教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

本の万引き、年間40億円…小学生も犯行、とがめぬ親も

2008年04月27日 15時14分04秒 | 受験・学校

紀伊国屋書店、三省堂書店、有隣堂など大手書店14社の万引きによる年間被害額が約40億円と試算されることが、出版社や書店などでつくる日本出版インフラセンター(東京・新宿区)の調べで分かった。 最近は小学生による犯行や、万引きをとがめない親も目立つ。万引き被害は書店の経営に打撃を与えており、出版関係者の間では「このままでは日本の出版文化が衰退するおそれもある」との危機感が強まっている。 同センターの調査は、今年1月から2月にかけて、大手書店14社計1161店舗を対象に行われ、14社643店舗から回答があった。本の販売に伴って発生した店側の損失額は計約55億円で、このうち、伝票の打ち間違いなど店側のミスや売れ残った本の処分による損失は約15億円。同センターは損失額の合計からミスなどによる損失を除いた約40億円が万引きによる被害と推計している。この額は年間総売り上げ2909億円の1・4%にあたる。』 4月24日 読売新聞 最近本が売れず、個人の書店が少なくなって来ています。私の近所4店なくなりました。皆大きな書店に本を買いに行くのと思いますが、本の万引きは止めて欲しいと思います。親が「良いことと悪いこと」をちゃんと子供の頃から教えるべきです。躾けの常識で親が叱らないと本以外も物の平気で万引きするようになるのでは有りませんか。先のプログで防人の汚職記念日について書きました時、小池百合子元防衛大臣のマッカサー将軍の『 I Shall return 』のフィリピン徹退の言葉からマレーの虎と言われたフィリピ防衛線で、マッカサー将軍と戦い軍事裁判で処刑された山下奉文(やました ともゆき)陸軍大将の遺言を思い出して書かせて頂きました。刑場におもむく車の中で、同伴していた僧籍の森田覚中尉に語った遺言。 「人間の性根は学校に通う前に、わが家の母の教育で作られる。自分の遺言は、婦人の教養を高めて、よい母を作ること!これを祖国に望むだけだと伝えてくれ」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の遺言より引用。 山下将軍の遺言1946年2月23日の当時の遺言今も生きているように思います。スーバーマケットやコンビ二でも万引きが増えているそうですが。大手書店もインターネットによる本の販売も常套かし、本を読まない日本人も増え大手書店経営も大変な時代です。

資料  たむたむページから引用させて頂きました。管理人様有難うございました。詳しくは、たむたむページをご高覧下さい。

☆山下奉文(やましたともゆき)

☆ 大正~昭和時代前期にかけての軍人

1885(明治18)年11月8日~1946(昭和21)年2月23日(享年62歳)

「兵はまさしく凶器であり、大きな罪悪である」(山下将軍の言葉)

1885(明治18)年11月8日高知県香美郡大杉村(現、大宮町)に生まれる(父の佐吉は高知県師範学校を卒業し、小学校教員となるが、後に医者に転じる)。

1883(明治16)年に、高次の軍事研究と参謀将校の養成を目的とする教育機関として設置(1945年廃止)された陸軍大学校を1905(明治38)年に卒業。 1919(大正8)年スイス、ドイツに派遣される。このとき、スイスに派遣されていたスイス公使館付武官佐藤安之助大佐や補佐官の東条英機大尉らと交流をもつ。 以後、皇道派の中堅幹部として活動していたが、1936(昭和11)年の2・26(ににろく)事件で、青年将校達を支持したことから、その後陸軍の指導権を握った統制派(永田鉄山・東条英機らが中心となった昭和期の旧陸軍内の一派閥で、事件以降粛軍の名のもとに皇道派を抑えて主導権を把握して太平洋戦争を推進した)に疎(うと)まれ、旧満州などの在外勤務をさせられる。 1937(昭和12)年8月支那駐屯混成旅団長、11月陸軍中将。 1938(昭和13)年7月北支那方面軍参謀長、1939(昭和14)年9第4師団長、1940(昭和15)年7月航空総監兼航空本部長。

