転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨年末から再開したピアノ、・・・と言っても、
毎日1時間弾くかどうかという程度なので、
全然たいした練習量ではないのだが、
それでも、これで半年近く続けてきたことになり、
指の状態も、多少はマシになって来たような気がしている。

ハノンとツェルニー30番をそれぞれ第一番からやり直し、
同時に、モーツァルトのソナタKV545をしつこくやっているのだが、
指が動くようになり、いくらかでも、したいことができるようになると、
モーツァルトだけは、達成感が得られるどころか、
かえって際限がなくなり、弾けなさ加減を痛感するばかりになった。

こんな、『ソナチネ』に載っている、小学生でも弾ける曲で、どうして、
と思われそうだが、このソナタの本質的な難しさは
大人になって再度弾いた人なら、きっとよくわかると思う。
プロの演奏家の多くが、このような曲を滅多にプログラムに入れないのは、
技術的に地味な初級者用のソナタだからではなく
とにかく「怖いから」ではないかと私は最近思うようになった。

かのポゴレリチだって、94年の来日のとき、当初の予定では、
クレメンティのソナチネふたつと、このモーツァルトのKV545を
プログラムの最初に載せていたのに、いざ演奏会の夜になったら、
「体調が悪いから」
と、これら初級曲を全部やめて、ほかの曲に入れ替えたのだ。
そのときの演奏会では、同じモーツァルトでも『幻想曲』や、
シューマンの『交響的練習曲』などを弾き、アンコールにも応えて、
ショパンの『スケルツォ』2番を弾いたのだから、彼にとっては、
名だたる技巧曲ならコンディション不良でもやりようがあるが、
KV545などの初級曲になると、よほどの条件が揃ったときしか弾けない、
ということだったのではないだろうか。

この仮説が正しいなら私がKV545を弾けないのは、当たり前なのだ。
私は、「体調不良のポゴレリチ」と比較させて頂くのも畏れ多い、
遙かに遠く及ばない、弾き手として赤ん坊にも等しい無力さなのだから。
指がまわれば、そのことで得意満面になって弾けるのは、
実年齢小学生くらいの学習者の特権だ。
彼らは、あらゆる面でシンプルなことしかまだ経験していないため、
どのように弾きたいかといっても、思いつくことに限りがあり、
その御陰で、この曲の深みにはまることも少ないのだと思う。

先生からは、
「これは追求するとキリがないので、ある程度で割り切って次に進む」
ことを提案された。そして、
「三楽章まで通したら、次はベートーヴェンのソナタをひとつやって、
そのあと、もう一度、モーツァルトに戻って来るといいと思う。
そのときには、今やっていることがもっとわかるようになる」
とも言われた。

次にやるベートーヴェンとして、先生からのご提案は、
ピアノ・ソナタ第5番ハ短調作品10-1。うゎお♪
私はゲルバーのCDでこの曲に心酔したことがあるので、
頭の中にある音の理想が高過ぎていけない面もあると思うが、
しかし、第5番は全くやったことがないので、とても嬉しい。

モーツァルトはかなり自分を抑制して弾かなければならなかったが、
その点、ベートーヴェンの5番なら、発散しても大丈夫そうだ。
「このあと、暑い夏に弾くには、イイですよ(^_^;」
と先生も仰っていた。そういえば、以前、清志郎も、
『できるとわかっていることをやってみても仕方がない。
できるかどうかわからないことに挑戦したい』
という意味のことを、自転車レースに関して言っていた。
ああ、だんだん醍醐味が出てきたもんだ。

Trackback ( 0 )



« Oh!Radio 宝塚歌劇花組 ... »