

鶴子銀山で豊かな鉱脈を掘り当て、数万両を稼いだと伝えられる、山師「秋田権右衛門」が建てたお寺が吉祥寺であり、現在ではその跡地しか残されていない。「沢根のお菓子屋「しまや」さんの左隣の道を北上すると、やがて左手に秋田権右衛門家の墓が見え、次いで右手に西野金北山(きんぽくさん)神社があり、その向こうの左手に吉祥寺跡がある。西野の金北山神社は、社伝によれば、724年の創建といわれる。かつては鶴子銀山にほど近い屏風沢にあったが、山師秋田権右衛門によって現在の西野に移された。例祭では鬼太鼓や能が奉納されるそうだ。
以下は歴史書を紐解いたところ分かった記述である。
「秋田権右衛門は五十里山を中心に活躍した山師で出生地は秋田。秋田城主の佐竹氏に仕えていたが、1624年に秋田から佐渡に渡った。旧姓は秋元だが、鎮目市左衛門の頃に秋田と改めた。山主の古口権兵衛に仕え、権兵衛の死後に名跡を次いだ。相川から西野村に移住して、屏風沢・仕出喜沢・松ヶ沢・百枚平一帯で稼いだ。正保年間(1644~47)に城下川端にあった多聞寺を西野村に移して、吉祥寺と改称し、更に河内山屏風沢にあった小社を金北山神社として吉祥寺境内に移した。仕出喜間歩で豊鉱脈を掘り当て、1652~58年まで数万両を稼いだと伝えられる。2代目も弥十郎間歩・黒瀬間歩・鳥越間歩・小滝間歩を稼ぎ、銀山巧者として名声を高めた。」
要するに、鶴子銀山で一山当てた大金持ちなのだが、意外に知られておらず、佐渡検定の本にも紹介されていないし、佐渡市の文化財のHPでも紹介されていない。
秋田権右衛門の墓
金北山神社
吉祥寺前にあった並び地蔵
一体一体
表情が違う!
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