1941(昭和16)年7月関東防衛軍司令官、同年11月第25軍司令官となり、同年12月8日の太平洋戦争開戦とともにマレー半島(インドシナ半島から南に細長く突き出た半島で、帯密林におおわれ、スズ・ゴム・鉄を産出、日本はこれらの資源を狙った。「マラヤ半島」ともいう)上陸作戦を指揮、シンガポール(Singapore。マレー半島南端のシンガポール島を領土とする小さな共和国)を陥落させる。 1942(昭和17)年2月15日、シンガポールのイギリス軍降伏のとき、イギリス軍のパーシバル中将に「イエスかノーか」と無条件降伏を迫り、降伏文書に署名させたことで名を馳(は)せ、「マレー(馬来=Malay)の虎」のと呼ばれた(実際は、通訳に伝えた「降伏するかしないのかを伝えてくれ」ということばを従軍記者が山下を勇猛な将軍として紹介するため記事を歪曲して「イエスかノーか」と伝えた。イエスかノーか」の趣旨、太平洋戦争緒戦のシンガポール攻略時に「イエスかノーか」と強圧的に降伏交渉を行ったと言われるが、実際は「降伏する意思があるかどうかをまず伝えて欲しい」という趣旨を拙劣な通訳に対して苛立って放った言葉であり、これが新聞等で脚色されたというのが真相である。話が一人歩きしていることに対し山下本人は気にしていたようで、「敗戦の将を恫喝するようなことができるか」と否定したという。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用。

1942 (昭和17)年7月第1方面軍司令官(旧満州)、1943(昭和18)年2月陸軍大将に昇進。 戦局の悪化により、1944(昭和19)年9月第14方面軍司令官(フィリピン)となり、フィリピン防衛にあるが、マッカーサー率いる連合軍を前に、苦しい退却戦を強いられ、1945(昭和20)年9月3日、パリ条約(1898【明治31】年、アメリカ・スペイン戦争を終結させた条約。同条約でスペインはキューバの独立を承認、アメリカはフィリピン・グアム島などを獲得した)によってアメリカ領となっていたフィリピン・ルソン島北西部の1,370メートルの高原に位置するバギオ(Baguio)で連合国と降伏文書に調印する。

敗戦後、フィリピン駐留の日本軍が犯したマニラ市民虐殺(「マニラ大虐殺」)や強姦などの戦争犯罪の責任を軍事裁判で問われ、「私は知らなかった。しかし、私に責任がないとは言わない」と、司令官としての自己の責任を潔(いさぎ)く認め、1946(昭和21)年2月23日、絞首刑(法務死)に処せられた。  注1;マニラ大虐殺 マッカーサー(後に「フィリピン軍元帥」という名誉称号が与えられた)率いる連合軍(米軍)は1944年10月フィリピン、ビサヤ諸島レイテ(Leyte)島に、翌年1月にはフィリピンの最大の島で、中心都市マニラがあるルソン(Luzon)島に上陸、それに呼応して各地の強力なゲリラも立ち上がり、日本軍を攻撃、日本軍は大きな被害を被った。逆上した日本軍は、すべてのフィリピン人をゲリラかその支援者と見なし、大勢のフィリピン人を殺害したうえ、補給を経たれたため敗走しながら住民から食糧を奪い、強姦した。マニラでは日本の海軍部隊が住民を教会や大学に集めてダイナマイトで爆破、あるいは機関銃を乱射して撃ち殺した。これらが犠牲者10万人といわれる「マニラ大虐殺」であるが、フィリピン政府の調査によると、戦争による犠牲者は当時の人口1,600万人中110万人以上に上っている(同時に日本軍も東南アジア最大の50万人近い犠牲者を出した)。

なお、山下はマニラ市民への被害を避けるため、マニラを無防備都市として司令部をバギオに移していたが、海軍部隊がこの命令を無視してマニラ防衛戦を行った。その結果、結果、「東洋で最も美しい都市」といわれたマニラは廃墟となり、日本の将兵2万は玉砕したが、この中でマニラ大虐殺が起きた。これらの責任を山下は負わされたのである。

