいいですね。
子供だと思って有無を言わせるのではない。
きちんと向かい合って、一人と一人としての約束をする。

さて時は10年ほど過ぎまして、その子は思春期。
ただでさえ難しい年頃。
幼少の突然の環境の変化が彼女のトラウマとなっていたのでしょうか、
まあ、一昔風の言い方をすると、グレている。
この思春期の少女役がスカーレット・ヨハンソンで、なかなか雰囲気ぴったりです。
夜な夜な、ボーイフレンドとのデートに抜け出す娘を、
母親は部屋に鍵を取り付け、閉じ込めてしまう。
母としては、ハンガリーに心ならずも置き去りにしてしまった負い目を持つために、
異常にこの娘については過干渉となってしまっているのです。
この母娘がついに衝突。
耐え切れない娘は10年前の約束を果たしてほしいと父に申し出るのです。

さて、そこからは彼女のハンガリーへの一人旅。
故国とはいえ、彼女にとってはすでに見知らぬ街なのです。
養父母との感動的な対面。
しかし、何かが違うと、彼女は気がつきます。
やはりそこは彼女の居場所ではない。

私は、先日見た「その名にちなんで」を思い起こしてしまいました。
もちろん全然別のストーリーではあるのですが、
これは同じく、自己のアイデンティティーをテーマにした物語なのだろうと。

アイデンティティー。
人が時や場面を越えて一個の人格として存在し、自我の統一をもっていること。
または、共同体への帰属意識とも言う。
どうも、的確な日本語がないんですよね。
自分がどこから来た何者であるのか、自分の核となるべきもの、そういうことなのではないかと思うのですが。

「その名にちなんで」ではインドとアメリカの間の自分の立ち位置、
この「アメリカン・ラプソディー」ではハンガリーとアメリカの間の自分の立ち位置。
そこが問題となっている。
私はこれはどちらが答えということは無いのだろうと思います。
つまり、自分の中でどう認識し、納得するか、そういうことなのでしょう。
そうでなければ、孤児とか記憶喪失者は、アイデンティティーが確立できなくなってしまう。
(そうそう、あの、「ボーン・アイデンティティー」も、失われたアイデンティティーを求めるストーリーでしたね。)
その認識にかかわるのは、実際に生まれた場所ではなくて、
長く暮らした家族や、周りの人々の思い、
そういうことなのだと思います。

そして、本当の物語はそこからスタートするのです。

2001年/アメリカ/108分
監督:エヴァ・カルドス
出演:ナスターシャ・キンスキー、スカーレット・ヨハンソン、ラファエラ・バンサギ、トニー・ゴールドウィン


「警官の血 上・下」 佐々木 譲

2008年01月14日 | 本(ミステリ)

「警官の血 上・下」 佐々木 譲 新潮社

お正月用に奮発して買ったハードカバーの上下2巻。
・・・実は私は上・下に別れていることに気づかず、先に一冊だけ買って帰ったのです。
さて、よむぞ~、と取り出したそれはなんと下巻でした・・・。
知らずに買うにしても、何で下巻なんだ~!
上巻なら、とりあえず読めたのに・・・。
しくしく。

警察小説って、普段はあまり近寄らないジャンルです。
ただ、今回は「このミステリがすごい!」2008年版で一位となった作品なので、敬意を表して読んでみました。
これが大河ドラマなんですねえ。
親子3代に渡って警察官の物語。

まずは安城清二。
終戦後、新しい警察制度が始まったばかりの頃、
ごく簡単な試験で大量の職員を雇わなければならなかった、そんな時に警官になります。
仕事熱心で、人柄もよく、いかにも「おまわりさん」的。
駐在所勤務ということで、殺人事件の捜査などに係る立場ではないのですが、
近辺でおこった二つの殺人事件に興味を覚え、個人的に調べて回ったりもしたのです。
一人は近所の公園の浮浪者。
もう一人は鉄道員。
共通点として、どちらも若い美青年。
そしてまた、調べるうちに、彼らの周りに見え隠れしていた刑事の姿・・・。
しかしある夜、駐在所の隣にある重要文化財の五重塔の火災があり、
その時、急に姿を消した清二は、まもなく跨線橋から転落死しているのが発見される。

