ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

奇奇怪怪な暴言を吐く中山国交相 大分県教職員不正採用疑惑の狙い

2008年09月26日 | 時事問題
2008年9月26日12時25分
国交相「申し訳ない」「所管でない」「文科省に聞いて」
 成田空港整備への住民の反対を「ごね得」と批判するなどした自らの発言について中山国土交通相は26日午前の閣議後会見で「国民に迷惑をかけ申し訳ない」と謝罪した。
 大分県教委の汚職事件に関連して「日教組(日本教職員組合)の子どもは成績が悪くても先生になる。だから大分の学力は低い」などと述べた点についても発言自体は撤回した。

中山大臣 大分県教職員組合つぶしの陰謀を曝露

私は9月4日のブログに次のように述べて、不正採用疑惑の裏を推測した。
大分県教員不正採用疑惑  なにか政略が感じられる?
これは「国策捜査」ではないか。文部省のリークによる大分県日教組潰しの陰謀か
全国の都道府県と市町村の教員や役所の職員採用はほとんど縁故か議員紹介や情実採用である。その裏で金や謝礼が動いている事は容易に想像されている。なぜ大分県以外に波及しないのか。べつに全国の教員・職員は戦々恐々としていない。よそ事ではないはずなのに、おかしい。大分県日教組はご存知の通リ、日教組の力が一番強いところであり、日の丸掲揚、国家斉唱に強い抵抗を示してきた。文部省はいつも強権で潰そうとしてきたができなかった。今度は陰謀で教員の信用全体を崩しにかかったと読むのは、読みすぎか?

今回の中山国交相の発言は多方面にわたった奇奇怪怪な発言で、何が言いたかったのかが良く分からないのですが、成田問題からアイヌ民族問題、大分日教組の問題が支離滅裂に為っている。はしなくも大分県不正採用疑惑を公開していない学力試験結果に結びつけ、日教組のせいにしようとしている。やはり不正採用疑惑は文部省のリークによる大分県日教組つぶしのための信用失墜を狙ったものであるとみられる。


小泉改革の終焉 さて改革の歪を修復できない自公政権は退場へ

2008年09月26日 | 時事問題
asahi.com 2008年9月26日8時0分
小泉氏、「改革」の光と影残し引退 経済再生と格差拡大 
小泉氏は就任直後から「改革なくして成長なし」と繰り返し、経済財政の構造改革を進めた。「小さな政府」を掲げ、歳出を削減。01年の自民党総裁選で「新規国債発行額を30兆円以内に抑える」と公約し、財政再建を目指した。公共事業頼みの旧来型の自民党政策と決別し、公共事業費は01年度~06年度で約3割減った。 「官から民へ」をスローガンに道路公団、郵政の民営化も推進。規制緩和を経済成長のテコと位置づけ、製造業への派遣労働も解禁した。

小泉政権が遺したもの

 小泉首相は2001年4月から2006年9月まで5年5ヶ月の長きにわたって政権を担当した(歴代三位の長寿政権)。確かに多くの仕事が出来た稀有の首相である。小泉政権が終わって1年たち、政権を引き継いだ安倍政権が1年足らずで崩壊した今、小泉政権の功罪を総括しておくことは意義がある。強い首相というイメージは、政治改革と中央省庁改革によって増大した制度的権限と、無党派層を中心に国民的人気を集めた小泉首相のポピュリスト的手法であった。経済面では利益政治を超えて新自由主義政策が大きく進展した。財政赤字の削減を民活利用で克服して経済成長を可能にした。しかし2006年度より野党は一斉に格差問題を追及した。規制緩和によりライブドアーや村上ファンド事件のような成金の犯罪も発生し、耐震強度偽装事件は建築法緩和の負の成果であろうか。そして何よりセーフティガードの破壊が進行した。老人福祉、生活保護、健康保険、年金の負担増と切り捨て、偽装請負や派遣による非正社員若年労働者の貧困化など社会の貧困化を格差が著しく進行し、公共事業に頼っていた地方は疲弊して地方格差も拡大した。このような規制緩和と財政経費削減に対する小泉首相政策決定と政治手法は明らかに排除の論理(切り捨ての論理)に立っていた。「抵抗勢力」を敵とする劇場型政治手法である小泉首相のポピュリスト的手法もやはり排除の論理である。社会がこのままいけば分断され崩壊すること請け合いである。少数の富裕層と圧倒的多数の貧困層に分断された社会が繁栄を持続できたためしは無い。池田隼人首相は「寛容と忍耐」で日本の高度経済成長を導いた。小泉首相の後の政治家はこの社会的ひずみを取り除くことが課題であろう。

小泉首相はロゴス(理性)よりパトス(情念)を好んだ。メディア宣伝やテレビを利用した「ワイドショー的政治」、「小泉劇場」は、たしかに閉塞した小市民は感情の捌け口として楽しんだようだ。悪の勢力の反対を押し切って進むヒーロ的演出というこの手法は、外交面で頑固な靖国神社参拝強行で中国韓国関係を破壊した。公的な帰結を熟慮せずパトスに基づいて行動することが、一国の首相として妥当なのか真剣に問われるべきであろう。ある意味ではブッシュの「悪の枢軸」や「テロ国家」と闘う英雄的アメリカなど原理主義的行動と通じるところがある。確かに小泉もブッシュもおつむの足りないところは似ている。最後に小泉首相のロゴスの無い迷答弁を挙げておこう。
「この程度の約束を守らないことは大したことではない」 居直り発言
「大量破壊兵器が見つからないといって、大量破壊兵器が無いと断定できるか」へ理屈にもならない発言
「何処が非戦闘地域か私に聴かれても分るわけが無いでしょう」政治家とはいえないむちゃくちゃ発言
「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」わるふざけ発言
昔、吉田首相が「バカヤロー」発言で衆議院を解散したことを思えば、小泉は随分議会をバカにして反省が無い。この発言で首相辞任に追い込めない野党が今や些細なことで安倍首相を辞任させたことの変化をどう考えたらいいのだろうか。当時の民主党の幹部のふがいなさと馬鹿さ加減も相当なものだ。



