映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

2007年07月31日 | 映画(は行)

ハリー・ポッターの5作目ですね。
やっと、というか、早くもというか・・・。
そう、実はね、もう飽きたというか、めんどくさくなったというか、まあ、せっかく今まで見たんだから、見てみるかという義務感みたいなもんだったんですよ、ホントは。
さすがに、長いですからねえ。
ところが、けっこうよかったと思う。
ほう、どこが気にいりましたかね?
なんだか、みんなの成長が感じられました。そりゃ、実際には5年以上たっていて、少年が青年になっていく過程をつぶさに見ているわけで、当然いやでも成長はするけどね、ストーリーとしての話ですよ。
そういうけど、本は読んでるんだよね。
そりゃよんだけど、ほとんど覚えてなくてさ。というか、この間読んだ6作目も、忘れてるよ~。
まあ、映画を見る楽しみがあって、よろしいことで・・・。
えーと、いつもハリーはみんなから浮いている感じじゃない? 何かしら特別視さてれ、仲間はずれのことが多い。
前作なんかは特にね。
今回も、初めのほうはそうだったんだけど、有志で魔法の自主特訓を始めて、ダンブルドア軍団を結成したあたりから、みんなの気持ちが一つになって、ハリーもリーダー的存在になって、自信をつけていく。
こういう成長するストーリーに、私は弱いのよ~。
そこのシーンが、一番よかったなあ・・・。
ああ、それとあれでしょ。
そう、ハリーのキスシーンよっ!あの、かわいかった少年が、見事に青春してますね~。うるうる。
それ、ほどんど、オバサン的感慨だと思うけど・・・。
いいのよっ!
それにしても、あの規則規則でがんじがらめにする、ピンクの悪魔、アンブリッジにはまったく腹が立つ。
政治が教育に介入すると、ああいうことになるという・・・。
あ、そんな高尚な問題だったんですか?
いえ、勝手に、思っただけですが。
・・・ところで、そのアンブリッジ先生役のイメルダ・スタウントンといえば、あの「ヴェラ・ドレイク」をやった方ではありませんか!!
そうそう、絶対見たことあると思ったんですよ! あの、善良のカタマリみたいな役をやった人がねえ、ピンクの服でいかにも優しそうな顔して、やることがえげつないったら!
いやいや、つまりこんな子供向け作品でも、すごい名優のラインナップということなんですよー。あ、そういえば、この間から字幕と吹き替えにこだわっていたようだけど、当然見たのは字幕版ですか。
もちろんですよ~。吹き替えはお子様がうじゃうじゃいて落ち着かないじゃないですか。字幕版はすいていて、静かで絶対いいですよ。
そうそう、初めのほうで夜のロンドンの空をハリーたちが箒で飛びまわるシーンがあってですね、ああいうのはちょっとわくわくします。
おとぎ話が現実と融合する感じ。
ロンドンの「マグル」の世界の地下に、魔法の世界がある、というのもね。ちょっと想定として楽しい。
それから、ウィズリーの双子の兄ちゃんたち、前から、好きだったんだけど、今回もやってくれましたねえ。
こんな窮屈な学校とはおさらば!と、見切りをつけて出て行くのにも、あの派手さ。楽しかったですー。
結局ずいぶん気に入ったんですね?
・・・、なぜか、そうみたいですね・・・?、今までより、派手さはないかも知れないけど、私は好きです。 あ~、でも、今回マルフォイの出番がちょいとしかなかった。
え~っ。マルフォイが好きなの?
いや、マルフォイは大嫌いだけどさ、あの子、結構ハンサムじゃん。ちょっと、じっくり成長した顔を見てみたかったんだけど。
はいはい。残念でしたね。たぶん、次回はたっぷり見られますよ。そういう話だったと思うし・・・。
楽しみにしまーす!

2007年/イギリス=アメリカ/138分
監督:デイビッド・イェーツ
出演:ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン、イメラルダ・スタウントン
「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」公式サイト


「真夜中の五分前/sideB」 本多孝好

2007年07月29日 | 本(恋愛)

「真夜中の五分前/side-B」 本多孝好 新潮文庫

さて、続きのside-Bです。
side-Aから2年ほども経過しており、なんとそこに、あのかすみがいない!
完璧ネタばれですが、そこに触れないと話が進まないので失礼します。

なんと、かすみはスペインへ妹のゆかりと旅行したときに列車事故で、命を落としてしまった。
ゆかりの方は、ひどい怪我をしたけれども、一命をとりとめた。
いきなり2年後からストーリーが始まったのは、「僕」のショック、喪失感が、幾分癒えてきたところだからでしょう。
実際、その事件の描写などされたら、つらすぎます。
それにしても、愛する人をまたもや失ってしまった「僕」に、同情してしまいます・・・。

ところがある日、今はゆかりの夫となっている尾崎氏に会い、聞かされた話は、
「妻は本当にゆかりなのだろうか?」と。
本当は、生き残ったのはかすみの方で、愛する尾崎氏の妻に成りすましているのではないのか・・・、そんな疑惑に駆られ、げっそりやつれている尾崎氏。
そんな、馬鹿な、といいつつも、否定しきれない想いが残る「僕」。
かすみは本当に僕を愛していてくれたはずだ。
けれども、尾崎氏への想いが断ち切れないで苦しんでいたことも知っている。
その真相はいったい・・・。