さて、その遺児である、民雄もいつしか警官を目指していた。
彼は子供の頃見ていた父親の姿を尊敬しており、
また、父親の謎の死を解き明かしたいという思いも抱いていたのです。
しかし、彼はその頃盛んになっていた学生運動のスパイ活動をする任務につくことになってしまう。
左翼の組織に潜伏し情報を公安に流す、その任務にはある程度の実績をあげたものの、極度のストレスから精神を病んでしまう。
やがて、その任務から離れ、自身の希望で父と同じ駐在所勤務となります。
この頃から、彼は父が手がけていた懸案の事件を引き継いで調べ始める。
しかし、ある人質立てこもり事件であえなく殉死。

さて、3代目はその息子、和也。
ここまで来ると時代はほとんど現代。
図らずもまた父と同じように特命を受け、上司の不正を暴く任務につく。
その任務には成功したものの、その上司が最後に放った言葉は
「お前、自分の父親が模範警察官だったと信じてないか」というもの。
苦い思いが残る。
その言葉が気になり、彼もまた、祖父と父の追っていた事件をまた、調べ始めるのですが・・・。

最後にたどり着いた真相は・・・?!
非情に苦い結末です。
振り返ってみれば結局時代背景に添いながら、警察の暗部を描き出している。
代を追うごとに、単に正しい「おまわりさん」から、
苦悩し、汚れ、ふてぶてしさをも身に着けていく。
DNAの進化とでも言いましょうか・・・。
読み応えたっぷりの作品です。

満足度 ★★★★


恋愛睡眠のすすめ

2008年01月13日 | 映画(ら行)

(DVD)

父の死がきっかけで、メキシコから母のいるパリへやってきた青年ステファン。
新しい仕事についたけれども、思っていたようなクリエイティブな仕事ではなくて、退屈なつまらない仕事。
また、隣に引っ越してきた娘にちょっと心惹かれるのだけれど、内気な彼はなかなか思いを伝えることもできない。
・・・そのようなフラストレーションの中で、彼は夢の中に逃げ込むようになって行くのです。そして次第にどこからが現実なのか夢なのか、わからなくなってくる。

このようにストーリーを書くとちょっと暗いはなしのように思えますね。
よくありますよね、やたらシュールで、意味不明の不気味な話が・・・。
でも、この作品は、意外と、ユーモラス。
夢の中のシーンもポップでかわいらしい雰囲気です。
女性の方が気に入りそうです。
・・・そりゃそうですよね、ガエル・ガルシア・ベルナルですもんね。
(しかし、早口言葉みたいな名前だ・・・)

この中ではフランス語、スペイン語、英語が入り乱れて使われています。
ステファンがあまりフランス語が得意でないという設定なので。
これが、言いたいこともなかなか言えず、
夢の世界に入り込んでしまう要因の一つなのかも。多分・・・。

思い切り非現実的なアイデアを詰め込んだという感じです。

1秒タイムマシン。
一秒だけ未来へも過去へもいける。
・・・何の役に立つのかは不明・・・。

災害論カレンダー。
月ごとに世界で起こった大きな災害のイラスト入りカレンダー。
・・・これはあったら面白いかも
・・・と思いつつ、でも被災者のこと考えたら、不謹慎ですよ!

ボスいわく、「人がほしがるのは花かペットかヌードのカレンダーだ。」
・・・ごもっとも。
ダンボールの街。
ダンボールの車。・・・あの車はかわいらしかったですね!
家のインテリアにいいかも。

あの、走り回る馬のぬいぐるみは最高です。
そんなのがあったら欲しいです。

そんなわけで、この映画はガエル・ガルシア・ベルナルファンの女子なら、きっと気に入るでしょう。

そうでない方にはあまり保障できませんが、自身の夢の世界で楽しめるかも・・・。

2006年/フランス=イタリア/105分
監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、シャルロット・ゲンスブール、ミュウ=ミュウ、アラン・シャバ


その名にちなんで

2008年01月12日 | 映画(さ行)

ピュリツア賞受賞作家であるジュンパ・ラヒリの小説の映画化です。
この監督ミーラー・ナーイル自信インドの出身で、この物語に深く共感し、映画化となったとのこと。

インドでお見合い結婚をした男女がアメリカへ移住し、新しい家族を作り上げていくストーリーです。
アシュケとアシマは、お見合いをした日にすぐ結婚を決め、まもなくニューヨークへ移り住みます。
インドを始めてはなれた妻アシマにとっては、まったくの異文化の中に放り込まれ不安。
大海の中に小船で漕ぎ出すような心もとなさ・・・。
そんななかで少しずつ二人は愛と絆を深めていくのです。
やがて二人の子供が生まれる。
兄ゴーゴリと妹ソニア。

