ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

死と愛と孤独の詩人 「原民喜」

2020年02月02日 | 書評
民喜と貞恵

繊細な精神は過酷な運命を生きた 死と愛と孤独の文学  第18回 最終回

Ⅲ.原民喜著著 「原民喜全詩集」 岩波文庫(2015年7月) (その2)

「原民喜詩集」は大きく3つに分けられる。散文詩群、「原爆小景」、「魔のひと時」である。「原爆小景」の最初に置かれた「コレガ人間ナノデス」を記す。
* コレガ人間ナノデス 原子爆弾ニヨル変化ヲゴランクダサイ 肉体が恐ロシク膨張シ 男モ女モスベテヒトツノ型ニカエル オオ ソノ真黒焦ゲノメチャクチャノ爛れた顔ノムクンダ唇カラ漏レテクル声ハ「助ケテ下サイ」 トカ細イ 静カナ言葉 コレガ 人間ナノデス 人間ノ顔ナンデス
原民喜は自身が見たものを言葉に刻むことにおいて極めて誠実であった。「自分のために生きるな、死んだ人の嘆きのためにだけ生きよ」と小説「鎮魂歌」に書いた。最初は妻に向かって紡いでいた言葉もいつしか無数の死者たちへの献花となっていた。「永遠のみどり」と題する詩で語るのは希望であった。しかも民喜の詩篇の中で最も優れた作品となった。
* ヒロシマのデルタに 若葉うずまけ 死と焔の記憶に 良き祈りよこもれ とはのみどりを 永遠のみどりを ヒロシマのデルタに 青葉したたれ
原民喜にとって「碑銘」とは「墓碑銘」のことであった。極限までに切り詰められた彼自身の魂の告白であった。かれは知人宛ての遺書に「碑銘」を書き添えている。長光太への手紙に題名を記さず書き送った「碑銘」を示す。
* 遠き日の石に刻み 砂に影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻
この詩は明らかに「碑銘」である。民喜の自殺は計画的であった。遺書を19通書き、詩集を含む意向を整理し、遺る者に託した。「はるかな旅」で民喜は花に妻の幻をみるという。彼の生涯は「一輪の花の幻」を見ることに集約された。幻は空想の産物ではない。むしろ人間の世界における真実性の顕れであったと思われる。幻は消えない、人間が見失うだけである。原民喜は遠藤周作への遺書に「悲歌」と題する詩を書いた。
濠端の柳にはみどりさしぐみ 雨靄につつまれて微笑む空の下 水ははっきりとたたずまい 私の中の悲歌を求める すべての別離がさりげなく取り交わされ すべての悲痛がさりげなく ぬぐわれ、祝福がほのぼのと向うに見えているように、私は歩み去ろう、今こそ消え去ってゆきたいのだ、透明の中に永遠のかなたに
この一篇を自らの詩集の最後に置くことを託し、原民喜は「一輪の花」の世界へ一人歩いて行ったのだ。

(完)
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