狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

■瀬長亀次郎の正体、果たしてその正体は?

2024-10-08 14:06:52 | 政治
コメント

★★民主主義のショーウィンドー〉

2024-09-17 09:22:11 | 政治
コメント

★★〈民主主義のショーウィンドー〉❶沖縄を歪めた戦後史の大ウソ、マッカーサーの置土産

2024-09-17 08:46:00 | 政治

 

コメント (3)

県議選、過半数めぐり保革が激突 一緒に読書しよう!Pomodoro 25/5【ライブ配信】5/10 8:00~

2024-05-10 04:41:23 | 政治

 

プロフィール画像

⇒最初にクリックお願いします

 

05607      0900

0508 1135d 1715d

0509 1945d

0510  0915d

Book Club#5 一緒に読書しよう!Pomodoro 25/5【ライブ配信】5/10 8:00~

過半数めぐり保革が激突 県議選 来月7日告示、16日投開票

 

オール沖縄」玉城県政に審判

与野党勢力が拮抗している沖縄県議会=3月28日、那覇市の沖縄県議会

沖縄県議会議員選挙は6月7日に告示、16日に投開票される。2022年に2期目の知事就任を果たした玉城デニー氏の県政に対する「中間審判」の性格を持つ今年最大の選挙だ。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡る裁判や代執行手続きなどにより、国との関係悪化が深刻さを増す中、知事を支える革新系与党が過半数を維持するのか、あるいは、保守系野党が過半数を16年ぶりに奪還するのかが焦点となる。(沖縄支局・川瀬裕也)

那覇・南部離島区と中立系の動向がカギ

沖縄県議会の定数は48。現在、議長を除くと、玉城氏を支える与党(オール沖縄勢力)が24議席、野党・中立(保守系)は23議席で与野党の勢力はわずか1議席差と、拮抗(きっこう)している。6日現在、13選挙区から68人が立候補を表明しており、保革間での過半数を巡る熾烈(しれつ)な前哨戦が始まっている。

新型コロナ禍が明け、各立候補予定者は行動制限のない状態で、日々あいさつ回りなどで地盤固めに奔走している。ある保守系候補予定者は「今回の選挙でなんとしても与党に戻らなければならない」と街頭で大声をあげた。一方で、革新系の候補予定者は「玉城知事を支え、県民の暮らしと安全を守り抜く」と声高に訴えていた。

しかし、2期目の玉城県政は決して穏やかなものではなかった。有機フッ素化合物(PFAS)の県庁からの漏洩(ろうえい)と公表遅れ、県土木建築部による補助金手続きミスや県保健医療部による不適切な会計処理など、不祥事が相次いだ。

また、辺野古移設工事の設計変更承認を巡る裁判では最高裁で敗訴したことで、自身の「辺野古に『新基地』をつくらせない」との公約は破られた。それでもなお抵抗し続けるも、国が代執行手続きに踏み切り、1月から埋め立て工事が再開している。

記者会見する玉城デニー知事=2023年9月、県庁

さらには、昨年9月に玉城氏がスイス・ジュネーブの欧州国連本部を訪問した際、人権理事会でスピーチ枠を準備したNGO「市民外交センター」が沖縄県民を先住民族であると主張し活動している組織だったことが発覚し、県議会で追及されるなど、批判が相次いだ。

この問題に関連して、3月の県議会最終本会議では沖縄県民を「先住民族」であるとする国連勧告に対し、撤回を求める決議案が審議されたが、与党の反対多数や、一部野党の退席により否決された。

今回の県議選においてカギとなるのは最大選挙区の那覇・南部離島区の動きだ。現在、現職と新人合わせて17人が立候補を表明しており、定数11を争う。ここでの勝敗が与野党の構図を決定付けるものとなる可能性が高い。

現職11人のうち、野党は引き続き5人(自民3、公明1、維新1)が再選を狙う。一方、与党からは4人(共産2、立民1、無所属1)が立候補を表明しているが、2人は国政進出などの理由で引退を表明している。現職は再選を、新人はこの空席への滑り込みをかけて熾烈な争いを繰り広げることが予想される。

決戦に先駆け、共産党の田村智子委員長は4月3日、沖縄入りし、玉城氏と共に7候補への支持を訴えた。連合沖縄(仲宗根哲会長)も16日、執行委員会を開催し、立候補予定者22名に推薦状を手渡しエールを送った。

一方、野党・自民候補者も次々と地盤地域で事務所開きをし、チラシ配布や街頭演説に奔走して支持固めに余念がない。しかし、党本部派閥の裏金問題などが足を引っ張る可能性もある。「(衆院3補選での)自民惨敗の影響は無いとは言い切れない」(自民党県連関係者)という。

また、最大野党・自民の公認・推薦候補予定者全員が当選しても野党は過半数に達しない。保守系無所属と公明との連立は不可欠となる。

公明は、辺野古移設に対する意見の違いから、自民と歩調を合わせず中立の立場を取っている。候補者が競合しない選挙区では自公連携が基本だが、県政運営での連携に関しては慎重な姿勢を崩していない。

県内の保守と革新の基礎票はほぼ同じと言われているだけに、中立系候補の動きが戦局を左右する。無所属中立を反玉城派に取り込むことができるかどうかもカギになる。

いずれにしても、選挙結果は今後の玉城県政に大きな影響を与えるだけでなく、日本の安全保障にとっても重要な位置付けとなることは間違いない。

【おまけ】

12月20日発売の月刊willに『沖縄「集団自決」の大ウソ』が掲載されました

◎沖縄
■江崎孝…「集団自決」の大ウソ

 
 
 

読者の皆様へ

『沖縄「集団自決」の大ウソ』の増刷が完成しました。ご注文次第発送できます。ご注文の方は下記要領でお申し込みください。

⇒最初にクリックお願いします

 

コメント (2)

★余禄、沖縄「集団自決」の大ウソ、統帥権と軍命 

2024-01-29 15:28:26 | 資料保管庫

 
疎開体験事業で学んだことや感じたことを壁新聞にまとめ、発表する児童=28日、那覇市若狭・対馬丸記念館
疎開体験事業で学んだことや感じたことを壁新聞にまとめ、発表する児童=28日、那覇市若狭・対馬丸記念館

学童疎開追体験平和へ思い新た 昨年12月宮崎訪問 児童が報告会

 
2024年1月29日 

 太平洋戦争時に行われた学童疎開を追体験する「学童疎開体験事業」(主催・対馬丸記念会)で、沖縄本島から参加した小学5、6年生10人の体験報告会が28日、那覇市若狭の対馬丸記念館で開かれた。宮崎県での本研修などを通して学んだことや感じたことを新聞にまとめて発表し、平和継承の思いを強くしていた。

 児童は昨年12月末、本研修で宮崎を訪問。疎開した人の過酷な生活を語り部から聞いた。

 真地小6年の大濵梨乃さんは夜の海での乗船体験を振り返り「周りが暗くて、風が寒い。海に沈んでしまったのは自分と同じ小学生。どんな気持ちだったんだろう」と想像した。疎開先では冬でも厚着ができなかったと聞き「私だったらつらくて耐えられないと思う」と話した。

 当山小5年の眞榮城百恵さんは、引率教師として「対馬丸」に乗船して生き延びた故糸数裕子さんのひ孫。「私の曽祖母も疎開先で子どもたちの食べ物を確保するため、畑で作物を作っていたと聞いた。改めて戦争のことを知り、次世代につないでいきたいと思った」と力を込めた。

 松川小6年の仲宗根愛奈さんは「家族と離れるのが初めてで寂しかった。戦争をもう二度としてほしくない。戦争のことをもっと知りたくなった」と語った。

 研修中の食事は大根飯やみそ汁などの「やーさん(ひもじい)飯」を食べ、食生活の貧しさを体験した児童たち。4歳で対馬丸に乗って生き延びた高良政勝さん(83)は「今回の体験は3日間だけど、本当の疎開ではこれがいつまで続くか分からないんだよ」と声をかけていた。(社会部・當銘悠)

(写図説明)疎開体験事業で学んだことや感じたことを壁新聞にまとめ、発表する児童=28日、那覇市若狭・対馬丸記念館

               ★

沖縄タイムスが歪めた

沖縄戦「集団自決の全貌と裏側

沖縄タイムスは、読者を誤誘導し「八重山マラリア」なる新しい強請りネタを教科書に載せろ、などと理不尽な要求をし始めた。

そして住民の危機を回避するための「疎開」を「強制疎開」や「日本刀を突きつけて」などと悪意の修飾語を塗して読者を誤誘導しよう企んでいると書いた。

現在では馴染みの薄い「疎開」や「軍命」について、再度検証してみたい。

わが国は戦前戦後を通じて憲法を戴く議会制民主主義国家であった。 戦前といえども左翼用語で言う「天皇制」などではなく、憲法を国政の基本とする立憲君主制であった。

従って天皇が直接軍や政府に命令することはなく、軍も又政府に直接命令することはなかった。

軍の命令とはあくまで軍組織の上部から下部組織への命令であり、地方の住民に対しては法的な命令権はなく、何事かを依頼する場合は各地方の県知事を通じて地方の行政府の協力を得なければならなかった。

最近の八重山教科書問題でも明らかなように文部行政の監督省庁である文科省といえども、竹富町の行政指導は県教委を通じて行わなければならないのと全く同じである。 

その意味では戦前の軍の政務官僚は現在の官僚と同じく偏差値エリートであり、帝大より難関といわれた士官学校の卒業の席次が軍官僚としての将来を決めた。

軍・行政が住民疎開に尽力 利用された「軍命」2008-09-27 

沖縄戦を通じて言えること、軍隊(陸軍)と言えども士官クラスは殆どが士官学校出身で戦時法律に精通しており、軍服を着たキャリア官僚と言われるほど頭脳明晰だった。

 

軍事史学会副会長の原剛氏によると、沖縄戦を巡る「戦場地域の行政責任」は次のように説明されている。

実際に、米軍が上陸する二カ月前の1945年1月に軍司令官・参謀長・各部長・幕僚などが集まり、戒厳令に関する検討を行っているが、結局は戒厳令の宣告を大本営へ具申するに至らなかった。

このため、第三十二軍司令官は、戦場地域の住民の避難・保護についての責任を形式的には持たないことになり、あくまで県知事に責任に責任があるという形式が貫かれていた。」(『沖縄戦「集団自決」の謎と真相)

 

沖縄戦に際して、軍は戒厳令について検討はしたが執行はされず、行政責任は最後まで県知事に委ねられた。

「沖縄県民斯く戦えり」で有名な太田少将も、軍民の役割分担を充分心得ていた。

太田少将は、沖縄県の実情を報告するのは県の職務だが、「県には既に通信力なく、32軍司令部また通信の余力なしと認めらるるに付き」、県に代わって「緊急御通知申し上げる」と、自身の「越権行為」の弁明に電文の前半を費やしている。

電文「沖縄県民斯く戦えり」の冒頭部分

 沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告せらるべきも、県には既に通信力なく、32軍司令部また通信の余力なしと認めらるるに付き、本職、県知事の依頼を受けたるに非ざれども、現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上げる

軍隊が民間に命令できるのは、戒厳令が執行されたときであり、沖縄戦当時、戒厳令は執行されていなかった。

太田少将は自決直前の今わの際にも戦場現場の軍と行政の責任分担について峻別していた。

               ★

■軍命令の悪用

戦時中に、よく言えば「利用」され、悪く言えば「悪用」された言葉に、「軍の命令」という言葉がある。

実際には命令は発せられていなくとも、また軍が命令する権限がない場合でも、沖縄県民は当時の社会風潮から「軍命」と言った方が万事敏速に行動に移す傾向にあった。

例えば「○○へ集合」という場合でも迅速を期す場合「軍命」という言葉が頻繁に悪用された。

県外疎開も実際に住民に命令出来る立場にあったのは行政側であったので、県外疎開を緊急課題と考えた軍は行政に協力を依頼した

初県外疎開に反対の風潮にあった県民に対して行政側は「軍命」を利用した

だが「軍命」も頻繁に利用(悪用?)されると住民側もこれに従わないようになってくる。 オオカミ少年の例えというより、そもそも軍命なんて軍が民間に下すものではないということは一部には知れ渡っていたのだ。

『沖縄県史』第四巻には「集団疎開に対する県民の心境」として次のような記述がある。

≪当時の戦局からして、国家の至上命令としてどうしても疎開しなければならなかったのである。 刻々に迫ってくる戦火への不安、その中で県民は島を守るべき義務を軍部と共に負わされ、生活を軍部の専権にゆだねさせられた。

しかし、このような状況にあって、一家の中堅である男子壮年者は沖縄に留まり、老幼婦女子のみを未知の土地に送るという生活の不安や、肉親の絶ちがたい愛情に加うる、海上の潜水艦の脅威などから、住民は疎開の勧奨に容易に応じようとはしなかった。(略) 

かくして昭和19年7月中旬垂範の意味で県庁、警察の職員家族が疎開し、同8月16日1回目の学童疎開を送り出すまで、学校、部落、隣組などにおける勧奨が燃え上がるなかで隣組の集会などに持ち込まれる流言、戦況に対する信頼と不安の錯そうなどから家族間は賛否の論議を繰り返し疎開を決意したり、取り消したり、荷物をまとめたり、ほぐしたりの状況を続けた。≫

沖縄県史の記述の中にも「命令」を「利用」した当時の緊迫した状況が読み取れる。

学童疎開も「従わなければならない」という意味では軍どころか「国家の至上命令」としておきながらも、「住民は疎開の勧奨に容易に応じようとはしなかった」というくだりでは、命令ではなく勧奨と言葉の使い分けをしている。

>家族間は賛否の論議を繰り返し疎開を決意したり、取り消したり、荷物をまとめたり、ほぐしたりの状況を続けた

軍の命令」が親兄弟の命を奪わねばならないほど厳格なものだったら、賛否の論議の余地はなかっただろうし、疎開命令に対しても絶対服従であり、荷物をまとめたりほぐしたりも出来なかっただろう。

むしろ米軍来襲におびえて、荷物をまとめたりほぐしたりする住民の様子は、米軍上陸を目前にしてパニックになり、「自決すべきか生き延びるべきか」と迷ったあげく、結局グループのリーダーの決断に委ねた座間味、渡嘉敷両村の住民の心境に相通ずるものがあるのではないか。

どちらの場合も一家の主が拒否しようと思えば出来た。

学童疎開を拒否した家族は結局戦火に巻き込まれ多くの被害者をだし、集団自決を拒否した家族は戦火を生き延びた

軍命という言葉は、戦時中は行政側や一部民間団体に利用され、戦後は左翼勢力によって悪用されている。

以下は世界日報の引用です。

真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から63年 3部<13>

 

軍・行政が住民疎開に尽力

「南西諸島守備大綱」で詳細な指示

picture 今年6月23日の「慰霊の日」、沖縄県南部にある摩文仁の丘の「平和の礎(いしじ)」に刻まれた戦没者の前で手を合わせる遺族(敷田耕造撮影)
 沖縄の地で米軍を迎え撃つ日本軍は、敵の圧倒的な攻撃力をいかに封じ込め、反撃するかに心を砕くとともに、沖縄県民の疎開にも配慮した。

 

 軍が沖縄県庁と疎開計画を立案したのは昭和十九年の夏ごろから。重点を置いた島外疎開については、戦闘開始までに沖縄本島約十万人、八重山群島約三万人が九州・台湾に避難できた。

 一方で、疎開住民を輸送する船舶の不足、疎開先の受け入れの限界などの事情から、軍は島内疎開も視野に入れていた。この一環として十九年暮れに策定されたのが「南西諸島警備要領」。その特徴と経緯を、沖縄守備隊第32軍高級参謀、八原博通・元陸軍大佐の著書『沖縄決戦』(読売新聞社、昭和四十八年)から、紹介する。

 〈本要領中、最も注意すべきは、住民を当然敵手にはいるべき本島北部に移すことであった。一億玉砕の精神が、全国土に横溢(おういつ)していた当時、これは重大な決断であった。私は、軍司令官に相談申し上げた。「サイパンでは、在留日本人の多くが玉砕精神に従って、軍とともに悲惨な最期を遂げた。しかし沖縄においては、非戦闘員を同じ運命を辿(たど)らせるべきでない。アメリカ軍も文明国の軍隊である。よもやわが非戦闘員を虐殺するようなことはあるまい。もし島民を、主戦場となるべき島の南部に留めておけば剣電弾雨の間を彷徨(ほうこう)する惨状を呈するに至るべく、しかも軍の作戦行動の足手纏(まと)いになる」といった主旨を述べた。こういうと、一見語勢が強いようだが実はそうではなく、私も内心軍司令官のお叱りを受けるのではないかと、声をひそめて申し上げたのであった。ところが、軍司令官は、よく言ってくれたとばかり、直ちに裁断を下されたのである〉

 戦闘に参加・協力できる県民を除いて六十歳以上の老人、国民学校以下の児童とその世話をする女子は十数万人と、八原参謀は読んだ。だが、米軍の日増しに激しくなる空襲や家族がバラバラになることを嫌い、北部疎開は思うように進まなかった。結局、五万人ほどが北部に疎開した

 着任して間もない島田叡知事は沖縄県民の食料確保のために、わざわざ台湾総督府に出掛け談判した。結果、台湾米約十万袋を獲得し、この海上輸送にも成功した。

 六月上旬、東京・目黒の防衛省防衛研究所の戦史資料室を訪ねて、「軍命」「沖縄戦」「第32軍」の中から、三十点余りの資料を閲覧した。八原参謀の『沖縄決戦』の下書きとなったノートのコピーや、米国から戻された作戦資料などもあったが、南西諸島警備要領そのものはなかった。

 ただ、沖縄のジャーナリスト、上原正稔氏が翻訳・編集した『沖縄戦アメリカ軍戦時記録』(三一書房、昭和六十一年)に掲載されている「南西諸島守備大綱」が、この南西諸島警備要領と同一のものと推定される。

 タイトルが違うのは、米軍が押収した日本軍機密文書の英訳を上原氏が日本語に直したものだからだ。『沖縄戦アメリカ軍戦時記録』によれば、極秘扱いのこの文書は、「閣議決定による国家総動員法の要旨に基づき、球一六一六部隊(第三十二軍司令部)牛島満司令官及び、沖縄県知事、鹿児島県知事の命令により、次の付属文書を提出する」という文から始まっている。その内容は、八原参謀の手記と重複するものだが、「南西諸島守備大綱」の方がより住民の疎開について詳細な指示がなされている。日本軍が駐屯した島の島民への指示も記載されている。

 「船舶の事情により、予期される戦闘地区から事前に疎開できず、しかも、軍隊のいる島の島民は、敵軍の砲撃の被害を少なくするために、それぞれ身を守るための壕(ごう)を掘らねばならない

 また、「(住民の)混乱を避け、被害を少なくするために、島民を適当な場所に疎開、あるいは、離島に疎開させること」とも記している。

 専門家によれば、避難壕を造ることや安全な場所に島民を誘導するという仕事は、村長、助役ら行政担当者と、戦闘部隊を後方から支援する基地隊が中心になって行うという。つまり、軍も行政も住民保護に心を砕いたのである

 こうした事実を踏まえれば、精神的に限界状況にあった住民が集団自決に踏み切ったことを取り上げて、「日本軍は住民を守らない」などという左翼の主張がいかに的外れで、「反日運動のために捏造(ねつぞう)されたスローガン」にすぎないかが明白になる。

 実際は、全国各地から召集された日本人がわずかな武器を手にして、日本を、そして沖縄を守るために貴い命をささげたのである。もし、日本軍が沖縄に一兵士も送らなかったならば、果たしてどうなっていただろうか。北方領土や樺太がソ連領になったように、沖縄もまた米国の一部になっていたかもしれない。

