ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 豊下楢彦著 「尖閣問題とは何か」 岩波現代文庫(2012年11月)

2014年06月21日 | 書評
「尖閣問題」、「北方領土問題」、「竹島問題」は米の冷戦戦略下のサンフランシスコ単独講和条約が宿根 第2回

序(その2)

 「尖閣問題」をめぐる当時のニクソン政権の政策決定過程に関する貴重な資料が発見された。2012年10月3日朝日新聞によると、沖縄返還協定調印直前のやり取りである。中華民国(台湾)が日本への返還に強く反対している尖閣諸島の地位について、ニクソンとキッシンジャー大統領特別補佐官が協議し、「1951年の講和条約から1971年まで台湾は尖閣諸島について異議申し立てをしていないこと、講和条約によって尖閣諸島は自動的に沖縄に含まれた」ことを確認した。しかしピーターソン大統領補佐官は台湾の主張を支持し、軍事援助まで示唆していることを問いただしたところ、「米国の望む方向に日本と台湾を導くための火種を残しておきたい」という趣旨であった。しかしニクソンは「尖閣諸島の日本への返還は、領有問題を巡る主張に対して米国は何らのかの立場を取ることではない」という「中立の立場」を決定した。この立場が21世紀の今日まで尖閣問題への米国のあいまいな態度を取らせているのである。これに対して日本政府の福田赳夫外務大臣は1972年3月22日の参議院委員会で、米国の態度には不満であると答弁しながら、米国に厳重に抗議した形跡は認められず、実質的に黙認したとみられる。牛場駐米大使がグリーン報道官に日本政府の立場を伝えたが、グリーン報道官は中立の立場に変更はないと答えるだけであったという。石原都知事の動きに追い詰められた形の民主党野田内閣は2012年9月に尖閣諸島国有化を決定した。そして中国では激しい反日の嵐がおき、日本企業の焼き討ちという事態となった。今や日中双方は経済的には相互依存と相互浸透の世界にいて、経済封鎖などは双方の命取りになることは分かっているにもかかわらず、こと「領土問題」となると伝統的な主権国家の排他性がにわかに躍り出て、「獲るか獲られるか」という「ゼロサム」的な感情が政権担当者及び世論を占有するのである。領土ナショナリズムというものがいかに危険なものか、一挙に人の心をとらえて、反対する者を戦前の世論と同様に「非国民」という言葉で排除する魔力を持っている。石原都知事の言動による日中の危機を心配する駐中国大使の丹羽氏は、与野党から批判され「更迭」された。石原氏の挑発を受けた中国は、焼き討ち事件などで国際信用を失うリスクを逆手にとって尖閣問題を一気に国際問題化することに成功した。つまり中国は尖閣問題について日本に対する対等な交渉相手に躍り出たのである。ここで著者は尖閣問題の本質を抉り出す一文を2012年5月10日東京新聞に投稿した。「石原氏は個人所有の魚釣島、北小島、南小島の3島しか念頭にないが、米軍の管理下にある射爆撃場である久場島、対象島の2島を購入対象から外すのか。2島は日本人の立ち入り禁止区域であるが、1979年以来全く使用されていない。それでも日本政府は高い賃料を地主に支払って米軍に提供している。」という疑問を投げかけた。つまり尖閣諸島には米軍管理区域がまだ残っていたのである。だから中国船籍の侵犯は日本のみならず米軍施設への侵犯でもある。石原氏は米国にはへつらい、中国や韓国には居丈高にふるまう戦後日本の歪んだナショナリズムつまり右翼の特徴を如実に示している。中国は米国政府が尖閣諸島の帰属問題に「中立の立場」をとっているという矛盾(日米の亀裂)を鋭く突いてきたといえる。

(つづく)