ブログ 「ごまめの歯軋り」

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東日本大震災と医療問題: 政府と対策現場の相互理解をー原子力と医療報道の難しさ

2011年04月14日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年4月11日) 「復興と再生のための相互理解」 多田智弘 武蔵浦和メディカルセンター胃腸肛門科 より

 福島第一原発事故対策報道に必死でがんばっておられる東京電力や政府原子力保安院そして枝野官房長官の努力に対して、それでも「本当に大丈夫なのか」と不安に思う人がいる事も確かです。それにたいして現場を叱責・恫喝する政府幹部がいたことも事実です。例として双葉病院が患者を放置してスタッフが避難したのはけしからんと震災対策本部が発言したそうです。双葉病院の院長は180名の患者の半分を搬送し終わった時点で、第2次の自衛隊救援を待っていたが、その自衛隊も到着せず2回におよぶ原発の水素爆発により現場の警察官の指示によりやむなく一時現場を離れたそうです。退却避難も人権尊重の選択肢で、本部の突っ込めという日の丸精神で太平洋戦争でどれだけの有為の若者が死んだことでしょう。政府機関・メディアは安直に現場を批判したり恫喝するのではなく、現場の意見を聞いて必要な対策を講じるという相互理解が必要です。同じことは復興計画においても現場を知らない官僚の机上計画によって、右往左往させられる住民の悲劇にもつながります。そして原子力発電事故という一般市民にとって理解しがたい状況を説明することの困難さは、患者さんの医療への理解についてもいえることである事を深く考えされられた。


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4月14日午前8時 茨城県空間線量率データ(茨城県放射線テレメータより)
http://www.houshasen-pref-ibaraki.jp/present/result01.html
測定局    NaI線量率nGy/h   風向    風速m/s
日立市大沼     268      南      1.3
東海村石神     198      西北西    2.1
水戸市吉沢     112      北北西    1.2
鉾田市徳宿     162      北北東    1.1  
殆ど変化は無い。(22年度測定値の統計はほぼ30-50nGy/hの範囲にあった。1年間の総量被爆線量は0.43mSv以下であった)


読書ノート 小田部雄次著 「皇 族」 中公新書

2011年04月14日 | 書評
明治以来の皇族の歴史を知ろう 第3回

 建武の中興で一時は権力に返り咲いたかに見えた天皇家には政治力はなくなっており、田舎侍足利尊氏に取って代られた。お飾りに過ぎなくなった朝廷をめぐって南北朝時代には天皇の系譜は乱れに乱れ、応仁の乱から戦国時代には足利将軍家と同様に、天皇家は権力基盤も経済基盤も完全になくして、地方豪族に養われる哀れな存在となった。織田信長ははっきりと天皇に取って代ることを考えていたようだ。徳川幕府は江戸に政権を移し、権力の中心となった。法的に公家諸法度をつくって天皇家と公家をコントロール下に置き、形式的に天皇制の存続を許した。生活に困っていた皇族と公家は唯々諾々と幕府の支配下に置かれた。もはや権力の二重構造ではない、一元支配構造であった。徳川は京都という公家と宗教界を支配に組み込んだのだ。江戸時代末期には海外列強の開国の圧力にさらされた幕府にはもはや処理能力はなく、薩長を中心とした雄藩連合は尊皇攘夷という討幕運動を起こした。薩長は遺された形式性を利用したのだ。徳川幕府をジレンマに追い込んで、薩長藩閥政権が徳川に変わった。それが明治維新である(現在の自民・民主の政局もそれに似ている)。そして本書は明治以降の天皇と皇族を話題にしている。公家・藩侯などの華族まで話題にすると複雑になるので、本書は皇族だけを対象にして、そして明治以降の近代日本における皇族の位置を問題にしている。
(つづく)

読書ノート 吉田武著 「オイラーの贈り物」 東海大出版会

2011年04月14日 | 書評
「博士が愛した数式」オイラーの公式を理解するために 第5回

 オイラーは数値計算に関しては、πの仕事を全て終らせたといわれる。ぺートル・ベックマン著「πの歴史」にオイラーのπの研究の業績が書かれているので紹介する。オイラーの業績を見ると、まず解析学(無限小解析)においては膨大な業績があり、微分積分の創始以来もっともこの分野の技法的な完成に寄与した。級数や連分数、母関数の方法、補間法や近似計算、特殊関数や微分方程式、多重積分や偏微分法などなど、古典的な解析学のあらゆる部分に、基本的なものから応用にいたるまでの業績があった。私が大学に入ってからの5月病の原因であった高木貞治著「解析概論」の初めにはオイラーの業績が紹介されている。オイラーの名前は、指数関数と三角関数の間の関係を与えるオイラーの公式、オイラー=マクローリンの和公式、オイラーの微分方程式、オイラーの定数などに残っている。フェルマー以降ラグランジュの出現までは進展がなかった整数論において、ほとんど一人で研究し続け、広大な結果を残した。数論的関数の一つであるオイラー関数に彼の名前が残っている。彼はゼータ関数と素数の関係を表すオイラー積の公式を発見、素数の逆数の和が発散するという新しい結果を得た。解析幾何学では一筆書きのできるグラフはオイラーグラフと呼ばれる。これはグラフ理論の起源となった。物理学では、ニュートン力学の幾何学的表現を解析学的に修正して、流体力学の基礎方程式(オイラーの連続方程式と運動方程式)を導いて体系化し、さらに剛体の力学を論じ、剛体に固定した運動座標系(オイラー角)を導入してオイラーの運動方程式を得た。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「春雨冥冥」

2011年04月14日 | 漢詩・自由詩
平鋪新緑雨冥冥     平鋪新緑 雨冥冥

春浦鴛鴦下渚汀     春浦鴛鴦 渚汀を下る

棹影涵霞煙勃勃     棹影霞に涵して 煙は勃勃
 
軽舟黙釣水冷冷     軽舟黙して釣れば 水は冷冷


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(韻:九青 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)