(編集委員・鴨野 守)(世界日報掲載:6月29日)

軍・行政が住民疎開に尽力 利用された「軍命」

 

 

 

コメント (1)

玉城デニ知事は最高裁判決を踏みにじる活動家・同志・玉城知事を支持する

2023-10-17 14:08:47 | 政治

 

 

プロフィール画像

 

⇒最初にクリックお願いします

10-17 1705大

          

             ★

10月11日付産経新聞に『沖縄「集団自決」』が大きく掲載されました

沖縄考

右手ひとつ、反日と戦う 那覇支局長・川瀬弘至 

ブログ「狼魔人日記」をつづる江崎孝さん=沖縄県宜野湾市の自宅

沖縄の「民意」が、変わりつつある―。

明星大教授らの研究グループが6月に公表した安全保障問題に関する沖縄県民への意識調査によれば、日米安保の強化を望む県民は39%で、望まないと回答した23%を上回った(37%は「どちらとも言えない」)。

とくに18~34歳の若い世代は49%が安保強化に肯定的だ。この世代は、革新勢力が「民意」とする基地反対運動には否定的で、「国防政策は政府に決定権があるので基地反対運動は無意味」と考える割合が55%にも達した。

17日1405大

 

             ★

■狼魔人日記・文藝コーナー■(毎日三首紹介します)

これは平成22年から令和4年まで私の生活の中で見て聞いて感じた事をメモのつもりで三十一文字にまとめたものです。 一つでもこれはとこれはと思われるものがありましたら幸いです。令和五年一月  

富原盛安(82歳・南城市)

あどけない孫の笑顔にただみとれジージと呼ばれ我を忘れる

春三つ越えたる孫のタマゴ剥く真顔にみとれニヤケいるジジー

チンタラと人生やれば終わるかと甘い思いに烈火の試練

           ★

瀬良垣譲二(糸満市)

■狼魔人日記・文藝コーナー■へ

 そこに居て声も出せない花たちへ わずかなサービス朝の水やり

                ★

司法判断の結果を尊重できないなら、即刻議員を辞職すべき。
法に従えないような議員に支払う血税は、日本はおろか世界中どこのもない。

中国の支援を糧に、辞職後に独自に活動すればよい。

 

 

「知事を支持する」辺野古新基地建設反対で自治体議員有志の会が会見

配信

沖縄ニュースQAB

QAB 琉球朝日放送


knz********7時間前
非表示・報告
日本は民主主義国家なので反対運動は構わない。
ただ、最高裁の判断が出ており、法治国家である日本では、知事は建設を認可する義務がある。認可拒否は違法だ。
その上で、犯罪行為となる暴力的な活動や迷惑行為『外患誘致』となる反対運動は絶対にダメだ。許してはいけない。

返信
18

1535

69
パテ
パテ6時間前
非表示・報告
「建設に反対する自治体の議員で構成する団体は、知事を支持すると改めて表明」と言っても、日本国民である以上、裁判の判決の決定には、法律の遵守と言う義務があります。
それは、県知事も議会議員も同じであると言う事は疑う余地はない。
もし、司法に従えないと言うのであれば、知事も議員の役職を返納してから、ご主張するべきでは。
一市民になれば、何を言おうが、自由である。憲法で保障されています。
国民の見本となるべき、県知事や議員が司法の決定を破ろうとする事は、如何かと思えるし、例え、主義主張と違う司法判断が下されようと、法に従うのが法治国家の論理である。
簡単な話、日本では、横断歩道で信号が赤は止まれなのに、「自分は赤で渡る主義だ」と言って、渡る人はいないです。

返信
7

649

24
ygz********
ygz********6時間前
非表示・報告
声が大きい事が注目される世の中ですが沖縄県民の大部分は知事に同意なのかな。その辺を知りたい。本土から客観的に考えると確かに米軍の事故や不祥事はあるが抑止力は多大にある。米軍撤退したフィリピンの現状を見ると木を見ないで森を見た方が得策に感じます。

返信
7

409

18
hit*****
hit*****7時間前
非表示・報告
建設に反対する自治体の議員で構成する団体なんだから知事を支持するのは当たり前だろう。
わざわざ言うことじゃないね。
それより、沖縄県民はほんとに基地がなくなって欲しいと思ってるのかな。
たくさんいるであろう基地関連の仕事をしてる人が移設を希望してるというのはちょっと信じがたいんだが?

返信
9

487

17
luu********
luu********7時間前
非表示・報告
共産党系の労組だろう。民主主義国家の破壊を目論む団体と繋がりのある者は公務員になれないとする欠格条項があり、入職時には誓約書を書かされるのにおかしなことだ。
この「有志の会」のメンバーは欠格条項に該当しないのか調査すべきだ。

返信
3

614

15
sa3********
sa3********5時間前
非表示・報告
新基地建設反対の人は目立とうと声を上げるが、新基地容認の人はわざわざ声を上げないという違いでは?基地賛成!とか大声は上げないだろう。

今回の沖縄の件だけではなく、だいたいにおいて目立つ活動をするのは反対派。反対は必死だからね。だから、声の大きさをもって世論全体がどうなっているかは別の話だと思う。

返信
1

126

5
fuj********
fuj********7時間前
非表示・報告
辺野古基地は地域住民の騒音を考慮して海に突き出た難しい滑走路となったのだが分かっているのだろうか。
所で、相変わらず反対派ばかりの記事だが賛成派の記事もバランスよく載せて欲しい物だ。良識ある沖縄県民もいる筈だ。

返信
1

442

20
cwv********
cwv********5時間前
非表示・報告
司法判断の結果を尊重できないなら、即刻議員を辞職する以外ありませんね。
法に従えないような議員に支払う血税は、日本はおろか世界中どこのも有りません。中国の支援を糧に、辞職後に独自に活動すればいかがですか。ただし法律違反は犯罪ですからそこのところはよく考えてくださいね。

返信
2

133

4
uyf********
uyf********5時間前
非表示・報告
この方たちと支持する人達は、基地移設に反対すればするほど、将来に、近くの国との紛争になる可能性が高くなっていくのではと危惧できないのでしょうか? 国内の分断は対抗力、抑止力を確実に弱めます。

返信
0

94

5
Q珍子(チンシ)
Q珍子(チンシ)18分前
非表示・報告
県内30の市町村議会議員で構成する「活動家・同志・玉城知事を支持する」普天間基地・辺野古移設反対の自治体有志の会は、「県の先島諸島・普天間基地所在の住民の方々の生存・安全に対する基本的人権無視」「県庁によるPFAS環境汚染の隠蔽」「県議会を無視した県の複数の会計ミス」「大麻地産地消日本一」「県民所得最下位」「教育の荒廃」等に関し、玉城知事と沖縄県庁に抗議をしないのだろうか。「もし、しない・できない」というのならば、活動家・玉城知事との連帯による「県民不在の単なる反日米・親中のイデオロギー闘争」としか思えない。

 

【購入手続き】

購入手続きは、

➀送付先の住所明記の上、

②下記の金額を指定口座に振り込んでください。

1冊  1500円 +送料300円 = 1800円

(※三冊以上ご購入の方は、送料は当方で負担しますので、4500円振込)

お振込先

    • 金融機関:ゆうちょ銀行
    • 名義:江崎 孝
    • 記号:17050
    • 番号:05557981

 

ゆうちょ銀行以外からお振り込む場合の振込先

    • 金融機関:ゆうちょ銀行
    • 金融機関コード:9900
    • 預金種目:普通預金
    • 名義:江崎 孝
    • 店名:708(読み ナナゼロハチ)
    • 店番:708
    • 口座番号:0555798

 

コメント (1)

「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」解散記者会見1/2

2023-09-04 05:13:46 | 政治

 

プロフィール画像

 

⇒最初にクリックお願いします

読者の皆様へ

■出版社の都合で約1月発売が遅れる見込みです。 9月21日ごろ

8月15日発売を目途に皆様に献金をお願いした『沖縄「集団自決」の大ウソ』の編集作業が現在進行中です。ただ販促物のチラシ作成など、さらに最低限の出版数400冊で調整中ですが、出来れば市場に出回る出版数も800冊~1000冊と一冊でも多い方が目立ちますし、本の体裁もより目立つ体裁にしたいと考えています。

そこで再度皆様の献金ご協力お願いいたします。

■出版費用の献金のご協力願い

最低限での出版には何とか漕ぎつけましたが、増刷等で皆様の献金ご協力を伏してお願い申し上げます。

献金額の多寡は問いませんが、一口3000円以上にして頂けると幸いです。

まことに勝手なお願いですが、宜しくお願いいたします。

狼魔人日記

江崎 孝

お振込先

  • 金融機関:ゆうちょ銀行
  • 名義:江崎 孝
  • 記号:17050
  • 番号:05557981

 

ゆうちょ銀行以外からお振り込む場合の振込先

  • 金融機関:ゆうちょ銀行
  • 金融機関コード:9900
  • 預金種目:普通預金
  • 名義:江崎 孝
  • 店名:708(読み ナナゼロハチ)
  • 店番:708
  • 口座番号:0555798

★すでに御献金賜った方には、出版本を贈呈したいと思いますので、下記メルアドに贈呈本の送り先、住所氏名をご一報いただければ幸いです。

管理人への連絡⇒ezaki0222@ybb.ne.jp

                 ★

百田新党は国政政党になれるか?←その可能性は十分ある。しかし…

 

御礼! 百田新党(仮)公式X開設から半日で5万超フォロー、そして選挙管理委員会で…

関東大震災、朝鮮人虐殺!御礼! 百田新党(仮)公式X開設

 

「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」解散記者会見1/2

 

 

捻じ曲げられた「1フィート運動」、白旗の少女 琉子

2012-12-29 07:38:25 | 県知事選

 

よろしかったら人気blogランングへ クリックお願いします

 

本日の沖縄タイムスの一面を見て仰天した。

トップに躍る酔っ払い米兵の大見出しのことではない。

左トップの次の記事を見たからだ

『1フィート』理念継承へ 

大田元知事が新研究所設立 

沖縄戦フィルム常時上映

 <住民を巻き込んだ凄惨な沖縄戦の実相を長年伝え、来春解散する『沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会』の理念を引き継ごうと、会の顧問で元県知事の大田昌秀さん(87)が年明けに新たなNPO法人『沖縄国際平和研究所』を設立し、自身が収集した沖縄戦フィルムの常時上映を始める。鉄血勤皇隊として地上戦を生き延びた大田さんは『改憲や自衛隊の国防軍化が危惧される今、新しい伝承運動が必要』と意気込む。・・・・「1フィート運動の会」の結成に深く関わった大田さんは「鉄血勤皇の学生たちの死を無駄にしないためにも、伝承の灯を守りたい。厳しい世相の中、沖縄全島の平和実現を、目指す研究所として歩みたい」と話している。>(沖縄タイムス 12月29日)

反日サヨクの巣窟「1フィート運動」が、昨日の醜悪な記者会見で幕を下ろすと思ったら、なんと大嘘つきの大田昌秀元県知事が「理念継承」だって。(爆)

大田氏は自著などでは、「1フィート運動は自分が創立した」などと大嘘をついているが、昨日の「解散記者会見」で、上原正稔さんが創立したと証言されては、自分が創立者などの大嘘もつけず、「1フィート運動の会の結成に深く関わった」などと曖昧な表現で逃げるしかなかったのだろう。

大田氏の「大田平和研究所」なるものは、何時行っても訪れる人影は見えず、開店休業状態。 そのうち此処も同じく店仕舞かと思っていたら1フィーと運動の解散に「渡りに船」と飛びつき、自分の金儲けのネタにする魂胆らしい。

それにしても上原正稔さんにあれほど激しく面罵されてながら、そのことはおくびにも出さず神妙な顔で質問に答える同会の幹部の面々は恥を知らないのだろう。

また彼らを必死でかばう沖縄マスコミも恥知らずの極致である。


解散を表明し、次世代の運動の広がりに期待を寄せるNPO法人沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会の福地曠昭代表(左から2人目)ら=27日、県庁記者クラブ

 来年3月の活動終了を表明しているNPO法人沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会(福地曠昭(ひろあき)代表)は27日、県庁記者クラブで会見し、3月15日に那覇市の八汐荘で開く解散総会で活動に幕を下ろすと正式に発表した。
 福地代表(81)は「これまでの運動の成果を生かし、沖縄戦の歴史的教訓を引き継ぐ新しい平和教育や県民運動が、若い世代を中心に展開されることを期待すべきだと考えた」と説明。平和の理念を継承する次世代が決意を持って運動の裾野を広げていけるよう望んだ。
 1フィート運動は戦争を知らない世代に沖縄戦の実相を伝えようと、1983年に始まった。県内外から寄せられた寄付で米国立公文書館などから沖縄戦の記録フィルムを買い取り、各地で上映会を開いてきた。解散の理由について、沖縄戦に関する公的機関が整備されたことなど、一定の役割を終えたとしている。
 これまでの寄付総額は8889万1870円、収集したフィルムは約11万フィート(約50時間)。会見で福地代表らは県民の運動への協力に感謝した。解散に伴い、フィルムは県公文書館へ、ガマの調査で見つかった遺品は県平和祈念資料館などに譲渡する方向で話を進めているという。
 石原絹子理事(75)は沖縄戦で戦争孤児になった。会見で「戦争で家族を失った悲しみや苦しみを嫌というほど体験した。若い人や子どもたちにそういうことがあってはいけない」と訴え「後輩たちにバトンタッチし、明るく平和な21世紀をみんなで築いていく気持ちだ」と力を込めた。

◆記録活用が課題 関係者
 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会が活動を終了することについて、会の関係者や沖縄戦体験者などからは、残念がる声のほか、「この記録をどう生かしていくかが今後重要だ」と指摘する声があった。
 沖縄戦を研究する石原昌家沖縄国際大名誉教授は、同会の活動により「沖縄戦の体験を語らなかった人たちが、体験を語り始める機運が生まれた。(1フィート運動は)その後押しになった。沖縄戦の体験を継承する大きな役割を担ってきた」と意義を語る。「自衛隊を国防軍にしようという動きもある現在、若い人たちがこの成果を生かす活動をしてもらいたい」と望んだ。
 同会のフィルムと住民の証言を織り交ぜた映画「軍隊がいた島」「沖縄戦の証言」の監督を務めた謝名元慶福さんは「フィルムを取り寄せる役割は終わったということだが、米国の軍隊の視点で撮影した映像に沖縄の体験者の証言を突き合わせ、伝えていく作業は必要。日本が戦前に回帰するような方向の中、その仕事はより強く求められている」と語った。同会の上映会で体験を伝えたこともある安里要江さん(92)は「フィルムを集めることはとても貴重で良い活動だった。(活動終了は)もったいないと思う」と述べた。

               ☆

RBCテレビ
1フィート運動の会 来年3月 活動に幕

 ニュース映像

 

一昨日の1フィート運動の会の記者会見の主役は同会の創立者上原正稔さんで、反日サヨクの巣窟に成り果てた同会を、上原さんが20数分に渡り糾弾する衝撃場面の一部始終をマスコミは目撃していた。(記者会見の席だから当然だが)

にもかかわらず翌日のマスコミは一行もこの衝撃のシーンを報じることはなかった。

「不都合な真実」は一致団結で「報道しない自由」を守ったつもりだろうが、この事件が図らずも「異論を許さぬ全体主義・沖縄」を見事に象徴することになった。

2012年12月27日の「1フィート運動解散記者会見」。

これは沖縄のメディア史上最大の汚点として永遠に刻まれる。

まさに沖縄の恥である。

だが、反日サヨクと沖縄メディアが必死に隠蔽を試みても、いまや時代はネット全盛である。

天網恢恢疎にしてもらさず、天知る、地知る、ネット知る、

いや、真玉橋のオジー知る。

読者の真玉橋のオジーさんと安仁屋正昭さんのコメントです。

■「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」解散記者会見1/2
【必見動画】
http://www.youtube.com/watch?v=KT-sLTFl6fI
マスコミが決して報道することのないオキナワの事実
0:27あたりから話題の人物登場です

■昨夜はNHKと民放1社の1フィートの会の報道見ましたが
その裏でが上原正稔氏とのバトルがあったとは、誰も想像すら出来ないでしょう
メデイアの「報道しない自由」の恐ろしさを痛感しました

しかし、福地も石川も共に沖教組を牛耳ってきた人達であり、豊平良顕や牧港篤三などは「鉄の暴風」の出版と引き換えに米軍政府から優遇を受けた売国奴達です
この役員名簿は、沖縄をダメにした100人にそのまま入れるべきと思います

それにつけても、この真玉橋のオジーの映像は永久保存版ですね 

昨日のエントリーで触れた1フィート運動から生まれた「白旗の少女」について、詳細が知りたいと言うメールを多数頂いた。

 

上原正稔さんを追い出してすっかり反日サヨクの巣窟と化した「1フィート運動の会」はフィルムに映った映像を継ぎはぎし、日本軍への憎悪を煽るような編集映画を作製していく。

 

大田昌秀氏の著書「これが沖縄戦だ」に掲載された「白旗の少女」を題材にサヨク識者がイデオロギーまみれの絵本を出版し、子どもたちの洗脳を計ったが、さらにその絵本はアニメ(動画)となって、大人たちの日本兵への憎悪を増幅していく。

 

この動画に出てくる日本兵の顔が時代劇の悪代官以上に醜悪に描かれているのは1フィート運動の幹部たちの心情をそのまま反映していて興味深い。

 ちなみに大田氏は自著「2人の少女の物語」の中で「オカッパ頭で少女に変装した少年の嘘まみれの話を実しやかに書いている。

これについては当日記の「オカッパの少年」で詳しくレポートしてある。

【動画】琉子の白い旗

 

「沖縄記録フィルムーフィート運動の会」が入手したアメリカ軍の記録フィルムの中に、白旗をかかげ、手をふりながら投降する少女がありました。 その姿は印象的で感動をよび大きな話題となり、一九八五年「りゅう子の白い旗ー沖縄いくさものがたり」(文・新川明、版画・儀間比呂志)という素晴らしい絵本が出版されま­した。

映画はこの絵本を素材に、アメリカ軍の沖縄空襲(一九四四・十・十)から沖縄本島上陸(一九四五・四・一)、日本軍の潰滅(六・二〇)、そして投降(六・ 二五)にいたる少女の生きざまと、戦場で出会った鉄血勤皇隊の、少年兵との交流を通して、平和の尊さ、人間が生きることの大切さと喜びを描きます。

大阪・兵庫での上映情報はこちら ↓↓
株式会社大阪教映社
http://www.kyoeisha.net/

 

■白旗の少女

以下は読者のご要望に応えて過去記事白旗の少女を抜粋して再掲したのもです。

       ☆

「白旗の少女」については、過去に何度かエントリーした。

この物語は、「一フィート運動」で入手した米軍の記録フィルムに写っている白旗を振って歩く少女がモデルとなっており、
戦後、偏向した「平和教育」の教材として利用 (悪用)されてきた。

写真では、少女の後ろに、たまたま通りかかった日本兵が歩いており、この光景を、反戦運動家達は、わずか7歳の
少女を盾にして投降する 「卑怯な日本兵」というストーリーに仕立て上げた。

今回のドラマでも、ドラマだからといって、ご本人の証言を捏造したり原作とかけ離れたたストーリーには注視が
必要である。

 

