<2015・5・27 再掲載記事 >
≪ 2017・5・29 追記掲載 ≫
のっけから、少々キツイ題名になったが、上に掲載した写真の場所に赴くたびに、その想いがこみ上げてくる。だから、あえて打ちだした。
この写真を見て、この場所がドコか? そしてどのような意味を問う写真かが、分かる人は、この場所に一度は行ったことがある人だ。
ここは、都内にある大きな病院のバイクの駐輪場だ。見た通り、何のへんてつも無い、病院職員でバイク通勤する人の為の小さなスペースだ。以前は、車の駐車場の一部だった。
停めてある、2台のうち、右のバイク。その真上にある、曲線状の白く丸い手すり。そこに早朝座った40歳の入院患者が落ちて・・・・・・死んだ。そういうことに、統一された。
即死ではないが、時置かずして、この世を去った。
信じられるだろうか?
手すりから下のコンクリート面まで、2メートル70センチ。当時の「公式報道」によれば、後頭部を打ち付け、死因は「脳挫傷」と。
だとしても・・・・・と、想いを巡らす。先ほど、初めて検索してみたら、他殺ではないか?などという疑問を呈した人がいて、いささか驚いた。
それは、100%無い! と断言できる。
しかし、この地で、病んでいたとはいえ、蒲池幸子という美しい女性が、2007年5月27日。この世に別れを告げた事実だけは、動かない。
あれから、もう、5年も時が流れたのか・・・・・・。その、あまりの速さに驚く。
実は、5年前の今頃、この地を何度も訪れ、「事実」さらに突っ込んで「真実」を自分で掴みたく、通った。その結果は特集記事にして載せた。とある写真も載せたこともあり、反響はその後もあった。
そして、それ以降も年に何度かこの地を訪れている。
断っておくが、私は彼女の熱烈なファンでは全く無い。聴きやすい声だなあ。BGMにいいな。思うのは、それだけだ。
ただ、彼女の生前。ZARD!? 日本人? 誰、それ?
そんな疑問? から始まった、徹底取材。友人、知人、近所、学校、会社はもちろん、彼女が「創られていく」過程も、時代背景も、写真も、洗いざらい調べ尽くして、書いた。
今でも時折り思い出すのは、最寄りの駅近くから見た富士山。そして、彼女の実父へのロング・インタビューで浮かび上がった、やりきれない一家離散のココロの真実。
ただの新宿のOLが、騙され、危うい道に踏み込み、今度は一転して、仕掛けに乗っかって創られ、巨万の富を得たがゆえに、親、兄弟妹は・・・・・
カネはヒトを、変える。
今、それを打つつもりはない。
打ちたいのは、彼女がこの世を去ってからのことだ。遺された形骸化された家族の、複雑な想いとは全く無縁なところでの、”巨大イベント”
いまも、定期的に死人で儲けようというのが、やりきれない。あざとくて、許しがたい。
それは、尾崎豊にしても同じだ。何度も取材し、素顔も知ってた。死因も。
だから、もうあざとい金儲けは、止めませんか・・・・・
ひばり御殿の、荒れ果てようと、その実態も、やりきれない・・・・・
写真の地。今は訪れる人とていない。当初だけ、「手を合わせたり、花束を置いていく人がいたけどさ」と、警備、管理係。
あのコンクリートの部分だけ、なんとかしたいと申し出てきた会社や関係者は?
「全く聞いたこともないね」と、冷めた口調で突き放された。
病院の担当者に聞いたが、同様だった。むろん、というべきか。彼女の家族、当時の愛人からの申し出すらなかった、という。
今日まで、彼女が絶命した箇所は、幾千、幾万本のタイヤに踏みつけられ、轢かれた。数えきれないほどの、靴にも踏みつけられた。
昨年の3・11にも、地面は割れることもなく、車輪が乗りあげ続けている。
・・・・・・私が、近親者だったら、耐えられない。ZARDで儲け、これからも儲けつづけようとする根性に、怒りすら感じる。ココには、1円もかけない。
たまたま、駐車場だったから言うのではない。口先と違い、彼女自身への哀悼の気持ちが、カケラほどもない。あるのは、ゼニ儲けだけ。
巨大に膨れあがった、にわかファン。一体、アレはなんだったのだろう?
今日もタイヤに踏みにじられる。蒲池幸子の心までも、踏みつけていく・・・・・
生き続けていれば、45歳。普通の人生を歩んでいれば、死なずに済んだのに・・・・・・