注;法務死(ほうむし) 戦犯裁判による刑死者や収監中死亡者を指す用語。当初、これらのものの戸籍には「刑死」と記載されたが、後に「法務死」と変更され、法務死の者にも公務死として遺族に恩給などが支給されている。 墓所は東京・多磨霊園

処刑の1時間40分前、日本国民への最後のメッセージ(遺言)を教誨師(きようかいし=刑務所で受刑者などに対して徳性教育をし、改心するように導く人)に託したが、それを要約する以下のようになる(05年08月23日付『朝日新聞』-「大阪本社版」=「関西スクエア」)。

1.日本人の倫理観の欠如が日本人の間に多くの戦争犯罪者を生み出し、世界各国の日本に対する信頼を失わせる根本原因であった。各人が道徳的判断力を養成し、責任感の強い国民になって欲しい。

2.核兵器の使用を避ける唯一の方法は、核兵器の使用を戦略とする国家を造らないこと。科学は入類を不幸と困窮から解放するための手段として利用すべきである。

3.平和の原動力は婦人の心の中にある。女性が新たに獲得する「自由」と「婦人独自の能力」を有効適切に発揮して欲しい。

4.あらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し、人類に寄与する強い意志をもった人間を育成する教育が必要。特に母親の愛情が重要。  

妻のひさ(1898【明治31】)年~1970【昭和45】年)は、陸軍少将永山元彦の長女。

山下将軍が敗走中に隠したとされるのが「山下財宝」で、それが現在に至るまで「半ば冗談、半ば本気」で受け継がれ、フィリピンの「どこか」に残されているといわれている。

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パンジー182本引き抜き、容疑の21歳男逮捕…埼玉

2008年04月27日 11時53分40秒 | まち歩き

『 埼玉県草加市で大量のパンジーが引き抜かれた事件で、草加署は26日、同市の塗装工の男(21)を器物損壊の疑いで逮捕した。
 発表によると、男は20日午前5時45分ごろ、同市栄町の松原団地駅東口商店街で約200メートルにわたり、歩道のプランターに植えてあったパンジー182本を引き抜き、車道や歩道に投げ捨てた疑い。 同署は防犯カメラの映像や目撃情報から割り出した。男は「酒を飲んだ帰りで、調子に乗ってやった」と供述しているという。』 4月26日読売新聞

花を引き抜く事件が、増えています。せっかく皆さんが育てた花を無断で引き抜く真似をし事件を起こす大人がいて非常に迷惑です。182本のパンジーの花を抜いたのですから、花の命を奪ったことになります。パンジーは、春に咲く花で花言葉は、『純愛、私のことを想って』です。花にも生命があるということを忘れた蛮行です。酒に酔っていたからと言って許されることではありません。仏教で言う殺生をしたのと、丹精込めて花を育て上げた人達の気持ちや手間暇を奪った罪は、法律で罰しても時間的に戻って来ません。花を愛でる人間としての素直なやさしさや心の暖かさの無い人間が増えました。社会的弱者や老人、身体障害者への暖かい眼差しが必要な時代では有りませんか。恵まれた経済的家庭環境で育ったお坊ちゃんには分からない痛みです。人の痛みや心の傷が分かる人間で無いと人を救うことが出来ないのでは最近良く想います。花から人間は教わり、綺麗な咲いた花から心を癒され、厳しい天候の中でも花を咲かせる強さや逞しさに励まされ、人生の咲く時期が有ることを教えてくれているのです。みんなの心を癒し、和ませ、楽しませる花を無断で勝手に引き抜いたりするのは、花と人間に対する犯罪行為です。植物や動物の命を大切にしない人間が、今の日本には増えています。その結果掛け替えの無い人間の命、自分の命も他人の命も大切にし、命を貴いと思わない人間が増えている日本です。

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