                    ◇

沖縄戦において米軍は圧倒的物量をほこり、その戦力の余裕から数多くの報道班を配備した。

彼らが撮影した多くのフィルムは冷徹に戦争の実像を記録をした。

だが、後世これらを見た沖縄の「識者」たちはそれを基に数多くの神話を捏造した。

イデオロギーまみれの「平和教育」のために。

「白旗の少女」の写真を知る者は多いが、「平和教育」のために作られた少女にまつわる神話の背景を知る者
は少ない。

<白旗の少女 とは、沖縄戦で白旗を掲げ投降した少女。大田昌秀編著『これが沖縄戦だ』に写真が初めて登場。
1986年公開の記録フィルム「沖縄戦・未来への証言」の中の笑顔が県民の印象に残った。
少女は当時7歳の比嘉富子。(琉球新報)>

                   ◇

「白旗の少女」や長寿の秘密 高校英語教科書に“沖縄” カメラ 2008年3月26日

 文部科学省は25日、2009年度から主に高校高学年で使われる教科書の検定結果を公表した。高校英語教科書には、
沖縄戦で白旗を掲げて米軍に投降した「白旗の少女」と沖縄の長寿の秘密を探る「東洋の長寿の秘密」が登場する

「白旗の少女」は三友社出版で2、3年生対象、「東洋の長寿の秘密」は増進堂で3年対象のリーディングの教科書に
それぞれ05年から掲載されている。また音楽ではBEGINの「島人(しまんちゅ)ぬ宝」、寺島尚彦さんの「さとうきび畑」が
登場するなど、沖縄を題材としたものが紹介されている。
 「白旗の少女」は沖縄への修学旅行生が増加し、関心が高まる中、平和問題につながる教材として05年に発行した
教科書に初めて掲載され、現場教師らに好評だったことなどから今回も掲載を決めたという。
 内容は沖縄戦末期に一人戦場をさまよった少女が白旗を持って一人米軍に投降し、奇跡的に一命を取り留め、
その時撮られた写真が“白旗の少女”として写真集に掲載され、少女は写真を撮ったカメラマンと43年ぶりに再会を
果たした―という体験談をまとめた。(略)
  ◇

米軍によって撮影された記録フィルムの中で、戦争に翻弄される子どもたちの姿には心を痛める。

その中でも特に有名な白旗の少女の写真は、戦争の残酷さを伝えて圧倒的迫力で見る者の心を大きく揺さぶる。

              ☆


「白旗の少女」は、アメリカ軍が沖縄戦を撮影したフィルムを買い取る「一フィート運動」の成果として、
1984年に紹介されたフィルムに写っていた。

手製の白旗を掲げ投降する少女の姿は、男服を作り変えたと思われるボロボロのもんぺに裸足のみすぼらしい姿で、
健気にも白旗を右手に、左手でカメラのレンズから顔を隠しているように見え、見る者の心を打った。
(映画版を見るとカメラに手を振っている様子)

 

後の調査によると、少女を写したカメラマンは二人いて、一人が記録映画、もう一人がスチル写真を撮影したらしい。

以後「白旗の少女」の写真は多くの沖縄戦記出版物に転載され見るもの全てを圧倒的感動の渦に巻き込んでいく。

「白旗の少女」の発掘は、『写真記録「これが沖縄だ」』(1977年)の初版発行の7年後になるので、同書掲載の写真は1987年の改訂版で新たに掲載したのだろう。

「白旗の少女」が公開されたその翌年の6月には、左翼ジャーナリスト新川明氏(元沖縄タイムス社長)と画家・儀間比呂志氏がコンビを組んで『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』というタイトルの本が出版され、同書を原作にしたアニメ映画まで製作されている。

「白旗の少女」が教科書に載ったり、修学旅行生に紹介され、写真やフィルムを見た多くの人々がその場面に衝撃を受けるのは、白旗を手に投降する少女のけなげな姿にあったのではない。

「平和教育」のため、沖縄の「識者」の予断により歪曲され、捏造された醜悪な日本兵の姿に衝撃を受けたのである。

米軍が提供する沖縄戦の写真を歴史教育に使用するのは結構なことだが、それを扱う「識者」の色メガネを通して、歴史が捏造される例は多い。

例えば子供用の絵本として出版されたの『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』(文・新川明、版画・儀間比呂志)には、少女(りゅう子)が白旗を掲げて銃剣を構える米兵に投降する場面(先頭のりゅう子の後ろには両手を上げた多くの日本兵が追随している版画絵)では、次のような文がある。

<ゆっくりと目をあけると

すきとおるひかりのむこうに

アメリカ兵のすがたがみえました。

戦車のかげで鉄砲をかまえたまま

白い歯をみせてわらっています。

 

ふりかえると、日本兵たちが

両手をあげてついてきました。

おじいさんや女の人も

よろよとつづいていました。

そのむこうに、ガマが黒い口をあけていました。>

 

同書の「あとがき」には次のようなことが書かれている。


  <さる太平洋戦争では中国をはじめたくさんの国の人たちが犠牲になりました。日本の国民もヒロシマやナガサキに代表される大きな被害をうけました。しかし、沖縄戦は、ほかにみられない軍隊の姿をさらけ出しました
 本来、軍隊は国土と国民を守ることをタテマエにしていますが、究極的には自国の国土の中でさえ、自国の国民に銃口を向けて食糧を奪い、無闇に住民を殺す存在でしかないことを明らかにしたのです。それが、戦争であることを沖縄戦は教えました。 >
 
<私たちはこの絵本作りで、沖縄戦世を追体験しました。
 はじめに、沖縄一フィート運動の会が入手した米軍の沖縄戦記録フィルムに、爆砕された山の石ころ道を、白旗をかかげて米軍に近づいてくる少女がありました。おかっぱ頭で、もんぺはずたずたに裂け、焦土を踏む素足が痛々しい。
 さらに映像は、ロングになり、少女の約十メートル後から、両手をあげて、ついてくる日本兵たちの醜い姿まで写していました。それは、わずか数秒のカットでしたが、見ている私たちにあたえた衝撃は小さくありませんでした。 >
 

日本軍への憎悪を掻き立てるような文章を書いた新川明氏は元沖縄タイムス社長で、「沖縄イニシアティブ方式」と呼ばれる卑劣な手段で沖縄紙の論壇からから保守論客を放逐した左翼ジャーナリストである。

「沖縄イニシアティブ方式」の詳細は、雑誌『WILL』2008年8月増刊号に寄稿してあるので参照されたい。

また、版画による絵を担当した儀間比呂志氏は沖縄ではよく知られた文化人で、このコンビで作られた絵本は大きなインパクトを与えた。

絵本が糾弾するのは、「白旗を持った少女を盾にその後ろからついて来て、米兵に命乞いする」といった日本兵の卑劣な姿であった。

で、実際はどうであったのか。

記録映画版の映像で動画を見ると、「虚脱したようにゾロゾロ歩く避難民の列の中に白旗を持った少女を見たカメラマンが、その姿に興味を持ってカメラの焦点を合わせ、気が付いた少女がカメラに手を振った」といった印象である。

それを示す他の角度の写真には少女の背景に反対方向に向かって歩く日本兵らしき人のリュックを背負った姿も映っており、「識者」たちが主張する「少女を盾にした卑劣な日本兵」という雰囲気は画面からは読み取れない。

 

 

 

 

1985年、沖縄の「識者」たちによる『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』の発刊で、「卑劣な日本兵」という神話が一人歩きを始めた。

それを見たご本人の比嘉富子さんが、1987年「白旗の少女は私です」と名乗り出て話題を呼んだ。

そして二年後の1989年、今度は比嘉さん自著による『白旗の少女』(講談社 文・比嘉富子 絵・依光隆)が刊行される。

そしてその本の後書きには、当初名乗り出ることも、自著を出版することも躊躇していた比嘉が、あえて自筆による出版に踏み切った動機を次のように書いている。

<・・・ところで、沖縄戦の記録映画が公開されて以来、あの映画のなかで、白旗をもって投降するわたしのうしろから歩いてくる兵隊さんたちが、わたしを盾にしてついてきたかのようにごかいされてているのは、大変残念なことです。
この兵隊さんたちは、わたしの歩いてきた道とは別の道を歩いてきて、偶然、一本道でわたしと合流した人たちです。 そして、私のほうが先に一本道には入ったため、あたかも白旗をもった私を弾よけにして、あとからついてきたかのように見えるのです。
したがって、わたしと、背後から歩いてくる兵隊さんとは、いっさい関係がなかったのです。 このことは、事実として書き加えておかなければなりません。(204、205頁)>

比嘉富子さん、よくぞ生きておられて、よくぞ真実を告白してくださいました。

不幸にして比嘉さんが生きてはおられず、また生きてはいても何かの都合で名乗り出ることなく沈黙を守っていたら、「少女を盾にした卑劣な日本兵」は歴史として永久に語られたであろう。

ここで登場する日本兵は名も顔も知られぬ無名兵士ゆえ、梅澤、赤松両隊長のように名前を特定されないが、日本軍の代表として「醜悪な日本兵」が定着していたであろう。

記録映画を見た観客は、真実をそのまま写すカメラの目を通して事実を見る。

だが、新川明氏や儀間比呂志氏のような「識者」の文や絵を通して伝えられるものは真実とは遠くかけ離れたものである。

その昔、佐藤栄作が辞任会見の折に、

「テレビはしゃべったことをそのまま映すが新聞はウソを書くから記者は出て行け」

と新聞記者を会場から追い出した話しを想い出す。

 

では、「白旗の少女」のご本人である比嘉富子さんが、名乗り出て真実を告白したため「白旗の少女」の神話は崩れ去ったのか。

否、相も変わらず「卑劣な日本兵」を断罪する『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』は一行の訂正もされず発売されているし、子どもたちへの「平和教育」では「悪逆非道」のイデオロギーで日本軍を貶め続けている。

これはデタラメな記事を満載しながら、今でも発売し続ける『鉄の暴風』と同じ構図である。

 

【追記】 朝日の大嘘記事

沖縄1フィート運動に幕 米が保管の戦時映像収集

【谷津憲郎】米国が保管する沖縄戦の記録フィルムを買い取り、各地で上映してきた沖縄県の「1フィート運動の会」が30年の歴史に幕を下ろす。メンバーが高齢化する一方で、沖縄県公文書館などもフィルム収集に取り組んでおり、「民間活動としての役割は果たした」と判断した。集めたフィルムは11万フィート(約33キロ)にのぼるという。

 写真:白旗の少女=「1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦」から
白旗の少女=「1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦」から

 

3代目の会代表をつとめる福地曠昭(ひろあき)氏(81)らが27日、発表した。「解散を惜しむ声も耳に入っている。しかし若い世代がきっと思いを受け継いでくれる。新しい運動が巻き起こることを切望する」と語った。

写真:米軍に保護された子ども=「1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦」から
米軍に保護された子ども=「1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦」から

 

 会の正式名称は「子どもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会」。1983年、ひめゆり学徒隊の引率教師だった故仲宗根政善氏らの呼びかけで生まれた。

写真:「若い人たちがきっと受け継いでくれる」と語る福地曠昭代表=27日午後3時、沖縄県庁
「若い人たちがきっと受け継いでくれる」と語る福地曠昭代表=27日午後3時、沖縄県庁

よろしかったら人気blogランングへ クリックお願いします

 
コメント (2)

正体現した琉球新報「沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て」→ ネット『正体現したね』『オイオイ本物かよ』

2022-12-15 06:48:15 | マスコミ批判
琉球新報「沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て」→ ネット『正体現したね』『オイオイ本物かよ』

治界隈迷言集さんのツイート

正体現したね

 

\関連ツイート

 

 

琉球新報


琉球新報は、沖縄県を中心に発行されている日刊新聞である。株式会社琉球新報社が発行している。
出典:Wikipedia

ネット上のコメント

わ〜お

公安「へぇ…」

どこも味方につけれなそう つけてもそのうち侵略されるきが、、

どれも絶対味方にならないであろう面々

読んで、クスッとしてしまった。

新報ってこんなこと言ってるんか ほんとに同じ県民が書いてるのか…? 信じられん

思想強すぎやろ

 
 
 
 国際

【島人の目】苦難覚悟で沖縄独立も

辺野古移設反対が多数を占めた県民投票の結果を受けても、安倍政権が「基地負担を軽減するため辺野古に新基地を造る」と沖縄を愚弄(ぐろう)する言葉を吐き続けるなら、もはや島はさらなる苦難を覚悟で独立を志向したほうがいいのかもしれない。その場合、沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。

 民意を無視する安倍一強はしょせん独裁体制。毒をもって毒を制する。安倍強権内閣と鋭く対立している今の韓国も沖縄のパートナーになり得る。韓国に「恨の心」がある限り、彼らは沖縄の屈辱も理解するだろう。懸念は沖縄がそれらの「大国」にのみ込まれて、安倍政権下の“植民地”状態を脱して新たに彼らの「植民地」になってしまうことだ。沖縄が中国に於(お)ける「チベット化」を避けるには、大きな知恵と肝っ玉が必要だ。

 幸い沖縄には、大国の間隙(かんげき)を縫って独立を保った奇跡のミニ国家、琉球王国の伝統とノウハウがある。それを生かせば道が開けるだろう。だが沖縄が目指すべきは断じて琉球王国の再興ではない。琉球王国とは何か? それは過去の世界の国々と同様の、未開で野蛮な独裁国家にすぎない。琉球王国の場合は、その上に「ミニチュアの」という枕詞(まくらことば)が付くだけだ。未開の、超ミニチュアの独裁国家が琉球王国である。

 沖縄はそんな邪悪な国家体制を目標にしてはならない。独立沖縄は民主主義体制の、貧しくても「明るい沖縄共和国」であるべきだ。個人的には僕は沖縄の独立には反対する立場である。だが沖縄が本気で独立に向けて立ち上がるなら、そしてもしも必要なら、僕はここイタリアを引き払ってでも、故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。

 (仲宗根雅則、在イタリア、TVディレクター

⇒最初にクリックお願いします

 
コメント (2)

ひろゆき氏が粉砕したオール沖縄!きょう、那覇市長選挙

2022-10-23 05:01:31 | マスコミ批判

ひろゆき氏名言集

「正解を教えても間違うバカ」⇒沖縄タイムス阿部岳記者

「言って欲しくないことは全て真実

前知事の次男と側近が激突 

要は実績もないまま親の七光りで出世してきた2世政治家と市政を屋台骨として支えて来た実務者のチョイスという事では。

翁長氏と知念氏、那覇市長選の集票ラストスパート 前知事の次男と側近が激突 あす投開票

配信

沖縄タイムス

 

agld*****7時間前
非表示・報告
若手候補に期待。
まず大切なのは、観光都市でもある県都那覇の顔にふさわしい明るさがある。
そして、しっかりとした言葉を自分で考えて話しているところに共感。
はじめは別の候補者も良いと思ったが行政経験ばかりアピールしていて、それ以外のアピールが少し弱い。
市長は市役所のトップであるのはそうなんですが、それだけではなく那覇市の住民や企業の生活を支える部分もありますよね。
行政経験のアピールは副市長つまりナンバー2までならそれで良いのですが、県都那覇のトップとしての魅力を感じない。


返信
4

16

76
AMT
AMT6時間前
非表示・報告
翁長候補の演説で辺野古新基地の
話しが多く出てたけど集まった支持者からも
那覇市長候補が積極的にする必要はないとの
意見があったけど全くその通り。
那覇市民を優先的に考える、また那覇市の
事をよく理解してる即戦力のある候補を支持
支援したい。


返信
0

37

6
silver
silver14時間前
非表示・報告
今回の市長選は党派対立を持ちこむべきではなく、市政を任せられるかという1点で投票すべきで、そうなるともう選択肢は一択しかない。ただ、そういう意味でも知念氏は自公の推薦など不要だったと思う。保険として一定の票田を持つ自公を頼ったのだろうが、知事選で佐喜真氏の応援もせずに距離を保ち続け自民県連の一部から不評を買ってしまった。(もちろん立憲共産主体となったオールから推薦を得て保守派と対立する構図こそ、知念氏は一番避けたかっただろうが。)
かつて故翁長氏は、中央の言いなりになって県議会の総意も裏切る自民県連幹部に失望し、自民党から離党してオールを立ち上げ知事となった。当時の自民県連の性質はいまも変わらないどころか、旧統一教会による汚染も発覚した。翁長氏の遺志を継ぐと自認する知念氏が、そんな自民県連やオールと今後どう付き合って市政をおこなっていくのか注視したい。


返信
1

36

92
yik*****
yik*****4時間前
非表示・報告
優秀な実務者の知念氏一択であった選挙戦をここまでこじらせたのはオール沖縄と沖縄マスコミの功績(?)です。

市民は完全に置き去りで、ここまで市政をないがしろにした市長選は生まれて初めてです。オールさんとマスコミさんははそれで良いかもしれませんが市民生活の悩み苦しみ課題はどこか人ごとです。
この対応は辺野古移設問題で政府に言っている『沖縄に寄り添わない』対応とどこが違うのでしょうか。
非常に腹立たしいです。
那覇市民より。


返信
0

14

2
__s*****
__s*****5時間前
非表示・報告
>翁長氏と知念氏、…前知事の次男と側近が激突
要は実績もないまま親の七光りで出世してきた2世政治家と市政を屋台骨として支えて来た実務者のチョイスという事では。
市議→県議→市長、こうして政治家としての箔を付けたいだけの2世政治家と市政に社会人人生を捧げた人物のどちらが那覇市という行政のトップとして相応しいのかな。
それは有権者が決める事。


返信
0

13

1
iza*****
iza*****8時間前
非表示・報告
相変わらず統一教会と騒いでる人がいるけど、言うほど統一教会問題の影響で県知事選にしても票差は離れてないと思うんだよね。
今回は下地さんや参政党の邪魔も入らないし、普通であれば僅差だとしても知念さんが当選すると思うけどなあ。とにかく投票まだの人は行ってくださいね明日。


返信
0

37

9
tea*****
tea*****13時間前
非表示・報告
>>あす投開票

せっかくオール沖縄から中道を掲げて自民県連から副市長が立候補したのに、それを妨害するかのように下火になっている辺野古座り込みを茶化して、沖縄サヨクを再び内向きに向かわせ、副市長やそれを支持した市長を裏切り者呼ばわりさせて、保革対立のような構図に戻してしまいましたね。

下火になった辺野古座り込みをわざわざ茶化しておきながら、「那覇市長選に基地は関係無い」などと、何事もなかったかのようになっているが、保革対立の構図に持ち込まれた以上、那覇市長選は、オール沖縄の中道化を進められるか、また元の辺野古座り込みの内向きに向かわせるかを選択する選挙となっているのです。


返信
0

8

68
yam*****
yam*****15時間前
非表示・報告
経験不足の青二才には任せられない。オール沖縄の操り人形になるのは目に見えている。
県議を数期務めて経験を積んでからでも遅くなかったのに拙速すぎた。大敗ともなればダメージは大きく政治生命の危機になりかねない。そうなればオール沖縄の責任は大きく翁長氏も気の毒だ。


返信
1

193

27
mil*****
mil*****8時間前
非表示・報告
沖縄タイムスはオール沖縄対自公みたいな構図にしてるが、那覇市民にとっては「経験と実績がある人物」か「大した経験のない神輿」かの選択では?
セクハラ疑惑とかしか名前の上がらない翁長が負けても、どうせ「基地問題は関係なかった」とか言い訳してんだろうな、明日の沖縄タイムスやら琉球新報やらは


返信
0

33

6
ush*****
ush*****14時間前
非表示・報告
翁長の方。自民と対立とはいえ、国民と維新は推薦していない。
そこが結局人柄や政策の全てだと思う。
まあ維新は維新ではよ宗男を退場させろと思うけど、国民民主も味方してないってところにほんと翁長側の極左感しかない。


