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読書ノート 斎藤 憲著 「ユークリッド『原論』とは何か」 (岩波科学ライブラリー2008年)

2016年01月17日 | 書評
ギリシャ数学史に輝く幾何学の公理主義の確立 第3回

序(その3)

ユークリッド「原論」の前の初期ギリシャの数学の歴史を繙いてみよう。ギリシャ数学の特徴は、それが証明を伴う論証数学である点です。紀元前5世紀以前、プラトンの「国家」に書かれた教育カリキュラムや学校アカデミア(幾何学を知らざる者入るべからず)では数学の学習は必修科目でした。また対話篇「テアイテトス」では、非共測量の存在が常識とされています。非共測量の発見は論証数学なしには不可能ですので、紀元前400年以前に論証数学はすでに確立していたことが分かる。論証数学がいつから始まったのかには、アリストテレスの弟子エウデモスが前320年に編集した「幾何学史」によると、紀元前6世紀のタレスがエジプトから持ち込んだと書かれ、それ以来論証幾何学のタレスーピタゴラス起源説が定説になっていた。ソクラテスが影響を受けたイタリアのピタゴラス派の教えとは、輪廻転生を主とする秘密宗教の一派です。従ってピタゴラスの知とは宗教家の権威のことであり、ピタゴラスの実像さえ明確でありません。その後のギリシャで発生した学問的な知とは異質であったといわれます。ピタゴラスの定理(直角三角形の斜辺の2乗は対する2辺の各々の2乗の和に等しい」ということですが、ピタゴラスが知っていた三角形の辺は整数で(5,3,4)の一例だけであったとされます。前440年ごろ数学の基本命題集を編集したヒポクラテスの「原論」はタレスから150年、ピタゴラスより100年ぐらい後のことです。このヒポクラテスが証明という概念を持ち込み、論理的な連関を明らかにしようとした最初の人であったというのが最近の定説になっています。ソクラテスの晩年、プラトンの若き頃には論証幾何学は相当盛んになっていたようです。アルキメデスは一人で放物線、回転放物体、球などの求積を行い、ギリシャ数学の方法で解ける問題はアルキメデスが全部解いてしまったといわれています。ユークリッドはアレキサンダー大王の跡を継いだプトレマイオス1世(前367-323)のころアレクサンドリアで活動したという説があります。これでは時代が古すぎます。ユークリッドについて初めて言及した数学者はアポロ二ウスです。彼は「円錐曲線論」の序文で、軌跡問題のユークリッドは不完全であると述べています。「円錐曲線論」第2巻が発表されたのは前195年より後といわれ、紀元4世紀の数学者パッポスはアポロ二ウスはユークリッドの弟子だと言っていますので、ユークリッドの年代は前250年前後が最も妥当な年代といえそうです。紀元前250年というとアルキメデスが自分の論文をアレクサンドリアに送っていた時期です。そしてアルキメデスは前212年ローマ軍によって殺されました。ところがアルキメデスの著作にユークリッドの名前は一度も出てきません。実用数学者のアルキメデスは、幾何学基礎論のユークリッドに興味はなかったと言えば聞こえはいいですが、ユークリッドの時期はアルキメデスの時期よりかなりずれているのではないkという一抹の懸念はあります。これぐらいユークリッドに関して分かっていることは少ないのです。ユークリッドの著作は「原論」だけではありません。「デドメナ」(数学基礎定理)、「オプティカ」(透視図法)、「ファイノメナ」(天文学、地動説ですが)、「カノンの分割」(音楽音程、協和音)などがあり、「ユークリッド全集」も刊行されています。

(つづく)


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