転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



雪の舞う国立劇場。午前11時開演。
三ヶ月通して上演される仮名手本忠臣蔵の、二ヶ月目。

堪能いたしました。
音羽屋の旦那(菊五郎)さん圧巻、
後半、勘平の台詞は極めて少なく、言葉によらない演技だけで
あれほど激しいドラマを見せていたのだと、私は見終わって改めて畏れ入った。
型の美しさは当然のことだったが、それを超えたところに
今回の菊五郎の目覚ましさがあった。
そして大播磨(吉右衛門)にもただただ感服!
仇討ちという肚(はら)を持ちながらも、それを皆に悟らせない、色気や大きさ。
周囲の懸命の訴えや、周辺で刻々と進行する事件を
吉右衛門の由良之助は、これまた台詞も動きも抑えたままで、
見ていない・聞いていないかのように装いながら、
実はすべて詳細に把握し続け、最後に時を見極め、決断を下した、
……というのが、大変よくわかった。
これぞ、主役!!

あらしちゃん(松緑)の定九郎がまた、キレッキレ!だった。
暗闇から最初に登場する定九郎の白い手、
与市兵衛を殺して奪った財布を口に咥え、
血に汚れた刀を着物の裾で拭き、足を踏み出したかたちの見得、
財布の中身を手探りであらため、たった一言の台詞「…五十両」。
……と、花道から舞台上手へと猪が駆け抜け、
その刹那、猟師の火縄銃の音が響き渡り、
目を見開いた定九郎の口元からは真っ赤な血が零れ零れて、
白塗りの太股に音もなく落ちる……!
たったこれだけなのだが、まさに息詰まるほどの10分間で、
今のあらしちゃんの、極限までの様式美を見せて貰ったと思った。

更に、今回のあらしちゃんのお蔭で、
私は初めて定九郎がどういう役なのかがわかった。
以前は、「悪の華」としてのビジュアルが定九郎の見どころだとしか
私は思っていなかったのだが、この芝居において大切なのは、
むしろ定九郎が「誰なのか」という部分なのだった。
すなわち、定九郎は塩冶家の浪人でありながら敵方に通じる裏切り者であり、
勘平の舅・与市兵衛を殺害した仇でもあったわけで、
偶然とは言え、この男を撃った勘平は、
二重三重に忠孝を尽くしたことになったのだ。

定九郎が、ただの色悪としてのチンピラでなく、
深い意味を持つ役としての印象を、残していればいるほど、
彼の命を絶ち五十両を奪い返すことになった勘平の行動もまた、
その価値を発揮するのだと、私はようやく理解できた。
だからこそ、功成り名遂げた武士となるはずであった勘平が、
志半ばで腹切をすることになった切なさと
命の際に連判状に血判を押すことのできた晴れがましさも、際立つのだ。
そして、由良之助が最後に、勘平の血糊の残る形見の刀で丸太夫を斬って、
手柄を立てさせてやる場面も、
定九郎の登場から始まる道筋が鮮やかであれば尚更、
結末としての手応えを増すのだ。

ともあれ、今回の五段目六段目七段目、私にとっての決定版になったと思う。
観ることができて本当に良かった!
おそらく、これが今年の私の観劇の中ではベスト1となるだろう。



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