ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 石橋克彦編 「原発を終らせる」 岩波新書

2011年08月17日 | 書評
原発安全神話は崩壊した、原発から脱却することは可能だ 第2回

1) 「原発で何が起きたか」 田中三彦  科学書翻訳家(バブコック日立で原子炉圧力容器設計に従事) (その1)

 想定外の津波さえ来なかったら福島第1原発事故は起きなかったろうか。この考え方は菅総理の浜岡原発停止要請においても引き継がれ、「津波対策を施せば、2,3年後には原発は再開できる」という含みを残している。しかし本当に津波のせいで原発事故が起きたのだろうか。本章では僅かに公開された事故直後の原発データよりそれを検証する。3月11日午後2時46分地震が発生し運転中の第1号機ー第3号機は自動的に緊急停止したが、2時46分外部電源が喪失した。非常用ディーゼル発電機が起動したが、その50分後大津波により非常用ディーゼル発電機が冠水し午後3時37分「全電源喪失SBO」という危機的状態に陥った。翌日12日午後3時36分、福島第1原発第1号機の原子炉建屋の最上部にあるオペレーションフロワーが水素爆発で吹き飛んだ。14日の昼前には3号機でより大ききな水素爆発が起きた。15日早朝には4号機で火災が起き、同時刻には2号機の圧力抑制室付近でも水素爆発が起こった模様である。

 これら一連の爆発において、なぜ地震発生から僅か25時間たらずという早い時期に1号機の爆発が起きたのあろうか。3月20日過ぎごろから原子力災害対策本部が首相官邸サイトにアップした運転パラメータに、異常に早い原子炉水位の下降データがあった。地震発生後12時間(12日深夜2時45分)に,原子炉水位が、核燃料棒最上部(TAF)まで僅か1m30cmのところまで下がっていた。(通常運転ではTAFまで約5mの水位がある) 約20-30トンの水が失われた。2号機、3号機の原子炉水位の下がり方も異常であったが、3号機の水位降下は特別に著しかった。燃料棒むき出し状態に迫っていた。福島第1原発1号機は沸騰水型(BWR)である。冷却材は水で、原子炉で発生した水蒸気がタービンを回転させ発電する仕組みである。原子炉圧力容器内の冷却材は70気圧、温度は285度である。第1号機(電気出力46万kw)の原子炉圧力容器は直径が4.8m、高さ20mである。この圧力容器が格納容器(ドライウエル)の中にすっぽり入っている。格納容器(ドライウエル)の周りには巨大な圧力抑制室(ウエットウエル、サプレッションチャンバー)を付帯する。格納容器と圧力抑制室は蛇腹状のベント管8本で結合されている。原子炉圧力容器を結ぶ配管が破断した場合、圧力抑制室は「冷却材喪失事故(LOCA)」が起きても蒸気を水に変えて吸収できるだけの容量を持っている。格納容器を設計圧力約4気圧で設計温度約140度に保つ仕組みがサプレッションチャンバーである。ところが第1号機の圧力が約7.4気圧に上昇下のはなぜだろう。圧力抑制室が機能しなかったためではないか。格納容器の圧力上昇により国はベント開放を強行し、放射性物質の大気放出となった。
(つづく)

橘木俊詔著 「日本の読書ノート 教育格差」 岩波新書

2011年08月17日 | 書評
教育格差を経済的視点からみると 第13回 最終回

5) 教育の役割

 教育の目的を巡る思想状況は5つに分けられる。
①画一的な規制教育、文部省官僚、
②保守主義教育、 国家主義・道徳教育重視の自民党右翼政治家、
③新自由主義教育、 自由と選択理論、個人格差を当然視し教育の企業化、
④社会民主主義教育、 日教組の伝統的教育論、能力主義反対、差別教育反対、
⑤政治的リベラリズム教育論、基本的自由の権利と公平な機会平等主義である。
著者の信条でもある政治的リベラリズム教育論を拝聴してゆこう。
 
