ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 加藤典洋著 「戦後入門」 (ちくま新書2015年10月)

2017年06月18日 | 書評
安倍首相の復古的国家主義の矛盾を批判し、対米従属と憲法9条の板挟みであえぐ日本の戦後を終わらせる試論  第8回

第3部 原子爆弾と戦後の起源(その3)

 原爆投下に対する批判は孤立した戦いでした。1955年に始まる原爆訴訟(下田判決)です。1963年東京地裁で結審しました。原告側は米国の原爆投下は国際法違反と認定し損害賠償を求めましたが、地裁は損害賠償は棄却しましたが原爆投下は国サウ法に違反すると判決しました。日本政府は米国の立場を擁護し弁解に終始しました。本来、国際法違反を訴えることは個人ではなく日本政府がなすべきことです。世界で唯一の国際法違反の判決例となりながら、国内でも国際社会でも孤立しています。日本側の無力と沈黙が支配していたからです。この判決には1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」の平和主義の論理が影響しています。1954年に米国は原爆より3桁殺傷力が大きい「水爆」(原爆+重水素核融合)実験をビキニ環島で行いました。このビキニ水爆実験によるり危険水域外で操業していた第5福竜丸の乗船員が死の灰を受けて死亡しました。ラッセル・アインシュタイン宣言のは11人の科学者が署名し核兵器廃絶に向けて各国の協定を勧告しました。この宣言を支えているのは「世界連邦運動」と異理想主義的な精神です。世界連邦の基本6原則を見ると①全世界加入、②世界連邦への主権一部委譲、③個人を対象、④軍備全廃、世界警察軍、⑤原子力管理、⑥経費は個人負担という理想主義で貫かれていました。1947年に設立された国連が第2次世界大戦の戦勝国連合に過ぎなくなり、東西冷戦の闘争の場でしかなかったことへの失望が現れていますが、世界連邦構想は結局は淡い夢で、幻滅の彼方に消え去りました。原爆慰霊碑も世界連邦運動も現実に世界を動かす力を持っていません。というより当初からそういう権力から逃避しています。1957年イギリスのアスコムが「トルーマンの学位授与」という題で、数理論理学よりラッセル流の絶対的平和主義運動の矛盾を批判しました。論理の展開は長くなるので省略しますが、トルーマンの原爆投下の罪を批判する道徳論理哲学を構成するためには絶対平和主義は無力だということの証明です。戦争、殺人はいかなる場合も悪という論理でこの社会は動いていません。なぜ原爆投下への批判が孤立するのかという問い理由には、現在の戦後の国際秩序が原爆投下を否定しないという合意の上に立っているからです。国連自体が原爆の使用を違法とはしていません。ここで1994年国連総会は「核兵器の使用は国際法上許されるのか、国際司法裁判所ン判断を求める」という決議を可決し、1996年国際司法裁判所は「核兵器の威嚇・使用は国際法特に国際人道法に違反する」という決議を採決しました。しかし「国家存亡がかかる自衛のためには、合法か違法か判断できない」という但し書きが付きました。もしいかなる場合でも核兵器の使用が違法なら、核兵器の国際管理が必要となり、NPT(核拡散防止条約)体制が否定され、国際秩序の基礎が崩壊するからだとしています。「原爆は最終的にはあらゆる非搾取階級と人民から悉く反逆の力を奪った。2,3のスーパー国家の支配者の仲間内の協定で世界を支配するようになろう。我々の社会は古代の奴隷帝国のような恐怖に基づく安定お時代に向かっているのかもしれない。」というジェームス・バーナムの理論があります。そこからでてくる結論は、科学のさらなる進歩によって、原爆程度なら市民が作ろうとすれば誰でも作れる時代になれば、中央集権警察国家は終末を迎えるとジョージ・オーウェルは1945年10月に「あなたと原爆」という本に書いた。原爆が容易に作れないほど高度な科学的秘密からできているからこそ威力があるので、その独占が世界を支配できると当時の米国政府は考えた。その独占体制が戦後の国際秩序を作った。しかし2000年初頭の現在、核兵器を持つ国は米国、英国、フランス、ロシア、中国、イスラエル、スイス、インド、パキスタン、北朝鮮であり、開発中の国はイラン、潜在プルトニウム保有大国日本(核兵器の製造は政治的判断のみのスタンドバイ状態)など核は随分拡散した。そのうち核兵器製造技術のレベルが低下し、半導体の製造技術と同じように核兵器は製造設備さえ導入すれば開発途上国ならどこでも作れる時代は目の前にある。製造する製造しないは政治的見解による。そんな時代になるだろう。ジョージ・オーウェルが言う野蛮状態(自然状態)となり、スーパー国家による奴隷支配よりはましだということになるのか、世界の壊滅になるのかは分からない。国家主体に考える人は国際協調主義の創設を叡智というだろうが、国家ではもう解決は不可能という人は個人主体の絶対平和主義をめざすだろう。小田実は広島の慰霊碑の絶対平和主義を、戦後日本の無条件降伏政策に抵抗しない、疑似的・絶対的平和主義の特徴なのであると言います。絶対平和主義は核兵器に基づく国際秩序にとっては痛くもかゆくもない主張であり、むしろ国際秩序の補完物に過ぎないと見なしています。戦前の国家主義と戦後の国家主義の違いは、戦前の国家主義が天皇が普遍的原理で会ったのに対して、戦後は民主原則が普遍的原理となった。日本には戦前、国際社会で通用する普遍原理というものはなかった。今日、自由と民主主義という普遍原理を共通の原則として社会が構成されています。これは連合国が自分たちの戦争獲得目的とした基礎原理=国家原理としていたものです。この戦後の事実は、普遍原理が個人の体験をくぐらないで手にしたものは、容易に国家原理に吸収されてしまうのです。理念から大義に変質するのです。民主原則を信じていても、イラク戦争に手を貸す(自衛隊を派遣する)ことに何の抵抗も感じていない。これが日本の戦後社会の現実です。

(つづく)