あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

哲人政治家と俗人政治家(自我の欲望(その4)

2016-01-15 19:39:21 | 思想
日本には、哲人政治家は存在しない。俗人政治家しか存在しない。いや、日本だけではない。私が見る限り、世界中、どこを探しても、哲人政治家は存在しない。俗人政治家しか存在しない。哲人政治家とは、見識が高く、知識・学識が豊かで、道理に通じ、政治家という地位をなげうっても国民のために尽くす、信念のある政治家を言う。俗人政治家とは、政治家という地位にあることを第一目的とし、因循姑息な政治家集団の色に染まり、プライドが高く、傲慢で、国民より自分がレベルが上だと思っている政治家を言う。二十代のあるアナウンサーがいた。その人は、バラエティー番組で、ゲストとして招かれた与野党議員の発言を、国民の視線で、ユーモアを交えて批判した。その姿勢は好評を博した。後に、自民党の国会議員になった。そして、国会では、質問する野党議員に口汚くヤジを飛ばすヤジ将軍として名をはせた。三十代のある新聞記者がいた。その人は、紙面で、与野党の区別なく、舌鋒鋭く批判した。特に、政治資金については、胸をすくような記事を書いた。その人は、後に、自民党の国会議員になった。そして、裏金を受け取った疑惑でマスコミに追及されると、自殺した。五十代のある政治解説者がいた。その人は、テレビの政治番組で、与野党議員に鋭く迫り、派閥解消を訴え、多くの視聴者の信頼を勝ち得た。後に、自民党の国会議員になった。そして、自分がテレビ番組で批判した議員の派閥に入った。さて、この三人は、アナウンサー、新聞記者、政治解説者の時の考えと自民党の政治家になってからの考えが明確に異なっているが、いったい、どちらの考えが自分の本当の考えなのだろうか。彼らは、そこに矛盾を感じていないのだろうか。彼らは、無節操だと非難されることを恐れないのだろうか。しかし、彼らは矛盾を感じていない。無節操だとも思っていない。彼らにとって、どちらの考えも自分の本当の考えなのである。アナウンサー、新聞記者、政治解説者であった時は、その放送局、新聞社の考えを陰に陽に受け取り、自分の考えもそれに同化してしまった。自民党の政治家になると、自民党の考えを陰に陽に受け取り、自分の考えもそれに同化してしまった。ただ、それだけのことなのである。だから、アナウンサー、新聞記者、政治解説者の時の考えと自民党の政治家になってからの考えが異なっているのは当然のことなのである。彼らは、周囲の考えに自らを同化させて生きているだけなのである。そこに、自分の本当の考えなど存在するはずはないのである。それでは、なぜ、彼らは、周囲の考えに自分を同化させて生きようとするのか。それは、彼らは、ステータス(社会的境遇、職業的地位、階級、身分)に囚われて生きているからである。彼らは、ステータスとしての自らを認められようと腐心し、そのステータスが奪われないように生きているのである。だから、彼らは自民党の政治家になってしまうと、自民党の党是を自らのものとし、周囲の自民党の国会議員の考えに同化し、官僚と共存・共犯の関係になるのである。そこに、国民の考えに対する配慮は存在しない。彼らにとって、国民とは、自らが配慮するべき存在ではない。国民が彼らの考えを理解するべきなのである。彼らが、国民の考えに対する思いが生まれてくるのは、選挙の時だけである。その時は、美辞麗句を並べ立てて国民の支持を集めようとする。普段の政治活動においては、国民の支持を受けなくても、国会議員のバッジを外させられることはない。しかし、周囲の自民党の国会議員や官僚から見放されると、自民党の国会議員としての活動に支障を生じ、ステータスの維持が危うくなってしまう。だから、普段は、周囲の自民党の国会議員と官僚の配慮を怠らないのである。これが、自民党の国会議員の自我なのである。自民党の国会議員というステータスにこだわった生き方をするのが、自民党の国会議員の自我なのである。しかし、ステータスにこだわった生き方をするのは、自民党の国会議員だけではない。民主党の国会議員も同じである。民主党は政権与党になると、それまでの主張を翻した政策をとった。言わば、第二の自民党になった。これが、政権与党になった民主党国会議員の自我なのである。公明党も政権与党に組み込まれると、それまでの主張を翻して、集団的自衛権を認めて、自民党との共存・共犯の関係を確立した。これが、政権与党になった公明党の国会議員の自我なのである。もちろん、彼らも、国会議員になるまでは一庶民であり、その庶民のステータスに応じての政治思想を持っていた。それが、先の例に挙げたように、アナウンサー、新聞記者、政治解説者などのステータスに応じた政治思想である。そして、野党の国会議員になると、野党の国会議員のステータスにふさわしい、与党を攻撃するような政治思想を持つ。さらに、与党の国会議員になると、与党の国会議員のステータスにふさわしい、歴代の与党の政治思想を持つようになるのである。何のことはない。誰しも、自分のステータスに応じた政治思想を持つだけなのである。ステータスがその人の政治思想を決めているのである。だから、日本には、俗人政治家しか存在しないのである。いや、それは日本にとどまらず、全世界に及んでいる。世界中の政治家が、自分の立場と自国の立場から発言し、行動している。だから、戦争がやまないのである。世界各国に哲人政治家が誕生しないと、この世から戦争はなくならない。哲人政治こそ平和への唯一の道である。しかし、果たして、ステータスに囚われない思考を持つということは可能だろうか。誰しも、自己のステータスに応じた利益を追求する中で、自分だけがステータスを超えた政治思想を持つことができるだろうか。たとえ、自分だけがステータスを超えた政治思想を持ったとしても、それを発言し、それに応じた行動したとたん、その政党から追放されるのではないか。かてて加えて、マスコミも、国益、国益と声高に言い、自国の利益を追求することを当然視する中で、日本国の利益を超越した政治思想を唱えると、その人は、国民から支持されなくなるのではないか。反日、売国奴などと下品な非難を受けるのが関の山ではないか。しかし、政治家を目指す者は、敢えて、哲人政治家を目指してほしいのである。確かに、すぐには、周囲の政治家から理解されないばかりか、国民から理解されないかもしれない。暗殺される可能性も無いとは言えない。しかし、哲人政治家を目指してほしいのである。なぜならば、哲人政治しか、現在の日本ばかりか、現在の世界を救うことはできないからである。

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