現在、那覇市長選挙に
実質的に共産党主導のオール沖縄の候補者として出馬している翁長雄治候補ですが、
父である故・翁長雄志の世襲のために箔付けを行ってきたかのような経歴だったりします。

2017年那覇市議に当選

2020年任期途中で辞職し県議選へ

2022年任期途中で辞職し市長選へ

玉城デニーは今回の知事選挙で勝ったものの
保守陣営の票を削るために出馬したとしか思えない下地幹郎がいなければ
薄氷の勝利という形になっていたでしょう。

現職有利と言われる二期目の選挙でこれですから、
これまでも実績らしい実績は
「お友達に知事として県の事業を請け負わせ、議会でも問題視されている」
くらいのもので、
選挙公約の実現率は1%にも届かない惨憺たる内容でした。

ですので次の選挙はヤバイですし、
そもそも故・翁長雄志が死の直前に後継者に玉城デニーを指名した。録音テープもある!
って話で玉城デニーを後継者指名された事にして票を集めた事が
今現在になっても録音テープは出てこないどころか
テープの話に全く触れないようにしてシラを切っている状態です。

現職有利な二期目でぎりぎりの勝ちだったような状態では
次の知事選挙で玉城デニーで戦うのは相当に厳しいでしょう。

そこで翁長雄志の意思を継ぐ人間として
翁長雄治(セクハラ問題の前歴在り)を担ぎ出すだろうと
ブログ主は考えています。

実績が全く無いセクハラ歴有りの人が市長にはたして相応しいかどうか。


お次は琉球新報の話。


—–
琉球新報 @ryukyushimpo
21日に予定していた、ひろゆきさんへの取材は、ひろゆきさん側から条件が追加されたため、準備が整いませんでした。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1602904.html
—-

琉球新報がひろゆきに取材をしようとしたところ
ひろゆき側が捏造を回避するために生配信で取材を受けますねと条件提示。
すると琉球新報は捏造ができなくなるためか逃亡。

ところが琉球新報は以下のような記事まで書いて
ひろゆきのせいにして誤魔化しています。

【ひろゆきさん本紙取材 ひろゆきさん側から条件追加で見送り】
 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古での抗議活動に対する、ひろゆき(西村博之)さんの発言を受けて、琉球新報社がひろゆきさんへの取材を申し入れ、それを見合わせたことについて、ひろゆきさんが20日午後、「琉球新報側の都合で前日ですが取りやめになりましたー。」とツイッターに投稿した。

 ひろゆきさんのツイートは「『言った。言わない』を避けるために、配信しながら取材をする形で進んでいたのですが、琉球新報側の都合で前日ですが取りやめになりましたー。」と記されている。

 本紙は10月中旬、ひろゆきさんと親交がある人を介してインタビュー取材を申し入れていた。ひろゆきさんが提示した21日午後7時から取材をインターネットで配信することを前提に調整を進めてきた。配信は仲介者のユーチューブ・チャンネルを想定していた。

 調整を進める中、ひろゆきさん側から19日、他メディアのチャンネルでの配信を必須とする新たな条件を提示された。本紙は他メディアで本紙記者のインタビューが配信されることを検討したが、取材予定日までに結論を出せないため、21日のインタビューは見合わせたいとひろゆきさん側に伝えた。
(2022/10/20 琉球新報)

ひろゆきのツイートの方も取りあげておきます。


—–
ひろゆき@hirox246
かねてよりお伝えしてましたが、琉球新報から取材依頼があり、金曜日の19時配信予定でした。

某メディアがおいらが言ってないことを言ったと報道したので、「言った。言わない」を避けるために、配信しながら取材をする形で進んでいたのですが、琉球新報側の都合で前日ですが取りやめになりましたー。
—–

琉球新報、ひろゆきに取材申し込み

ひろゆき「別のメディアに発言捏造されたんで取材は生配信しますね」

琉球新報「ひろゆきが条件を追加した!だから取材準備が整わなかった!」

生配信されたら困るので琉球新報はひろゆきのせいにして逃亡

琉球新報は最初からひろゆきの発言を捏造する気まんまんだったんでしょう。
取材というのはあくまでもアリバイ作りとか写真とか本人の音声を撮るのが目的で、
あとはパッチワークするつもりだったんでしょうか?

だいたい「準備が間に合わなかった」というのなら
リスケすればいいだけでしょう。

リスケをせずに逃げたのですから
「生配信される事が都合が悪かったので逃げる言い訳を考えていた」
としか思えません。

あらためて、沖縄の二大反日新聞の片割れ、
琉球新報の立ち位置を確認しておくために、
過去の記事を紹介させていただきます。

【【島人の目】苦難覚悟で沖縄独立も】
 辺野古移設反対が多数を占めた県民投票の結果を受けても、安倍政権が「基地負担を軽減するため辺野古に新基地を造る」と沖縄を愚弄(ぐろう)する言葉を吐き続けるなら、もはや島はさらなる苦難を覚悟で独立を志向したほうがいいのかもしれない。その場合、沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。

 民意を無視する安倍一強はしょせん独裁体制。毒をもって毒を制する。安倍強権内閣と鋭く対立している今の韓国も沖縄のパートナーになり得る。韓国に「恨の心」がある限り、彼らは沖縄の屈辱も理解するだろう。懸念は沖縄がそれらの「大国」にのみ込まれて、安倍政権下の“植民地”状態を脱して新たに彼らの「植民地」になってしまうことだ。沖縄が中国に於(お)ける「チベット化」を避けるには、大きな知恵と肝っ玉が必要だ。

 幸い沖縄には、大国の間隙(かんげき)を縫って独立を保った奇跡のミニ国家、琉球王国の伝統とノウハウがある。それを生かせば道が開けるだろう。だが沖縄が目指すべきは断じて琉球王国の再興ではない。琉球王国とは何か? それは過去の世界の国々と同様の、未開で野蛮な独裁国家にすぎない。琉球王国の場合は、その上に「ミニチュアの」という枕詞(まくらことば)が付くだけだ。未開の、超ミニチュアの独裁国家が琉球王国である。

 沖縄はそんな邪悪な国家体制を目標にしてはならない。独立沖縄は民主主義体制の、貧しくても「明るい沖縄共和国」であるべきだ。個人的には僕は沖縄の独立には反対する立場である。だが沖縄が本気で独立に向けて立ち上がるなら、そしてもしも必要なら、僕はここイタリアを引き払ってでも、故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。

 (仲宗根雅則、在イタリア、TVディレクター)
(2019/3/31 琉球新報)

いろんな人に語らせているコーナーなのですが、
朝日新聞の投書欄などと同じく、
この手のものは
「その新聞社の中の人たちが言いたいこと」
に沿った内容を選ぶのが日本の新聞業界の基本です。

>沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て

日本にとってはならず者とすら呼んでいい3国を列挙してますね。
これらは琉球新報が批判しないグループです。

中国の略奪船団が徒党を組んで珊瑚の乱獲に来たときも
舛添要一、翁長雄志、当時の両知事とも中共には抗議しなかったんですよね。

住民達の生活の糧である海が徹底的に荒らされたというのに。
そして沖縄タイムスも琉球新報も東京新聞も
住民の生活が破壊される中国の暴挙を放置した知事について全く批判していません。

やはりスパイ防止法が必要だと思います。

また、マスゴミに対して特権を与えて保護していることも
間違いであることがあらためて証明されたケースが
あの中国略奪船団の事件だったと思います。

この記事のURL:https://pachitou.com/?p=5319

⇒最初にクリックお願いします

コメント (4)

反日サヨク玉城デニー、もっと左に突き抜けて欲しい。「沖縄から自衛隊と米軍を追い出し

2022-09-05 00:28:54 | 政治

 

玉城さんはもっと左に突き抜けて欲しい。「沖縄から自衛隊と米軍を追い出し、代わりに中国軍を駐屯させます」と玉城さんが主張したら、佐喜真さんにも勝算あるかも。

琉球新報の激ヤバ記事、中国の工作員か

2022-03-29

 

 

 

【おまけ】

琉球新報、沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。また3国全て。

2022-03-21

沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。

 

琉球新報は次の参院選で「オール沖縄」が推薦する伊波洋一元宜野湾市長を支援する。

その伊波洋一は「中国の脅威」を問われ、「中国は脅威ではない。アメリカが脅威」と言い放った男。

一方、安全保障に詳しい細谷雄一慶大教授は「沖縄メディアには間接的に中国の工作資金が流入している」と公言している。

中国の工作資金が流入した琉球新報なら、「中国、ロシア、北朝鮮を味方」と考えても可笑しくない。

沖縄県民が日本国民なら、沖縄タイムス・琉球新報の2売国新聞を購読するのを止めるべきだ。

【島人の目】苦難覚悟で沖縄独立も

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-896730.html

 辺野古移設反対が多数を占めた県民投票の結果を受けても、安倍政権が「基地負担を軽減するため辺野古に新基地を造る」と沖縄を愚弄(ぐろう)する言葉を吐き続けるなら、もはや島はさらなる苦難を覚悟で独立を志向したほうがいいのかもしれない。その場合、沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。

 民意を無視する安倍一強はしょせん独裁体制。毒をもって毒を制する。安倍強権内閣と鋭く対立している今の韓国も沖縄のパートナーになり得る。韓国に「恨の心」がある限り、彼らは沖縄の屈辱も理解するだろう。懸念は沖縄がそれらの「大国」にのみ込まれて、安倍政権下の“植民地”状態を脱して新たに彼らの「植民地」になってしまうことだ。沖縄が中国に於(お)ける「チベット化」を避けるには、大きな知恵と肝っ玉が必要だ。

 幸い沖縄には、大国の間隙(かんげき)を縫って独立を保った奇跡のミニ国家、琉球王国の伝統とノウハウがある。それを生かせば道が開けるだろう。だが沖縄が目指すべきは断じて琉球王国の再興ではない。琉球王国とは何か? それは過去の世界の国々と同様の、未開で野蛮な独裁国家にすぎない。琉球王国の場合は、その上に「ミニチュアの」という枕詞(まくらことば)が付くだけだ。未開の、超ミニチュアの独裁国家が琉球王国である。

 沖縄はそんな邪悪な国家体制を目標にしてはならない。独立沖縄は民主主義体制の、貧しくても「明るい沖縄共和国」であるべきだ。個人的には僕は沖縄の独立には反対する立場である。だが沖縄が本気で独立に向けて立ち上がるなら、そしてもしも必要なら、僕はここイタリアを引き払ってでも、故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。

 (仲宗根雅則、在イタリア、TVディレクター)

 

 

クリック拡大

 

琉球新報「沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て」

 ⇒最初にクリックお願いしま

コメント

WiLL10月号 沖縄集団自決裁判に画期的判決 「琉球新報」「沖縄タイムス」の大罪

2022-04-19 07:40:06 | 資料保管庫

プロフィール画像

⇒最初にクリックお願いします

 

WiLL10月号 沖縄集団自決裁判に画期的判決 「琉球新報」「沖縄タイムス」の大罪2021-06-26

 

2013年8月13日・・・この日、沖縄のドキュメンタリー作家、上原正稔氏が琉球新報を相手取った訴訟で逆転勝訴が確定した。それはパンドラの箱裁判と呼ばれ、上原氏の集団自決をめぐる連載ノンフィクションが突如、打ち切られたことに対する裁判だった。

琉球新報が自紙に長期連載中の上原正稔著「沖縄戦記・パンドラの箱をを開けるとき」の最重要部分を一方的に削除した理由はこうだ。

当時、沖縄集団自決を巡る文科省の教科書検定に反対し、琉球新報と沖縄タイムスは「集団自決は軍の命令」と主張。 教科書から「軍命による集団自決」という文言の削除を求めた文科省に対し、沖縄2紙は「軍命説」を煽りたてる働きをしていたからだ。つまり、上原氏の連載では真実が明かされ、集団自決に軍命令はなかったことが貴重な証言や豊富な資料を以て書かれていたからである。

沖縄の全体主義はこのように情報統制を行っているが、今回の福岡高裁那覇支所の判決は、そんな特異な言論空間に風穴を開ける画期的なものだった。8月12日までに琉球新報が最高裁に上告しないことが明らかになり、上原氏の勝訴が確定したのだ。

しかし、上告しないことで裁判自体を闇に葬ろうとした琉球新報の意向に沿って、沖縄タイムスだけでなく、他のメディアもこの勝訴確定を黙殺したままだ。

琉球新報の敗訴確定を黙殺した沖縄2紙に対し、いち早く「沖縄集団自決裁判に画期的判決」と題する対談を企画したのは月刊誌『will』であった。

「集団自決 will  上原正稔」の画像検索結果

 
「集団自決 will  上原正稔」の画像検索結果

 

以下月刊誌『WiLL』10月号の抜粋である

WiLL10月号 沖縄集団自決裁判に画期的判決
「琉球新報」「沖縄タイムス」の大罪

フリージャーナリスト・鴨野守

詩人・美術評論家・「うらそえ文藝」編集長 ・星雅彦

ジャーナリスト(狼魔人日記管理人)・江崎孝

ドキュメンタリー作家・上原正稔

■「なかった」ことにするな

 鴨野:上原正稔さんは琉球新報の夕刊で、沖縄戦に関する連載「パンドラの箱を開ける時」をお書きになっていましたが、最終回の慶良間諸島の集団自決の真相に迫る箇所について、琉球新報から「これまでの原稿の焼き直し」と批判されて書き直しを求められた。上原さんはそれを拒否して08年8月に連載を打ち切り、最終回も掲載されなかった。

 上原さんはこの件について裁判を起こし、7月29日、5年越しに福岡高裁那覇支部は原告の請求を棄却した一審判決(那覇地裁)を覆し、琉球新報社の契約違反を認め、105万4千円の支払いを命じました。

 江崎:さらに上告期限である8月12日までに、琉球新報の上告申請がなされていないことが判明し、これによって「琉球新報の敗訴」という福岡高裁判決が確定しました。

 上原:私は絶対に勝てると思ったので、HPでも判決の日をXデーとして、「Xdayのカウントダウン・・・あと×日」と書いていました。

 これで、軍命令を出したと言われてきた梅澤裕さんと赤松嘉次さんの汚名を晴らすことができた。梅澤さんと赤松さんの弟の秀一さんに電話で報告すると、「(名誉回復は)もう諦めかけていた。涙が出るほど嬉しい」と喜んでくれました。

 判決の日には記者会見をすることを各新聞社などに伝えてありました。ところが、会見に来た大手の新聞社は共同通信だけ。しかも、共同通信は報道しなかった。朝日も読売も毎日も産経も報道しない。結局、琉球新報と沖縄タイムスがベタ記事で、あとは世界日報が大きく報じてくれました。世界日報はこの裁判が始まった時からずっと追っかけてくれて、ちゃんと報道してくれました。産経新聞は8月11日に石川水穂さんがコラムで詳しく書いてくれましたが、しかしタイミングが外れているのでニュースとしてはとても弱い。

 この判決は沖縄の歴史をひっくり返す、とても重要な判決です。集団自決の真実を伝えようとするのを琉球新報が潰そうとし、それに戦って勝ったわけですから。

 つまりこれは右も左も関係なく、メディア全体が敵だったわけです。僕はわりと楽観的な人間なんだけど、勝訴して初めて自分がどれだけ巨大な存在と戦っていたのかを実感して、この国のメディアはどうなっているのかと疑問に思いました


 江崎:上原さんがおっしゃったように、この判決をほとんどのメディアは報道していません。判決が出た時は琉球新報も沖縄タイムスもベタ記事とはいえ報道していたのに、上告せずに判決が確定したことは一切、報道していません。それ以外にも私が知る限り、新聞、テレビ、ラジオ、どのメディアも報道しておらず、私のブログ「狼魔人日記」で知った人が多いくらいです。

 つまりこれは、「報道しない自由」によってフェードアウトする魂胆です。ちょうどオスプレイ、それから米軍ヘリ墜落事故があり、これを新聞は朝から晩まで報道し、裁判については触れないでいる。そしてほとんどの沖縄県民、そして日本国民に琉球新報の敗訴を知らせず、忘却するのを待つつもりなのです。

 しかし、これは非常に重要な裁判なのです。単に掲載拒否、契約違反といった問題ではありません。琉球新報が全面削除を要求した上原さんの原稿は、集団自決の核心である「(集団自決の)軍命はなかった」という部分だけで、この行為がおかしいのだと鉄槌が下された。

 つまりこれは言論の自由、そして日本の歴史にもかかわる重大な判決なのです。それを一切報道しないのは、不思議でしょうがない



理不尽な原稿ボツ

 上原:詳しい経緯を話しますと、僕は2006年初頭に、琉球新報から「連載をやってくれ」と頼まれました。その年の4月から年末まで「戦争を生き残った者の記録」を連載し、その次に2007年5月に、裁判となった「パンドラの箱を開ける時」が始まった。

 その最初の回で、伊江島(いえじま)戦について書きました。そしていよいよ集団自決について書くことになり、「慶良間(けらま)で何が起きたのか」の資料と原稿を連載担当者の前泊博盛(次長・編集、論説委員)に出しました。そうしたら編集部から呼び出されて、琉球新報の6階の空き部屋で枝川健治(文化部長)、上間了(編成、整理本部長)といま編集局長をやっている玻名城泰山が入ってきた。前泊はぼくの右隣に座り、3人は向こうに座って「慶良間で何が起こったのか」を発表しないと言うわけですよ。

 説明を求めたら、「これは編集方針に反しているから」とか「君は前に同じことを発表しているじゃないか」という。これを掲載しないのなら連載をストップすると言うと「かまわない」というので、余計に頭に来ました。

 それで連載がストップしたんですが、たくさんの人たちから「連載を再開しろ」という抗議の電話が殺到した。あまりに多いので2007年10月に連載は再開されたんですが、結局、慶良間で何が起きたのかを飛ばして違うものを書きました。

 08年まで続き、170回を迎えた頃、「もうそろそろ終わってくれないか」と言われたので、さすがにそれは承諾した。ただし、最終回の181回は集団自決の真相に絞り、赤松さんと梅澤さんのことを書いて、2人は決して軍命を出したことはない、赤松さんと梅澤さんに謝罪しなければならない、と書きました。ところが、社長を加えた編集会議が開かれ、書き換えろ、と言われた。僕は「これは絶対に書き換えません」と言ったのですが、結局、最終回は掲載されなかったんです。二度にわたる前代未聞の暴挙に、僕は怒って裁判を起こした。そしてこのたび、僕の勝訴となったわけです。

 星:上原さんと同じように、私も書いたものが理不尽にボツにされた経験がありました。

 私は長い間、集団自決問題について沈黙を守ってきていました。しかしある時、琉球新報から原稿依頼があり、それまでの集団自決についての報道に腹を据えかねて考えていることや思っていることを書いたら、すぐボツにされました。

 それだけではなく、ずっと担当していた美術月評から私は予告なしに外された。40年間、書いてきた月評を「もう終わりです」の一言だけで終止符を打たれてしまった。私が体調命令を否定して軍命はなかったと固執したため、封殺されたわけです。無礼千万な幕切れだった。

 そういう悔しさを持っていたんだけど、今回の判決で一歩前進したような気がしますね。これだけで急には明るくはならにだろうけど、一筋の光が届いたような気がします。


「沖縄の怒り」へ印象操作

 鴨野:集団自決については戦争当時、座間味、渡嘉敷の戦隊長であった梅澤裕さんと赤松嘉次さんの弟さんが、2005年に「私たちは集団自決の軍命を下していない」として、大江健三郎と岩波書店を訴えました。社会的にもクローズアップされた問題です。

 判決は控訴棄却ということになりましたが、しかしその間、様々な新証言も出てきましたし、裁判所の判決文には「軍が命令を出したということに関する直接的な証拠はない」という文言が盛り込まれており、そういった意味では、この問題について非常に前進した裁判でした。

