ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月17日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第11回
巻 3
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81) 天ざかる 夷の長路ゆ 恋い来れば 明石の門より 倭島見ゆ   柿本人麿(巻3・255)
・ この歌は西から東へ戻る船旅の歌である。遠い西の国からの長旅で、都を恋い慕って帰る船で明石の大門辺りまでくると、もう向こうに大和の山が見える。人麿一流の声調で強く大きく豊かにに歌い上げた。「恋来れば」が唯一の主観語である。往きは「見ず」、帰りは「見ゆ」で、気持ち次第で見えなかったり、見えたりする。感情の綾であろうか。
82) 矢釣山 木立も見えず 降り乱る 雪に驟く 朝たぬしも   柿本人麿(巻3・262)
・ 人麿が新田部皇子に奉った長歌の反歌で、後半の句に難しい言葉が二つある。「驟く(うくつく)」とは馬を威勢よく入らせること、「たぬしも」は楽しもという意味である。上半分の句は平明である。矢釣山は高市郡八釣村であろう。人麿らしい出来のいい作品である。結句の「朝たぬしも」の意味であるが、雪の日は早朝におくれないで馬を勢いよく走らせて、伺候すべきという儀を考えるといい。ただし「雪にうくづきまいり来らくも」と訓む人もいる。
83) もののふの 八十うじ河の 網代木に いさよう波の ゆくえ知らずも   柿本人麿(巻3・264)
・ 「もののふの 八十うじ」は物部氏に氏が多いことを宇治川にかける序詞である。直線的でのびのびした調べの歌である。歌には意味の部分が後半の句に来て、前半の句に装飾的声調的序詞で豊かな言葉の世界を構成する技巧がある。だから意味を取るには前半の序詞を飛ばして読む方が混乱が少なくていい。すると歌はあまりに単純で、きれいとか悲しいとかにつきることがある。同じ言葉を何回も繰り返す哀韻は幾度も吟誦して心に伝わるものである。分かりやすいだけが歌ではない。斎藤氏はこの歌を人麿一代の傑作という。
84) 苦しくも 降りくる雨か 神が埼 狭野のわたりに 家もあらなくに   長奥麻呂(巻3・265)
・ 神が埼とは紀伊国牟婁郡の海岸であり、狭野(佐野)は素の西南方にあり、いずれも今は新宮市に編入されている。「わたり」は「渡し場」である。「苦しくも降り来る雨か」の本歌の本質がある。「なんと陰鬱な」と詠嘆する様子が分かる。古来、万葉の秀歌として評価の高い歌である。後代の定家のような空想的模倣歌ではなく、あくまで実地での写生歌に徹している。
85) 淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 心もしぬに いにしへ思ほゆ   柿本人麿(巻3・266)
・ 人麿の代表歌の一つであるが、近江旧都回顧の歌と同時の作かどうか不明である。「夕浪千鳥」は古代からの定型句のひとつである。下の句「心もしぬに いにしへ思ほゆ」が歌の本質である。真から心が萎れて、昔の栄華が偲ばれる。「汝が鳴けば」はこの歌の転調点となり、後半の沈厚な趣に導かれる。
86) むささびは 木ぬれ求むと あしひきの 山の猟夫に あひにけるかも   志貴皇子(巻3・267)
・ 「木ぬれ」はこずえ梢のこと、「山の猟夫にあひにけるかも」は猟師につかまってしまうという意味である。歌の意があまりに単純で、まさか動物に対する憐みではなかろうとすることから、寓意が取りざたされてきた。「高望みをすると失敗をする」という寓意である。志貴皇子の人生観と感傷というレベルで鑑賞べきと斎藤氏は言う。
87) 旅にして もの恋しさに 山下の 赤のそほ船 沖に榜ぎ見ゆ   高市黒人(巻3・270)
・ 「山下」は紅葉が美しいことから、赤の枕詞に使っている。「そほ」とは赤赭土から朱にたる鉄分を含む塗料のことである。前の句「旅にして もの恋しさに」がこの歌の契機であり全てである。後半の句は写生である。赤い塗料を塗った船が都を目指して通って行く。羇旅の歌の常套手段である。黒人の歌は具象的で写象は鮮明であるが、人麿ほどの切実さはない、通俗と言ってもよい。
88) 桜田へ 鶴鳴きわたる 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴きわたる   高市黒人(巻3・271)
・「桜田」は尾張国愛知郡作良郷(今の熱田)、「年魚市(あゆち)潟」は愛知郡阿伊智(今の熱田南方の海岸一帯)である。陸から桜田の海岸に向かって鶴が群れて通ってゆく様を写生している。潮干になって餌を求めて渡ってくるのである。地名が二つ、桜田と年魚市潟、そして「鶴鳴きわたる」が繰り返されているので、内容はほとんど単純である。だからこそ高古の響きをもつのである。
89) 何処にか 吾は宿らむ 高島の 勝野の原に この日暮れなば   高市黒人(巻3・275)
・ 「高島の勝野」とは近江高島郡三山の内、いまの大溝町である。黒人の羇旅の歌8首は場所を変えその都度詠まれている。日も暮れたので今日は何処に宿ろうかなという程度の自然的詠歌である。事件性や感傷性は強くない。
90) 疾く来ても 見てましものを 山城の 高の槻村 散りにけるかも   高市黒人(巻3・277)
・ 「山城の高槻村」は山城国綴喜郡多賀郷という説がある。早く来て見たかった山城の高という村の槻の林の黄葉も散ってしまったというのが詠嘆歌の本意である。「高い槻の木」という意味を持たせているようだ。

(つづく)


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