ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 三浦祐之著 「風土記の世界」 (岩波新書2016年4月)

2017年07月31日 | 書評
8世紀初め編纂された地理志(奈良時代の国状調査) 第8回

3) 播磨国風土記

はたして地理志は中央律令政権が望んだような記録が収集できたのだろうか。遺された5ヶ国の風土記を見るだけでも様々な趣向を持ち、提出時期もバラバラです。播磨の風土記は常陸国風土記とともに最も早い時期に撰録されたようです。内容を見ると土地の肥沃度も記述と、山川原野の名前の由来の収集に意を注いだと言えます。ヤマトから比較的近い距離にある山陽道の播磨国には、ヤマト政権との関係も深く、天皇に関わる記事(巡行、求婚)や伝承が多い。日常的な話の世界が持つ猥雑さ活気という点では播磨国風土記は群を抜いている。播磨国風土記では人々ばかりか神々も普段着で登場する。オオムナジが息子の火明命の悪行から逃げ惑う姿は滑稽である。もとは「酷塩」、「苦の斎」の地名起源譚であるが、偉大な出雲の神オオムナジ(オオクニヌシ)が息子に手を焼いている姿に共感を抱く人は多いだろう。古事記には最初に地上の葦原の中つ国を統治した神として知られ、出雲国風土記では「天の下造らしし大神」と呼ばれる英雄オホムナジは播磨の国でも国造りの神として語られる。「はに岡」や「波自賀はじか」の地名由来を説明する話に登場する。オオムナジと「小比古尼命 スクナヒコネ」が我慢比べをした。赤い土(はに)を持つか、屎を我慢して歩くかどちらがつらいかという。オオムナジが降参して屎をした場所を「波自賀はじか」、小比古尼命が赤土の荷物を投げ出した場所を「はに岡」という笑い話である。物語性に富んだ下ネタも取り込んだ興味深い話である。滑稽な神はまだいる。出雲からやってきた伊和大神は川に筌(うえ)を置いて魚を取ろうとしたが、魚は入らず鹿が入った。これを膾にして食おうとしたら土に落としたという締まらない話である。とんでもない獲物がかかった驚きと笑いが描かれている。オチは食おうとして落としてしまい、こんな土地に愛想をつかして他の土地に移る大神の不器用さが笑えるのである。播磨国には出雲との縁が地名に多く残されている。稲種山(オオムナジ)、琴坂(オオタシヒコ)、宇波良村(葦原志許乎命)、粒岡(天の日鉾)などである。葦原志許乎命はオオムナジの別名である。播磨国が出雲との関係を強く持っていたことを示している。中でもヤマトの品太天皇(ホムダ 応神天皇)が頻繁に登場する。侵略者である天皇が間抜けで滑稽な貴種として笑い飛ばされる。自分の馬も見分けられない天皇として(英馬野)、地形もわからない天皇として(小目野)描かれている。恐るべき、あがめるべき天皇ではなく笑い飛ばせばよかったのである。権力へのレジスタンスとも読める。それが播磨とヤマトとの関係である。播磨国風土記には、品太天皇の狩猟に関わる伝承が多い。狩猟と巡行は天皇の地方支配、制圧をかたる従属伝承と軌を一つにしている。地名起源譚でもある。「伊夜丘」、「目前田」、「阿多賀」や血臭ただよう「臭江」という伝承に征服される側の怨念を感じ、だからてんのうを愚か者に描いて笑い飛ばすというレジスタンスとなる。「上鴨・下鴨の里」では鴨も知らない天皇にかわって1本の矢で二羽の鴨を仕留めた話である。射られても飛び越えた山を鴨坂、落ちたところを鴨谷、鴨鍋をしたところを煮坂という。 土地名伝承には、言葉足らずかその意味が十分に伝わらない話も多い。語りと聞く側の当事者が了解している事柄か、今となっては文字からその真意はつかめなくなっている。

(つづく)


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