《 2017・3・13 掲載記事 》
2月14日、悪事が「バレんたいんデー」とばかりに、一気に関西では、強制捜査の詰めに突入!
明日の命さえ危ういということで、腎臓移植手術までしたはず?、の重症・重病入院患者であった・・・はずの、高山義友希(たかやま よしゆき。60歳)・実刑8年有罪確定収監決定者。
そのヤクザの大親分が、なぜか、いるはずの京都府立医大附属病院の患者用の個室病室にはおらず、堅牢な作りの、写真でも分かる、ご覧のような立派な日本家屋に戻っていた。
さすがに京都府立医大附属病院から出た、「診断書」や、病状の状態を問いただした「回答書」との、あまりの違いと、でたらめさに、堪忍袋の緒が切れたとしか思えない京都府警の大集団が、「防弾チョッキ」装着のうえ、ぶ厚い門を、問答無用とばかりにぶっ叩き、突撃!
高山親分は、観念したかのように、やがて護送車に乗せられ、顔をでっかいマスクと帽子で隠した(写真左下)ものの、容赦なく、マスコミのカメラの、フラッシュを浴びせられた。
高山受刑収監決定者を乗せた車は、大阪高等検察庁に立ち寄って、所定の手続きを経た後、大阪拘置所構内へと滑り込んで行った。
あれから1か月近く。
もうすでに、収容される刑務所が決定し、そこへ送致された頃と想われる。
なお、どこの刑務所なのか?は、基本、教えてもらえない。
ソレを承知の上で、京都府警に取材をかけた。
ところが、意外な答えが返ってきた。
「この件については、一切お答え出来ません」
ーーーでも、連日、関西では大きく報じられてましたよね? 病院の方も、記者会見も開いてますし。
「実は、そもそも、この件については、一度も記者発表をしたことはありません。ましてや、県警詰め記者クラブの皆さんにも公表していないことを、所属してもいない外部の人に、ペラペラしゃべるわけないでしょう?」
---でも、高山総長の家に、どっと詰め掛けていたのは、アレ、京都府警の警官たちですよね? カメラマンたちも、撮ってましたし
「まあ、確かにウチの警官たちではありますが・・・」
---病院の方の捜査の進展は、今後どうなるんでしょうか?
「ですから、一切オハナシ出来ないって言っているじゃないですか」
---本来なら、病院にいるはずの高山総長が、自宅にいた。なら、病気じゃねえじゃねえか!とか、治ってるのに、この野郎!と、判断して、収監してしまえ!と、上層部からゴーサインが出たとか?
「ですから、何も申し上げませんと、先ほどから言ってるじゃないですか」
---では、最期に一つだけ。実は、東京でも、ほぼ同じようなケースが起こっているんですが、収監されるのは、京都と同様、ほぼ間違いないことになりますかね?
「さあ。各都道府県の署、それぞれで、判断することになってると思いますよ。だから、東京(警視庁)の判断は、分かりません。確かなことは、言えませんが。もう、これでよろしいですか?」
前後して、警視庁にも取材したのだが、どうやらホントに、47都道府県の県警、道警、警視庁、そして府警によって、それぞれが判断して捜査、収監している、はたまた、していないらしいことが判明した。
すでに、高山は、この確定判決の事件で、取り調べの後、逮捕、拘留され、公判開始後、保釈されたが、その未決拘留期間560日がある。
その約1年半が懲役8年から差し引かれ、事実上満期拘留となれば、6年半のオツトメを果たすことになる。
その長期間を見越しても、もはや、「収監に充分耐えられるカラダ」と見なされた。というより、どうやら自宅で普通に優雅に暮らせるくらい、健康体であったようだ。
もし、本当に今もって重い腎臓病をわずらっていたとしても、全国に4か所ある「医療刑務所」に収容出来るシステムがある。
北から南へ、順にいうと、東京都八王子市、愛知県岡崎市、大阪府堺市、そして福岡県北九州市。
過去には、明らかに「冤罪」と想われた「帝銀事件」の被疑者、平澤貞道が、30年前、八王子で獄死。
また、「名張毒ぶどう酒事件」で、奥西勝・被告が、これまた明白な冤罪事件であるにも関わらず、老齢と重い肺疾患に成っても保釈請求が、何度も却下されたまま、再審請求のさなかの、2015年10月4日、89歳で、やはり八王子医療刑務所で死亡している。