混沌としています。
最期まで読んでも、やっぱり真相は分からない。
何しろ、「ゆかり」当人も事故の後、記憶が混乱し、自分の記憶も、姉妹から聞いた記憶も渾然となってしまっていて、自分でも自分がわからない。
ここでまた、side-Aで考えさせられるテーマに戻っていくのです。
相手の何を見て人は人を好きになるのか。
姿かたちが同じならいいというわけではない。
たとえDNAが同じでも、人は人を形作る魂を愛する、ということでしょうか。
すでに、混乱した「ゆかり」はゆかりでも、かすみでもなくなってしまっている。
尾崎氏は結局「ゆかり」と別れました。
そこで、「ゆかり」は、「僕」に、すがろうとします。
けれども、もし、万が一、それが本当にかすみであったとしても、以前に「僕」が愛したかすみとは別人。
やはり、別れが結論でした。

切ないストーリーです。
さて、題名の「真夜中の五分前」とは。
「僕」は、自分の家の時計をいつも5分遅らせています。
真夜中、世間一般で、日付が変わるときに、まだ、自分だけが5分だけ前の日に取り残されている。
その宙ぶらりんの5分間で、
『かすみのことを思う。水穂のことを思う。そのとき、そこにいた自分のことを思う。その時間は、僕の胸に静けさと穏やかさを運んできてくれる。』、
そんな時間。
このような時間のかけらが、また、自分を形作って行くのだろう、と彼はおもう。
それは、彼自身、この体験から、仕事や彼の周りの人々の見方に変化があったと感じているから。


満足度 ★★★★★


「真夜中の五分前/side-A」 本多孝好

2007年07月28日 | 本(恋愛)

「真夜中の五分前/side-A」 本多孝好 新潮文庫

side-Aとside-B2冊に分かれたこの本。
一冊の分量はそう多くはないのですが、読めば分かる。
これは一つの続きのストーリーですが、2冊に分けなければいけない本なのです。
だから、今回は、記事も別々に書くことにしましょう。

まず、side-A。
主人公「僕」が、かすみと出会い、愛を確かめ合うまでのストーリー。
まあ、ラブ・ストーリーというわけですが、「新感覚」、「新世代」というふれこみにもあるとおり、タッチは軽いのですが、でも、的確に、心の底の何かを振るわせる力を持っていると思いました。

この、かすみは、一卵性双生児の片割れ。
ゆかりというまったく同じ遺伝子を持つ妹がいます。
親も見分けられないほどそっくり。
考え方、好みなども似ていて、ゆかりの婚約者尾崎をかすみもどうしようもなく好きになってしまい、苦しんでいます。
まったく同じ遺伝子。けれど、心は別々のもの。
人を好きになるとき、どうして、その人を好きになるのでしょう。
姿、形。それがまったく同じだとしたら・・・。
かすみとゆかりは幼い頃、時々互いを入れ替えたりしたことがあるというのです。
そんなことを繰り返すうちに、本当はどちらがかすみでどちらがゆかりなのか、わからなくなってしまっていた、という。
自分たちでもいやになるほど、考え方もそっくり。
こんな中で、自分って、いったい何なのか。誰かが自分を好きになってくれたとして、それは、必ずしも自分ではなく、一卵性双生児のもう一人の自分でもぜんぜんかまわないのではないか・・・そんな不安が常に彼女の中にあるのです。

他者から見た自分は、他者が勝手に自分の中で作り上げた幻影であって、自分とは別物。
でも、だからといって、一日の中でも、「自分」がころころ変わる気がすることがある。
自分が、自分であることも、確かなこととは思えない・・・。
こんな迷路にはまり込むことは、かすみでなくてもあるように思います。
だから、特別に特異な設定であるような気はしない。

妹の彼が忘れられず、じたばたしているそんな自分。
それを丸ごと受け止めてくれた「僕」に対して、やがてかすみの心が惹かれてゆくのです。

さて、この「僕」も、とても興味深い。
広告代理店に勤める彼は、会社内の人間関係のごたごたもよく見えていて、どこが一歩はなれて眺めているようなところがある。
いよいよ立場が悪くなれば辞めればよいと思っている。
特別に仕事に熱心というわけでもないけれど、そこそこ能力はある。
会社では女たらしと、うわさされているけれど実は学生時代に付き合っていた彼女が事故死して、それ以来真剣に付き合った人はいない。
この淡々として、ちょっと冷めた感じが、魅力であるようです。
人への洞察力はあるけれど、あえてそれ以上突っ込まない、というような。
こんな部分が、新感覚といわれるゆえんかも知れませんが、結局は徹しきれないというところがやはり、この本の魅力となっているのでしょう。

side-Bでは意外な展開を見せます・・・。というところで、続く。

満足度 ★★★★★


字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ

2007年07月26日 | 本(エッセイ)

究極の字幕は「透明な」字幕。
これからも、お世話になります!。日本語をしゃべるジュード・ロウは嫌です!

              * * * * * * * *

「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」 太田直子 光文社新書

この本の作者の本業は映画の字幕作成。
いつも私は大変お世話になっております。
近頃はハリウッド映画の話題作などでは、吹き替え版もありますが、私は絶対に字幕派。
だってねえ、吹き替え版って、ガキンチョの見るもんだよ・・・、というのは若くはない私の思い込みか。
・・・まあ、その思い込みはこの際無視するとしても、俳優さんの魅力は声も含めてあると思うのです。
つい先日、テレビで吹き替えの「パイレーツ・オブ・カリビアン」を見たのですが、ウソーというくらい、ジョニー・デップもキーラ・ナイトレイもただの凡庸な俳優に見えてしまった。
これを見る限りでは、彼・彼女をステキとはとても思えない。
吹き替えの声優さんってよほど人数が少ないのでしょうかね。
どの映画を見てもみんな同じ人・・・。
話し方もなんだか妙にクサイかんじで、どうも好きになれない。
顔、スタイル、しぐさ、声、話し方・・・トータルしたものが俳優の持ち味であり、魅力だと思うのだけれど、その多くの部分を占める声、話し方を、ばっさり切り捨てて、別のものにしてしまうのはあまりにも、もったいないことだと思います。
でも、時として、字幕に気をとられて、肝心の繊細な表情の変化など見逃してしまうこともあったりして・・・。
字幕に頼らず、言葉が理解できれば何の問題もないのですけどね。今のところちょっと無理。