 いまの沖縄の状況、教科書問題や米軍基地移転問題などの根本にあるのは、沖縄の本土と日本政府に対する怒り、アメリカに対する怒りのマグマです。この怒りがいろいろな形となり、政治や社会問題に火を付けているわけです。

 そこで、沖縄に長く住んでおられて、言論活動にかかわってこられた御三方とこれから先、沖縄戦をどのようにとらえ、またどのように伝えていったらいいのかについて、話し合いたいと思います。

 星:集団自決について言うと、第一に「軍命があったから集団自決が起きた」と、左翼の人たちは怒りのマグマとして発言し、琉球新報や沖縄タイムスがそのことを次々と報道して怒りを募らせている。

 私は名嘉正八郎氏とともに、40数年前から沖縄本島を中心に県史編纂のために取材して歩いてきた。慶良間にも3回行っています。そういった取材をした結果、軍命があったとはとても考えられなかった。

 鴨野:私は30年前、世界日報の記者として沖縄に1か月あまり滞在し、沖縄戦に直接参加された方、生き残られた方に取材をしました。つらい話も聞いたけれど、全体のトーンとしては「本当に県民が一致団結して日本を守るために、郷土を守るために戦ったんだ。戦って負けたけれども悔いはない」という、潔さみたいなものがあったことが印象に残っています。

 ただ、遺族会の金城和信先生が元気なうちはそういった証言はきちんと残っていたのですが、終戦から50年、60年経っていくなかで、だんだんとそのような手記は排除されて、「沖縄戦はつらかった」「壕から追い出された」といった暗い部分が協調されるようになっていきました。

 江崎さんは、小さい時に学校で教えられた沖縄戦の歴史と、その後、ご自分でいろいろな著作などを読んで知った歴史との違いを感じられたそうですね。


沖縄二大紙の情報偏向

 江崎:小学校高学年か中学校ぐらいの年齢の時に、『鉄の暴風』を読みました。もちろん、子供の頃ですからあまり理解はできませんでしたが、印象としては「日本というのは沖縄にひどいことをしたんだな。けしからんな」と思いましたね。

 しかし、20歳過ぎくらいになって読み返した時、「あれ、おかしいんじゃないか」という違和感、疑念が生まれてきた。そのあとに読んだのが、曽野綾子さんの『ある神話の背景』(現在『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実ー日本軍の住民自決命令はなかった!』として小社より刊行)です。これによって、疑念が確信に変わり、自分で本気で調べてみようと思いました。自分なりにいろいろな文献を調べていくと、どうしても沖縄の情報は沖縄にある二つの新聞、沖縄タイムス、琉球新報に偏っていることがわかった。この2つを無視しては語れない。


 先ほど、沖縄の怒りのマグマという話があったけど、その怒りもはたして沖縄県民の本当の気持ちなのか。すべて沖縄タイムス、琉球新報の色眼鏡を通して本土に伝わっています。現在の普天間基地移設問題などもそうです。沖縄に住み、新聞を丹念に読み、様々なメディアを人一倍調べた結果言えることは、全てを一緒くたにして「沖縄の声」とか「沖縄の怒り」と言ってしまうのは、明らかに間違いだということです。

 もちろん、怒りがないとは言いません。しかし、新聞を通すと非常に大きく拡大されてしまう。拡大された「声」は、実はタイムスと新報の「声」なのです。もっと言えば、戦後顕著になってきた沖教祖、自治労、教育界、大学の教授・学者たちの声です。沖縄では、保守的な教授はちょっとした発言でたちまち排除されてしまいます。すべて左翼で固められている

 ですから、沖縄戦を調べるには、タイムス、新報という二大新聞の動きを調べていかないと、間違った印象になるんじゃないかと思います。

 鴨野:星さんは、曽野先生よりもっと前から取材をしておられました。

 星:取材をしてショックだったのは、集団自決をしようとしたけれど生き残ってしまった人が、死んでいる人を見て「うらやましい」と呟いたことです。

 ということは、死んだ人たちは必ずしも強制ではなくて、自ら国のために死ぬんだと自主的に死を選んだ人たちもいた。つまり、軍命だと主張するのは、自分に都合よくまやかしくさい感じがする。曽野綾子さんにも当時そのことを打ち明けたし、彼女もそれで何か確信を握ったようでした。

 江崎:なぜ、星先生は30年近く、集団自決について沈黙なさっていたのか疑問でしたが、あれは話しにくい状況だったわけですね。


宮城晴美の衝撃告白

 星:以前から革新的な思想家たち、たとえば川満信一、新川明、岡本恵徳らとの付き合いもあったので、政治的な発言は極力避けてきた。ただ、裁判が起きた時に、「この問題はこんなところにまで来てしまったのか。もう黙ってはいられない」という気持ちになった。

 江崎:しかし、星先生の発言にはタイムスも新報も一言も触れません。肯定も反論もしない、無視です。

 星:触れないのは、私の発言を歓迎しなかったからでしょう。

 鴨野:上原さんはこの集団自決問題についてどう思っていたんですか?

 上原:僕が沖縄戦の研究をはじめたのは1983年頃です。その頃、1フィート運動をはじめた(ひとり1フィート[約100円分]のカンパで、アメリカの国立公文書館等に保存されている沖縄戦の記録フィルムをすべて買い取り、戦争を知らない世代に沖縄戦の実相を伝える運動)。

 当時、新聞に登場していた仲宗根政善、大田昌秀などに協力をお願いして、4か月の間に1千万円も集まった。運動は大成功でした。

 ところが、その間に悪い連中(共産党系や沖教祖)がこの運動の乗っ取り工作をはじめて大変でした。僕はその時、「人間ってこんなに汚いものか」とはじめて知り、それから反戦平和を言っている奴らを一切、信用しなくなりました

 集団自決の問題について、曽野綾子さんの『ある神話の背景』を呼んで知りました。その時はビックリしたけれど、それだけで詳しいことを調べることはしませんでした。

 ところが1995年6月23、24、25日に、沖縄タイムスに宮城晴美が「母の遺言 切り取られた自決命令」を発表した。そのなかで宮城晴美は、母親の宮城初枝がこれまで軍命があったという自分の証言は実は嘘だったと書いている。これには衝撃を受けました。
(※参考:「母の遺したもの」宮城初江氏の証言
 鴨野:ご存じのように、宮城初枝さんは「家の光」の懸賞論文で自分の体験、戦争体験を書いて、そこで軍命を書き、入賞した人です。その人が村からも「軍命があったことにしてくれ、そうしないと村にお金が落ちないんだ」と言われてそう書いた、と。

 上原:晴美はこう述べています。

 「母初枝はその著書で梅澤隊長が集団自決を命令した、と書き梅澤隊長を社会的に葬ってしまったが、実は母は島の長老らの圧力に屈し、国の役人の前で梅澤隊長の自決命令があった、と証言した。

 その裏には、援護法(軍人軍属等の公務上の負傷・疾病・死亡に関する国家補償の法律)があり、援護法は軍人、軍属に適用されるもので、一般住民には適用されないものだ。自決で亡くなった人は戦闘協力者として年金を受け取るべきだ、との動きがあった」


 いま問題になっている援護法について、最初に発表したのは宮城晴美です。これが集団自決の謎を解く鍵になり、ぼくの「沖縄戦ショウダウン」に続くわけです、。

 1996年6月に、僕は渡嘉敷の集団自決を目撃したグレン・シアレス伍長の手記を「沖縄戦ショウダウン」として発表し、そのなかで沖縄タイムスの「鉄の暴風」を批判し、赤松さんと梅澤さんをスケープゴートにしている沖縄のメディアを徹底的に非難したのです。

 星:1972年頃、私は宮城初枝さんに会って取材しました。私が「軍命はなかったんじゃないですか」と質問すると、うなずいた。「もっとはっきり言ってください」と言うと、「はっきりは言えないんです」と、心苦しそうな表情だった。
(※参考:母の遺したものへの裏切り~ 座間味島


最高裁判決の意味

 江崎:キーワードになるのは、援護法です。この実態を解明しないと、集団自決の真相はわからない。

 金武町(きんちょう:当時は金武村)で援護法を申請するのに、村長が誰の命令だったかを書く項目がある。村としては「なるべく貰えるものは貰いなさい」という指導をしているので、関係のない人でも「軍命があった」と書く。それは架空の人物でもよくて、たとえば「田中軍曹」と存在しない人の名前を書けばOKだった。このことを証言したのは、金武町の教育委員会の奥間俊夫さんです。

 厚生省も琉球政府も各市町村の援護課の窓口も、「何とかしてやろう」と思っての共同正犯だった。ところが、架空の人物ではなく、実際の人物の名前を書いてしまったために、現在の集団自決問題が起きることになってしまったのです

 星:「集団自決に軍命があったか、なかったか」という問いかけは、私に言わせるともう終わった問題でした。平成23年4月21日の最高裁の判決を受け、大江健三郎は勝った勝ったと喜んでいたけど、最高裁は、集団自決については「真実性の証明があるとはいえない」と結論を出した。ただし、大江健三郎と岩波書店を免責した理由は、「表現の自由の保護」を梅澤さんと赤松さんの人格権に優先させた結果だった。逆に言えば、「軍命はなかった」と受け取れるわけです。

 星:援護法のそういうカラクリは、数年遅れたからやむを得なかった部分のあるけれど、援護金を出したのは、ある意味で日本政府の善意からと受け取るべきです

 江崎:援護法の対象はあくまで軍人と軍属で、本来、非戦闘員である一般住民は対象外です。本土でも東南アジアの島々や中国大陸でも、多くの一般住民が犠牲になりましたが、沖縄以外は援護法の給付の対象にはなっていません。

 沖縄戦は壮絶な戦闘だったということもあり、特別に準軍属という身分を与えて援護法で救済することとなった。しかし、その準軍属という身分には積極的な戦闘参加が条件だった。この「積極的な戦闘参加」という条件と軍命にカラクリがある。

 星:しかし、安易に援護金を出し過ぎたんじゃないかと思う。また、実例を挙げることもできるが、左翼の発表のなかにはあまりにも捏造が多すぎる

⇒最初にクリックお願いします

コメント (1)

琉球新報の激ヤバ記事、中国の工作員か

2022-03-29 11:26:41 | マスコミ批判

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

⇒最初にクリックお願いします

 

 

【おまけ】

琉球新報、沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。また3国全て。

2022-03-21

沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。

 

琉球新報は次の参院選で「オール沖縄」が推薦する伊波洋一元宜野湾市長を支援する。

その伊波洋一は「中国の脅威」を問われ、「中国は脅威ではない。アメリカが脅威」と言い放った男。

一方、安全保障に詳しい細谷雄一慶大教授は「沖縄メディアには間接的に中国の工作資金が流入している」と公言している。

中国の工作資金が流入した琉球新報なら、「中国、ロシア、北朝鮮を味方」と考えても可笑しくない。

沖縄県民が日本国民なら、沖縄タイムス・琉球新報の2売国新聞を購読するのを止めるべきだ。

【島人の目】苦難覚悟で沖縄独立も

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-896730.html

 辺野古移設反対が多数を占めた県民投票の結果を受けても、安倍政権が「基地負担を軽減するため辺野古に新基地を造る」と沖縄を愚弄(ぐろう)する言葉を吐き続けるなら、もはや島はさらなる苦難を覚悟で独立を志向したほうがいいのかもしれない。その場合、沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。

 民意を無視する安倍一強はしょせん独裁体制。毒をもって毒を制する。安倍強権内閣と鋭く対立している今の韓国も沖縄のパートナーになり得る。韓国に「恨の心」がある限り、彼らは沖縄の屈辱も理解するだろう。懸念は沖縄がそれらの「大国」にのみ込まれて、安倍政権下の“植民地”状態を脱して新たに彼らの「植民地」になってしまうことだ。沖縄が中国に於(お)ける「チベット化」を避けるには、大きな知恵と肝っ玉が必要だ。

 幸い沖縄には、大国の間隙(かんげき)を縫って独立を保った奇跡のミニ国家、琉球王国の伝統とノウハウがある。それを生かせば道が開けるだろう。だが沖縄が目指すべきは断じて琉球王国の再興ではない。琉球王国とは何か? それは過去の世界の国々と同様の、未開で野蛮な独裁国家にすぎない。琉球王国の場合は、その上に「ミニチュアの」という枕詞(まくらことば)が付くだけだ。未開の、超ミニチュアの独裁国家が琉球王国である。

 沖縄はそんな邪悪な国家体制を目標にしてはならない。独立沖縄は民主主義体制の、貧しくても「明るい沖縄共和国」であるべきだ。個人的には僕は沖縄の独立には反対する立場である。だが沖縄が本気で独立に向けて立ち上がるなら、そしてもしも必要なら、僕はここイタリアを引き払ってでも、故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。

 (仲宗根雅則、在イタリア、TVディレクター)

 

 

クリック拡大

 

琉球新報「沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て」

⇒最初にクリックお願いします

コメント (2)

琉球新報、沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。また3国全て。

2022-03-21 16:30:44 | 外交・安全保障

 

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

⇒最初にクリックお願いします

 

沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。

 

琉球新報は次の参院選で「オール沖縄」が推薦する伊波洋一元宜野湾市長を支援する。

その伊波洋一は「中国の脅威」を問われ、「中国は脅威ではない。アメリカが脅威」と言い放った男。

一方、安全保障に詳しい細谷雄一慶大教授は「沖縄メディアには間接的に中国の工作資金が流入している」と公言している。

中国の工作資金が流入した琉球新報なら、「中国、ロシア、北朝鮮を味方」と考えても可笑しくない。

沖縄県民が日本国民なら、沖縄タイムス・琉球新報の2売国新聞を購読するのを止めるべきだ。

島人の目】苦難覚悟で沖縄独立も

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-896730.html

 辺野古移設反対が多数を占めた県民投票の結果を受けても、安倍政権が「基地負担を軽減するため辺野古に新基地を造る」と沖縄を愚弄(ぐろう)する言葉を吐き続けるなら、もはや島はさらなる苦難を覚悟で独立を志向したほうがいいのかもしれない。その場合、沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。

 民意を無視する安倍一強はしょせん独裁体制。毒をもって毒を制する。安倍強権内閣と鋭く対立している今の韓国も沖縄のパートナーになり得る。韓国に「恨の心」がある限り、彼らは沖縄の屈辱も理解するだろう。懸念は沖縄がそれらの「大国」にのみ込まれて、安倍政権下の“植民地”状態を脱して新たに彼らの「植民地」になってしまうことだ。沖縄が中国に於(お)ける「チベット化」を避けるには、大きな知恵と肝っ玉が必要だ。

 幸い沖縄には、大国の間隙(かんげき)を縫って独立を保った奇跡のミニ国家、琉球王国の伝統とノウハウがある。それを生かせば道が開けるだろう。だが沖縄が目指すべきは断じて琉球王国の再興ではない。琉球王国とは何か? それは過去の世界の国々と同様の、未開で野蛮な独裁国家にすぎない。琉球王国の場合は、その上に「ミニチュアの」という枕詞(まくらことば)が付くだけだ。未開の、超ミニチュアの独裁国家が琉球王国である。

 沖縄はそんな邪悪な国家体制を目標にしてはならない。独立沖縄は民主主義体制の、貧しくても「明るい沖縄共和国」であるべきだ。個人的には僕は沖縄の独立には反対する立場である。だが沖縄が本気で独立に向けて立ち上がるなら、そしてもしも必要なら、僕はここイタリアを引き払ってでも、故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。

 (仲宗根雅則、在イタリア、TVディレクター)

 

 

クリック拡大

 

琉球新報「沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て」

 

【ツイッターの反応】
 

@yabusameri @nippon_ukuraina 味方に付けるべき相手は、中国、ロシア、朝鮮半島を除く~


  


最新鋭ねこ @CvZjrhr 2022-03-19 21:25


@yabusameri @nippon_ukuraina この記者もスゴいですが、買って読む人が存在する事もスゴい。


  

 


Tomiura Jiro🗾 @yukai24 2022-03-21 00:21


@yabusameri @nippon_ukuraina 北を味方にして、何か良いことあるの?何も思い当たらない苦笑

 


ヌマエビ@FX自動売買でFIRE @tatsun33 2022-03-21 00:34


@yabusameri @nippon_ukuraina もし北朝鮮の一部になったらどうなるか、想像してみないのかな?


  


Ryota @subox1029 2022-03-21 00:38


@yabusameri @nippon_ukuraina 琉球新報も沖縄タイムスも新聞社ではなく左翼機関紙。
朝日新聞、毎日新聞も同じ。
当然これらの後ろには中国共産党がいて資金提供をしている。
英ガーディアン紙で毎日新聞等、日本のマスコミに資金が流れてることは以前にも暴露されていた。


  


Shiena @Shiena44 2022-03-21 00:39


@yabusameri @nippon_ukuraina 「辺野古しかない」って決めたのは安倍さんじゃないよ?

ぽっぽ政権だよ??
民主党だよ??


  


長谷川Madao泰三 @alex_hasegawa 2022-03-21 00:46


@yabusameri @nippon_ukuraina 相変わらずイカれてやがる☹️


  


os-kkii @kkii_os 2022-03-21 01:13


@yabusameri @nippon_ukuraina 客観性が求められる新聞社がこれは。。。
ただの共産党機関紙

沖縄、そして日本の皆さん、これ許されますか?


 Nana Shao @NanaShao 2022-03-21 01:19


@yabusameri @nippon_ukuraina これは正気でしょうか?北朝鮮、ロシア、中国の政治体制を知らないのでしょうか?安倍政権を批判していますが、批判ができるのは、言論の自由が許されている日本だから可能だとわかっているのでしょうか?

 

琉球新報「沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。」

1 名前::2022/03/21(月) 12:02:14.13 ID:nVTwWx8F0.net BE:158879285-PLT(16151)


そーす
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-896730.html


引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1647831734
 
3 名前::2022/03/21(月) 12:03:27.65 ID:Wr2ijykX0.net

この新聞社に外患誘致罪を適応しろ


6 名前::2022/03/21(月) 12:05:07.99 ID:TXb/xo0r0.net

少しは正体隠せって言いたくなるレベル


9 名前::2022/03/21(月) 12:06:01.52 ID:a2hCQtxF0.net

もうこいつらの第三種郵便物認可とりけしていいぞ


11 名前::2022/03/21(月) 12:06:17.91 ID:v+u6mF/i0.net

ってかこんな前からもう戦争は始まってたんだな


14 名前::2022/03/21(月) 12:06:38.09 ID:HsjMWH+J0.net

バレバレ過ぎて面白くないな


17 名前::2022/03/21(月) 12:07:00.94 ID:h791B6Cm0.net

マジで書いてあって草


20 名前::2022/03/21(月) 12:07:37.48 ID:sWsxMxT20.net

ちなみに琉球王朝の末裔っているの?


21 名前::2022/03/21(月) 12:08:03.61 ID:4FdW18420.net

沖縄人舐められてんなあ


22 名前::2022/03/21(月) 12:08:08.81 ID:nrP/Qmm20.net

沖縄独立とか共和国とか書いてあって、こんなのが新聞として購読されていることに戦慄


23 名前::2022/03/21(月) 12:08:12.03 ID:ErUioN0P0.net

いくらなんでも正体表し過ぎでしょうよ


25 名前::2022/03/21(月) 12:08:13.51 ID:2JxEDFW00.net

とうとう本音が出たのかw


26 名前::2022/03/21(月) 12:08:31.00 ID:gM3bH9Ka0.net

ここまで正体を晒してもいいの?


