ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「日本の伝説」 (角川ソフィア文庫 1996年6月)

2017年12月19日 | 書評
「日本の昔話」の姉妹編、少年少女向けの伝説の宝庫 第1回


この「日本の伝説」は、昭和4年(1929年)著者55歳の作品で、最初は「日本神話伝説集」という題であったが、昭和7年(1932年)に「日本の伝説」と改められた。著者は伝説と昔話はどう違うのかということを本書の「はしがき」に書いています。「昔話は動物のごとく、伝説は植物のようなものであります。昔話は根無し草のように方々を飛び歩くが、どこへ行っても同じ姿を見かけることができます。伝説はある一つの土地に根を生やして、そうして常に成長してゆくものです」という。植物にはそれを養って大きくする力が、この国の土と水と日の光の中にあるのですともいう。「歴史は農業のようなものです」ということは、伝説は場所と時間を必須の要素として必要とする。しかし場所と時間を異にすると、各々の伝説は全く異なったものかと言えばそうではない。同じとはいえないまでも、同じような話は形を変え、対象を変え、語彙を変えて変化しながら各地に存在する。本書はテーマとして、咳のおば様(20話)、驚き清水(15話)、大師講(34話)、片目の魚(46話)、機織り御前(24話)、お箸成長(26話)、行逢阪(5話)、袂石(35話)、山の背比べ(24話)、神いくさ(23話)、お地蔵さま(37話)の12のテーマを選んで、その変形譚を10-50ほど全国から収集した構成になっている〈総計290話)。しかもその話には一応文献(資料名)が記されている。「遠野物語」のように必ずしも聞き語りに根拠を置くのではなく、資料に目を通して書いたようである。資料と言ってもいろいろのものがあり、古事記、風土記、地方の地理誌、民俗研究者の雑誌「郷土研究」、各地の国(郡)志、神社誌、名勝案内絵図、随筆などなど多岐にわたる。別に資料に重みづけはなく、こんな話もありますよという感覚で取り上げている。「日本の伝説」は翌昭和5年に刊行された「日本の昔話」とともに、少年少女に向けて書かれたものです。絵本のように読み聞かせる本というよりは、もっと高学年向けの読んで理解し比較分類する能力を持った児童向けの本で、我々にとっても伝説研究の入門書として好適である。当時の民俗学では、民間信仰研究とあわせて伝説研究を重んじてきたようだ。柳田氏の初期の研究として、「後狩詞記」(1909年)、「石神問答」(1910年)、「遠野物語」(1910年)などがあった。どちらかというと民間信仰研究を中心とした研究であるが、伝説研究にもつながるものであった。雑誌「郷土研究」(1913年―1919年)では民間信仰とともに、伝説の問題を取り上げてきた。雑誌「民族」(1925年―1929年)でも、民間信仰とともに、伝説の問題を取り上げた。雑誌「民族」の廃刊後に「日本の伝説」が刊行された。この「日本の伝説」以降の著作においても、「女性と民間伝承」(1932年)、「一つ目小僧」(1934年)、「信州随筆」(1936年)、「妹の力」(1940年)は民間信仰との関連から伝説の問題にも及んでいる。それに対して「伝説」(1940年)と「木思石語」(1942年)は伝統の本質について切り込んでいる。「民間伝承論」(1938年)、「郷土生活の研究法」(1939年)などにより日本民俗学は体制が整い、民俗学を形、言葉、心象の3つに分けて、伝説は言葉と心象の中間に置いた。戦後「日本伝説名彙」(1950年)、「十三塚講(194年)、「資料としての伝説」(1952年)を著わして、その考えを進めた。しかし研究者の関心は必ずしも伝説の分野にとどまらず、伝説に関する多くの資料の集積に比例せず新しい考え方は生まれなかったという。だから本書「日本の伝説」は、伝説とは何かについてそれほど明確に答えているわけではない。柳田氏は「昔話は動物のごとく、伝説は植物のようなもの」と巧みな対比をいうが、グリムは「昔話は詩的であり、伝説は歴史的である」という。ドイツでいうメルヘン(昔話)とザーゲ(伝説)に相当するようである。柳田氏は「木思石語」において、昔話と伝説の相違を次の3つにまとめている。
① 昔話は誰からも信用されないが、伝説はある程度まで信じられる。
② 昔話は時間場所を「昔あるところに・・・」で始めるが、伝説は何処か決まった場所と結びついている。
③ 昔話は定式化されているが、伝説は決まった型はない。