さて、そういうことで、やはり字幕にお世話にならざるを得ない身としては、この本は大変に興味のあるものでした。
太田氏は、字幕は翻訳でなく、要約であるといいます。
台本をそのまま訳すと、すごく文字が多く、文が長くなってしまって、そのシーンで字幕を読みきれない、ということになってしまう。
いかに、簡潔な表現で意を伝えるか、というのが腕の見せ所、ということのようです。
だから、この仕事はただ単に英語などが得意ということではダメで、ことばのセンスが問われるのでしょう。
時には、英語の堪能な方に、字幕と実際のセリフが違うと、指摘を受けることがあるそうなのですが、以上のような事情によるものだということです。

たとえば、直訳だと、こんなセリフ・・・
男「どうしたんだ」
女「あなたが私を落ち込ませてるのよ」
男「僕が君に何かしたか」

これをもっと、字数を少なくしなければならないというときに、
男「不機嫌だな」
女「おかげでね」
男「僕のせい?」

・・・みごとですね。最小限の言葉で、しっかりニュアンスが伝わります。

字幕に使う漢字や内容について、一般常識と思えることが、近頃は通用しなくなってきていることとか、禁止用語のこと、日本語の男女の言葉の使い分けのこと、映画会社との思惑の行き違いのこと、等等・・・。
様々な苦労があるものなのですね。
太田氏は語り口が飾り気なくまっすぐばっさり、という風で、私は好きです。

彼女の言う理想の字幕とは、「読んでいることを意識させない字幕。」
「なんとなく目の端で読んでいるのだが、外国語のせりふそのものを聞いて直接分かっている気持ちにさせる」、「透明な」字幕。

そうですね、でも、たいていの映画はそのように字幕を特別意識せず、見ているような気がします。
字幕作成者ががんばるほど、その存在が意識されない。
なんだかいいですね。
寂しい気もしますが、それって大事ですね。

ちなみに、太田氏が字幕作成した映画。「コンタクト」、「17歳のカルテ」、「初恋のきた道」、「アザーズ」、「シュレック2」、「エルミタージュ幻想」、「ヒトラー最期の12日間」 他1000本あまり!

満足度 ★★★★


トゥモロー・ワールド

2007年07月26日 | 映画(た行)

2027年が舞台という、近未来SF。
実は予想したよりずっと地味目な作品でした。
この2027年時点では、地球上に子供が一切いない。最後に子供が生まれてから18年間、新たな子供の誕生を見ていないという設定です。
つまり、人類に生殖能力が一切なくなってしまった。
このままでは当然、人類の未来はない。
この作品では原因については特に言及されていません。
人類はすっかり絶望し、秩序をなくし、ほとんどの国は国家の形をなし得ず崩壊。
舞台のイギリスは、独裁政権と軍事力で、どうにかやっと国家の機能を果たしている、数少ない国の一つ。
それでも、テロやら不満分子の氾濫やらで、大変治安の悪い状況となっている。
主人公は、ごく普通の公務員のセオ。
特別人類の未来に責任のある立場でも何もないのだけれど、行きがかり上、フィッシュという地下組織に関係し、ある一人の女性を「ヒューマン・プロジェクト」というこれも謎の組織へ送り届ける役割を受け持つことになる。
その女性キーは、なんと、妊娠しており、臨月を迎えている。
なぜここで突然妊娠可能な女性が登場するのか、この先はどうなるのか、その説明もまったくなし。
その子は人類の未来を背負った子供というわけですが、・・・大変なことです。

この映画はその、身重の女性を(途中で、辛くも無事出産します)主人公がひたすら守っていく、ほとんどそれだけのストーリーです。セオも、ごく普通の男性なので、派手なアクションなど無し。
とにかく、銃撃戦に巻き込まれないよう、物陰に潜みつつ、進んでいく、それのみ。
監督が凝ったらしい、8分間ノーカットの戦闘シーンがあります。
ここはひたすら様子を見て、銃弾を避けつつ前進する。
セオの心情と観客の心情が一致する、なかなかいいシーンだと思いました。

また、これはロンドンが舞台の近未来の設定なので、ロンドンに住んでる人なら、ああ、これはどこの何の通り・・・ということがよく分かるシーンが多いといいます。
まあ、わが街札幌で言えば、4丁目の交差点で銃撃戦をしたり、時計台や赤レンガの建物が爆破されたりなんて、そんなシーンがあるということで、それだと、結構興味を持ってみてしまいたくなりそうですね。
恐ろしいのは、そのように無秩序な人々の日常がいつまで続くのだろう・・・ということです。
どうでしょう。今日から、一切子供が生まれなくなったとしたら。
保育園・幼稚園・学校、まったく成り立たなくなります。教師も教育産業の従事者も全員失業。
ただでさえ、将来の見通しが暗い年金は、もう、その年金体制を支える若年層もおらず、制度自体崩壊。
たしか、この映画では日本も早々崩壊した国のひとつとなっていたと思いますが、案外、日本はそれでも持ちこたえるような気がします。とにかく、まじめで勤勉、そして従順な日本人ですからねえ・・・。あきらめのうちにも淡々とと規則を守って、老人大国のまま、新世界へなだれ込んでいくのではないでしょうか。
今の若い人はそんなに従順ではない?
そうかも・・・。

いろいろ、想像をふくらませてしまうストーリーですねえ。
この後また、ぽろぽろと子供が生まれてくる未来が待っていそうな気もします。

「トゥモロー・ワールド」
2006年

監督:アルフォンス・キュアロン、クライブ・オーウェン


「聖なる遺骨」 マイクル・バーンズ

2007年07月23日 | 本(SF・ファンタジー)

キリストに遺骨はアリか?!
キリストの遺伝子の謎とは?!

