ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下 岩波新書 (1938年11月)

2017年11月12日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第37回
巻 19
-----------------------------------------------------------------------

341) 春の野に 霞たなびき うらがなし この夕かげに うぐいす鳴くも   大伴家持(巻19・4290)
・ 家持即興の歌。「霞棚引き」とか「夕かげにうぐいす鳴く」が雰囲気を盛り上げ、「うらがなし」という哀愁の気持ちに落ちる仕掛けである。この深く細身のある歌調は家持の開発したもので、人麿以前にはなかった。
342) わが宿の いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも   大伴家持(巻19・4291)
・ 後世の「あわれ」の歌調であろう。叙景からさみしい・悲しい心情の変化が万葉に出てきたのである。前半が叙景、後半の句が叙情である。しかしこの歌はまだj叙景に具象性(写生)があるので、中世の「幽玄」にはならなかった。
343) うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 情悲しも 独しおもへば   大伴家持(巻19・4292)
・ 「うらうらに」は「春うらら」のこと。前半の句が叙景、後半の句が叙情である。「麗らかに照らしている春の光の中で、雲雀が空高くのぼる、独るでいると心が悲しい」ということ。この歌と前の2つの歌は独詠の歌である。
巻 21
--------------------------------------------------------------------------------

344) あしひきの 山行きしかば 山人の 朕に得せしめし 山づとぞこれ   元正天皇(巻20・4293)
・ 元正天皇が添上郡山村に行幸になった時の御製歌。「山裏(やまづと)」とは山のお土産のようなもの。「山に行ったら、山の住民がいろいろお土産をくれた。これがその土産だ」ということで、神仙的な中国の故事をなぞった歌である。
345) 木の暗の 繁き尾の上を ほととぎす 鳴きて越ゆなり 今し来るらしも   大伴家持(巻20・4305)
・ 「鬱蒼とした木立の茂っている山上を霍公鳥が今鳴いて越えてゆく、間もなくこちらにやってくるようだ」 現在の「ほととぎす鳴きて越ゆ」から未来の「今し来るらしも」につなぐ、時間の経緯の処理がこの歌の持ち味である。
346) 我が妻も 画にかきとらむ 暇もが 旅行く我は 見つつ偲ばむ   大伴家持(巻20・4305)
・ 天平勝宝7年、坂東諸国の防人を筑紫に派遣して、先の防人と交替させた。その時派遣される防人が作った歌が一群となってこの巻に収録されている。この歌の作者は物部古麿である。「自分の妻の姿を画にかいておく時間がほしい。これから筑紫仁旅立つ自分はその絵を見て妻を思い出したいのだ」ということ。自分の妻の絵を描くという所作が珍しい。
347) 大君の 命かしこみ 磯に触り 海原わたる 父母を置きて   防人(巻20・4328)
・ 丈部造人麿が作った歌。「天皇の命令で任地に行く船旅で、何度も船が磯にぶつかるという危ない思いをして、海を渡って防人に行く。父母は故郷に置いたままだが」ということ。動詞がブツ切で綴ってゆくのは、作歌の習練が未熟なためである。防人の歌には両親の事を云うものが多い。特攻隊兵士の遺書を見る様だ。特攻隊兵士の悲惨な点は、書いたものに検閲が入るので言いたいことは言えず、威勢のいいウソしか書けなかったことである。
348) 百隈の 道は来にしを また更に 八十島過ぎて 別れ行かむ   防人(巻20・4349)
・ 刑部三野の作った歌。難波から船出をする時の歌。これまで陸路をはるばるといろんなところを歩いて来たが、これからは更に船に乗って多くの島を過ぎて筑紫へゆくことになる」ということ。巧みではないが、真摯に歌って歌となっている。
349) 葦垣の 隈戸に立ちて 吾妹子が 袖もしほほに 泣きしぞ思はゆ   防人(巻20・4357)
・ 上総国市原郡 刑部直千国の作った歌。「出立の間際まで葦の垣根の隅に立って、袖もしほほに泣いていた妻のことが思い出されてならない」ということ。
350) 大君の命 かしこみ出で来れば 我ぬ取り着きて いひし子なはも   防人(巻20・4358)
・ 上総国周准郡物部竜の作った歌。「天皇の命令を畏み出立してきたのだが、私にとりついて泣き言をいういとしい妻よ」ということ。「子なはも」は「子ろはも」が訛ったもの

(つづく)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