一方で、ハーグ事件で、共謀共同正犯とされ、2001年11月8日、日本国内で逮捕された、日本赤軍の元最高幹部だった重信房子もまた、この八王子医療刑務所で、抗がん剤治療を受けながら、71歳で獄中にいる。
規定でいけば、2027年に出所予定。その時、存命であれば81歳にもなっている。抗がん剤が、どこまで効くであろうか・・・・・。
一般的に、日本の刑事被告人で、暴力団員と幹部、そして学生・政治・反政府運動家は、刑期の満期前までに出されることは、まずない。
一般の刑事事件の収監者であれば、例え無期懲役の判決を受けても、大体、入獄27~28年平均で「仮釈放」されている事実を、かつて法務省に当たり、やっと統計資料を手にして、細かく調べて、判明した。
さて、京都の方の事件。
「腎臓移植手術」も受けたとされるが、今後、ソレをしたと・・・される、主治医、ならびに吉村了勇(のりお。64歳。写真左下)病院長が、大阪高等検察庁に向けて書かれた、「高山義友希氏は、収監には耐えられない重症の腎臓病患者である」との回答文書と診断書、計7枚の内容の真偽について、さらに厳しい取り調べを受けることになる。
すでに、高山・患者の主治医は、「虚偽公文書偽造作製」などの疑いで、任意ながら取り調べを受けており、当初は「書かれたことの内容について、間違いはありません」と言っていた。
だが後日、追及され、「実は、吉村病院長の指示を受けて、記載内容を変更しました」と供述。
「しかし、内容については、大きな虚偽等については書いていない」とも言っており、根幹は矛盾したまま。
一方の、吉川敏一・学長(写真左)は、ひたすらマスコミから逃亡しまくっている。
上記、高山受刑者が身柄拘束され、拘置所にぶち込まれたその日、学長室と自宅が、いわゆるガザ入れされまくった。
以来、大学にはまったく1日たりとも、顔を出していない。
当初、疑惑を全面否定。
「高山さんとは、会ったことも、ましてや話したこともありません」と、文書でコメント。
ところが、学長と高山が、京都の歓楽街、先斗(ぽんと)町界隈の割烹、お座敷、飲食店で何度か同席し、歓談していた、という目撃談が相次いで寄せられ、報じられるに至って、また、コメント。
「1度くらいは、会ったかもしれません」
その間、任意ながら、呼び出され、取り調べを受け、追い詰められ始めていた。
大学側は、教職員で組織する団体が、吉川・学長が、大学にも来ず、業務をすでにこなしていない以上、この事件への責任も含め、学長辞任要求を突き付けた。
ところが、学長選挙には、吉川は継続立候補する意思を表明。なんと、他に立候補者が出ない事態へと深刻化していった。
吉川へは、取り調べが続けられ、心身ともに、追い詰められていた。
そして・・・・・ついに、自身の代わりに、男性の主任弁護士1人に、若手の男女2人、計3人が並んで、記者会見。
その発表事項をまとめると・・・・・・。
吉川は、学長選挙には立たず辞退する。
また、疑われている高山義友希との関係については、言われているような親しい関係では、ありません。
先斗(ぽんと)町や祇園にある飲食店で、私が1階で飲食していたところ、偶然にも2階に高山がいることを知り、挨拶し、言葉を交わしただけだ。
そんな、まったくの偶然が、2度ほどあった記憶がある。
高山とは、飲食はしていない。
また、入院など、何ひとつ依頼や、饗応をされてはいない。
挨拶した折り、健康面についてアドバイスをしただけで、やましいことは何も無い。
「ない」「いない」尽くし。
しかし、質問しようにも、本人不在。
いざ!というときの、主任弁護人らのクチを借りての、弁明に終始。
やましい想いが無いなら、記者団の前で自身が話せば良いものを・・・。
こう、偶然が、都合よく重なるのもなあ・・・・・。
弁護士3人もこの件で、雇い入れたということは、この先、逮捕、拘留、裁判の道筋を予想してのものであろう。
もっかは、水面下の取り調べ。むろん、高山には徹底的に「偶然」を突き上げて捜査が続いているときく。
さて!
