転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨夜のエル=バシャについて、のちほどUPしたいと思っているが、
昨日の演奏は、とにかく異色だった。
ポゴレリチのように皆が安心して叩ける(?)「異色」ぶりではなく、
エル=バシャが淡々とした表情で礼儀正しく披露したのは、
最高級にエレガントで端正な外見をまとった「異色」だった。
「生の演奏会でこんなのアリか!」
という戸惑いが、私の側には、あった
(その「異色」ぶりについては、改めて後で書いてみたいと思う)。

このことは、客席にも大なり小なり伝わっていたようだった。
昨日の聴衆は、姫路労音の例会ということで来られた方々が多く、
格別にエル=バシャ個人のファンだったので駆けつけた、
という方は多分、少数で、そのせいもあるだろうが、
たった300余席しかない小規模なホールだったのに、
「このまま、どこまで行くのか。考え込まされる」という人と、
「くいつきが悪いので、気分が逸れてしまい眠いだけ」という人の、
どちらかに、ほとんどの観客が、分かれてしまっていた。
少なくとも、感動し熱狂して拍手喝采、興奮さめやらぬ、
という人は、ほとんど居なかったのでは、と思われた。

最初のベートーヴェン『悲愴』の一楽章が終わらないうちに、
私の斜め前の女性は寝息をたて始めたし、
次の『テンペスト』の二楽章の終わりに、私の右隣の男性が、
力強く「ぶんっ!!」とうなずいたようだったので、
よほど説得されたのかと思ったら、
この人も、大きく船を漕いだだけだった。

後半一曲目のラヴェル『夜のガスパール』のときもまた、
第二曲『絞首台』では私の周囲だけでも数名が寝入っており、
第三曲『スカルボ』の冒頭部分になると、私の左隣の人が
所在なげにプログラムを開いて読み始めた。私は内心、
「おいっっ、今から大変なことになるんだから、やめとけ!」
と思っていたら、案の定この人は、スカルボの超絶技巧が始まると、
これは見なければと思ったらしく、プログラムを閉じて顔をあげた(爆)。

私としては、生の演奏会で、あのようなやり方や、
ああした存在の仕方が可能である、というのを初めて知ったので、
エル=バシャの才能の底知れ無さ、
穏やかな外見に隠された空恐ろしさを昨日は改めて感じたのだが、
聴衆の支持を得にくかったという意味では、
あれで良かったのかどうかについて、判断に迷った。

休憩時、私の背後の男性が連れの人と、
「表現が真面目過ぎる。硬すぎる。聴いていて入り込めない」
と語っていたことや、帰りのエレベータで女性客が、
「うまいことはうまいと思うけど・・・、ぐっと来ないし・・・」
と言葉を濁していたことなどを考えると、
ほかにも多くの方が、たとえ少々かたちは違っても、
私と同じようなことを感じられたのだろうと、昨夜は思われた。

繰り返して言うが、エル=バシャは物凄いピアニストだと、
今回、私は改めて思ったのだ。
聴衆は必ずしもついて来なかったけれども、
彼は確信犯、いや、言い方は悪いが「故意犯」だったのかもしれない。

ということで、演奏会については、また、のちほど。

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