               * * * * * * * *

「聖なる遺骨」 マイクル・バーンズ 七搦理美子 訳 ハヤカワ文庫

ダビンチ・コード以来、このような歴史もの、特にキリスト教関連のものは、多く見られます。
ところが、これがまた、二番煎じなどではなくて、とても興味深く、楽しく読めました。
この題名で、そのものずばり。
イエス・キリストの遺骨をとりまくストーリー。
キリストの遺骨?!
ちょっと、盲点でしたね。
聖杯とか、イコンとか、キリストにまつわるモノの、伝承・行方を捜すストーリーはそれこそ、以前から数多くありました。
この本は、遺骨。
そのものずばり。
なぜはじめから、それを探す物語がなかったのかといえば、それは、ないはずのものだからなのですね。

息を引き取り、十字架からおろされたイエス・キリストは、その後復活し、天に昇っていった。
それが聖書による正しい教えです。
遺骨など残っているはずがない。
でも、現実的に考えれば、とりあえず、人々に教えを説き、磔刑に処されて死んでいったイエス・キリストは実在の人物で、そうであれば、どこかに遺骨が残っていてもおかしくはありません。
ただ、このような言い方は、正統なキリスト教の教えからすると大逆的。
そもそも、キリストは神なのだから、人間とは違う。
遺骨などあるわけがない。
このような宗教的妄執をまもりつづけるバチカン側と、コンピュータを駆使し、DNA鑑定など最新技術で科学的に謎を解き明かそうとする主人公たちとに敵対関係が生じ、サスペンス的展開を見せます。
キリスト教を語るとき、やはり省くことはできないらしい十字軍やテンプル騎士団の話も興味深い。

このなかで、キリストが受けた磔刑について実に詳しい描写があります。
ちょっとショッキングです。
どのような経緯を経て死にいたるか。
それはできるだけ苦痛が長く続くようにという残酷な刑。
以前見た「パッション」の映画もなかなか強烈でしたが、ここでまた、医学的見地から説明されるといっそう怖さが増します。
こんな死に方をした神様は他にはいませんものねえ・・・。
ほぼ完全に残っていた遺骨をコンピューターが解析し、生前の人物像の3D映像ができあがります。
その姿は・・・?! 
そしてまた、解き明かされた、キリストのDNAの謎とは?!。
やはり神は神であったらしい・・・。
物語としては最上のラストのように思います。

満足度★★★★★


腑抜けども、悲しみの愛をみせろ

2007年07月19日 | 映画(は行)

私が見る作品としては異色といえましょう。
まあ、割と「感動の名作」、というか分かりやすいものが多いよね。
この作品はちょっと、感動の名作、というのからは遠い。
けれど、面白くないかといえば、やはり面白く、強烈に訴えるものを持ってましたねえ。
まずは、「あたしは絶対人とは違う、特別な人間なんだ」と自信満々の姉、澄枷(すみか)。しかしそれは自意識過剰なだけの勘違い女。
実際にいたら、あまり近づきたくないタイプだね。
彼女は、女優を目指して東京に出ているんだけれど、両親が亡くなって葬儀のため実家に帰ってきた。
なんというか、ちーっとも、その死を悲しんでいるようにはみえなかったですねえ。
それは、他の家族も同様ですよ。妹は沈んでいるようだけど、実は姉が戻ってくることを恐れていた、と。
そう、妹の清深(きよみ)は、以前姉が体を売って上京のお金を稼いでいたことなどをホラー漫画に仕立てて、見事に新人賞を獲得。そのために、姉は地元にいられなくなってしまった・・・というそのことを大変後悔しいる、と。
姉もまた、それをネタに執拗に妹いじめをするんですよね・・・。女優としてうまくいかないことまで、妹のせいにしちゃうんだから。
清深はしかし実は、後悔とは裏腹に、またまた繰り返す姉の独りよがりの行動が「面白」く漫画のネタにする誘惑から逃れられない。
あの、時々挿入される「清深」作のホラータッチのカットは実に迫力ですよね~。
一方兄は、後妻の連れ子ということで、血のつながりはない。なぜか、わがまま放題の澄枷に気を使う一方、妻には、少しの関心も示さない、というかむしろ虐待。
はい、驚くじゃありませんか。妻とは一切ナニがないのだと・・・。いったい何のために結婚したんだよ! ただの家政婦じゃん。女をばかにするなっ!!
まあまあ、おさえて。その妻はなんともお人よしというか、プラス思考というか。こんな家でも、よく耐えているよねえ。
この人だけが救いのようにも思えるけれど、周りから浮きまくり。でも、この家族ではこういう性格じゃないといられないかも・・・。なんと、彼女はコインロッカーで拾われたという不幸な設定。だからこそ、家族のぬくもりがほしくてじっと我慢なんだよ。涙ぐましい話ではありませぬか・・・。
それで、こんな『一触即発の人間関係を赤裸々かつブラックユーモアたっぷり』に描いている、というこの作品。
そうだねえ、ここまで読んだら、ちょっと悲惨な話のように思えちゃうけど、実はブラックユーモアで、あっけらかんと描かれているわけですね。
さてさて、ここで、この映画の題名に戻ります。
「腑抜けども」、これは、この映画の家族みんなのことですね。
「悲しみの愛を見せろ」・・・ですか。悲しみの愛・・・?。
テーマはつまり、家族なんですね。一家団欒・・・、まあ、一般的には平和、安らぎ、愛。そんなイメージを喚起させるものですが、現実は、なかなかそうは行かない。逆に、断ち切りようのない血のつながりがうっとうしく、愛というよりは憎しみを抱くこともまれではない。
ほとんどそのように、憎みあって向かい合っているこの家族にむけて、「悲しみの愛」を見せろ、といっているのでしょう。
お~、珍しくちょっと格調高いですね。
ただ、この家族に愛がないのではなくて、非常に屈折した「悲しみ」の愛、それが彼らにはある。
ラストで、バスから妹を引きずり降ろして、取っ組み合いのけんかをする、姉妹。
そこでまた、二人バスに乗り込み、一緒に上京するらしい・・・。
憎みあっていてさえも、奥底になにやらつながる「愛」らしきもの。
はい、確かに、見せていただきましたよ・・・。
それにしても、女のたぎる情念の前では、男は情けないですね・・・。はかなく逝ってしまったし・・・。