東京、順天堂大学医学部附属順天堂医院、院長の天野篤(あまの あつし)と、広域暴力団 山口組元幹部で、4代目山健組 元若頭「建國会」初代会長の、山本國春、別名・井上國春との現在は、どうなっているのであろう。
すでに、詳細は、第一弾で書いたが、山本國春は舎弟たちを従え、心臓に重い病を抱えているという、天野篤が、東京高等検察庁へ書き送った「診断書」と「回答書」の記載とは大違い、自由に外出。
飲食、宴席、ゴルフ、神戸近辺の会合に出席し、外泊をするなど、とても重病にはうかがえない。
むろん、診断書のまか不思議さは、かなりの人が経験していているはず。
ちょっとした擦り傷や打ち身で、帰宅して、バンソウコウを貼り付けたり、巻き付けたりして、数日たてば、ほぼ完治する類いの傷であっても、病院へ行き、医師に「診断書」を書いてもらえば、あららあ~、不思議。
「全治2週間」と、さらさらっと書き込まれたら、見事に一片の紙っぺらが、さながら「錦の御旗」と化す。
とはいえ、山本國春は、先の高山義友希と違い、神戸の自宅には長期に帰ってはいない。退院もしていないようだ。
山本に課せられた実刑は、懲役20年。
最高裁まで争ったものの、上告棄却された。
現在、67歳。もし、今、刑務所へ収監されたならば、満期勤め上げたら、未決拘留を差し引いても、86歳で、やっと出所となる。
ヘタすれば、心臓アレコレ、関係無く、刑務所のなかで、終活。死を迎える可能性の方が大きい。
だから,山本國春の身になれば、必死だ。刑務所の中で必死!は、何としてでも、避けたい。
その意を汲んだとは思いたくないが・・・・・。
なにしろ、天野篤(写真左下)といえば、今を去る5年前。天皇の「心臓バイパス手術」を、カンペキなまでに成功させたスペシャリスト。
一時は、年収3000万円台だったのが、1億円を超えたトシもあったと、自身で言う。
ここは、是非とも、山本國春に対する、「診断書」と「回答書」に対する、本当の真偽を聞きたい!
とはいえ、千葉県の松戸市にある自宅へ帰れるのは、週末。その週末も、全国各地へ出向いたりして、つかまりにくい。
かといって、順天堂医院のなかに張り込んで、手術を終えるのを、廊下で待ち構えて・・・・
ときには、早くても5~6時間かかる手術も有る。
今まで手掛けた心臓、及びその関連部位の手術、約7200。
うち、成功例は98%。
多くの医師に聞いてきたが、手術に死亡はついてまわるものと、平然と言う。
あの、群馬医大附属病院の元勤務医、須納瀬豊の手術後の患者死亡例は異常だが、この「天皇の執刀医」にしてからが、すでに146人もの患者が、術後、死んでしまった、という「厳実」。
そんな天野篤が、私の問いに、答えざるを得ない場をキャッチした。
---ちょっとお聞きしたいのですが。天野さんの患者に、山本國春と言う人が、今もいますよね。で。天野さんが書いた、診断書の記載。アレは本当に正しいんですか? 失礼ですが、虚偽ではありませんか? 患者の、本当の病状も含め、正直に教えて下さい
今までのニコニコ顔は、一瞬にして消え、天野医師は、質問の途中で、眉を曇らせ、苦渋の表情に一変した。
「・・・・それは、患者さんの個人情報は、お答え出来ない」
そう、きたか。これは、次の矢を放っても、同じ答えしか返ってこないな、と直感した。
答える内容によっては、天野篤という人間の人生を一瞬にして狂わすことに、直結しかねないのだから。
部屋を出た天野篤は、4人もの男にガードされ、車に素早く乗り込み、順天堂医院に車を走らせ、消えた。
東京高検に取材をするも、電話を関係の無い部署にたらい回しにされた。
警視庁でも同様に、終わった。
まだ、東京の方は、捜査に着手はされてはいない。
京都は京都、東京は東京、か・・・・・
だが、このままで良いのであろうか・・・・・
いくら名医とは、されているものの・・・・・
獄中死は避けたい、逃げたいとはいえ・・・・・・.