ブログ 「ごまめの歯軋り」

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医療問題:救急患者受け入れ不能とは

2011年08月27日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年8月17日) 「救急患者の受け入れ拒否ではない、受け入れ不能なのだ」 多田智祐 武蔵浦和メディカルセンター ただともひろ胃腸肛門科 より

 6月29日交通事故で車にはねられた38歳の女性が、12病院から受け入れを断られ、2時間も処置を受けられず翌日骨盤骨折による出血性ショックで死亡した。これを受けて7月14日埼玉県中央メディカルコントロール委員会が検証結果を公表し、「医療機関の受け入れ態勢と収容先を決める救急連絡が不十分で搬送に手間が掛かり、死亡の可能性が高まった」と結論し、「今後市内24箇所の2次救急医療機関に対して専門外でも一時的に収容してもらうよう依頼する」とのことです。この患者さんの場合には、緊急手術が出来る3次救急医療機関に即座に収容されなければ救命困難であったと思われる。にもかかわらず専門外の2次救急医療機関に搬送できても、救命できたかどうかは怪しい。一番困るのは手術の出来ない2次救急医療機関である。一時保管場所では無いはずで人命の責任が持てないのである。3次救急医療機関は人口100万人当たり1箇所しかない。1次救急医療機関とは「夜間休日診療所」のこと、2次救急医療機関とはいわゆる「救急指定病院」のことである。レントゲンや心電図、血液検査,点滴などは行なえるが,当直医師は1人程度であり専門医は日毎に異なる。3次医療機関では複数科に医師が常駐しているので緊急手術に対応できる。「専門外でも一時的に2次医療機関に収容する」というのはあまりにおざなりな対応であり、そこで時間を潰していても救命にはつながらない。「複数の2次救急で受け入れ不能ならば、ただちに3次救命へ運ぶ、埼玉なら東京の医療機関へ連絡する」というのが現実的な指針では無いだろうか。問題は3次救急機関へのアクセスが制限されていることである。メディアはすぐに「たらい回し」とか「受け入れ拒否」という表現を使うが、これは実情をよく見た表現では無い。

読書ノート 石橋克彦編 「原発を終らせる」 岩波新書

2011年08月27日 | 書評
原発安全神話は崩壊した、原発から脱却することは可能だ 第12回

8)「原子力安全規制を麻痺させた安全神話」(その2) 吉岡 斉 九州大学副学長 比較社会文化研究院教授 科学技術史

 日本の原子力体制の主要メンバー(ステークホルダー)には、①原子力委員会、②原子力安全委員会、③経産省、④資源エネルギー庁、⑤原子力安全・保安院、⑥電力10社、⑦電力業界関係の会社・法人(日本原燃、日本原発、電源開発、電気事業連合会など)、⑧文部科学省(日本原子力開発機構など)、⑨原子力産業(三菱、東芝、日立の御三家)、⑩政治家(殆どが原発賛成)、⑪地方行政関係者、⑫大学関係者 という「原子力村」を構成するメンバーがいる。別に経産省、電力業界、政治家、地方行政、原子力産業、大学をくくって「核の六面体構造」という人も居る。原子力の国家政策は、原子力委員会が法律上の最高意思決定機関といわれ首相に勧告する権限を持つ。原子力政策に関して実権をもつのが経産大臣の諮問機関である「資源エネルギー調査会」である。「資源エネルギー調査会」の定めるエネルギー基本計画が閣議決定される。民間企業が国策協力で進める原子力事業には、見返りとして国より手厚い支援政策がある。立地支援、研究開発支援、安全・保安規制コスト支援、損害賠償支援などである。立地支援の中核は電源三法による支援である。こういった支援策が企業の経営責任をあいまいにし、損失やリスクを国が肩代わりすべきであると云う無責任経営体質が事故を生む温床になった。企業はリスクを最少とする企業努力を払い事故を無くそうと努めるものであるが、リスクが民間企業の手の負えないなら企業はその事業には乗り出さない。ところが原子力事業だけはリスクを感じなくてもいい体制であるなら、事故を少なくしようというインセンティヴは働かない。恐ろしい体制である。例えは悪いが、軍人に殺人罪を適用しないという保証を与えることに似ている。するとこれは民間企業が担う事業ではなく原発は国営事業とすべきかもしれない。民間事業に拘るなら国家計画を廃止し、原子力事業に関するあらゆる優遇政策を廃止し、「国策民営」体制を可能としてきた十電力会社の発電送電一体事業の超独占体制を解体する必要がある。
(つづく)

文芸散歩 金 文京著 「漢文と東アジア」 岩波新書

2011年08月27日 | 書評
漢文文化圏である東アジア諸国の漢文訓読みの変遷と文化 第1回

 本書は文学の本ではなく、比較言語学と比較文化論の本である。漢詩は出てくるが、味わうものではなく文体を比較するものである。そして漢文文化圏ということは、どうしょうもなく有史以来の東アジアの中華思想と周辺弱小国家の悲哀という切り口になってしまう。漢字という文字文明を発明した漢民族の軍事的世界支配がその中心にあり、周辺民族国家にとって、植民地化、属国化という直接・間接を問わず軍事的支配を受け入れざるを得なかった。そして漢文化の受容は有無を言わせない必然的な結果であった。陸続きの韓国は楽浪群という部分的植民地化の時代もあったが、少なくとも2000年以上は中国の属国であった。宗主国は中国であり、文物、法律、行政組織も漢文化のお仕着せであった。日本は幸いに海を隔てた島国であったため、陸軍国家中国の直接支配は受けていない(危機は鎌倉時代に元寇として二度現れたが)。夷国として朝貢・使節をおくる程度の周辺国に過ぎなかった。周辺国家には民族の言語はあっても、その国の文字が存在する場合と存在しない場合によって、文化的対応が大きく異なる。日本、朝鮮、ベトナム、モンゴル、女真、西夏などシルクロード西域諸国(中央アジア)では言葉はあったが独自文字を持たなかった。文字がなければ漢字をそのまま利用せざるを得ない。そのときにかならずダブルスタンダードが発生し(文字は漢字、頭の中は自国語)、訓読みの問題が発生する。漢字をそのままの発音で読んでも意味が通じないから、漢字をそのまま使用しても翻訳して読み直す必要が生じる。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「早秋詩」

2011年08月27日 | 漢詩・自由詩
桜樹紅黄葉落時     桜樹紅黄し 葉落る時

窓前蝉墜雨聲悲     窓前蝉墜ち 雨聲悲し

秋冥菊紫和苔長     秋冥菊紫に 苔に和して長く

颯颯楊絲払檻垂     颯颯と楊絲 檻を払って垂れる


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(韻:四支 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)