ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 伊東光晴著 「ガルブレイス―アメリカ資本主義との格闘」 (岩波新書2016年3月)

2017年06月05日 | 書評
戦後経済成長期のアメリカ産業国家時代の「経済学の巨人」ガリブレイスの評伝 第9回

第2部  ガルブレイスの経済学
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4) 「経済学と公共目的」1972年ー経済的弱者を守る公共国家のすすめ

 本書は前半部において、現代資本主義の外側にある農業、個人企業、サービスの分析をおこない、後半部においてそれが理想とする国家像、企業像、そしてあるべき政策を示している。アメリカの経済学者の多くは小規模多数の企業からなる競争市場を前提として、消費者が市場を通じて企業を支配していると説くが、これは大企業体制の市場ではない。また大企業体制の中に入らない分野(市場体制)は多数の個人企業であるので競争市場になっているかと言えばこれも当てはまらないとガリブレイスは分析する。そこでは利潤極大を実現するように価格に対応して生産量を決めるという行動は見られないからである。ガリブレイスはこの個人企業の行動の特徴を「自己搾取」(自己犠牲の上に立つ経済)と呼んだ。例えば独立自営農民は「勤勉」という美徳で、自分で自分を鞭打って働き続ける。この社会にとってたいせつな「自己努力」も度が過ぎれば「自己搾取」となる。この分野の経済状態の悪化には、自己搾取に進む前製作介入が必要であるとガリブレイスは提案する。大組織化がかならずしもすべての企業体に必要なのではなく、個人企業や自営農民にはそれにふさわしい働き方がある。この自己搾取という働き方は、マーシャルが述べる労働者の行動分析に現れている。アルフレッド・マーシャルはケンブリッジ大学経済学部教授としてリカードの経済学を受け継ぎ、それを近代化して新古典派経済学を打ち建てた人である。ところがアメリカの真古典派経済学のサムエルソンとでは労働曲線(縦軸に賃金、横軸に労働供給量)の傾きが逆であることに気が付く。サムエルソンは「賃金が上がれば労働供給量は増し、賃金が下がれば労働供給量は下がるという右上がりの曲線になっている。つまり個人の行動が即社会全体と一致するという仮定である。ところがマーシャルは労働曲線は右下がりとなっているとした。賃金を引き下げれば労働供給量は増加するのだ。賃金が下がれば生活を維持するために労働時間は増加すると考えた。賃金をあげれば労働する必要性が減退する。労働者にとって貨幣数量説(貨幣供給量をあげると生産が増加する)は妥当しない。そして労働市場は自己調節メカニズムを持たない。もし労働供給量が過剰で賃金が下がるとさらに労働供給量は増える。そして嫌でも自己搾取の段階になるという。どんどん労働状況は赤のスパイラルに入る。その対策には労働組合という仲介組織が必要になる。ここに労働組合是認の経済学的根拠は、この労働曲線の形にあり、労働市場は自己調節機構(フィードバックメカニズム 元に戻す力)を持たないことである。そういう意味でガリブレイスの労働市場の捉え方はマーシャルに似ている。労働者は団結し使用者に「拮抗力」(抵抗力 ブレーキ力)を持たなければならない。サムエルソンを含めアメリカの新古典派経済学はマーシャルを誤読したのである。ガリブレイスは、大企業体制の外にある「市場体制」内の労働者にも労働組合を結成できるように政府が積極的に援助しなければならないと提案した。サービス業では同時に最低賃金制の導入とその引き上げが必要である。農民にとって穀物過剰はその価格を下落させ農民に経済的打撃を与えてきた。政府が計画的に作付面積制限を導入し、協力する農家には補償金を支払うことが必要で、第1期ニューディールで農業不況対策は成功した。「市場体制」内の小企業。個人企業には「反トラスト法」の禁止項目を免除することが必要である。小規模小売業には参入規制が欧州では実施されている。ガリブレイスは関税に関して大胆な提案を行う。大企業には保護関税は必要ないが、市場体制内の小企業は保護関税で保護する必要があるという。つまり小企業や個人企業、サービス業、農業などは過度の市場原理に曝しては自滅するから保護政策が必要であるということである。ガリブレイスはGATT、WTO、TPPには輸入数量制限が必要だという論になる。関税で国内産業を守るか、数量制限で守るか、市場原理主義者は「経済を律するのは価格であるから、国内では自由競争、外国から国内産業を守るには輸入価格を操作する関税政策」を主張するが、ガリブレイスは数量制限を主張する。しかしGATT、WTO、TPPの流れは関税化とそして引き下げする方向で進んできている。ガリブレイスは地域性の濃厚な農業を自由貿易の中へ入れ込むということは、戦前の植民地モノカルチャへ逆戻りさせると言う理由で反対する。ガリブレイスは「公共性の認識」を強調する。それは企業の公共性の認識であり、「企業の社会的責任」を求める視点である。ヴェブレンのいうとおり、インダストリー物づくりは社会的意味を持ってるのであり、ビジネスは金もうけは公共性を持たない。GMの再建は2009年の法的措置が必要であった。それは社会的意味が強かったからだ。ただ金融機関がいたずらに合併を繰り返し、「大きすぎて潰せない」という論理はプラス面の社会性はない。大企業はストックホルダ―カンパニー論の否定であり、広く利害関係者のためのステイ九ホルダーカンパニーを要請している。経営者の異常な高給は許されないだろう。ガリブレイスの公共性の強調は、こうしたアメリカの社会基盤への警鐘・批判である。アメリカ人にとって切実な問題は、医療、老後、福祉問題であろう。今は私的解決に委ねられているが、格差社会では公的解決ができていない。教育についても豊かな地域では教育税が豊富であるが、移民者の地域では貧弱な教育しかできない。日本のような全国規模での平等な教育制度になっていない。これは公共国家のなすべきことである。住宅バブルのサブプライムローン問題は金融危機を引き越したが、ガリブレイスは公的解決を西欧を例にとって示した。都市住宅の大分部分を公有制とし、政府の全額出資・公有制を提案している。家賃や公共料金を市場メカニズムから外し、政策料金にすることを提案した。

(つづく)