読書ノート 橋本治著 「日本の行く道」 集英社新書

2008年09月26日 | 書評
今の日本の社会はどっかおかしい もうひとつの選択肢があってもいい 第4回

橋本治著 「日本の行く道」 集英社新書(2007年12月)  -近代化の行き着いた先 もうひとつの選択肢をー

 本書「日本の行く道」の言い分はあるいは 「乱世を生きる-市場原理は嘘かもしれない」に述べられた事の言い替えかもしれない。バブル以降の平成時代に入ってからの経済社会状況は前二書に述べていることである。では本書はどこが違うのかと云うと、出口は分らないが「近代化以前の 選択肢も考えてみよう」ということであろうか。しかし著者がそんな時代錯誤なことを正気で云うわけはないし、これはギャグだと理解したうえで著者の本当にいいたいことは何かを考えてゆこう。あるいは現代文明はそこまで狂っているので、到底尋常な「改革」はこれまでのレジームと同じ位相に過ぎない、キリスト再来でしか地球は救えないと云うつもりなのだろうか。本書は「今の日本はどこかおかしい」からはじまります。現役で働いている人もなにか違和感を覚え、老人も不安を覚えています。これが「現代の疎外感」である。本書は「地球温暖化問題」を近代産業革命以降人間の生活活動の結果とみなして、近代の超克と云う選択肢を考えるのだ。第一章で子供のいじめと自殺、第二章で高度経済成長期以降の団塊の世代と教育問題の歴史を、第三章で明治維新以降の日本の近代化と経済発展と、行き着いた先からの突拍子もない解決策を、第四章で古きよき「家の生産システム」を考察するのである。では橋本治氏のいい分におつき会いいただきましょうか。


経済問題  富田俊基著 「財投改革の虚と実」 東洋経済新報社

2008年09月26日 | 書評
財政投融資の実の改革は財投事業の見直しだ 第4回

序(4)
 2006年後半より、審議会の議論が組織改革を優先し、国の資産のGDP比を圧縮するため財投貸付金の130兆円の圧縮を行うことを目的として、融資から政府保証へシフトし、財投貸付金の証券化をおこなうという。これと並行して公営公庫に積まれた巨額の剰余金は出資者である政府ではなく、債務者である地方公共団体へ移譲すると云うことだ。さらに地方公共団体には補償金無し繰り上げ償還をみとめよという「徳政令」を要求する動きがある。民主主義・市場経済の約束事を無視する論議である。郵貯・年金を原資とする20世紀型の財投は解体された。21世紀の財投は政策として必要であり、補助金や税などの手段に較べて少ない国民負担で出来る場合に限って活用される。官僚の抵抗が大きい事業内容の徹底した見直しを回避して、公的資金に市場原理の闇雲な適用は結果オーライでは済まされない危険性が含まれるので著者は反対しているようだ。そして両論併記から並行実施で政策を進めると、成果があってもどちらの効果なのか分らなくなると云うこともあるようだ。


文藝散歩 五味文彦著 「源義経」 岩波新書

2008年09月26日 | 書評
源平合戦の英雄「源義経」像を文献・史料から探る 第17回

6)平家追討の英雄ー「平家物語」より (2)

嗣信最後
能登殿は源氏の兵が少ないのを見て、越中次郎兵衛盛嗣を先頭に五百騎を濱に繰り出した。源氏側から伊勢三郎、平家側から次郎兵衛盛嗣がでて口上合戦をやってから、能登殿は強弓の手で奥州の佐藤三郎兵衛嗣信を射落とし、その首をとりに出た能登殿の童菊王丸は嗣信の弟忠信の矢で殺されたので、暫く源平のにらみ合いが続いた。

那須与一
義経軍は現地の雑兵をあつめて三百騎程になったが、その日は暮れて引き上げようとしたところ、平家側より船の上に女房が現れ紅の扇をかざして、これを射よと源氏を挑発してきた。義経矢の名人を募ったところ、下野国那須太朗与一宗高が名乗り出て沖の扇に矢を放つと、扇は空へ上がりさっと散った。源氏は箙を叩いて、平家は舷を叩いて感じ入った。

弓流
余りの見事さに平家の五十歳くらいの男が船の上で舞い始まった。余一今度も弓を放つとその男の胸元を射通した。やったりと云う人もいたが、興ざめだと云う人もいた。平家は口惜しいと思って、二百余人ほど渚に上がり、源氏は八十騎で闘った。夜になって平家は船に上がり、源氏は陸に引いて休戦となった。源氏側は疲れ果てていたので、何故ここで平家が夜討ちをかけなかったのかが運の分かれ目となった。

志渡合戦
平家は讃岐国志度の浦へ移った。志度の浦では平家千騎と義経八十騎で合戦になった。源氏の援軍が来たので平家は大軍が来たと勘違いして舟に引き上げた。伊勢の三郎義盛は平家方の田内左衛門教能をたばかって心変わりをさせ源氏方の人質とした。この嘘による謀略で、教能の父阿波民部重能の心変わりを誘う戦術であった。こうして義経は四国を平定した。このころ摂津福嶋に取り残された梶原の二百艘も屋島に着いた。