佐渡博物館は、佐渡八幡館の丁度隣にあり、佐渡における第一号の博物館のようである。この博物館の敷地と建物は新潟交通の所有で、市に無償で貸与されている。そのため新潟交通の観光バスの見学コースに組み込まれており、訪問当日は雨ながらけっこうな数の観光客が来館していた。受付で入館料の700円を支払うと、おじさんは、まず2階へ行くように促した。2階では佐渡金銀山遺跡の展示会が開かれていたからだ。見ると相川郷土博物館とさほど変わらないような展示物であり、適当に見ておいてから真向かいの「歴史、考古、自然、民族」をテーマとした展示場へと移った。一番奥に、佐渡の文化年表が張られていたが、この年表の前で、おじさんとおばさんが話しをしていた。おばさん曰く「佐渡はねえ~、日蓮とか世阿弥とか順徳上皇とか、相当偉い人達が流されてきたのよ、そして彼らはそのDNAを島中にばらまいたから、佐渡には高貴な人の末裔がたくさん住んでいるんだよ」と知ったふうな口をきいた。ちょっと待てよおばさん、日蓮が女を作って子をもうけたと言う話は日蓮関連の書物をいくら紐解いてもお目にかかったためしはない。そして、世阿弥はいざしらず、上皇は女官をお連れになり、その女に産ませた子は全て嫡子としたはずだ。さすれば、女官の目を盗んで島の女に手をつけて産ませた御落胤以外、上皇のDNAは島には残っていないはずだし、たとえ残っていたとしても当の昔に死に絶えているだろう。大体、佐渡が高貴な人の末裔でいっぱいならば、お互いの足を引っ張り合ったり、中傷を生き甲斐とするような馬鹿者共が跋扈するはずがなかろう。おばさんのような誤解をしてくれる観光客がたくさんいるのだから、高貴な政治犯を島流しにした甲斐はあったのかもしれぬ。
新潟市から来た観光客が朱鷺の剥製を見つめながら「どうして朱鷺は乱獲されて減ったの?」と受付のおじさんに尋ねていた。するとおじさんは「人間が農薬を田んぼに撒き散らしたため餌のどじょうが減り、その結果個体数が減ったんだよ。原発と同じで人間が開発したものが周囲の環境を悪化させているのさ」と実に的外れな答えをした。そうじゃないだろう、おじさん、「朱鷺は棚田を荒らす害鳥だったから人間に駆除されて数が減った。そして農薬散布による餌の激減がその減少に更に輪をかけた、と言うのが正しい答えだろう」、筆者は心の中でそう叫びつつ階下へと向かった。
1階には新穂が生んだ天才画家「土田麦僊」の素描画が展示されている。筆者にとって絵画の価値などはそれこそ豚に真珠だが、素人目にも一見の価値はありそうな素描画ばかりが並んでいた。1階で面白い物を見つけた。佐渡を駆け抜けた文人墨客の中にあのノーベル賞作家「川端康成」の写真があったからだ。川端と佐渡とはどういう関係なのだろうか?
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