監督:吉田大八
出演:佐藤江梨子、佐津川愛美、永瀬正敏、永作博美

 「腑抜けども、悲しみの愛をみせろ」公式サイト


「言葉の常備薬」 呉智英

2007年07月17日 | 本(解説)

日本語の不思議、薀蓄あれこれ。
なるほどね~。思わずうなずきます。

* * * * * * * *

「言葉の常備薬」 呉智英 双葉文庫

この著者は、評論家。
特に国語の専門家というわけではありませんが、
幅広い知識で、堅苦しくなく楽しい国語の話を繰り広げます。

はじめのほうに出てくる、『連濁』のはなし。
二語がくっついて、一語になる時、後の語の語頭が濁音化すること。
たとえば、「ほん」と、「はこ」がくっついて「ほんばこ」。
「はと」と「とけい」で、「はとどけい」。・・・というようなことですね。
ところがこの規則性が崩れる場合があるという。
後の語が外来語である場合や、後の語の中に濁音がある場合などは、この『連濁』にはならない、というのです。
たとえば、
「室内・テニス」は「室内デニス」とはならないし、「大和・ことば」は「大和ごとば」とはならない。
う~む。いわれてみれば確かにそう。
考えたこともなかったけれど、無意識のうちにそうしている、というのがすごいと思うのです。

私、中学校に入って、国語の文法を習ったときにすごく驚いたことがありまして。
それは動詞の活用形。
5段活用やら、サ行変格活用・・・とか何とかいうやつですよ。
そんなこと、それまで、考えたことも、聞いたこともなかったけど、確かに、確かに、どの動詞も一定の規則に基づいて活用している。
それを知らなくてもぜんぜん問題なく話ができている、つまり、無意識に活用させているというのも、すごい。
そしてまた、そもそも、こんな言語体系をいつ、誰が考え出して、作り上げたものやら・・・。
私は一種感動すら覚えたのですが、他の人は特に何も感じていないようでした。
これって、感動するようなことではないですか?
あわせて、英語でも動詞では過去・過去完了。形容詞にも比較級、最上級。等等、いろいろな活用があることを学ぶにつけ、言葉の深遠を見る気がするのでございます・・・。
でもやはり、外国の方が日本語を勉強するのはほんとに大変そうな気がしますね。
ひらがな、カタカナ、漢字。五段もの活用に、丁寧語、尊敬語。
男女でも言葉が違う。
キャー、考えただけでいやだね。

ともあれ、この本は今まで考えたこともなかった、いろいろな言葉のひみつがかかれていて、大変興味深く読めました。
ただちょっと気になるのは、もろに、名指しで人の文章の誤りを指摘。
これってどうなんでしょうねえ・・・。

満足度★★★


ドレスデン、運命の日

2007年07月16日 | 映画(た行)

愛をかけた運命の日。しかしそれはドレスデンの運命の日でもあった。

               * * * * * * * *

1945年、ドイツ。第二次世界大戦のドイツ敗退が色濃くなってきた頃です。
これまで、ほとんどの映画・小説などで、ドイツは敵国・侵略側として、描かれていました。
けれど、あれだけ支配範囲を広め勢力を誇っていたものが、次第に形勢逆転、降伏にいたるまでには、どれだけの犠牲を払わねばならなかったのか・・・、そのようなことをあまり意識したことがなかったように思います。
ドイツも、世界に向けて、そのことは言いにくかったということもあるのでしょう。
60年を経て、ようやくドイツも自らの痛みを発信できるようになったといえるかもしれません。
あの頃の多くの国同様、ドイツでもまた、ごく普通に生活をしている人々がいて、家族や恋人を案じながら戦地へおくりだしていた。
そして、他の国同様に空襲を受け、たくさんの犠牲者と瓦礫の街が残った。
未だなお、戦争映画が作られ続けるのは、そのような痛みを多くの国が持っていて、そして、もう繰り返したくないと思っているからなのでしょう。
そういう私も、むろん戦争体験者ではなく、テレビや映画で聞き及んでいるだけではありますが、世界中で殺戮が公然と行われていた、そのような狂気の時代を繰り返したくないものだと思います。
残念ながら、戦争というよりはテロという形で、一般の人たちが命を落とすことも多い現在ですが。

さて話はもどって、このドイツのドレスデンという都市はドイツ一の文化と芸術を誇るフィレンツェにもたとえられる街。
その街が1945年2月13日の空襲で一夜にして廃墟となりました。
この映画は、そこで生活する看護師のアンナ、その婚約者である医師のアレクサンダー、そして、戦闘機が墜落しこの都市に降り立ってしまった、イギリス兵のロバートの3人が中心にストーリーが進みます。
つまりは三角関係という、これも永遠のテーマではあります。
学者肌というのでしょうか、まじめで神経質、ロマンチックには欠ける婚約者のアレクサンダー。
対して、ちょっと自由で野生的、しかも怪我をして孤立無援という、乙女心を掻き立てる要素満載のロバートなので、悪いけれど勝負はついてましたねえ・・・。
終盤、この三人がやむなく連れ立って火の中を逃げ歩くシーン。
ここはなかなかいいシーンでした。
それから、防空壕の中で、おびえている女の子に影絵をしてみせるアレクサンダー。
結構いいところあるじゃん。
単に敵役だけにならない、このような設定もちょっとしゃれていると思います。

