ブログ 「ごまめの歯軋り」

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原子力規制は第3者委員会で、官僚機構編成換えは効果期待できず

2011年08月03日 | 時事問題
asahi.com 2011年8月3日3時1分
環境省に原発規制庁 菅政権検討、保安院・安全委は統合

 菅政権は、環境省に原子力規制行政を担う「庁」を新設する検討に入った。経済産業省の原子力安全・保安院を同省から切り離し、内閣府の原子力安全委員会と合わせて移行。原発を推進してきた経産省の影響力を排除し、安全規制を強化する狙い。来年4月の新組織移行をめざし、近く原子力行政の改編案を公表する。

官僚機構は省庁編成のたびに焼け太りする。どうもっていっても官僚が行う限り同じこと。官僚機構の横の連絡と人事異動で情報の流通がすすみ、第3者委員会だと官僚は情報隠蔽する。ああ救いがたし!

読書ノート 室田 武著 「原発の経済学」 朝日文庫

2011年08月03日 | 書評
高コスト、石油を多消費し、核兵器並みの危険性を持つ原発 第5回

1)原子力利用と原発 (4)

 原発の炉心そのものが損傷する事故で最も恐れられていることは、
①炉心溶融メルトダウン、
②核暴走
③核爆発
 原発のどこかで異常が起きると、まず自動あるいは手動で制御棒が炉心に挿入されウランの核分裂は停止することになっている。これを「炉停止」という。それでも炉心に存在する核燃料は崩壊熱を大量に出し続ける。そこで崩壊熱を除去する冷却水の循環に支障が生じると、炉心は加熱状態となって溶融を始める。これを「メルトダウン」という。その溶けた核燃料が炉底に貫入し突き抜けて地価に達し、地下水を爆発させるような火山活動に似た状況を「チャイナシンドローム」という。原発ではまだ起きたことは無いが、地下貯蔵の核燃料や廃棄物の場合にはありうるかもしれない。TMI事故では炉心の70-80%は溶融していたと考えられる。つぎに核暴走(ニュクリアーランナウエイ)とは、一旦停止したはずの核分裂連鎖反応が再開する事を「再臨界」という。これについては実用規模での事故はどこにも起きていない。原爆の爆発と同じ第3の事故「核爆発」はチェルノブイリ原発で起きた。旧ソ連、日本、IAEAなどの原発推進当局はこれを認めようとはしないが、理研の槌田淳氏は核爆発説を主張している。チェルノブイリ原発事故以来日本の原発は安全策を強化してきたが、それでもあわやという事故を繰り返している。1988年中部電力の浜岡原発第1号炉の再循環ポンプの電源が失われ、制御棒の挿入もコントロールを失った。約12時間をかけて修復したという。1989年東電の福島第2原発3号炉の循環ポンプの軸受けベアリング異常があって炉を停止して調べたところ、ベアリングが破損して破片や金属粉が1次冷却水まで入り込んでいた。炉心の冷却も不十分でメルトダウンすれすれの状態であったという。1991年関西電力の美浜原発2号炉で蒸気発生室の伝熱細管1本がぽっきり折れて(ギロチン切断)、放射能混りの1次冷却蒸気が2次側冷却水に吹きだす事故があった。蒸気発生器細管の穴あき事故は日常的に発生している。

 これらの事故は炉心に絡む事故であるが、廃水や空気への漏出事故も恐ろしい。1981年日本電源の福井県敦賀原発の給水加熱期器のひび割れによる冷却水漏れコが(1974年まで遡る)が発見され、溶接修復した。福井県が敦賀原発の一般排水路を点検したところ、高濃度のコバルト60、マンガン54、セシウム137が検出された。これらは炉心の核分裂物質ではないが、中性子が配管に当たって発生する物質であるが、敦賀湾沿岸の漁業者に大打撃を与えた。1980年ごろから福島第1原発の周辺では海がコバルト60で汚染されいたが、小学校の校庭からも検出されたという。
(つづく)

読書ノート 朱建栄著 「毛沢東の朝鮮戦争」 岩波現代文庫 

2011年08月03日 | 書評
中国義勇軍が鴨緑江を越えるまで 第14回

7)1950年10月10日 周恩来と林彭の秘密訪ソとソ連の協力要請 (2)

 周恩来一行とソ連政治局との会談において、スターリンが提案したのは金日成の亡命政権を中国東北部に作ることであった。亡命政権を受け入れると中国が空爆にさらされ、米国の矛先は中国へ向かう。そこで林彭は金日成は山に入ってゲリラ戦をやるべきだと主張してスターリン提案を打ち砕いた。中国側通訳の証言ではスターリンはこの会談で中国側に武器装備を供与し、ソ連空軍を国境周辺に配備する事を約したという。10月12日から13日にかけて、スターリンは金日成に対して再三「朝鮮北部からの撤退」を勧告する電報を送っている。金日成の「朝鮮統一計画」にゴーサインを出したスターリンとしては、自分の手で時局を収拾するには金日成をあきらめさせる以外の手は思い浮かばなかったようだ。これを実力で動かしたのが毛沢東の義勇軍派遣による国連軍北上阻止であった。いずれにせよ中国は自分の意志と構想で参戦を決定した。この決断と行動力でスターリンは中国と毛沢東を見直し、国際共産運動の中で中国の地位は決定的となった。朝鮮戦争後冷戦構造のなかで、ソ連と中国の一枚岩の結束が誇示され、中国の5カ年計画にソ連は全面的に支援を送った。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「古渡泊船」

2011年08月03日 | 漢詩・自由詩
雨過千峰邀月娥     雨は千峰を過ぎ 月娥を邀え

清明古渡泊船多     清明古渡に 泊船多し

早秋涼気尤宣睡     早秋の涼気 尤も睡に宣しく

払面蓮揺風動波     面を払って蓮揺れ 風は波を動す


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(韻:五歌 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)