ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 新崎盛暉著 「日本にとって沖縄とは」 岩波新書(2016年1月)

2017年04月08日 | 書評
歴代政府の対米従属路線である、基地を沖縄に集中させる「構造的沖縄差別」政策  第11回

4) 「オール沖縄」の形成 (2007年ー2013年) (その2)

 同じころ、2011年6月米国は垂直離陸機オスプレイの普天間基地配置を県や宜野湾市に通告した。それに対し2012年9月に95000人の県民が参加してオスプレイ配備に反対する県民大会が開かれたが、翁長結縄市長会会長、県議会議長、連合沖縄会長らが実行委員の代表であった。10月1日にオスプレイが配備された後、3年間連日の抗議行動が展開されてきた。2013年1月、150人規模の『建白書」代表団が上京し、1月27日日比谷音楽堂で「ノーオスプレイ東京集会」を開いた。約4000人が参加した。2013年2月の日米首脳会談で、替わったばかりの第2次安倍首相は、集団的自衛権容認とともに、辺野古新基地建設促進を約束した。日米同盟強化によって中国敵視政策を取ろうとする安倍政権は、歴史認識に警戒する米国へすり寄るため、辺野古移転促進を手土産にしたのである。そして3月政府は沖縄県に対して辺野古の公有水面埋め立て承認願書を提出した。これに対して仲井間知事は「県外移転が基本」の態度を維持していたが、11月石破自民党幹事長が記者会見し、辺野古移転強行を示唆したため、12月1日沖縄自民党県連は「辺野古移転を含むあらゆる選択肢を排除しない」(辺野古移転を最重点に進めるということ)と政策を変換した。2013年12月17日上京した仲井間知事は缶詰状態で、管官房長官、安倍首相らと会談し、帰沖下した12月27日辺野古の埋立承認を発表した。埋め立て承認の条件とは、沖縄振興予算の数百億円の増額(計3510億円)と5年以内の普天間基地の運用停止であった。沖縄振興予算は大田知事時代の98年度の約4700億円をピークにして、漸減傾向にあり、2011年度は2300億円であった。ところが2014年9月に開催された日米合同委員会では、米側はあっさりと普天間基地の運用停止は早くて22年と断言した。話は少し変わるが、尖閣諸島はもともと沖縄県に属していた関係で、当の沖縄県の頭越しに進められている日中懸案の領土問題を取り上げる。2010年9月7日、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視艇に衝突する事件が発生した。当時の管民主党政権は、中国船の船長を逮捕して拘留した。これに対して、尖閣の領有問題は日中国境回復の時に棚上げ合意がなされているという立場から中国は激しく反発した。そして中国は日本商社員を拘束し対抗措置をとった。このため日本政府は交際問題化することを恐れ、那覇地検の判断で船長を処分保留のまま釈放した。1885年明治政府は「無主地先占権」を行使しして日本領としようとしたが、外務大臣井上馨は清とのトラブルを恐れて却下した。国標建立が閣議決定されたのは日清戦争中の1895年1月のことである。その後4つの諸島を商人に無償貸与し鰹節工場の経営が行われた。1932年その子息に有償払い下げとなった。戦後米軍政下においては一つの島が米軍の射撃訓練場として貸与された。この辺のいきさつや尖閣諸島の所属問題の歴史は、豊下楢彦著「尖閣問題とは何か」(岩波現代文庫 2012年)に詳しく書かれているので、沖縄県の動き以外は本書では詳述しない。この無人島で忘れられた島々が再び脚光を浴びるのは、1968年国連アジア極東員会ECAFEが周辺海域に石油資源埋蔵の可能性を指摘してからのことである。1970年7月、尖閣諸島の領有を主張する台湾当局が、太平洋ガルフ社に鉱業権を与えた。沖縄返還によって、尖閣諸島問題の交渉は日本政府があたることになったが、1972年日中国交回復において周恩来と田中角栄首相はこの領有問題を棚上げにした。中国の棚上げ論は、1992年に来日した鄧小平副総理によって再確認された。とは言うものの1992年中国は領土として領海を設定し、日本も1996年200海里の排他的経済水域を設定した。日中国交回復40周年(2012年)に、日中関係を最悪の状態に陥れたのは、石原東京都知事の尖閣諸島買い上げ発言であった。これに挑発された形で、野田民主党政権が国有化宣言をしたため、この無神経さに中国は激怒した。政権交代した第2次安倍自民党内閣は、2013年5月「日台漁業協定」を締結し、台湾のご機嫌を取り中国との乖離策を弄したものの、台湾は領有権を主張したままの全く児戯に等しい効果のない独り相撲を演じた。要するに尖閣諸島近海は沖縄と台湾の漁民の生活圏にあり、実質は無人島で領有権がどちらでもいいわけである。石油が発掘されという話もないのに、閉鎖的なナショナリズムの煽動だけが目立つ日本政府のやり方は賢いとはとても言えない。この動きの延長上に、2014年4月与那国町や、石垣島、宮古島に自衛隊を誘致する計画が出た。安倍首相は危険な火種を周辺海域に巻いて紛争の種を植え付けようとしている。日中衝突という戦争の既成事実を作るために必死となっている姿は、日中事変勃発時の陸軍のやり方に酷似している。

(つづく)