本当はこの二人は手に手をとって駆け落ちするつもりだったと思いますが、辛くも命拾いをし、廃墟と化した街を見て、呆然とする二人。
その時すでに、ロバートは、もう彼女がついてこないことを悟っている。
アンナは、この廃墟の街を見捨てて出て行くことはできない。
生き残ったものはこの街の復興に尽くさなければならないという思い。
そのようなセリフは全く出てきませんでしたが、とてもよく伝わりました。

空襲の恐ろしさ、戦争の悲惨さに、ラブストーリーをも重ね、万国幅広い層に訴える力を持った作品だと思います。

2006年/ドイツ/150分
監督 ローランド・ズゾ・リヒター
出演 フェリシタス・ヴォール、ジョン・ライト、ベンヤミン・サドラー

「ドレスデン、運命の日」公式サイト


「最後の記憶」 綾辻行人

2007年07月14日 | 本(ミステリ)

母が苦しむ過去の恐ろしい記憶。この記憶とはいったい何なのか。また、連続して起こる猟奇的な子供の殺人事件の秘密は・・・。

           * * * * * * * *

「最後の記憶」 綾辻行人 角川文庫

脳の病のため、記憶がどんどん失われていく母。
新しい記憶、印象の薄い記憶から損なわれていき、強い記憶が残されるというその病。
母は、子供の頃恐ろしい事件に巻き込まれたことがあったらしく、その極度の恐怖だけが、最後の記憶として残り、日々、彼女をおののかせている。
この病が遺伝性のものであるという可能性に恐怖しながら、母の昔の事件をたどろうとする息子、森吾。

綾辻行人は、『館』シリーズ等で本格ミステリ作家として活躍し、時にはホラー作品も手がける、と、そんなイメージでしょうか。この作品を『本格ミステリ』と期待して読むとちょっとショックがあるかもしれません。
「本格」は、どんな不思議な状況も、理屈で解き明かされなければならない。
けれど、この作品には、ファンタジー的異世界が登場し、これまでの本格ミステリのくくりから言えば反則なのかも知れません。
私も、その辺で、ちょっとこれはどうなのか・・・と、思わないでもありませんが、そこを見通して、この本の解説者千野帽子氏は次のように言っています。

『本を<ファイルに入れるように整理しながら読んでいる人>は、一冊一冊の本よりも特定のいくつかのパターンやジャンルが好きで、具体的にこういう体験がほしいと、小説に求めるものが最初から決まっている。
本より、ファイルの方が大事だから、つねに自分の中に蓄積された基準に頼って、「本格ミステリとして」、「SFとして」、「ホラーとして」、・・・・しか小説を読むことができない。
・・・・・そんなものが読書だとしたら、ずいぶんとご苦労な消化試合だと言えないでしょうか。』

こう言われてしまっては、ぐうの音も出ないではありませんか。
確かに、物語の世界は、自由自在。
ジャンルにとらわれて、楽しみが半減なんてことになるよりは、作者の自由な想像に身を任せて、楽しんでしまうほうが得策です。
で、「本格ミステリ」にはこだわらないことにしますが、でも、結局、最後にいくつかの謎が収束するあたりは、やっぱり綾辻氏の持ち味ということでしょうね。

このストーリー中の「異世界」は、幻想的で何か郷愁を誘うところがあって、ちょっと憧れてしまう部分もあるのですが、隠されたその世界の秘密、それがいやに残酷なので、その辺が逆に残念なんですね・・・。
どこかに、本当にそんな永遠の子供の幸せの国があればいいのに、と。

満足度 ★★★


「グイン・サーガ外伝21/鏡の国の戦士」 栗本薫

2007年07月13日 | グイン・サーガ

「グイン・サーガ外伝21/鏡の国の戦士」 栗本薫 ハヤカワ文庫

グインの114巻、今回の外伝と次の巻で、月刊グインになっちゃいますね。すごいですね。
実のところ、外伝はいいから、早く本編が読みたい!というのが本当のところなんですけど。
本編で月刊になったら、すごいけどね。
しかし、私は魔道の世界、妖魔との対決、そんな内容はあまり好きではありません。
なんでー?
魔法、魔術、あやかし・・・そのような設定だと、結局なんでもありということなのではないかと、思うのよね。
どんな大変なこともあり得るけど、どんな助かり方も自由自在では、ずるいじゃないですか。
現実という制約の中でどのように戦い、どのように生き延びるのかということにこそ、面白みがあるのではないかと。
では、この本は、つまらなかったと・・・?
いや~。それがですね、やはり、栗本氏の筆力というか、やっぱり読み出したら、やめられないですよ。
よくもまあ、ネタが尽きずに、こんな怪異を次から次へと考え出せるものだと、感心しちゃったりして。
でもね、そうは言っても、この本の興味はやっぱりその、あやかしの世界ではなくてですね、・・・ネタばらしでいいのかな?
ここは言わなきゃ話がすすまない。
うん。グインになんと愛妾がいて、彼の子供を身ごもっていると・・・!!
ひえ~。エーと、この話は今の本編より、未来の話なんですね。
はい、今のいやったらしい、タイスを出て、パロに行って、やっとケイロニアに帰りつく。
その後の話なんですね。
あの、外伝の第一作『7人の魔道師』より、まだ先の話。
言葉のはしはしから想像するに、何らかの事件があって、グインとシルヴィアの結婚は破綻するということらしい。
まあ、もともと破綻していたようなものですからねえ。
はじめ愛妾ヴァルーサ、と名前が出てきたときには、ちょっと驚きましたけどねえ。
いやいや、愛人がでてきたからって憤慨するほど純情ではありませんが、グインのイメージというものがあるでしょうが。
でも、つまり、シルヴィアとの結婚が解消した後の関係というのなら、まあ、納得できるかなと。
えー、結局シルヴィアって、どうなっちゃうんでしょ。
いやな予感がしますけどねえ・・・。
これって本編の続きじゃないと分からないのでは?
それって何年先のことなの~?
ほんと、栗本さんって、意地悪。
それで、今しもグインの子供(たぶん王子)が生まれる!というところで、終わりですもんねえ。