27 名前::2022/03/21(月) 12:08:32.28 ID:HK7noPDI0.net

沖縄県民って政治興味ない奴多いからやりたい放題だな


30 名前::2022/03/21(月) 12:09:34.93 ID:dGQ9E+Q00.net

面倒だしアメリカに返せよ
33 名前::2022/03/21(月) 12:09:43.22 ID:LxSEhGDu0.net

でも、いざとなればデニーがゼレンスキーみたいになるんだろ?w


37 名前::2022/03/21(月) 12:10:39.81 ID:jUoPDzuD0.net

外患誘致拡大解釈されたらすぐ死刑なレベル


41 名前::2022/03/21(月) 12:11:15.19 ID:FXZziR5M0.net

沖縄人じゃなくて中国人が記事を書いてるよね


43 名前::2022/03/21(月) 12:11:42.69 ID:0eJhcfg40.net

チベット化を避けるって主張しながら、中国と仲間になって独立するっていう論理展開はホント頭がおかしいわ


46 名前::2022/03/21(月) 12:12:12.66 ID:qrLiRuLQ0.net

ロシア侵攻で隠す気するなくなってるわけか


47 名前::2022/03/21(月) 12:12:12.95 ID:Cxn82dEE0.net

独立を扇動する行為は刑法78条の内乱陰謀罪にあたるんじゃね


48 名前::2022/03/21(月) 12:12:20.97 ID:T9DNECiH0.net

中国の金がガンガン流れてんだろうな


50 名前::2022/03/21(月) 12:12:38.74 ID:HbFuoFKd0.net

堂々と正体を明かしてんなw
53 名前::2022/03/21(月) 12:12:53.44 ID:Z5Xehg9s0.net

どこに付いても沖縄県民は生殺与奪権を独裁者に握られた家畜じゃねえかw


55 名前::2022/03/21(月) 12:13:26.62 ID:N2wCLQFS0.net

隠さなくなってから久しいな。


57 名前::2022/03/21(月) 12:13:38.67 ID:wzVWpPS20.net

日本で迫害されている琉球人保護のために中国が軍を派遣します


69 名前::2022/03/21(月) 12:15:31.56 ID:FXgjlesh0.net

安倍はこの新聞を読んでロシアと手を繋ごうとしたのかな


70 名前::2022/03/21(月) 12:15:39.97 ID:VCWKb3ww0.net

戦争になったら、みんなで敵を殺そうな(^^)


72 名前::2022/03/21(月) 12:15:56.67 ID:B4WXRW9L0.net

新報は中国から金貰っとるからなー
76 名前::2022/03/21(月) 12:16:35.28 ID:N2wCLQFS0.net

今一瞬、このスレの上にスレが立って一瞬で消えた。よっぽどヤバい内容だったのか?


77 名前::2022/03/21(月) 12:16:54.50 ID:+Digsucc0.net

朝日新聞があるからと本土の人間がああいう思考してるわけではなかろ


78 名前::2022/03/21(月) 12:17:16.22 ID:Ej/mvAzw0.net

地元の人はこんなの読んでるの?行くのはやめよう良いとこなんだけどな
83 名前::2022/03/21(月) 12:18:19.69 ID:VYJGWGa+0.net

立憲共産党と連帯してるよね


87 名前::2022/03/21(月) 12:18:49.16 ID:1HYxPPDA0.net

完全にあちらさんの機関紙です


90 名前::2022/03/21(月) 12:19:28.47 ID:LEFv8AfI0.net

ここまで振り切ってるのはきよきよしい


96 名前::2022/03/21(月) 12:20:44.59 ID:XAah5G+d0.net

隠さなくなったなwww


98 名前::2022/03/21(月) 12:21:21.43 ID:UmdLJXV80.net

こんなのがメディアとしてやって行けているのがただひたすらに怖い


100 名前::2022/03/21(月) 12:22:21.67 ID:Q18UzaWS0.net

もはや中国共産党の機関紙だろこれ


101 名前::2022/03/21(月) 12:22:23.98 ID:zzoyathZ0.net

2019年の記事だとしても狂ってる
 


112 名前::2022/03/21(月) 12:25:12.36 ID:XpjsyQoa0.net

沖縄には一部頭がおかしい連中がいて、真っ当な県民は関わらないようにしてるらしい


113 名前::2022/03/21(月) 12:25:17.22 ID:N9K9w7yP0.net

琉球新報と比べたら朝日新聞は右翼レベル


120 名前::2022/03/21(月) 12:27:06.00 ID:fmG5JVbD0.net

知り合いに中国共産党の幹部とお見合いさせられそうになって逃げてきた沖縄出身の女の子いる
 
    1. 1 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:20
      🌸 平和な桜の季節 桜の起源は韓国です。

      ①無防備な憲法…戦犯国日本に戦力は不要です。
      ②在日特区誕生…在日コリアンのための特区を創設しましょう。
      ③安心安全日本…強制連行された在日コリアンの生活保護は日本の義務です。
 
    1. 2 : 名無し 2022年03月21日 13:21
      >>1
      内政干渉するな
 
    1. 3 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:22
      >>1 >琉球新報「沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。

      敵陣営の洗脳機関だな、正体隠す余裕もない。(笑)
      最近のテレ朝もそれっぽくなってきた、国際的動乱の季節が近い気がする。
 
    1. 4 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:23
      琉球新報は日本から出て行き好きな国に住めよ
 
    1. 5 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:23
      >>1 >②在日特区誕生…在日コリアンのための特区を創設しましょう。

      済州島の近くに「リラクゼーション・アイランド」みたいなのがあっただろ、すぐ帰れ。(笑)
 
    1. 6 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:24
      コーマンタレブーニカ

 
    1. 7 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:25
      みんなでこいつら潰しましょうw
 
    1. 8 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:25
      朝日もここまで徹して赤組工作費から稼げば赤字にならないですむのに
 
    1. 9 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:25
      くやぢ葬
 
    1. 10 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:25
      指定反社会勢力に加えろ
 
    1. 11 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:28
      実験的に沖縄だけ日本の保証をすべて無くしてみようぜ。
      琉球新聞関係者だけでもいいぞ。
 
    1. 12 : 名無し 2022年03月21日 13:28
      現実を理解しないで、平和ボケして、いかにも正論を主張しているようだけど、日本はアメリカの核の傘の下におり、沖縄の多くの人達が米軍基地での仕事で生計を立てていることを忘れてはならない。

      沖縄独立に向けての県民投票でもして、独立したらどうですか?中国の領土になりたいのならば止めはしませんよ。
 
    1. 13 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:31
      沖縄独立、何故か米国の州になるという選択は無い、もちろん日本は絶対にイヤ
      北朝鮮とロシアは無いだろう、貧乏だからね、当然中華しか有り得ない、中国だよね
 
    1. 14 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:31
      他国を尊重しないゴロツキどもが沖縄を尊重してくれるとでも思っているのか
 
    1. 15 :  2022年03月21日 13:33
      >>1
      徴兵と永久土下座謝罪は戦犯国ちょ んの義務ですよ
      吠える元気あるならはよ実行しろ
 
    1. 16 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:35
      中共のスパイ丸出しで草
 
    1. 17 :  2022年03月21日 13:36
      韓国ハブられてて草
 
    1. 18 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:36
      >個人的には僕は沖縄の独立には反対する立場である。だが沖縄が本気で独立に向けて
      >立ち上がるなら、そしてもしも必要なら、僕はここイタリアを引き払ってでも、
      >故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。

      独立反対なのか賛成なのかどっちなんだよ?w 自分で何言ってるのか分かってないだろw
 
    1. 19 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:38
      最近ヘイトスピーチ話題にならなくなったね、国際情勢の大きな変動が起こる可能性を勘案して今騒ぐと分が悪いって思ってるんだろうね。
 
    1. 20 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:38
      米軍基地があるんだから日本から独立したらアメリカに帰属したらいいやろ
      数十年前はアメリカに占領されていたんだし
 
    1. 21 : こたつ警備隊 2022年03月21日 13:39
      3国プラス韓国🇰🇷兄さんで決まり
      ジャップは孤立なwwwwwwwww
 
    1. 22 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:40
      沖縄戦のドキュメンタリー作家、上原正稔氏が慶良間諸島での集団自決は軍の命令はなかったとの部分の掲載について琉球新報を訴えた裁判では裁判で敗訴していこう、集団自決について全く報道しなくなりましたね。ましてや、琉球新報側の証人は最重要人である前泊博盛が敵前逃亡し、仕方なく当時の編集局次長の枝川、当時の編集委員である名城が証人尋問を受けたようですね。
       恥ずかしい新聞社。
 
    1. 23 : 匿名 2022年03月21日 13:41
      国家転覆罪・外患誘致罪で告発して良いレベル。
      国会に参考人招致・証人喚問してもいい。
 
    1. 24 : 名無し 2022年03月21日 13:41
      >>21
      お前ホント馬鹿だな
      中国、ロシア、北朝鮮、韓国は最初から敵なんだよ、今と変わらん。
      何?味方扱いしてもらえるつもりだったのか?
 
    1. 25 : こたつ警備隊 2022年03月21日 13:42
      韓国肛門陰茎抜差師の予言どおりだな。
 
    1. 26 : バカチョン頭悪すぎ 2022年03月21日 13:44
      こたつ警備隊とかいうマジキチガイバカチョンは現実見えていないな。
      中国、ロシア、北朝鮮、韓国と陣営が違うなんて今更だぞ、日本はブルーチームで特亜+ロシアはレッドチームなんだから
      むしろ明確に敵認定できて好都合だよ
 
    1. 27 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:45
      >【ロシア連邦軍】スペツナズの中の最高位部隊「KSSO(クソ)」に人々が恐怖でおののく

      クソやてwww ロシアも韓国に寄せてきてるなwwwww
 
    1. 28 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:46
      >沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。(仲宗根雅則、在イタリア、TVディレクター)

      全部、人権を蔑ろにしてる国で草w
      こんな国と手を組めとか、琉球新報はキチガイの巣窟だな。

 
    1. 29 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:46
      沖縄県民は、沖縄タイムス・琉球新報を購読するのを止めたら?
 
    1. 30 : こたつ警備隊 2022年03月21日 13:47
      ウンコしたい!!!!!!!
 
    1. 31 : もえるななしさん 2022年03月21日 13:49
      >>1
      強制連行された? 否!
      在日コリアン は
      密入国者及びその末裔だろ、
      韓国へお帰りください。
 
    1. 32 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:49
      自社の意見をそのまま伝えず外部コラムニストに代弁させるのがサヨク系メディアの特徴な
 
    1. 33 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:50
      中国 露西亜 北朝鮮 ??? もっとましな国があるだろに ・・・
      琉球王朝を復活させて新聞社主が国王に返り咲き独裁したいってことかな?  ・
 
    1. 34 : 名無しさん 2022年03月21日 13:50
      共産主義者の機関誌だから仕方無い。

      日本人の敵。
 
    1. 35 :  2022年03月21日 13:51
      >>21
      3国は韓国と組むかなぁ?
      何しろ「敵に回すと頼もしいが、味方にすると恐ろしい韓国」だしなぁ。
      あ、日本は韓国が敵に回るのは大歓迎ですはい。
 
    1. 36 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:51
      記事とコメント欄を読ませて貰ったが、これは間違いなくチョッパリが悪いな!
 
    1. 37 : こたつ警備隊 2022年03月21日 13:53
      キム・ヨナ似の空気嫁に中出しするがね🧑🧒
      これが楽しみで生きてるがね👶🧒
 
    1. 38 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:54
      >>36 チョッパリよりポッチャリの方が悪いんやでぇ。(笑)
 
    1. 39 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:56
      日本のマスゴミは外患誘致罪が適用できる一線を越えてると思うけどチャイナマネーが美味しくて報道無罪なのかな???
 
    1. 40 : もえるななしさん 2022年03月21日 13:56
      >>21
      日本に寄生している分際で
      偉そうに 高麗棒子が。
 
    1. 41 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 13:59
      こいつらこ6しちゃえよ
      報奨金代わりのクラファンなら送金するはw
 
    1. 42 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 14:00
      朝鮮ゴキブリの3センチ○ポに爆竹いれて遊ぼうぜ
 
    1. 43 : こたつ警備隊 2022年03月21日 14:00
      一度でいいから、チュモンに勝ちたいがね🧒🧑
 
    1. 44 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 14:01
      世界の嫌われ者の仲間になりたいんだな
 
    1. 45 : 天の声 2022年03月21日 14:02
      >>36
      日本に寄生している「 半チョッパリ 」のくせに。
      済州島へお帰りください。
 
  1. 46 : 名無しの(´・ω・`)さん 2022年03月21日 14:03
     沖縄県の2大紙「琉球新報」「沖縄タイムス」の両編集局長が、共産党機関紙の2017/8「しんぶん赤旗」日曜版20日号に、インタビューの形で登場し、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設への反対姿勢を表明。メディアが、特定政党の機関紙上で政策をめぐって“共闘”路線を鮮明に打ち出すとは!
     これぞ立憲共産党と同じく琉球赤旗新報、沖縄赤旗タイムスというところでしょうか
コメント (1)

➂カメジローは不屈の人か、それとも卑屈の人か

2022-02-11 07:00:06 | 資料保管庫

 

★カメジローは不屈の人か、それとも卑屈の人か

2021-07-10 14:25:48 | ★改定版集団自決
 

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

⇒最初にクリックお願いします

続・沖縄住民「スパイ容疑虐殺」の真相 沖縄人スパイはいた!2008-12-22 の引用です。

小林よしのり著『新ゴーマニズム宣言SPECIAL沖縄論』で、著者の小林氏が犯した唯一の過ちは、元人民党委員長・瀬長亀次郎氏を、「沖縄の英雄」と祭り上げて書いてしまったこと、である。 小林よしのり『沖縄論』を一読してまず目を引くのは、第19章「亀次郎の戦い」である。

小林氏と思想的にまったく逆の立場の瀬長亀次郎氏を絶賛している内容に誰もが驚くはずだ。

日本共産党の機関誌「赤旗」七月三日付の書評でも、『沖縄論』を肯定的に評価しているくらいだ。

沖縄左翼を取り込む意図があったのだろうが、沖縄左翼のカリスマともいえる瀬長氏を沖縄の英雄に祭り上げてしまったことは、沖縄左翼に媚びるあまり、ミイラ取りがミイラになってしまったの感がある。

瀬長氏は、米軍政府と戦っていた姿勢と、方言交じりで演説する語り口で「カメさん」と呼ばれて年寄りには人気があったが、「沖縄の英雄」は沖縄左翼とマスコミが作り上げた創作物語である。

瀬長氏は共産党が禁じられていた米軍統治下の沖縄で、人民党でカムフラージュした共産党員であり、当時ソ連や日本共産党から密かに資金援助を受けているとの噂があった。

そのため、CICが情報取得の為本人は勿論、長女瞳さんの身辺をかぎまわっていたらしく、沖縄住民にも共産思想が入り込んでくることに神経質になっていた。

瀬長氏が沖縄に残した負の遺産が、現在でも日本共産党、社民党そして地元政党の社大党が沖縄県議会で与党を占める沖縄の特異性である。

瀬長氏は日本復帰と同時に日本共産党に正式入党し、共産党公認で衆議院議員に当選し、日本共産党副委員長も勤めている。

米軍統治下の沖縄では、共産主義は禁じられていた。

だが、人民党という地元政党を隠れ蓑に共産主義者は増殖し続けていた。

1950年の朝鮮戦争や、中華人民共和国の成立等、「ドミノ現象」でアジア地域に共産主義が蔓延するのを恐れた米軍情報部は、

CICを中心に沖縄の共産主義勢力の監視に神経を使っていた。

米本国の政府高官が視察のため沖縄を訪問したとき、空港に出迎えにいったユースカー(在沖統治機関)の幹部が、同行した地元琉球政府の幹部を紹介した。

「こちらが、ミスターセナガです」

遠来の米政府高官に対し、歓迎の意をこめてにこやかに握手を求めて手を出したセナガ氏に対し、高官はアメリカ人らしからぬ奇妙な反応を示した。

「オー、ノー! セナガ」

と叫んだ件の高官、握手の手を引っ込めた。

隠れ共産党の瀬長亀次郎氏の「悪名」は米国本土政府の中にも知れ渡っており、空港に出迎えた「セナガ」氏に思わず握手の手を引っ込めたのだろう。

米政府高官に握手を拒否された哀れな男は、当時の琉球政府副主席・瀬長浩氏の「瀬長違い」であった。

米政府高官が本気で握手拒否をしたのか、それとも握手を求めた男が「セナガ」と聞いて、とっさに思いついたアメリカ人特有のジョークだったのか、今となっては確認出来ない。

だが、とにかく、当時の米軍が共産主義の蔓延に対し、いかに神経過敏だったか知る上で、そしてその指導者としての瀬長亀次郎氏を要注意人物とみなしていたかを知る上で、この逸話は実に興味深い。

厳しい監視、家族まで 瀬長氏の長女にもスパイ
2006年5月31日 
<米国の調査機関が1950年代、元沖縄人民党委員長で那覇市長、衆院議員を務めた故・瀬長亀次郎氏の長女・瞳さん(68)=カナダ在住=の周辺にスパイを送り、瀬長氏の健康状態や日常生活を探っていたことが30日までに、米国国立公文書館が保管する資料で明らかになった。同館は瀬長さんが「人民党事件」(54年10月)で逮捕された後、宮古刑務所に収監されていた55年3月7日、獄中から瞳さんに送った手紙の英語訳も保管。手紙は瞳さんに届いていない。米当局が瀬長さんの家族にまで監視を広げ、詳細な身辺情報を逐一探っていたことがうかがえる。

  瞳さんに関する報告資料は2種類。ともに「極東空軍司令部が報告」と記され、情報源は瞳さん、提供者は「極秘の情報提供者」と記される。
 情報収集日が1958年5月20日の報告は「瞳の情報では、父親は深刻な肝臓病で近く入院する」と記載。31日の報告は「瞳が言うには父親(瀬長さん)は退院して家に帰った。政治の本を書く約束をし、本を売って妻のフミさんを8月の原水爆総決起大会に参加させる資金を稼ぎたいと言っている」と記す。米当局は同年8月、東京・横浜でフミさんを撮影している。
 瞳さんは「父から仕事や政治の話を聞いたことはなく、出版計画も当時は知らなかった。なぜ私が情報源なのか理解できない。スパイをした人が父の復帰闘争を弾圧するために無理に作ったのではないか」と話している。
 瞳さんに届かなかった手紙の英訳には米国のCIC(諜報(ちょうほう)機関)の名称を記述。文面は「刑務所からあなたの活躍を期待と希望を込めて見守っている」と娘への思いが切々とつづられている。
 沖縄テレビは同公文書館から収集した資料も盛り込んだ番組を制作。31日午後4時から55分間、逮捕、投獄、市長追放と時代に翻弄(ほんろう)された瀬長さんと支えた家族のきずなを描く「カメさんの背中」を放映する。>

                   ◇

終戦後の米軍統治下の沖縄でCICが暗躍した様子は、『ナツコ 沖縄密貿易の女王』2005年文芸春秋社 奥野修司著)に、自らCIC要員として働いていた金城良安氏が赤裸々に語っている。 

米軍統治下の沖縄でCICの代理人になった者は、教員、財界人、政治家と多士済々であったという。

CICの活動が目立たなかったのは、MPが制服であったのに対し、CICは私服で活動し、当時の合言葉であった「琉米親善」を口にする善良な民間アメリカ人を演じていたからだという。

