ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文藝散歩 モンテーニュ-著 荒木昭太郎訳 「エセー」 中公クラシック Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ (2003年3月)

2018年06月18日 | 書評
16 世紀フランスのモラリスト文学の祖モンテーニュ-の人間学 第3回

序(その3)

 1578年腎臓結石の発作を起こし、療養を兼ねてイタリアの温泉巡りをした。さらにエセー刊行後1580年夏から翌年秋にかけて1年余イタリアへ長途の旅に出た。16世紀後半南仏各地でプロテスタント派の城塞都市が威勢を伸ばした。これに対してカトリック急進派の神聖同盟がパリを抑え、ボルドー市は国王に忠誠を誓うカトリック中道派が主流であり、フランスは三つ巴の勢力争いとなった。商業市民階層の力を背景に市長となったモンテーニュ-は穏健的対応を取り戦禍を避けた。1585年市長職を辞したモンテーニュ-は1588年の間にさらに読書を進め、プラトン、キケロ、ホラチウス、ルクレチウスを読みこなした。それらの成果は13章からなるエセー第3巻となり、さらに初めの2巻を加筆訂正を行って、3巻計107章の増補版「エセー」が1588年にパリの書店から刊行された。1580年の「エセー」初版は、外界の個々の思弁的な追求と彼個人を対象とする記述の過程であるとするならば、1588年の増補版は彼自身が普遍的な人間性を担う存在であるという確信を表現する人間性全般の問題の探求である。「各々の人間は、人間のありようの完全な形を備えている」ということである。病気、健康などが論じられ、それを通して人間の生活、生存が考察される。1598年ナヴァール王アンリが王位を継承し、プロテスタント陣営を統率しながらカトリックに改宗してパリに入市し、「ナントの勅令」によって半世紀の宗教対立抗争に終止符を打って、フランス絶対王政の基礎を固めた。アンリ王はモンテーニュと知己であり、信仰の対立抗争による流血の否定、人間性の尊重、忍耐強い生活維持の願いがかなったようである。ボルドー市長時代の困難な経験から、思索生活に入った彼は個人の生活と社会での行動はどのように連結されるかという課題を掲げた。性急な改革の否定はいわば「保守」の生活態度であり、人間の多様なありようを認識し、自然に適合した生き方を最上とするモンテーニュ-の根本的な考えに立った。「中庸」の位置から人間の尊重を辛抱強く説き続けることは、人間の真の実質の擁護につながる。そして1592年の死に至るまで、自宅の読書室において、さらに古典の哲学書、歴史書、伝記など多数の書物に触れて、1588年版「エセー」の補加訂正作業を続け「ボルドー本の名で保存されている。作家の個性に担われた受容と表現の結合体「エセー」は、モンテーニュのいう通り、規範を退け、自分自身のとらえ方、表し方に拠って理解するが必要である。共通普遍の人間の価値なるものは彼は示したわけではないが、それを考えるのが読書する我々の責務なのかもしれない。モンテーニュの「エセー」からすでに400年が経過した今、現代文明の網の目のなかで、人間として生きるとは何かを問い直さなければならない。モンテーニュ-の「エセー」は、全3巻合計107章の著作である。そして時系列でいうと①1580年版(巻1+巻2)と、②1588年増補改訂版版(巻1+巻2+巻3)、③1588年増補改訂版に加筆した「ボルドー本」と称する3つの版が後世の基準となった。本書の中公クラシック本「エセー」荒木昭太郎訳版は、第1巻から24章を、第2巻より18章を、第3巻より10章を取り出して三巻の日本語選集に仕立て上げられている。これは原著の分量の6割程度である。巻・章の配列を原著の順に従わず、訳者の独自の考えから主題、内容、論旨などから次のような包括的な傾向で再編成したという。
Ⅰの巻 「人間とは何か」 ①人間のありよう、②様々な様相、③生きてゆく自己
Ⅱの巻 「思考と表現」  ①想いを見つめて、②学識の位置づけ、③活動する知
Ⅲの巻 「社会と世界」  ①社会の組み立て。②他者とかかわる、③広がる時空
Ⅰの巻「人間とは何か」についていうと、第1グループ「人間のありよう」は総括篇、第2グループ「様々な様相」は事例集対比篇、第3グループ「生きてゆく自己」は実践編であり、各々のグループ内では主題に沿った原著の各章が2-10章ほど集められている。

(つづく)


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