 著者はジョン・ロールズの「正義論」、ロナルド・ドゥウヲーキンの「平等な尊敬と配慮の権利」という事をリベラリズムの根底に置いている。リベラリズムは自由と平等の契機を等価に扱うことである。平等に重点が移る時、ジョン・ローマの「機会の平等」というマルクス主義教育論つまり日教組の理論となる。ジョン・ローマの「機会の平等」には耳を傾けるべき思想がある。人には生まれつき能力差があり、これを少しでも緩和するため教育投資をしてその人の能力を高めるべきだとする。家庭環境がその人の学ぶ力に与える影響は大きい。僻地、貧困、人種などが入り組んで教育格差を形成している。日本の学区制小中教育のいいところは地域の共同体意識の中で教育が行なえることである。無論選択の自由と平等は確保されなければならない。日本では能力別・習熟度別学級編成は秀才学級と落ちこぼれ学級の差別を生むから絶対反対という教師が多い。しかし私立進学校が学校全体として秀才クラスなら、学区制公立校は全体として落ちこぼれクラスの序列化に甘んじているといえようか。そこで著者は小人数クラスにして、教育の質の強化という折衷案を出すのである。教育の目的を労働生活の準備と見るのか、崇高な人格形成と見るのか、序列化による最高位を占めたい人間はどこでもいつでも存在するので、どのような教育システムを作っても序列化は免れ得ないと見るのかによって、価値判断は異なる。公立校の教育システムが支配的であるから、私立中高一貫受験校という抜け駆け的受験校の存在意義がある。全部が灘高、開成、ラサール、教育大付属といった中高一貫受験校という競争システムになれば、さらに激烈なシステムが考案されるだろう。そして最後に文部省は大学の存在意義を研究やノーベル賞をもらえるような創造的人間養成だけでなく、大多数の人間が一生働くために職業教育を前に出してゆくべきではないだろうか。
(完)

文藝散歩  山口仲美著 「日本語の古典」 岩波新書

2011年08月17日 | 書評
日本文学の古典30作の言葉と表現の面白さ 第13回

20)「風姿花伝」-経験と情熱の能楽論
 世阿弥の書いた能楽書「風姿花伝」は1416年頃成立した。広く世の中に知られたのは明示42年つまり20世紀になってからであった。それまでは秘伝として「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからずとなり」として、600年間観世家の秘伝として一子相伝されていたのだ。「風姿花伝」は7篇からなっており、ここでは「年来稽古条」を取り上げた。これは人生を年齢的に7期に分けて芸道修行の要諦を述べたもので、一種の教育論であった。年齢期ごとに心得るべき条(教育論と人生論)を簡潔にまとめた。人生への深い洞察に裏付けられているからこそ、人の胸を打つ言葉になっているのだろう。

21) 「狂言」ー短い時間で笑いを作る
 狂言は本書「日本文学」にとって異質な項目である。文章ではなく寸劇、笑劇というパフォーマンスであるからだ。そういう詮索は別にして、狂言の本質に迫ろう。そもそも狂言は能の舞台の合間を飾る笑いを中心とする寸劇として室町時代に発生した。今日の「漫才」に相当する。小人数の役者で笑い専門の狂言というショートコメディは即興劇で、初めのころは脚本もなかった。筋書きが出来たのは江戸時代になってからで、台本が書かれ、流派にも大蔵流、和泉流(人間国宝野村万作はこの和泉流)、鷺流の三派が確立した。狂言では舞台装置の少なさと短時間で笑いを取る必要から擬音語・擬態語が活躍した。(今でいうギャグ) たかが漫才されど漫才、たかが狂言されど狂言というところか。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「深 山」

2011年08月17日 | 漢詩・自由詩
石蘚青青度翠微     石蘚青青 翠微を度る

瀑泉千仞白雲囲     瀑泉千仞 白雲囲む

乱山万丈人難到     乱山万丈 人到り難く

樵叟遥看鳥自飛     樵叟遥に看れば 鳥自ら飛ぶ


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(韻:五微 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)