<沖縄のCICはライカム(Rycom=琉球軍司令部)の管理下にあった。八重山民政府からCICに移った金城良安によれば、「八重山には3人ぐらいしかいませんでした。その下に協力者はたくさんいました。つまり情報提供者です。CICは密貿易そのものには関心がなかったのです。関心があったのは外からはいってくる人物です。スパイは密貿易船を使って移動したりしますからね。たとえば中国大陸から誰が来ているとか、そういうことには神経質になっていました」  ちなみにどんな情報提供者がいたのか、当時の軍政府に勤務したことのある人物に尋ねると、「当時の八重山には30人ぐらいおりましたかな。トップは学校の先生で次は財界人と政治家。なぜ協力したのかって? そりゃ、いろいろ便宜を図ってもらえるからだよ。あの頃の米軍は神様よ。もうほとんど死んだが、あのときCICに協力した者はみな大物になっているよ」  自らすすんで協力する人もすくなくなかったという。 CICは諜報活動はするが、基本的に密貿易の取り締まりはしない。 米兵がからんだ場合はCID(陸軍憲兵隊犯罪捜査部)が民警と一緒に動く。 CICもCIDも基本的には私服である。>(『ナツコ 沖縄密貿易の女王』2005年奥野修司)

終戦後、CICに勧誘されて情報提供者になった住民のことは、よく聞く話だが戦時中に勧誘されてスパイになることは一か八かの大きな賭けであった。

 もし、日本軍が勝利をしていたら間違いなくスパイ罪で死刑は免れないからだ。

一方、アメリカの勝利の場合は将来の豊かな生活を保障されていた。

事実南方帰りを自称して住民の中に混じって生活していた者が、戦後米軍服を着用して米軍ジープを乗り回している姿を目撃し、その男はその後ハワイで裕福な生活をしていたといった伝聞談は多い。

だが、自他共に認めるスパイで、戦後も「琉球王」とよばれたスパイの親玉の記事が本人の顔写真付きで、古い「月刊沖縄ダイジェスト」の記事になっている。

米軍のスパイといわれ臨時琉球王

沖縄戦の、4月3日、美里村で捕虜になって以来、米軍に積極的に協力、降伏勧告放送もやり、沖縄本島の東西分断も進言、志喜屋孝信らの諮詢委員会ができるまでは「臨時琉球王」で、日本が勝てばスパイとして処刑確実という男がいた。 その名は首里生まれの多嘉良朝朋(当時70歳)。 米軍はそのお礼として昭和24年、米軍政府のセーファ大佐から、コカコーラの民間への一手販売権を与えるーと口約束されたが、中城公園売店でのコーラ横流し事件が摘発されて、おあずけのまま、不遇のうちに死んだ。>(「沖縄事始・世相史事典」月刊沖縄社)

                   ◇

この「臨時琉球王」は、コカコーラの一手販売権をという美味しい果実を手にする前に悪事が露見して哀れな結末を迎えた。

だが、終戦直後には、通常では考えられないようなアメリカの大会社の製品の一手販売権手にした人が多くいた。

それは戦時中彼らがスパイとして米軍に協力した報酬だという噂を良く聞いたが、それが「火の無いところに煙は立たぬ」だったのか、それとも単なる噂に過ぎなかったのか、今では事情を知る者のほとんどが墓場で眠っており真実を知る術はない

 
■昭和20年3月26日の座間味■
 時は38年前の座間味島にさかのぼる。
 昭和20年3月26日日、米第77歩兵師団は、慶良間諸島の阿嘉島、慶留間島、座間味島へ上陸を開始する。そして逃げ場を失いパニック状態に陥った座間味島の住民172人がその日に集団自決をしている。

 
 3月26日の米軍の動きは実にあわただしいかった。
 先ず米合同遠征部隊第51機動部隊司令官ターナー海軍中将が、南西諸島海軍軍政府首席軍政官に任命され、慶良間諸島に最初の軍政府(陸・海合同)が設置された。
 同じ日に米軍は、チェスター・ニミッツ米海軍元帥の名で米国海軍軍政府布告第一号(いわゆるニミッツ布告)を公布した。この「ニミッツ布告第一号」は沖縄に於ける日本政府の統治権の行使を停止し、その居住民に関するすべての政治及び行政責任が、占領軍司令官、米国海軍元帥であるニミッツの権能に帰属すると宣言するものであった。
 つまり日米両国がまだ交戦中であるにも関わらず、米軍は、「ニミッツ布告第一号」の公布により、沖縄の住民を日本の統治から勝手に分離したことになる。   これは沖縄が日本の一県であるという事実を無視し、結果的に沖縄を日本軍の占領地域として扱ったことになり、沖縄住民を「解放」して“準アメリカ人”として米軍政府の施政権下に置いたことになる。 
 米軍は沖縄攻撃の前から、沖縄は日本軍に侵略された植民地であり、米軍は沖縄にやってきた解放軍であるという姿勢を取っていた。 

■スパイ容疑を生んだニミッツ布告■
 以後ニミッツ布告は「布令」と呼ばれ沖縄の憲法のような存在となり、占領下の沖縄住民の言動を規制し、その影響は後に問題になる『鉄の暴風』(昭和25年刊)にも大きな影を落としてくる。

この布告のため、米軍の指令を受け住民が、山中や壕に隠れている日本兵や住民に投降勧告し、そのためスパイ容疑で処刑されるといった悲劇を生んでいる。 
 交戦中の敵国の住民を、自国の住民として行動するように指示するこの布告に、国際法を知らない島民たちは翻弄されることになる。

米軍側の記録によると、翌4月の初旬には、戦火の被害の少なかった沖縄本島の北部地域では民間人による米兵相手の慰安所が営業を開始している。 
 捕虜になった住民を、食料を対価に「軍作業」を手伝わせたり、投降勧告の使者にさせたりすることは、沖縄県民を日本国民とは看做していない措置であり、ハーグ陸戦条約等に違反していると考えられる。 


 このような米軍の国際法違反と思われる措置がなければ、「スパイ容疑」による住民処刑の悲劇はもっと少なかったのではないか。

 特に「ニミッツ布告」の次の条項は、投降した住民を“準米国民”と規定し、日本軍に「スパイ疑惑」を持たす行為を強いることになった。

≪三 各居住民は、本官又は部下指揮官の公布するすべての命令を敏速に遵守し、本官下の米国軍に対して敵対行動又は何事を問わず日本軍に有利な援助をせず、且つ不穏行為又はその程度如何を問わず治安に妨害を及ぼす行動に出てはならない。

六 本官または本官の命令によって解除された者を除く全ての官庁、市庁、及び町村又は他の公共事業関係者並びに雇用人は本官又は特定された米国軍士官の命令の下にその職務に従事しなければならない。≫

 余談だが米占領下の沖縄で育った者にとって、「布令」という言葉は一種の自嘲の響きで記憶に残っている。 
 昭和25年8月、琉球立法院は労働三法を制定するが、米民生府は「布令116号」の発布により基地関連の労働者に労働法の適用は禁止とされ、労働組合の結成も米民政府の許可制となる。

 
 「解放軍アメリカ」という幻想がもろくも打ち砕かれ、民主主義の庇護者と思われた米軍が、実は「布令」という超法規を振りかざす独裁的権力者であるという現実が露呈されるのが、この「布令116号」が発布された昭和28年前後のことである。    
 「布令」により資格を与えられた弁護士や裁判官そして同じく「布令」で設立された琉球大学のことを称して、当時は「布令弁護士」、「布令大学」と自嘲的に呼んでいた。 
 沖縄人を呪縛した「布令」は、昭和20年3月26日、米軍が慶良間上陸と同時に公布された「ニミッツ布告1号」にその根源をたどる。
 当然、『鉄の暴風』の発刊もこの「布令」の呪縛を離れては考えられなかった。

■「参謀長」と呼ばれた男■
 当時、沖縄の最高学府であった師範学校を出た者は村の誇りであり、現在の大学卒などとは比べ物にならないほどの尊敬の的だったが、戦後GHQ が軍国教育の温床として解体の第一の目標にしたのが、師範学校制度だったという。
 師範学校の寮生活は悪名高き陸軍内務班そのままで、その卒業生たちが軍国主義教育の担い手となり、教え子を続々と戦地に送り続けていた。 師範学校は、形式主義、権威主義、など融通のきかない所謂「師範タイプ」を多数排出した。 
 教員は村中の尊敬の的であっが、その一方、軍人より軍人らしい山城安次郎教頭のような教員も多くいた。

 梅澤隊長に「自決するな」と断られた野村村長ら村のリーダー四人は、その後相談の上自分らの判断を「軍の命令」として村内に指示をしたといわれているが、その四人は自らも「自決」を決行し全員死亡した。
 宮平一家に軍刀を振りかざし「殺す」と迫った山城教頭は、当時「参謀長」と呼ばれていた。
 戦後座間味島の語り部となった宮城恒彦氏の著書『潮だまりの魚たち』の中の「教頭先生は参謀長」というくだりで山城教頭のことを述べている。 
 

住民が日本兵が見張りをする水場で飲み水を求めると「参謀長の許可がなければダメだ」と拒否されるが、話し声を聞きつけて現れた「参謀長」と呼ばれる男が水汲みを許可してくれる。 
 警備の日本兵にも「参謀長」と呼ばれ、彼らを顎で指示していた男が山城安次郎教頭であった。


 「参謀長」と呼ばれた教頭先生は銃剣を構えた日本兵より「権力」を持っていた。 当時の沖縄ではこのように軍人より軍人らしい民間人は決して特異な例ではなかった。 
 昭和19年頃の沖縄では毎月数回の「日米戦争決起大会」(県民大会)が開催され、演壇では軍人より過激な民間人が檄を飛ばすことも珍しくはなかった。


■集団の狂気■
 時代が変わっても、人間が集団で行う狂気の行動に変わりはない。

平成17年、沖縄タイムスと琉球新報は、狂気に満ちたキャンペーンを張って、9月29日の「県民大会」(“11万人”集会)の動員に県民を追い込んだ。 地元テレビを含むマスコミは一斉に横並びで、これに反対するものは県民にあらず、といった論調で、職場でも異論を吐くものは、「あいつはヤマトかぶれ」だと、後ろ指を指されるような異常事態だったと知人の一人は当時を振り返る。

以下は評論家篠原章氏の「批評.COM  篠原章」からの引用である。

仲宗根源和と瀬長亀次郎 —カメジローは正義の人だったのか?

仲宗根源和の個性的な琉球独立論

仲宗根源和は、戦中に沖縄県議に当選し、戦後初の沖縄の自治行政機関・沖縄諮詢会の委員を務めた本部出身の人物で、後年「沖縄独立論者」として名を馳せるようになったが、若い頃は東京で教員を務めていた。教員時代には非合法期の日本共産党に参加し、『無産者新聞』の発行人など重要な役割を担っていた。共産党時代の仲間である瀬長亀次郎、徳田球一、野坂参三、佐野学との親交も厚かったという。

仲宗根の痛快なカメジロー批判

痛快なのは、仲宗根の瀬長亀次郎批判だ。仲宗根が描くのは、昨今の「カメジローブーム」の下で知られる過大評価の瀬長像とはまるで違う、共産党員・社会運動家としてもダメダメな亀次郎だ。仲宗根は、「県民・人民のため」ではなく「共産党のため、ロシア(ソ連)のため」に亀次郎は働いているとの認識だった。

仲宗根によれば、カメジローは、初代沖縄副知事で戦前の琉球新報社長だった又吉康和の腰巾着だったようだ。そのおかげで、又吉と諮詢会委員長だった志喜屋孝信(初代沖縄知事・沖縄県立二中校長)、沖縄統治の責任者だったワトキンス少佐(海軍/James Thomas Watkins Ⅳ)との内輪の話し合いで県議にしてもらったとのこと。又吉の工作とちょっとした不正によりカメジローが県議になったことは間違いないところだろう。カメジローはさらに又吉に琉球新報社長の地位を与えられている。琉球新報の前身はうるま新報で、当時はまだ米軍の御用新聞だった。その後、保守派だった又吉とは袂を分かち、カメジローは日本共産党やコミンテルンの意向を受けて人民党を結党して政治家として「成功」する。世間に流布されるカメジロー観からは、こうしたダークな側面が抜け落ちているのは残念だ。

 

 

               ★

■那覇市長を辞任して、大政翼賛会事務局長に就任した當間重剛

個人的にはごく常識的な人物が、一旦なんらかのグループに属すると往々にして狂気に走る。そしてその背後に新聞の扇動がある場合が多いが、60数年前の沖縄も同じような状況にあった。

 米軍が慶良間諸島に殺到して猛攻撃を開始する約二ヶ月前の「沖縄新報」(昭和29年12月8日)に「挺身活動へ 翼壮団長会議」といった見出しが躍っている。
 昭和19年の大詔奉戴日は10月10日の那覇大空襲の後だけに、県庁、県食料営団、県農業会などの各団体主催の決起大会各地で行われ、「軍民一如 叡慮に応え奉らん」、「一人十殺の闘魂」といった勇ましい見出しが紙面を飾っている。
 大詔奉戴日とは日米開戦の日に日本各地の行政機関を中心に行われた開戦記念日のことで、戦争の目的完遂を国民に浸透させるために、毎月8日が記念日とされ決起大会が行われていた。

 沖縄では、これらの戦意高揚運動は、大政翼賛会沖縄県支部を中心に行われ、初代支部長には着任したばかりの早川元知事が努めた。
 だが、驚くべきことに、当時の那覇市長であった当間重剛氏が、市長を辞職してこの会の事務局長を務めている。 現在の感覚でいうと那覇市長の方が一民間団体である大政翼賛会沖縄支部の事務局長より、重責であると思うのだが、当時の当間氏は、那覇市長として市民のために働くより、国や県のためになる大政翼賛会に意義を見出したようである。
 当間重剛氏は、戦後、米軍に重用され米軍占領下の琉球政府で、主席(知事に相当)を務めることになり、日本復帰直前の昭和44年には「沖縄人の沖縄をつくる会」を結成して琉球独立党のリーダーになるのだから、人間の運命は分からないものである。
 そして、翌昭和17年には、大政翼賛会の実働部隊として翼賛壮年団が結成され、平良辰雄氏が、初代団長に就任して県民鼓舞のため先頭を切ることになる。  
 平良辰雄氏も戦後米軍に重用され、沖縄群島知事(主席の前)や立法院議員(県会議員に相当)を努めている。 
 GHQは、戦前活躍した有能な人物を公職から追放する「公職追補」という愚策を断行したが、沖縄占領の米軍は、当間重剛氏や平良辰雄氏のように、戦前軍国主義を煽ったと思われる指導者たちを戦後も政財界に重用しており、日本全土を吹き荒れた公職追放は沖縄では行われなかった。

ところが、戦前の大政翼賛会沖縄支部の幹部を務め、県民を戦争に煽った著名人が他にもいた。

しして、その正体を隠したままにしている。

果たしてその正体は?

【おまけ】

俺が調子に乗って琉球・沖縄の歴史を語るブログの引用です。

 2017.11.17

瀬長亀次郎さんが決して口外しなかったこと 

2017年8月12日に佐古忠彦監督、TBSテレビが製作したドキュメンタリー『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が公開されました。ちなみにブログ主はこの映画は未だ見ていませんが、その間に『瀬長亀次郎回回想録』など瀬長さん関連の書籍をいろいろチェックしていました。

瀬長さんのキャッチフレーズである「不屈」は人民党が結成した昭和22年(1947)から日本共産党に合流する昭和48年(1973)の間に好んで使っていた言葉で、現在もそのイメージが強いのですが、ブログ主がいろいろ調べているうちに瀬長さんが決して口外しないワードが複数あることに気がつきました。それは現時点で確認できたのが3つあって

 

一 大政翼賛会沖縄県支部壮年団

一 国場幸太郎(国場組の創始者である幸太郎氏とは別人、1950年代の人民党の活動家)

一 又吉康和(またよし・こうわ)

になります。ちなみに戦前・戦後を生きた世代には瀬長亀次郎さんが大政翼賛会の壮年団に所属していたことは良く知られていました。理由は当時の翼賛壮年団は地域の名士や著名人がこぞって参加していたからで、それゆえ戦後も参加メンバーの経歴に傷がつくことはありませんでした。たとえば翼賛壮年団長の平良辰雄(たいら・たつお)氏は戦後に、沖縄群島知事に当選しますし、翼賛会沖縄支部の事務局長であった当間重剛氏は、後に琉球政府の主席に任命されます。

ほかにも高嶺朝光(たかみね・ちょうこう)氏や翁長助静(おなが・じょせい)さんも参加していて、それぞれ当時の体験について語っていますが、ずっとだんまりを決めているのは瀬長さんだけです。

瀬長さんが翼賛壮年団に加入した理由は、ブログ主が推測すると

一 壮年団長を務めた平良辰雄さんに対する恩義があったこと

一 特別高等警察のマークを避けるため

になりましょうか。昭和15年(1940)に中国戦線から復員した瀬長さんは、平良辰雄さんが会長を務める県産業組合連合会に所属しますが、平良さんは特別高等警察の干渉をはねつけて瀬長さんを雇用しました(加工課長というポストまで作って瀬長さんをかばった)。その恩義に報いるために翼賛壮年団に加入したと考えられます。

ちなみに当間重剛氏は回想録でこのように述べています(1956年11月20日、主席就任式後のパーティーでの演説)。

「私に党籍はない。それが問題である。しかしながら、私は沖縄の場合は党籍にこだわる必要はないと思う。沖縄の問題は戦災から起ち上がって、いかにして復興するかというのが一番の問題であり、そのかぎりにおいてはどの政党も目的は同じであり、したがって私はどの政党からも協力を得られると信じている……ただ瀬長亀次郎君は正面から反対しているが、今をときめく彼でさえ、戦争中は生命が危ないものだから、翼賛壮年団の総務になってお国のために働いていた。(略)」

当間氏は大政翼賛会沖縄支部の事実上のトップでしたから、この発言は信憑性あると考えても構わないでしょう。だからこそ瀬長さんとその支持者は翼賛壮年団に加入していた事実をこの世から抹殺したい気分になるのもまたやむを得ないのかもしれません(続く)

⇒最初にクリックお願いします

コメント

★カメジローは不屈の人か、それとも卑屈の人か

2021-07-10 14:25:48 | ★改定版集団自決
 

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

⇒最初にクリックお願いします

続・沖縄住民「スパイ容疑虐殺」の真相 沖縄人スパイはいた!2008-12-22 の引用です。

小林よしのり著『新ゴーマニズム宣言SPECIAL沖縄論』で、著者の小林氏が犯した唯一の過ちは、元人民党委員長・瀬長亀次郎氏を、「沖縄の英雄」と祭り上げて書いてしまったこと、である。 小林よしのり『沖縄論』を一読してまず目を引くのは、第19章「亀次郎の戦い」である。

小林氏と思想的にまったく逆の立場の瀬長亀次郎氏を絶賛している内容に誰もが驚くはずだ。

日本共産党の機関誌「赤旗」七月三日付の書評でも、『沖縄論』を肯定的に評価しているくらいだ。

沖縄左翼を取り込む意図があったのだろうが、沖縄左翼のカリスマともいえる瀬長氏を沖縄の英雄に祭り上げてしまったことは、沖縄左翼に媚びるあまり、ミイラ取りがミイラになってしまったの感がある。

瀬長氏は、米軍政府と戦っていた姿勢と、方言交じりで演説する語り口で「カメさん」と呼ばれて年寄りには人気があったが、「沖縄の英雄」は沖縄左翼とマスコミが作り上げた創作物語である。

