転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



西川貴教主催の『滋賀フェス』に約3万人が集結(ORICON)
T.M.Revolution、被災地にエール「パワーを届けたい」(ORICON)

娘と私も、その3万人の中の誰かだったわけだが(笑)。
『イナズマ』が『滋賀フェス』とさえ呼ばれるなんて、
ふるさと観光大使の西川氏としては本懐を遂げた思いではないだろうか。

西川貴教のことは、友人が彼に夢中になった2000年頃から
私も道連れにされて(笑)聴き始め、当時から面白いとは思っていたし、
更に娘が5年ほど前に西川氏の大ファンになってからは、
私も以前よりいっそう気をつけて彼の情報を集め、
ライブも逃さないよう心がけて来た。
しかし、今年3月に東日本大震災があって以来、私は徐々に、
西川氏が単に強烈な魅力を持った歌い手であるということだけでなく、
その、一本、筋の通った態度に、改めて強い感銘を受けることが多くなった。
「滋賀の元気を集めて日本中を元気にしよう」、という今回のイナズマは、
まさに今の彼の面目躍如というライブだったと思う。

彼はツイッターでも34万を超えるフォロワーを持っているが、
私の知る限り、地震このかた、彼は一度たりとも、
今回の惨事は誰の責任だとか、何が悪かったとか、早くこうすべきなのに、
とかいうような、非難も批判もしたことがない。
日本はもう駄目だとか、子供達の未来はどうなるんだ、等々の泣き言も無かったし、
ファンを思想的に牽引することも全くなかった。
ツイートすることの大半は、先の楽しみになることや、皆が明るくなる話で、
西川氏は自分が変わらず元気でいることにより、皆を励まそうとした。
「西川貴教」は「活動家」や「評論家」ではないし、無論「政治家」でもなく、
ただ、ひたすらに「エンターテイナー」であったからだ。

地震直後こそ、避難や救助に関する情報を「拡散」する役目も率先して果たしたが、
原発事故以後は、この人の、情報面でのリツイートは、
恐らく意図的に控えられるようになった。
その一方、知名度と影響力とを駆使して大規模な募金プロジェクトを立ち上げ
東日本大震災チャリティ・プロジェクト Stand up!JAPAN 2011)、
同時に全国ツアーを通して、各地でのライブ活動も3月後半からずっと行って来た。
勿論、東北を初め被災地にも行った。

個人として・私人としての彼には、恐らくいろいろ言いたいことがあったと思う。
地震や原発の話題で発言したいことを持たない人は、今日本には居ないだろう。
しかし西川氏は敢えてそれら一切を表に出さなかった。
知名度を利用して社会派の発言をし、オピニオン・リーダーを気取ることのほうが、
遙かに注目を集めやすいし、ヒロイックな達成感も得られたに違いないのに、
西川氏はそこに踏み込まず、頑ななまでにエンターテイナーとしての分を守った。

有名人に関しても身近な人に関しても、実のところ私は原発事故以来、
緊急事態において、その人が何を言い、どう行動する人だったかを知って、
申し訳ないがいたく失望したことも、少なからずあった。
しかしまた同時に、相手によっては、改めて深い敬意を覚えたり、
その人の言動から、新たな感銘を与えられたりしたことも、多々あった。
どちらも、ある意味、今回の大惨事があった「お蔭」で体験できたことだった。
そして西川氏は私にとって、後者の典型だった。
彼は非常時においても、逃げることなくアーティストとして正面から事態と向き合い、
エンターテイナーでなければできない仕事だけを、次々と実現させて来たからだ。

西川貴教ツアー無期限続行!被災の栗原で歌うまで…(スポニチ)

現在、西川氏はT.M.Revolution名義での全国ツアーを継続中で、
当初の予定を超えて、47都道府県のすべて、
それもできるだけこれまで行っていない市や町のホールを優先して回っている。
中でも、本来4月3日に公演する筈だった宮城県栗原市のライブが中止になったままなので、
西川氏は再建なった栗原市文化会館での公演実現を、目下の大きな目標としている。

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