退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「休日に思い乱れること」について

2017-12-01 01:09:44 | Weblog
くもり。夕方にちょいとパラつく。

「残念な叔母」に呼び出されてお付き合い。

いつも通り彼女は自分のことをあれこれしゃべり続け
大してうまくもない肉を食べることに。

途中から「無の世界」に入る。
不思議な感覚にいささか驚く。

柿沼裕朋編「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」を見て読む。

没後の展覧会のカタログだったかと後で気付いた次第。
澁澤龍彦に関しては当時の河出文庫をかなり集めたものだけれど。

この手の濫觴は「日夏耿之介」か。
「硬質な不気味さと奇妙さ」にあふれる内容。

久方ぶりに長い散歩をする。
酔わずにするのは初めてなものの「感覚が同じ」であるのにふむふむ。

目は周囲を確認しつつ足はひたすら動き続ける。
「不細工なロボット」になった気分。

それとは別に。

杉田二郎「再会」はやしきたかじん「東京」に似て。
声質と内容をオシャレにするとオリジナルラブ「接吻」になるような。

関西はなぜか男が「女の気持ち」を歌う「伝統」がある。
「『弱者』のブルース」に共感する土地柄ゆえか。

とはいえここに描かれる女はあくまで「男から見た女」。
「女そのもの」は全く別物であることを覚えておきたいもの。

稲葉喜美子「男の人は」ぐらいが「本当」。
曲調はりりィ「私は泣いています」のよう。

さて。

JUJU「この夜を止めてよ」は「DVの歌」だと認識している。
女子はこの歌の内容をどう思うのだろう。

マル激の先週分をようやく観る。

カタルーニャの「独立運動」について、
美術も音楽も「スペイン」だと思っていたものがほぼ「カタルーニャ」であることにふむふむ。

南部のアンダルシアは「呑気」である一方カタルーニャは「勤勉」らしい。
ジョージ・オーウェル「カタロニア賛歌」についての言及がなかったのが残念。

かつて「地中海貿易」で栄えた歴史が語り継がれたことも大きく。
「差別」や「貧困」ゆえの「独立」ではないから周囲に認められることはなさそう。

あらゆる意味での「慣習」が似た人々が集まるのがよさそう。
「国民国家」などというのはやはり「幻想」だったということをあらためて。

のんびり暮らしたい身としては「南」が好き。
ただしやっていることは「北」だったりするのが微妙。
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