満足度 ★★★★

 


「TOGI+BAO」主婦的感想

2007年07月12日 | コンサート

「TOGI+BAO/Out of  Border」全国ツアー 

2007/7/11 札幌コンサートホールKitaraにて。
東儀秀樹とそのユニットBAOのコンサートです。
2005年から年に一度のツアー、私もこれで3度目。
なぜか必ずチケットを買ってしまう。

篳篥。
読めませんよね、絶対。・・・「ひちりき」です。
それと、笙(しょう)。
雅楽の楽器です。
これはほとんど神道とか、平安時代の雅(みやび)の世界ですが、この超伝統的楽器で奏でるポップス、クラシック、ジャズ。
伝統と現代がうまくマッチして一種独特な世界を作ります。

BAOは上海でオーディションをして集めたというイケメン中国青年たち。
二胡、笛、琵琶、いずれもうなってしまいたくなる超絶技巧をこなす面々です。
この中でも、二胡のツァオ・レィは、特に華があるというか、つい視線がそちらへ行ってしまうのですね・・・。
なんというか、とにかく素敵。かっこいい。カワイイ。
正直私は東儀秀樹はほとんど見ていなかった・・・。
このノリはほとんどヨン様に付きまとうおば様たちと同じだ・・・。すんません。

私はポップな曲より、じっくりしっとりした曲の方がすきですね。
定番の「春色彩華」は楽しいけれども、トリを飾るにふさわしい「大河悠久」にはやっぱりしびれます。
たとえば、海のように広い黄河の流れに船を出して旅をしている。
とうとうたる河の流れ、強い日差しで水面が光る。
その河の上を渡る風をも感じるような・・・
この曲は実に名作。
近頃、「のだめカンタービレ」で、すっかりおなじみになってしまった「ラプソディ・イン・ブルー」。
これを、千秋先輩よろしく東儀秀樹が指揮をとって、BAOが演奏。とても楽しかった。
アンコールでは、なんと「夜空ノムコウ」。東儀秀樹のラップにも驚いた!。

Out of Border。
伝統を越え、国境を越え、ジャンルを越えて。
若い人たちが、伝統をしっかり踏まえつつ、さらに自由に翼を広げている。
私はこんな風な音楽がとても気に入っています。

PS
この夏の時期、キタラの中庭でコンサート前にクイッとやる、ビール。
至福の時です。



ダイ・ハード4.0

2007年07月09日 | 映画(た行)

ガブリエル、世界で一番運の悪い男、それは君の方だ。
計画は完璧だった。マクレーンを敵にさえしなければ。

                * * * * * * * *

4作目にもなると、たぶん、同じパターンで、アクションシーンは確かにすごいかも知れないけれど、割と退屈なのかも・・・、と、実はあまり期待をしないようにして、見たのですね。
続けばいいというものではない。だんだん飽きてくる、というやつですね。
ところがこれはやはり目がはなせない、超弩級のアクションストーリーでした。
前作から、12年もたっているのですね。
12年って、ちょっと信じられない感じ。1と2は、テレビでしか見てないんだけど、3は見に行ったんですよ。・・・それが12年も前のことなんて、うそ~、って気がしますが。
それだけ年も取ってしまったということよ・・・。
ブルース・ウィリスは単に運の悪い男とはもう思えない。今回は、風格を感じました。彼自身も年齢を重ねたということなんでしょうけど。なんかねえ、達観していましたよ。「誰もやらないからやるんだ」、と。
彼って、「アンブレイカブル」よりよほどアンブレイカブルですよね。予告編にもあったシーンですが
「すごい。車でヘリを打ち落とした。」
「弾切れだったからな。」
こんなしゃれた会話をはさみつつ、信じられないアクションの連続。
巨額の予算もCGも、思う存分つぎ込んでください。これぞ、アクション映画の醍醐味。ここまでやればもう、突っ込みを入れる気にもならず、すなおに楽しむのみ。
そうそう。多少動機が弱いとか、リアリティに欠けるとか。こういう映画でそんなことをいうのはヤボというものですよ。
今回「デジタルなはと時計」のマクレーン刑事を手助けするのは、パソコンお宅青年のマット。
なにしろアメリカ中のコンピュータシステムを破壊しようとするサイバーテロ軍団があいてですから、彼一人では歯が立ちません。
彼マットは、アクションなどにはまったく縁のないいまどきの青年ですが、マクレーンにつれまわされ、何度も危ないところを救われるうちに次第にマクレーンを信頼し、最後には自ら危ない局地へ同行までしちゃうんですね。
そして、もう一人マクレーンの娘。彼女は父親を毛嫌いして、話もしたがらないのですが、このたびは人質にされて、父親が助けに来てくれるのを待つことに。
彼女は結局マクレーンそっくりの気の強さで、笑っちゃいますね。次には、彼女を主役に映画を作るといいよ。
それもいいね・・・。
それでね、まあ、話は定石どおり。やはり、強い父はきっと助けに来てくれる、そこで通い合う親子の信頼。
まあ、このような気持ちの通い合いもアクションに花を添え、完全無敵の「ダイ・ハード」となるわけなんだなあ。
さてさて、事件解決はいいけれど、マクレーンが破壊した、ビル・車・道路・命を亡くした人たち。さぞかし、後始末は大変でございましょう。ご愁傷様です・・・。
あれって、マクレーンが破壊したことになるの?
やはり、そうなんじゃないでしょうかねえ・・・。
それでも、全米機能麻痺よりはマシってことか・・・。