このゴーゴリという名前が問題。
インドでは、生まれてすぐに名前をきめず、とりあえず仮の名前をつけ、
かなり成長した後に正式な名前を決めるという風習があるそうです。
ところがアメリカの病院で出産したアシマ。
すぐに名前を決めて、出生届をしなければならないと迫られる。
そこで、父、アシュケは自身の体験上大変重要な名前、「ゴーゴリ」と名づけるのです。
ところがこの名前、まあ、日本人としてはそれほど感じませんが、
アメリカではかなり変な名前なんですね。
実はロシア人の作家ニコライ・ゴーゴリの名前からとったものなのですが。
さて、あっという間に子供たちは長じてゴーゴリも大学生。
彼はインド人の両親から生まれたわけですが、アメリカ育ちの、アメリカ人!なのです。
ただでさえ親と子は世代間のギャップがあるのに、ここではカルチャーのギャップも加わっている。
彼はいつも名前のことで友人たちにからかわれるので、この名前に嫌気が差し、小学校に上がるときに一応決まっていた正式の名前、「ニキル」を使うと宣言。
父アシュケは本人の意思を尊重しますが、
あるとき、単身赴任でしばらく家を離れる前に、ゴーゴリの名前の本当の由来を息子に打ち明けるのです。
ところがまもなく、父が単身赴任先で急死。
ゴーゴリは葬儀の事などを長男として取り仕切るのですが、
そんななかで、父の残した言葉を思い、インド人としての伝統に触れるうち、自らの内のアイデンティティーを見出すのです。

多分にアメリカナイズされた生活の中でも、祖国の文化・伝統は受け継がれていくもの・・・。
そういう中の自分。
両親が思いをこめた名前。
自分はどこから来た何者なのか・・・。
それはこの先の将来には係らないことかもしれませんが、まず自分自身を知る。
そのゆるぎない自信が将来へ向けての勇気を与えてくれるのではないでしょうか。

アメリカでは、移民のこのようなストーリーが数々あるのだろうと思います。
同じ移民のインド人同士のつながりも大変深く、アメリカの生活を受け入れながらも自分たちの伝統も守っていく。
以前に見た「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」も同様でした。
このようにして、少しずつ2世、3世としてその地に同化していく。
世界中がこのように変わっていけたら、世界は少しは平和かも知れません・・・。

2006年/アメリカ=インド/122分
監督ミーラー・ナーイル
出演:イルファン・カーン、タブー、カル・ペン、ジャシンダ・バレット

「その名にちなんで」公式サイイト


「異邦人 上・下」 パトリシア・コーンウェル 

2008年01月10日 | 本(ミステリ)

「異邦人 上・下」 パトリシア・コーンウェル 講談社文庫

検死官シリーズ最新刊。
やっと出た、という感じです。
これがもう15作目。
私は実は読み出したのは最近なのですが、すべて読みました。
事件の猟奇性と、あらゆる科学的捜査方法を駆使し、推理する手並みの鮮やかさ、もちろんそういうところが眼目ではあるのですが、
おなじみの登場人物が織り成すドラマに、つい、目を離せなくなってしまうのです。

法医学者、検視官のケイ・スカーペッタ。
その姪であるルーシー。
元警官で今はスカーペッタの助手のような仕事をしているピート・マリーノ。
そして元FBI心理分析官、ベントン・ウェズリー。
当初から随所で登場し、スカーペッタに事件の解決上あるいは私生活上大きな影響を与える面々。

スカーペッタとベントンとは愛人関係であるのですが、
途中、彼は捜査上の理由で死んでいた(!)期間があり、
その真相はスカーペッタにも知らされていませんでした。
そのあたりのストーリーは、まるで火の消えたようで、読むのもつらかったのですが・・・。

