転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



松竹座での團菊祭を観たのは、昨日が初めてで、
5月のこの時期に團十郎・菊五郎を観るのに、歌舞伎座ではない場所で、
という感覚は、これまでの私には経験のないものだった。
しかし、いつぞやの音羽屋の旦那さん(菊五郎)の言ではないけれど、
歌舞伎座が閉まっていても歌舞伎は変わることなく、芝居は続いているのであって、
どこで観ようと團菊祭はまさに團菊祭そのものであり、本当に楽しかった。
ただ今年は、海老蔵が居ないというのが、華が減ってしまった感じで残念だった
(夏の復帰が決まり、とても嬉しく思っている)。

目玉としては、昼は成田屋のなつおちゃん(團十郎)が『幡随長兵衛』を、
そして夜は音羽屋の旦那さん(菊五郎)が『弁天』を出していたわけだが、
……ごめんなさい、『弁天』なら文句なしに当代音羽屋の役だと思えるのに比べ、
ワタクシ『幡随長兵衛』だと、どうしてもまず吉右衛門なワケですよ自分的に。
だからなぜ、なつおちゃんが今回「ここ一番」の演目にこれを持ってきたのかと、
昨日は観ながら、どうにも居心地の悪いものを感じてしまった。
もっとずっと良い演目が、ほかにあったのではなかろうか、と。

私は今までに團十郎の長兵衛を観たことはなかった。
だから新鮮ではあったし、勿論、團十郎ならではの長兵衛だろうとは思った。
長兵衛の情とか、男としての大らかさみたいな部分はとても魅力的だった。
でも私にとって致命的だったのは、團十郎は台詞回しに鋭角的なものが足りず、
音声面での違和感が、終始、大きかったという点だった。
そもそも私にとって團十郎は海老蔵だった頃から、顔と台詞声のギャップが大きかった(逃)。
肉厚な迫力満点の怖い顔から出て来る、人当たりの良いのんびりした声音(逃逃)!
『身替座禅』の玉の井を、なつおちゃんが演じれば最高だなと今でも私が思っているのは、
上記の理由による(逃逃逃)。
まったく、見た目やカタチには惚れ惚れし、しかし音声には肩すかしを食らわされ、
という変な二段構えに、最初から最後まで耐えながら観た『幡随長兵衛』だった。

この、昼の部はいつものように三階のヘリから楽しませて貰ったのだが、
昨日の夜の部は、私にはあり得ない奮発をして、花道真横の席を取ってあった。
上に載せた写真が、そのときの私の席から見たままの光景だ。
写真手前にあるのが花道で、(緞帳の下りた)舞台が目の前に広がるという角度だ。
それはもう、『蘭平物狂』の長梯子の立ち回りも、白波五人男の勢揃いのときの弁天も、
皆、私が手を伸ばせば触れられるところに存在していたのだ。凄い席だった(涙)。
菊之助の弥生からも、幾度も「勘違い目線」を頂いてしまった。

音羽屋の『弁天』は、ここ二十年以上、私にはいつ観ても絶品だ。
「知らざあ言って聞かせやしょう」の箇所など、今まで何パターンかあったが、
今回のは殊更に派手な感じの台詞回しになっていて、
團菊祭という華やかな場には相応しい雰囲気だったと感じた。
また、『幡随長兵衛』の水野のときと、この弁天とでは、声の出し方からして違っていて、
音羽屋ファンとしては、昼夜と通しで観た面白さも大きかった。
そういえば、昼に水野の最初の場面を観たとき、「音羽屋、痩せた!?」と思ったのだが、
夜に弁天のほうを間近で観て、なるほどこれのために減量したのだ、と感じた。
弁天小僧菊之助は「少年」と言っていい年齢だ。恰幅の良いおっさん太りはNGなのだ(笑)。
ただ、隣に辰之助の南郷がいてくれなくなったことだけは、今でもやはり悲しかった。
昨日はそれを左團次が演ってくれた。今の音羽屋にとっては何よりだったと思う
(こうなっちゃ、もう本当は、音羽屋の弁天に音羽屋の南郷がええんと違うか、
というのが、偽らざる究極の希望だけども・爆)。

話は前後するが、その辰之助の遺児だった当代松緑が、
昨今どんどん頭角を現していることも、私にとってはとても感慨深いものがある。
特に昨日は、花道の真横から松緑の『蘭平物狂』を隅々まで見せて貰い、
思いがけないほど祖父の松緑に似ているところをたくさん発見し、感激があった。
辰之助の、暗い炎が燃え上がるような芸風を、当代松緑に求めようとした私が間違っていた。
松緑は、堂々とした体格に豪放な輝きを併せ持っていて、
それはまさに、私にも見覚えのある、祖父・二代目松緑そっくりの舞台姿だったのだ。
昨日の『蘭平物狂』の舞台が予想以上に、雰囲気も照明も明るく感じられたのは、
当代松緑が、主役としての突き抜けるような光を放っていたからだった。
親の当たり役を継ぐのに、このようなかたちもあり得たのだと昨夜は本当に嬉しく思った。

夜の部最後の演しものが、菊之助の『春興鏡獅子』で、
私にとっては長い間、鏡獅子と言えば富十郎、最近では藤十郎、という印象だったため、
昨夜は久々に若い鏡獅子を観たと思った。
若くて美しいだけに、弥生の踊りはなんの不自然さもなく見とれるばかりだったし、
獅子の舞も、若々しい大きさと躍動感があって、とても良かった。

本当なら、これこそ海老蔵に踊って貰いたかったし、そうでない場合でも、
菊之助が踊るなら海老蔵の出ている公演でこそ、やって貰いたかった。
ただ、昨日は、踊るのは音羽屋の菊之助でも、長唄や三味線の方々の衣装には、
成田屋の紋が染め抜かれていて、菊之助が決して一人で踊っているのではない、
というか、この役を務める者とともに、常に市川宗家の存在があるということを、
感じさせてくれる演出になっていたと思った。

花道横に居たからこそ、私はこうして衣装の紋所にまで目が行っていたわけだが、
一方で我ながら抜けていて、後シテの獅子になったときの菊之助の衣装の色が、
どうも、今になってみると、よく思い出せない。
黒系でなく、何か青っぽい、ちょっと普段見ないような色だったような記憶があるのだが、
私の覚え違いだろうか。何しろ凄い席から観ていて、興奮していたから(笑)。

あとは、権十郎を久しぶりに近々と観られたことも私には嬉しかった。
菊五郎、辰之助、松緑、などなど、私はだいたい「声の強い」役者が好きなので、
その意味で、権十郎も正之助だった頃から私はとても贔屓にしているのだ。
『弁天』の忠信利平は短い出番だったけれど、品格と落ち着きがあって良かった。
しかし『幡随長兵衛』の綱九郎のときは、声には不満はなかったのだが、
菊五郎の水野と並ぶとやはりどうしても若くて、ちょっと「手下」っぽかった(殴)。
ごめんなさい(逃)。

……ともあれ、そんなこんなで、昨日は、一日、松竹座で過ごした。
誰とも話もせず社交も必要なかったので、自分本位に観劇を楽しみ、
幕間には売店を覗いたり、コーヒーを飲んだりして、
昼の部と夜の部の間には、ちょっと足を伸ばして心斎橋まで行ったりした。
「母の日」の贈り物を貰ったと、私は勝手に(笑)家族に感謝している。
ひとりで行きたいところへ行き、自分のためだけに一日を使うなどということは、
主婦としては、普通なかなかあり得ないことだろう。
ありがとうございましたん♪

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