2007年/アメリカ/132分
監督:レン・ワイズマン
出演:ブルース・ウィリス、ジャスティン・ロング、マギー・Q、ティモシー・オリファント

「ダイ・ハード4.0」公式サイト


「三人目の幽霊」 大倉崇裕

2007年07月05日 | 本(ミステリ)

落語界だからといって、楽しい人、善人ばかりとは限らない。
自分の芸だけが頼りのシビアな階級社会。そこで起こる事件の解決に乗り出す、二人組み登場!

              * * * * * * * *

「三人目の幽霊」 大倉崇裕 創元推理文庫

落語専門誌「季刊落語」編集部、新米記者の緑と、編集長、牧。
この二人がホームズとワトソンよろしく、さまざまな事件を解決してゆきます。
事件とは言っても、さほど血なまぐさいことは起こりません。
(三つ目の短篇「三鶯荘奇談」が、珍しくサスペンス。)
いわば日常の謎を解く連作の短編集。

ほとんどの舞台は落語界を中心に起こり、ちょっぴりですが落語の内容に触れるのも、楽しいです。
先日見た映画、「しゃべれども、しゃべれども」に出てきた、「火炎太鼓」の話も出てきたので、ごく個人的にウケました。

ここに登場する編集長の牧は、
『おむすびのようにふっくらとした顔、笑うと一直線になってしまう目。
頭は見事に禿げ上がっており、それを隠すためにグレーのベレー帽をちょこんとのせている。
白いもののまじった口髭が、上品なアクセントになっている』
という、どちらかというと冴えないおじさんですが、洞察力が鋭く、通常の人ではまずわけが分からないことも、するするとといてしまう。
頼りになるおじ様です。
私なども、なんでこれだけの手掛りで、そこまで分かっちゃうのよ~と、目が白黒してしまいますが、一つ、なんとなく答えが分かったものがありました。
それが「崩壊する喫茶店」。
ところが、この文庫の解説者、佳多山大地氏によればこの作品のトリックにはキズがあると。
おぼろげながら、「でも、無理じゃないかなー」とも思ったのですが、実際、無理のようでした。
ミステリ好きの方は、チャレンジしてみるのもよいかと思います。
しかし、解説者は、そのキズをも、予定通りとして、なお深い解釈を試みます。
すばらしい!これは、親切なのか意地悪なのか?
それこそ謎ではありますが、必ずしも100パーセントつじつまが合わないこともある・・・ということですね。

「不機嫌なソムリエ」のなかなか強烈な真相も、面白かったと思います。

満足度 ★★★


「都市のトパーズ2007」 島田荘司

2007年07月03日 | 本(その他)

夜の都市高速を疾走する一匹のトラとバイク。
幻想的なこのシーンは、島田氏が現在の日本と日本人に突きつけた挑戦状。

                * * * * * * * *

「都市のトパーズ2007」 島田荘司 講談社文庫

この本は、小説というよりはむしろ島田氏の「都市論」です。
これまでも、さまざまな本の中で、彼の持論は繰り広げられていましたが、この本はそれらの集大成といってもいいと思います。

1999年に刊行されたものを大幅に加筆訂正したとありますので、内容も今読んでも大いに納得できることばかりです。
主に「東京」についてなので、地方に住んでいる身としてはそれほどに実感はありませんが、氏が言うには、今の東京は過去の都市計画の無策により、ひどい状況であると。
道路はせまく計画性もなく造られているので、ひどい渋滞。
家やビルが狭いところに隣接、しかも耐震性も施されていない古いビルがほとんどなので、今後大きな地震があれば、大変危険な状態。
昔からあった水路や丘陵をただ埋め立て、削って造成したので、のっぺりとしたつまらないものになってしまっている。
コンクリート、アスファルトで固めた町は、ヒートアイランド状態を生み出し、環境の悪化に拍車をかけている。
緑が少ない。いえ、実は緑は面積としては多いのだが、皇居や、御苑など、一般市民の立ち入りが禁止や制限されているので、実のあるものになっていない。
などなど・・・。

実は、これらを是正するチャンスは過去に何度かあったと、氏は言う。
関東大震災のとき。あるいは終戦のとき。
このときには東京が、壊滅状況となっており、ここでやろうと思えば出来たのだと。
現に田島正男という方が戦後、かなり大胆に将来を見据えた都市計画を持っていたのですが、当時行政にはまったく取り合ってもらえず、日の目を見ないままになってしまったのだとか。

この本には島田氏のかなり具体的な理想の東京が描かれています。
機能的で、潤いがあり、かつ美しい。
誰かが、こんな都市計画の提案を掲げて、都知事に立候補し、当選でもしないとでもしないと実現は難しそうです。
が、オリンピックの誘致よりはよほどましなスローガンだと思うのですが。
東京にお住まいの方は、ぜひ読んでみては?

島田氏は、とっくに日本に見切りをつけたらしくて、かなり前からロスアンジェルスに在住しています。そんな彼に、ちょっと日本もいいなと思わせる都市が出来たらいいですけどねえ・・・、むりでしょうねえ。

この文庫におまけのようについている「天使を殺した街」、これは、マリリン・モンローのミニストーリーですが、これがまたなかなか興味深いですよ。

満足度★★★★