今回の「異邦人」では、冒頭に、事件の発端となる凄惨な拷問シーンがあり、
そのあとまもなく、ベントンがスカーペッタに指輪を渡すシーンがあります。
この、見逃せない展開。
でも、このことはまた、ピートにとって心穏やかでなく、これもまた、ショッキングなシーンへと続くのです。
また、ルーシーをむしばむ病・・・。
この4人の関係がまた大きく変化しようとしています。

ともあれ、まだまだ先は長そう。
私は時々スカーペッタが気の毒になります。
仕事のことで悩むのならともかく、これら人物関係はいつまでたっても、重荷で悩みの種・・・。
心穏やかに過ごせる日は来るのでしょうか・・・。

今回は、全米女子テニスプレイヤーが、休暇先のローマで惨殺されたという事件。
遺体はひどく傷つけられ、くり抜かれた眼窩には砂が詰め込まれている・・・。
誰が、何故?
そんな中、スカーペッタは子供の遺棄死体の検視も担当。
虐待を受けた末、命を落とし、打ち捨てられたと見られる死体に、憤りを見せる。
そしてまた、同一犯と思われる事件が次にはアメリカの地元で・・・。
最後にはこれらがつながりを見せます。

事件的にも、スカーペッタの身辺上も、見逃せない一作です。

満足度★★★★


愛と哀しみの果て

2008年01月08日 | 映画(あ行)

(DVD)
ロバート・レッドフォードの旧作に凝っていまして、その路線です。
正統派の名作ですね。
主人公はカレンというデンマークの女性。
彼女は恋に破れ、ほとんど破れかぶれという感じで彼の弟とアフリカのケニアに渡り結婚してしまいます。
彼女には男爵夫人の地位が、彼には、彼女の資産が手に入るということで、お互い納得ずくの結婚。
カレンはそこで酪農を行うつもりだったのですが、
夫が勝手にコーヒー園にきめてしまい、さっそく意見が合わない。
夫は家をとびだしたまま、しばらく帰らない。
意に染まないながらも、コーヒー農場の経営に取りかかり、一切を取り仕切るカレン。

さて、そこでロバート・レッドフォード登場!
(実は、この農場に着くより先に一度会っているのですが)
象牙を売ったり、サファリ客の世話をしたりして生活しているデニス。
二人は次第に惹かれあっていくのです。
カレンと夫はやはりお互いうまくいかず、ついに離婚。
夫は農園を出て行きます。
そこでフリーの身となるカレンなのですが。
しかしデニスは束縛される生活は望まない。
結婚で自由を失うよりは、どこかで一人で野垂れ死んだ方がマシ、と思っている。
そもそもそんな彼だから愛してしまったことをカレン自身よくわかってもいるのです。
結論は別れでした。
彼女はたくましく一人でこのアフリカの地で生きようと決意しますが・・・。
そんな時に訪れる更なる悲劇・・・。

ロバート・レッドフォードはこういう役が似合います。
女性にはやさしいのだけれど、でも、最後にどこか踏み込ませない一線があるというか・・・。
それから、メリル・ストリープ。
実は私、今のようにせっせと映画を見始めたのはせいぜいこの6~7年。
学生時代もまあ、見てはいたのですが、ほとんど記憶には無い・・・。
だから私の知っているメリル・ストリープは、
いい役どころではありますが、ほとんどオバサン役なんですよ・・・。
それで、このようなヒロイン役をみて、わお、美人だったんだ・・・なんて、いまさら思ってしまいました。
それから、プロフィールを見ていてアッと思ったのは、「マディソン郡の橋」。
当時何もしらず、久しぶり~に見た映画だったのですが、それに出ていたんですねえ・・・。
クリント・イーストウッドはさすがに知っていましたが、その恋の相手がメリル・ストリープだったなんて、今日はじめて認識しました!! 
今度借りてこようかな?

雄大なアフリカの大地。
素朴な原住民。
このような最果ての地でロマンスは燃え上がる・・・。
同様にアフリカが舞台の映画で「名も無きアフリカの地で」というのがあるのですが、こちらも夢を持ってアフリカにやってくる一家の話。
しかし、アフリカの大地はなかなか容易に白人を受け入れないようです。

あとは、アフリカを食い物にする欧米、政情不安、貧困、そんなことをテーマにしたものも多いですね。

1985年/アメリカ/161分・・・長いです!
監督:シドニーポラック
出演:メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード、クラウス・マリア・ブランダウアー
原題はOut of Africa