最も重要なことは、伝説は信じられていることである。特定の場所、人物と結びついて歴史上の事象として信じられてる。だから個別の伝説研究では信仰との関係の方が、言語との関係よりも重視される。伝説の一は歴史と文芸の中間に求められる。「平家物語」はその典型であろう。文芸の方へ流れるとかなりの自由度が許容され、いわゆる血沸き肉躍る式の歪曲的表現も、まるで見てきたかのような真実観を持って語られる。「日本伝説名彙」(1950年)では、事実との結びつきから6つの部門に分類されている。①木(笠松、銭かけ松、矢立て杉、箸杉,蕨、葦・・)、②石・磐(子持ち石、夜泣き石、姥石・・)、③水(弘法水、機織り淵、橋、堰、水神・・)、④塚(糠塚、千人塚、十三塚・・)、⑤坂・峠・山(行逢坂、山の背比べ、長者やしき・・)、⑥祠堂(子安地蔵、鼻取り地蔵、泥掛け地蔵、薬師、観音。、不動・・)である。実はこの分類は本書「日本の伝説」の章別けにそのまま適用できる分類法である。では次の本書の内容に少し立ち入りながら、伝説の分類を試みてみよう。
第1章「咳(関)のおば様」では、境を守る姥神が、地獄の仏教観念を受け入れて三途の川の奪衣婆というものが広く知られており、同じように境を守る道祖神というものも広く知られており、「石神問答」を始め「赤子塚」などで論じられている。とくに姥神に限るなら「女性と民間伝承」に説かれているほかに、「老女化石譚」とか「念仏水由来」が「妹の力」に収められている。第2章「驚き清水」では、水のほとりの姥神が、念仏の信仰を引きつけて、念仏池の伝説を生み出した。この問題の引用資料として「女性と民間伝承」と「妹の力」を挙げなければならない。第3章「大師講の由来」では、姥神とともに児の神が現れて様々な奇瑞を示したが、ダイシという言葉のために高僧の働きとなった。弘法大師、太子井戸などの奇特は、「女性と民間伝承」、「伝説」、「木思石語」、「神樹篇」などにも取り上げられた。また「大師講」という行事については「年中行事覚書」の「二十三夜塔」でも論じられた。第4章「片目の魚」では、神に供えるための魚が、わざと片目をつぶしておかれたという問題については、「郷土研究」第4巻の「片目の魚」に記されているが、片目の神、神主、「一つ目小僧」にも説かれている。第5章「機織り御前」では、神に供なえるための布が清らかな水のほとりで若い娘によって織られるたのが、山姥や竜宮の乙姫の仕業だとされる。山姥のことは「山の人生」、竜宮の乙姫につては「桃太郎の誕生」所収の「海神少童」に昔話の方面から述べられている。機織り淵た機織り池は「伝説」にも取り上げられた。第6章「お箸成長」から水の問題から離れることになる。神を迎え奉る為に、地面に木の枝をさすか、あるいは新しいお箸をさしたのが次第に成長すると信じられた。神の依代の木が様々な伝説を伴なうことは、「信州随筆」や「新樹篇」に示される。特に杖の成長した話は「神樹篇」にくわしい。第7章「行逢坂」では、国や村の境が、本は神が定めたと考えられていた。境のしるしに矢立ての木というものがあって、「矢立て杉の話」に取り上げられている。さらに詳しく論じたのが「矢立ての木」や「伝説と習俗」、「信州随筆:」、「木思石語」に収められている。第8章「袂石」については、神のこもる石がやはり成長すると信じられた。神の力がことさら石に現れるのは、「石神問答」と関係するのであるが、「生石伝説」に説かれてる。第9章「山の背比べ」では、山どうしが争ったという伝説が、その山をあがめる気持ちになったという。山の神秘につては「山の人生」で語られており、山の信仰については「山宮考」に説かれている。なお橋のねたみは「一つ目小僧」所収の「橋姫」に取り上げられている。第10章「神いくさ」では、神どうしが仲が悪いとうのは、他の神の信仰を退けるからである。特に日光と赤城の争いは「神を助けた話」に詳しく描かれている。第11章「伝説と児童」(「お地蔵さん」)では、地蔵に関する伝説を引きながら、興味深い伝説が子供によって引き継がれてきたとういう。地蔵信仰の研究は「郷土研究」誌上に「地蔵の苗字」、「水引き地蔵」、「子安地蔵」「黒地蔵と白地蔵」などが論じられてきた。地蔵遊びについては、「子ども風土記」に取り上げられた。さらに道祖神との関係について「石押問答」を始め「赤子塚の話」にも説かれている。やはり道祖神にふれながら姥神に戻っている。柳田氏は「日本の伝説」において、いわば民間伝承の比較を通じて、民族文化の特質を知ろうととするものである。伝説はむやみに他の地には広がらないと見ているが、細かに調べるとかなりの多くの土地に同じような伝説が伝えられている。伝説の展開(変化)をたどってゆくと、民族信仰の問題に至るのではないかという方法論が見られる。「日本の伝説」という本には、子安姥神などの問題が中心である。もっと広い立場で伝説と信仰を見てゆかなければならないことは今日的課題である。

(つづく)


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