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神奈川県の西部にある「小さな町」で暮らす私777>日々の生活の様子、見たこと、感じたこと、思ったことを綴っていきます。

貴船祭り・・・②

2003-07-28 | インポート
本祭りは、花山車と鹿島連が、それぞれ定められて場所から、同時に出発をし、その中間地点ですれ違い挨拶をする(あいちがい)朝の儀式から始まります。

鹿島連がお神輿を納めてある「お仮殿」に到着すると「発與式」が行われ、その後、鹿島踊り、花山車が奉納されると、いよいよ町中に祭りのムードがより一層高まるのです。
花山車、鹿島連、神輿、はやしが町内を巡るのですが、「花山車・鹿島連」と「神輿・はやし」の二手に分かれての巡幸、町内渡御となります。
この他に3台の神輿の練り歩きもあり、町中のいたるところで、賑やかなかけ声や太鼓、笛ガ聞こえる一日なのです。

夕方、町内を巡ったお神輿が再び「お仮殿」に入り、鹿島踊りが奉納され、終ると、神輿は船に乗り神社へ帰るのですが、ここが祭りのクライマックスともいうべき「還幸祭」です。

ですから、神輿が納まると祭りの終わりが近ずくこととなるため、担ぎ手たちは、祭りを長引かせるために、お仮殿へ納めるのを嫌います。
納めようとするもの、それを阻止しようとするもの・・・とにかく、神輿が出たり入ったりと、繰り返す、この時間がすごくおもしろいのです。

神輿と鹿島連、神主さんたちの乗った台船と、提灯に灯がともされた東西の小早船、はやし船が2艘の櫂伝馬に引かれて、激しく打ち込む太鼓の音とともに海上を渡って宮ノ前海岸へ向かいます。
空には美しい花火があがり、この還幸祭に色を添えます。
そして、お神輿は、あの急な100段の階段を登って神社に納まるのです。

この「貴船祭り」には、昔からいくつかの厳しい作法がありましたが、時代の流れでしょうか、ずいぶんゆるやかになったり、変わってしまったものもあります。

以前は、「女、子どもは関係ないお祭り」で、男性のみが職種によって、役割が決められていたのです。
が、今はそうも言ってられなくなったのでしょう・・・はやし連に女子中学生がいたり、鹿島踊りのほとんどが小・中学生の男子だったりしています。
もちろん、神輿にもたくさんの若い女性が参加しておりました。
「祭り=神輿」というイメージのせいか、400人位の人が担ぎ手に集まってきていたようですが、そのうちの2割くらいは女性だったような気がします。

鹿島踊りは神聖なものですので、絶対に高い場所から見下ろしてはいけないというルールがあり、道路沿いの家の2階の窓から見物しようものなら「降りろ~」と役員が大声で叫びます。
この踊りの輪の中に赤ちゃんが入ると「丈夫に育つ」と言われていますので、役員の方が頼まれた赤ちゃんを交代で抱いて入るのですが、恐がって泣き出す子、暴れる子、ニコニコしている子・・・とおもしろいものです。

鹿島を踊っている間は、絶対に太鼓は叩いてはいけないという決まりもあります。
鹿島の歌と踊りが終ると同時に、一斉にはやしの太鼓が打ち鳴らされる様は、力強く、私はその瞬間が好きです。

いろいろ保存会等も出来ているようですが、後継者を育てながら、時代にあわせての伝統を守っていく・・・大変なことだと思います。
(旅・町・思い出に写真をUP)


貴船祭り・・・①

2003-07-28 | インポート
私の町の祭りは、7月の27日、28日に行われる、国の「重要無形民族文化財」に指定されている「貴船祭り」というものです。
宮城県・塩釜神社、広島県・宮島神社と並ぶ「日本三大船祭り」の一つでもあります。

17世紀中ごろから行われていると言われていますが、特色は、神輿が「海上渡御」により村里へお出ましになるという船の祭りです。
生活の基盤を「漁業、石材採掘業、石材回漕業」などにおいていたこの町の人々が、厳しい自然の中で危険にさらされながらの日々を送っていた中で、漁業や海運業、石材業界における、大漁や安全の祈願とともに、日常の安泰な生活への加護に深い感謝の心を込めて行う「恩返しのまつり」とも言い伝えられてきました。

神輿の「海上渡御」を飾る花形は、東西に華を競う「小早船」です。
長さ12~3mの船体に屋形が組み立てられて、船の前後左右を華やかな色の装飾で飾ざり、船底には土俵を積んで重心を下げ船の転覆をふせぎます。

「海上渡御」のさい、神輿船、小早船2隻、囃子船2隻の計5隻を曳航するのは、2隻の「手漕ぎの大型伝馬船」です。
曳航にはかなりの力を要し、航行の途中からは競漕も行われます。
かっては町が東西に分かれ、この競漕で激しく競い合ったこともあり、それぞれのチームの漕ぎ手には多大の期待がかけられていました。
私の父は石材海運業に関する仕事でしたので、「東」のリーダーとして長いことその任を負っておりました。
お祭りでこの櫂伝馬を見るたびに、父の祭り装束の姿をなつかしく、思い出します。

囃子船で打ち鳴らされる「真鶴はやし」は「江戸神田はやし」を取り入れたという説もあるようですが、定かではないようです。
祭りを賑やかに盛り上げる最大のものであることは間違いありません。

貴船祭りは、「鹿島踊りに始まり、鹿島踊りに終る」と言われている程、祭りとはきってもきれない見所の一つが鹿島踊りです。
この鹿島踊りは、相模湾西岸、小田原西部から伊豆北川までいずれも「石材産出」に関わった地域の神社で行われる神事だそうです。
各地の踊りの衣装、形には多少の違いはあるようですが、私の町では「浴衣姿」に3色に色帯、そろいの手甲で着飾ります。
他の市町は白装束が多いとか。
私の町は自然の良港を通して、江戸から文化が流入しやすかったようで「小江戸」とも呼ばれていて、華やかで解放的な土地柄であったことから、あでやかな女装かをとってきたようです。

今日は「宵宮」でした。
最大の見所はもちろん神輿の「海上渡御」ですが、海を渡って上陸した神輿が、東西の海に入るという場面も見逃せません。
いつもの年ですと、梅雨も明け、真夏の暑い太陽に照らされて、海の中も気持ちがいいようで、担ぎ手もなかなか、上がってはこないのですが、今年は梅雨も明けず、曇りで気温も低め・・・早々に上がってきた神輿でした。(苦笑)
海を渡るために神輿が、本殿から降りる様も圧巻です!
100段の階段を一気に下ってきますが、前の方を担ぐ人たちと後の担ぎ手との息が合わないと危険です。
「ソイヤ、ソイヤ」の掛け声とともに、清めの水を浴びながら、数分で下ってきた神輿でした。

明日は何台もの神輿が町中を練り歩き、辻、辻では鹿島踊りが奉納されたり、重さ80kgという「花山車」も力自慢の男達によって町内を巡行します。

町中が祭り一色になる一日なのです。
(旅・町・思い出写真集にUP)