雨のちくもり。このところ風が強い。
ジョージ・タケイ「<敵>と呼ばれても」を読む。
著者の名前でピンと来ないのだとすれば「スタートレック」を観ていないからだろう。
日系アメリカ人の「歴史」を描いた「アメコミ」。
「パールハーバー」の後に彼ら彼女らが味わった「苦痛」たるや。
かの国が「沸騰しやすい」のは昔から。
問答無用に収容所に入れられるのだからいやはや。
「アメリカ人であることの証明」のために召集された部隊は「激戦地」で戦うことに。
「見た目で判断される酷さ」があった「歴史」を忘れずに。
「〇〇人」というステレオタイプによる判断がもたらした悲劇よ。
それでも後に大統領が「謝罪」をするだけマシだけれど。
9・11の後には「似たようなこと」が繰り返され。
つくづくわれわれは「愚か」だと思わされる次第。
それでも著者の父は「民主主義のよさ」を説いていたことを思おう。
そういう「民度」があったからこそ「民主主義」は機能する。
舌を噛んで死にたくなるような「現在の貧しさ」をあらためて。
チャド・スタエルスキ「ジョン・ウィック パラベラム」(’19)を観る。
主演のキアヌ・リーヴス、ハル・ベリー、ローレンス・フィッシュバーン、
イアン・マクシェーン、ランス・レディック、アンジェリカ・ヒューストンの「豪華」。
ただし「単調なアクションと銃撃戦」しか描かれないのでは感情移入も何もなく。
唯一の「収穫」は「渡辺謙」を思わせるマーク・ダカスコスのみ。
タイトルの「パラベラム」はラテン語で「戦争の準備」を意味する模様。
それにしても「感情の動き」にあまりに鈍感な描写に驚くのみ。
「既定のルール」を破るとしたらそこに「意味」があるはず。
そのあたりを「前作を観ているはずだからわかるでしょう」ではダメで。
監督は「アクション」にしか興味がなかったのか。
そこに「物語の魅力」を加えるつもりがなかったように思えるのが残念。
いろんな「戦い」のシチュエーションが出てくるのは結構。
とはいえ「敵が主人公を簡単に殺せるはず」なのにそうならないのには「理由」が要る。
例えば小林旭の映画だったら彼が「魅力的なスター」だったから。
これまた残念ながら現在のキアヌ・リーヴスにそれほどの「価値」はなく。
「スピード」(’94)や「マトリックス」(’99)の頃ならまだしも。
本作のシリーズはアクションや銃撃戦の速さと「敵が死ぬまで撃ちまくる徹底ぶり」が取り柄で。
さらにはいたずらに「傷を負う主人公の姿」が。
この種の「男優たちの思い込み」はいい加減にしないとどうにも。
「自意識の壁」を意識することのないままそれが伝わるわけもなく。
「目を覚ませ」と言いたくなるだけ。
ジョージ・タケイ「<敵>と呼ばれても」を読む。
著者の名前でピンと来ないのだとすれば「スタートレック」を観ていないからだろう。
日系アメリカ人の「歴史」を描いた「アメコミ」。
「パールハーバー」の後に彼ら彼女らが味わった「苦痛」たるや。
かの国が「沸騰しやすい」のは昔から。
問答無用に収容所に入れられるのだからいやはや。
「アメリカ人であることの証明」のために召集された部隊は「激戦地」で戦うことに。
「見た目で判断される酷さ」があった「歴史」を忘れずに。
「〇〇人」というステレオタイプによる判断がもたらした悲劇よ。
それでも後に大統領が「謝罪」をするだけマシだけれど。
9・11の後には「似たようなこと」が繰り返され。
つくづくわれわれは「愚か」だと思わされる次第。
それでも著者の父は「民主主義のよさ」を説いていたことを思おう。
そういう「民度」があったからこそ「民主主義」は機能する。
舌を噛んで死にたくなるような「現在の貧しさ」をあらためて。
チャド・スタエルスキ「ジョン・ウィック パラベラム」(’19)を観る。
主演のキアヌ・リーヴス、ハル・ベリー、ローレンス・フィッシュバーン、
イアン・マクシェーン、ランス・レディック、アンジェリカ・ヒューストンの「豪華」。
ただし「単調なアクションと銃撃戦」しか描かれないのでは感情移入も何もなく。
唯一の「収穫」は「渡辺謙」を思わせるマーク・ダカスコスのみ。
タイトルの「パラベラム」はラテン語で「戦争の準備」を意味する模様。
それにしても「感情の動き」にあまりに鈍感な描写に驚くのみ。
「既定のルール」を破るとしたらそこに「意味」があるはず。
そのあたりを「前作を観ているはずだからわかるでしょう」ではダメで。
監督は「アクション」にしか興味がなかったのか。
そこに「物語の魅力」を加えるつもりがなかったように思えるのが残念。
いろんな「戦い」のシチュエーションが出てくるのは結構。
とはいえ「敵が主人公を簡単に殺せるはず」なのにそうならないのには「理由」が要る。
例えば小林旭の映画だったら彼が「魅力的なスター」だったから。
これまた残念ながら現在のキアヌ・リーヴスにそれほどの「価値」はなく。
「スピード」(’94)や「マトリックス」(’99)の頃ならまだしも。
本作のシリーズはアクションや銃撃戦の速さと「敵が死ぬまで撃ちまくる徹底ぶり」が取り柄で。
さらにはいたずらに「傷を負う主人公の姿」が。
この種の「男優たちの思い込み」はいい加減にしないとどうにも。
「自意識の壁」を意識することのないままそれが伝わるわけもなく。
「目を覚ませ」と言いたくなるだけ。