瀬長氏は共産党が禁じられていた米軍統治下の沖縄で、人民党でカムフラージュした共産党員であり、当時ソ連や日本共産党から密かに資金援助を受けているとの噂があった。

そのため、CICが情報取得の為本人は勿論、長女瞳さんの身辺をかぎまわっていたらしく、沖縄住民にも共産思想が入り込んでくることに神経質になっていた。

瀬長氏が沖縄に残した負の遺産が、現在でも日本共産党、社民党そして地元政党の社大党が沖縄県議会で与党を占める沖縄の特異性である。

瀬長氏は日本復帰と同時に日本共産党に正式入党し、共産党公認で衆議院議員に当選し、日本共産党副委員長も勤めている。

米軍統治下の沖縄では、共産主義は禁じられていた。

だが、人民党という地元政党を隠れ蓑に共産主義者は増殖し続けていた。

1950年の朝鮮戦争や、中華人民共和国の成立等、「ドミノ現象」でアジア地域に共産主義が蔓延するのを恐れた米軍情報部は、

CICを中心に沖縄の共産主義勢力の監視に神経を使っていた。

米本国の政府高官が視察のため沖縄を訪問したとき、空港に出迎えにいったユースカー(在沖統治機関)の幹部が、同行した地元琉球政府の幹部を紹介した。

「こちらが、ミスターセナガです」

遠来の米政府高官に対し、歓迎の意をこめてにこやかに握手を求めて手を出したセナガ氏に対し、高官はアメリカ人らしからぬ奇妙な反応を示した。

「オー、ノー! セナガ」

と叫んだ件の高官、握手の手を引っ込めた。

隠れ共産党の瀬長亀次郎氏の「悪名」は米国本土政府の中にも知れ渡っており、空港に出迎えた「セナガ」氏に思わず握手の手を引っ込めたのだろう。

米政府高官に握手を拒否された哀れな男は、当時の琉球政府副主席・瀬長浩氏の「瀬長違い」であった。

米政府高官が本気で握手拒否をしたのか、それとも握手を求めた男が「セナガ」と聞いて、とっさに思いついたアメリカ人特有のジョークだったのか、今となっては確認出来ない。

だが、とにかく、当時の米軍が共産主義の蔓延に対し、いかに神経過敏だったか知る上で、そしてその指導者としての瀬長亀次郎氏を要注意人物とみなしていたかを知る上で、この逸話は実に興味深い。

厳しい監視、家族まで 瀬長氏の長女にもスパイ
2006年5月31日 
<米国の調査機関が1950年代、元沖縄人民党委員長で那覇市長、衆院議員を務めた故・瀬長亀次郎氏の長女・瞳さん(68)=カナダ在住=の周辺にスパイを送り、瀬長氏の健康状態や日常生活を探っていたことが30日までに、米国国立公文書館が保管する資料で明らかになった。同館は瀬長さんが「人民党事件」(54年10月)で逮捕された後、宮古刑務所に収監されていた55年3月7日、獄中から瞳さんに送った手紙の英語訳も保管。手紙は瞳さんに届いていない。米当局が瀬長さんの家族にまで監視を広げ、詳細な身辺情報を逐一探っていたことがうかがえる。

  瞳さんに関する報告資料は2種類。ともに「極東空軍司令部が報告」と記され、情報源は瞳さん、提供者は「極秘の情報提供者」と記される。
 情報収集日が1958年5月20日の報告は「瞳の情報では、父親は深刻な肝臓病で近く入院する」と記載。31日の報告は「瞳が言うには父親(瀬長さん)は退院して家に帰った。政治の本を書く約束をし、本を売って妻のフミさんを8月の原水爆総決起大会に参加させる資金を稼ぎたいと言っている」と記す。米当局は同年8月、東京・横浜でフミさんを撮影している。
 瞳さんは「父から仕事や政治の話を聞いたことはなく、出版計画も当時は知らなかった。なぜ私が情報源なのか理解できない。スパイをした人が父の復帰闘争を弾圧するために無理に作ったのではないか」と話している。
 瞳さんに届かなかった手紙の英訳には米国のCIC(諜報(ちょうほう)機関)の名称を記述。文面は「刑務所からあなたの活躍を期待と希望を込めて見守っている」と娘への思いが切々とつづられている。
 沖縄テレビは同公文書館から収集した資料も盛り込んだ番組を制作。31日午後4時から55分間、逮捕、投獄、市長追放と時代に翻弄(ほんろう)された瀬長さんと支えた家族のきずなを描く「カメさんの背中」を放映する。>

                   ◇

終戦後の米軍統治下の沖縄でCICが暗躍した様子は、『ナツコ 沖縄密貿易の女王』2005年文芸春秋社 奥野修司著)に、自らCIC要員として働いていた金城良安氏が赤裸々に語っている。 

米軍統治下の沖縄でCICの代理人になった者は、教員、財界人、政治家と多士済々であったという。

CICの活動が目立たなかったのは、MPが制服であったのに対し、CICは私服で活動し、当時の合言葉であった「琉米親善」を口にする善良な民間アメリカ人を演じていたからだという。

沖縄のCICはライカム(Rycom=琉球軍司令部)の管理下にあった。八重山民政府からCICに移った金城良安によれば、「八重山には3人ぐらいしかいませんでした。その下に協力者はたくさんいました。つまり情報提供者です。CICは密貿易そのものには関心がなかったのです。関心があったのは外からはいってくる人物です。スパイは密貿易船を使って移動したりしますからね。たとえば中国大陸から誰が来ているとか、そういうことには神経質になっていました」  ちなみにどんな情報提供者がいたのか、当時の軍政府に勤務したことのある人物に尋ねると、「当時の八重山には30人ぐらいおりましたかな。トップは学校の先生で次は財界人と政治家。なぜ協力したのかって? そりゃ、いろいろ便宜を図ってもらえるからだよ。あの頃の米軍は神様よ。もうほとんど死んだが、あのときCICに協力した者はみな大物になっているよ」  自らすすんで協力する人もすくなくなかったという。 CICは諜報活動はするが、基本的に密貿易の取り締まりはしない。 米兵がからんだ場合はCID(陸軍憲兵隊犯罪捜査部)が民警と一緒に動く。 CICもCIDも基本的には私服である。(『ナツコ 沖縄密貿易の女王』2005年奥野修司)

終戦後、CICに勧誘されて情報提供者になった住民のことは、よく聞く話だが戦時中に勧誘されてスパイになることは一か八かの大きな賭けであった。

 もし、日本軍が勝利をしていたら間違いなくスパイ罪で死刑は免れないからだ。

一方、アメリカの勝利の場合は将来の豊かな生活を保障されていた。

事実南方帰りを自称して住民の中に混じって生活していた者が、戦後米軍服を着用して米軍ジープを乗り回している姿を目撃し、その男はその後ハワイで裕福な生活をしていたといった伝聞談は多い。

だが、自他共に認めるスパイで、戦後も「琉球王」とよばれたスパイの親玉の記事が本人の顔写真付きで、古い「月刊沖縄ダイジェスト」の記事になっている。

米軍のスパイといわれ臨時琉球王

沖縄戦の、4月3日、美里村で捕虜になって以来、米軍に積極的に協力、降伏勧告放送もやり、沖縄本島の東西分断も進言、志喜屋孝信らの諮詢委員会ができるまでは「臨時琉球王」で、日本が勝てばスパイとして処刑確実という男がいた。 その名は首里生まれの多嘉良朝朋(当時70歳)。 米軍はそのお礼として昭和24年、米軍政府のセーファ大佐から、コカコーラの民間への一手販売権を与えるーと口約束されたが、中城公園売店でのコーラ横流し事件が摘発されて、おあずけのまま、不遇のうちに死んだ。>(「沖縄事始・世相史事典」月刊沖縄社)

                   ◇

この「臨時琉球王」は、コカコーラの一手販売権をという美味しい果実を手にする前に悪事が露見して哀れな結末を迎えた。

だが、終戦直後には、通常では考えられないようなアメリカの大会社の製品の一手販売権手にした人が多くいた。

それは戦時中彼らがスパイとして米軍に協力した報酬だという噂を良く聞いたが、それが「火の無いところに煙は立たぬ」だったのか、それとも単なる噂に過ぎなかったのか、今では事情を知る者のほとんどが墓場で眠っており真実を知る術はない

 
■昭和20年3月26日の座間味■
 時は38年前の座間味島にさかのぼる。
 昭和20年3月26日日、米第77歩兵師団は、慶良間諸島の阿嘉島、慶留間島、座間味島へ上陸を開始する。そして逃げ場を失いパニック状態に陥った座間味島の住民172人がその日に集団自決をしている。

 
 3月26日の米軍の動きは実にあわただしいかった。
 先ず米合同遠征部隊第51機動部隊司令官ターナー海軍中将が、南西諸島海軍軍政府首席軍政官に任命され、慶良間諸島に最初の軍政府(陸・海合同)が設置された。
 同じ日に米軍は、チェスター・ニミッツ米海軍元帥の名で米国海軍軍政府布告第一号(いわゆるニミッツ布告)を公布した。この「ニミッツ布告第一号」は沖縄に於ける日本政府の統治権の行使を停止し、その居住民に関するすべての政治及び行政責任が、占領軍司令官、米国海軍元帥であるニミッツの権能に帰属すると宣言するものであった。
 つまり日米両国がまだ交戦中であるにも関わらず、米軍は、「ニミッツ布告第一号」の公布により、沖縄の住民を日本の統治から勝手に分離したことになる。   これは沖縄が日本の一県であるという事実を無視し、結果的に沖縄を日本軍の占領地域として扱ったことになり、沖縄住民を「解放」して“準アメリカ人”として米軍政府の施政権下に置いたことになる。 
 米軍は沖縄攻撃の前から、沖縄は日本軍に侵略された植民地であり、米軍は沖縄にやってきた解放軍であるという姿勢を取っていた。 

■スパイ容疑を生んだニミッツ布告■
 以後ニミッツ布告は「布令」と呼ばれ沖縄の憲法のような存在となり、占領下の沖縄住民の言動を規制し、その影響は後に問題になる『鉄の暴風』(昭和25年刊)にも大きな影を落としてくる。

この布告のため、米軍の指令を受け住民が、山中や壕に隠れている日本兵や住民に投降勧告し、そのためスパイ容疑で処刑されるといった悲劇を生んでいる。 
 交戦中の敵国の住民を、自国の住民として行動するように指示するこの布告に、国際法を知らない島民たちは翻弄されることになる。

米軍側の記録によると、翌4月の初旬には、戦火の被害の少なかった沖縄本島の北部地域では民間人による米兵相手の慰安所が営業を開始している。 
 捕虜になった住民を、食料を対価に「軍作業」を手伝わせたり、投降勧告の使者にさせたりすることは、沖縄県民を日本国民とは看做していない措置であり、ハーグ陸戦条約等に違反していると考えられる。 


 このような米軍の国際法違反と思われる措置がなければ、「スパイ容疑」による住民処刑の悲劇はもっと少なかったのではないか。

 特に「ニミッツ布告」の次の条項は、投降した住民を“準米国民”と規定し、日本軍に「スパイ疑惑」を持たす行為を強いることになった。

三 各居住民は、本官又は部下指揮官の公布するすべての命令を敏速に遵守し、本官下の米国軍に対して敵対行動又は何事を問わず日本軍に有利な援助をせず、且つ不穏行為又はその程度如何を問わず治安に妨害を及ぼす行動に出てはならない。

六 本官または本官の命令によって解除された者を除く全ての官庁、市庁、及び町村又は他の公共事業関係者並びに雇用人は本官又は特定された米国軍士官の命令の下にその職務に従事しなければならない。

 余談だが米占領下の沖縄で育った者にとって、「布令」という言葉は一種の自嘲の響きで記憶に残っている。 
 昭和25年8月、琉球立法院は労働三法を制定するが、米民生府は「布令116号」の発布により基地関連の労働者に労働法の適用は禁止とされ、労働組合の結成も米民政府の許可制となる。

 
 「解放軍アメリカ」という幻想がもろくも打ち砕かれ、民主主義の庇護者と思われた米軍が、実は「布令」という超法規を振りかざす独裁的権力者であるという現実が露呈されるのが、この「布令116号」が発布された昭和28年前後のことである。    
 「布令」により資格を与えられた弁護士や裁判官そして同じく「布令」で設立された琉球大学のことを称して、当時は「布令弁護士」、「布令大学」と自嘲的に呼んでいた。 
 沖縄人を呪縛した「布令」は、昭和20年3月26日、米軍が慶良間上陸と同時に公布された「ニミッツ布告1号」にその根源をたどる。
 当然、『鉄の暴風』の発刊もこの「布令」の呪縛を離れては考えられなかった。

■「参謀長」と呼ばれた男■
 当時、沖縄の最高学府であった師範学校を出た者は村の誇りであり、現在の大学卒などとは比べ物にならないほどの尊敬の的だったが、戦後GHQ が軍国教育の温床として解体の第一の目標にしたのが、師範学校制度だったという。
 師範学校の寮生活は悪名高き陸軍内務班そのままで、その卒業生たちが軍国主義教育の担い手となり、教え子を続々と戦地に送り続けていた。 師範学校は、形式主義、権威主義、など融通のきかない所謂「師範タイプ」を多数排出した。 
 教員は村中の尊敬の的であっが、その一方、軍人より軍人らしい山城安次郎教頭のような教員も多くいた。

 梅澤隊長に「自決するな」と断られた野村村長ら村のリーダー四人は、その後相談の上自分らの判断を「軍の命令」として村内に指示をしたといわれているが、その四人は自らも「自決」を決行し全員死亡した。
 宮平一家に軍刀を振りかざし「殺す」と迫った山城教頭は、当時「参謀長」と呼ばれていた。
 戦後座間味島の語り部となった宮城恒彦氏の著書『潮だまりの魚たち』の中の「教頭先生は参謀長」というくだりで山城教頭のことを述べている。 
 

住民が日本兵が見張りをする水場で飲み水を求めると「参謀長の許可がなければダメだ」と拒否されるが、話し声を聞きつけて現れた「参謀長」と呼ばれる男が水汲みを許可してくれる。 
 警備の日本兵にも「参謀長」と呼ばれ、彼らを顎で指示していた男が山城安次郎教頭であった。


 「参謀長」と呼ばれた教頭先生は銃剣を構えた日本兵より「権力」を持っていた。 当時の沖縄ではこのように軍人より軍人らしい民間人は決して特異な例ではなかった。 
 昭和19年頃の沖縄では毎月数回の「日米戦争決起大会」(県民大会)が開催され、演壇では軍人より過激な民間人が檄を飛ばすことも珍しくはなかった。


■集団の狂気■
 時代が変わっても、人間が集団で行う狂気の行動に変わりはない。

平成17年、沖縄タイムスと琉球新報は、狂気に満ちたキャンペーンを張って、9月29日の「県民大会」(“11万人”集会)の動員に県民を追い込んだ。 地元テレビを含むマスコミは一斉に横並びで、これに反対するものは県民にあらず、といった論調で、職場でも異論を吐くものは、「あいつはヤマトかぶれ」だと、後ろ指を指されるような異常事態だったと知人の一人は当時を振り返る。

以下は評論家篠原章氏の「批評.COM  篠原章」からの引用である。

仲宗根源和と瀬長亀次郎 —カメジローは正義の人だったのか?

仲宗根源和の個性的な琉球独立論

仲宗根源和は、戦中に沖縄県議に当選し、戦後初の沖縄の自治行政機関・沖縄諮詢会の委員を務めた本部出身の人物で、後年「沖縄独立論者」として名を馳せるようになったが、若い頃は東京で教員を務めていた。教員時代には非合法期の日本共産党に参加し、『無産者新聞』の発行人など重要な役割を担っていた。共産党時代の仲間である瀬長亀次郎、徳田球一、野坂参三、佐野学との親交も厚かったという。

仲宗根の痛快なカメジロー批判

痛快なのは、仲宗根の瀬長亀次郎批判だ。仲宗根が描くのは、昨今の「カメジローブーム」の下で知られる過大評価の瀬長像とはまるで違う、共産党員・社会運動家としてもダメダメな亀次郎だ。仲宗根は、「県民・人民のため」ではなく「共産党のため、ロシア(ソ連)のため」に亀次郎は働いているとの認識だった。

仲宗根によれば、カメジローは、初代沖縄副知事で戦前の琉球新報社長だった又吉康和の腰巾着だったようだ。そのおかげで、又吉と諮詢会委員長だった志喜屋孝信(初代沖縄知事・沖縄県立二中校長)、沖縄統治の責任者だったワトキンス少佐(海軍/James Thomas Watkins Ⅳ)との内輪の話し合いで県議にしてもらったとのこと。又吉の工作とちょっとした不正によりカメジローが県議になったことは間違いないところだろう。カメジローはさらに又吉に琉球新報社長の地位を与えられている。琉球新報の前身はうるま新報で、当時はまだ米軍の御用新聞だった。その後、保守派だった又吉とは袂を分かち、カメジローは日本共産党やコミンテルンの意向を受けて人民党を結党して政治家として「成功」する。世間に流布されるカメジロー観からは、こうしたダークな側面が抜け落ちているのは残念だ。

 

 

               ★

■那覇市長を辞任して、大政翼賛会事務局長に就任した當間重剛

個人的にはごく常識的な人物が、一旦なんらかのグループに属すると往々にして狂気に走る。そしてその背後に新聞の扇動がある場合が多いが、60数年前の沖縄も同じような状況にあった。

 米軍が慶良間諸島に殺到して猛攻撃を開始する約二ヶ月前の「沖縄新報」(昭和29年12月8日)に「挺身活動へ 翼壮団長会議」といった見出しが躍っている。
 昭和19年の大詔奉戴日は10月10日の那覇大空襲の後だけに、県庁、県食料営団、県農業会などの各団体主催の決起大会各地で行われ、「軍民一如 叡慮に応え奉らん」、「一人十殺の闘魂」といった勇ましい見出しが紙面を飾っている。
 大詔奉戴日とは日米開戦の日に日本各地の行政機関を中心に行われた開戦記念日のことで、戦争の目的完遂を国民に浸透させるために、毎月8日が記念日とされ決起大会が行われていた。

 沖縄では、これらの戦意高揚運動は、大政翼賛会沖縄県支部を中心に行われ、初代支部長には着任したばかりの早川元知事が努めた
 だが、驚くべきことに、当時の那覇市長であった当間重剛氏が、市長を辞職してこの会の事務局長を務めている。 現在の感覚でいうと那覇市長の方が一民間団体である大政翼賛会沖縄支部の事務局長より、重責であると思うのだが、当時の当間氏は、那覇市長として市民のために働くより、国や県のためになる大政翼賛会に意義を見出したようである。
 当間重剛氏は、戦後、米軍に重用され米軍占領下の琉球政府で、主席(知事に相当)を務めることになり、日本復帰直前の昭和44年には「沖縄人の沖縄をつくる会」を結成して琉球独立党のリーダーになるのだから、人間の運命は分からないものである。
 そして、翌昭和17年には、大政翼賛会の実働部隊として翼賛壮年団が結成され、平良辰雄氏が、初代団長に就任して県民鼓舞のため先頭を切ることになる。  
 平良辰雄氏も戦後米軍に重用され、沖縄群島知事(主席の前)や立法院議員(県会議員に相当)を努めている。 
 GHQは、戦前活躍した有能な人物を公職から追放する「公職追補」という愚策を断行したが、沖縄占領の米軍は、当間重剛氏や平良辰雄氏のように、戦前軍国主義を煽ったと思われる指導者たちを戦後も政財界に重用しており、日本全土を吹き荒れた公職追放は沖縄では行われなかった。

ところが、戦前の大政翼賛会沖縄支部の幹部を務め、県民を戦争に煽った著名人が他にもいた。

しして、その正体を隠したままにしている。

果たしてその正体は?

つづく

⇒最後にクリックお願いします

コメント (3)