転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



最近の必修逃れ問題に関してだが、
そもそも学校側がどうしてそういうことをしたかというと、
大学入試科目だけを重点的にやらせて生徒に力をつけさせ、
少しでもランクの高い大学に一人でも多くの合格者を出したい
と考えたからだというのは、簡単にわかる。
厳密に言えばズルいとわかったうえで、つまり違反は承知で、
高校側は、大学入試突破のみを授業の目的と考え、
偏ったカリキュラムを組んだわけだ。

それをする際に、教務や進路指導担当者は生徒にむかって、
「今からズルをやります」とは説明しなかった筈だから、
生徒や保護者の側が気づいていなかったとすれば、
その点は無理もない、と私は思っている。
学校が提示して来た選択科目を、
「待てよ。本当は必修なんじゃないだろうな?これで足りるか?」
などと疑って、学習指導要領を個人的に調べて確認する、
という生徒や親は普通いないだろう、と思うからだ。

なので、こういうことが発覚し、ニュースとして取り沙汰され、
大騒ぎになった今、未履修の該当者になった生徒達が、
「わたしたちの信頼が裏切られた」「責任を取って欲しい」
と学校に対して苦情を言うのは、心情的に自然なことだと思う。
今まで、学校が言うからこれで良い、と単純に信じていたことが、
突然、大間違いだとわかったのだから、混乱するのも当然だ。
各自の年間計画だって狂うし、当事者の動揺は計り知れない。
入試の近い今、突発的に予定変更を迫られて嬉しいはずがない。

だが、敢えて言うが、その苦情が、
「入試に要らない科目なのに、補習を受けるなんて、ひどい」
「受験科目にないものを学校のせいで今さら勉強するのは迷惑」
という方向になるのは、気持ちはわかるが、やはりおかしくないか?
それを言ったら、違反の自覚がありながら便宜を優先した学校側の考えと
生徒の望みは、結局は表裏だった、ということになってしまう。むしろ、
「必修科目なのに今まで全然教えてくれていなかったなんて」
「高校生として当然、受ける権利のあった授業が受けられず、
時間がないからと中途半端な補習だけで、卒業させられるのか」
という点について、学校に迫るべきではないのか?

保護者にしてもそうだ。
「生徒が悪かったわけじゃない。入試前だし不問にしてやって欲しい」
「なるべく短い時間数か、レポートなどで救済を」
というのは、言ってることが逆だろう。
公的に定められた、高校教育の内容を、
その通りに提供して貰えていなかったことについて、苦情は無いのか。
「必修すら教えてなかったのか。単位不足分の授業料返せ」
「間に合わせの補習じゃなく、正規の立派な授業を受ける権利がある!」
と、なぜ言わないのか。

また、未履修でなかった高校の生徒たちは、
自分たちのして来たことに安堵し満足しているかと思いきや、
「学校で少ない科目だけやって入試で良い点取ろうなんてムカツク」
「真面目にやって来た私らがバカみたい」
などとカメラに向かって口をとがらせている。
しなくても良いことを無駄にさせられたというなら文句もわかるが、
バカどころか、キミらのして来たことのほうこそまっとうだったと、
ハッキリ認められたのだよ?
「高校生として最低限の科目すらやらせて貰ってない人は気の毒だ」
「うちの学校は必修は必修として授業していた。
当然のことではあるが、私は必要なことをきちんと学んだのだ」
とは、全く考えてもみないのだろうか。

結局お目当ては、何がなんでもまず、大学入試なのであって、
合格するためには、ほかのことはラクチンなほどいい、違反でもいい、
という点では、学校も生徒も親も完全に一致しているのだ。
教育を受ける権利が部分的に侵害されていたことが判明したのに、
生徒も親も、それについては腹が立たない。
ただ、入試に関してトクしたか損したか、だけが判断基準なのだ。
「中学校における教育の成果をさらに発展拡充させて、
国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと」
という、学校教育法にある高校の目標など、
誰にとっても、全く文言だけの、吹けば飛ぶようなものだということだ。

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