あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

オリンピック開催を反対していた人は、日本選手を応援し、その活躍に歓喜してはいけないのか。(提言その1)

2021-07-28 10:58:46 | 思想
オリンピック開催を反対していた人は、日本選手を応援し、その活躍に歓喜してはいけないのか。そのようなことは断じてない。なぜならば、情況が変わったからである。人間は、情況に応じて生きるからである。オリンピックは開催されたのである。情況は変わったのである。オリンピック開催前には、それに反対していても、オリンピックが開催されてからは、日本選手を応援し、その活躍に歓喜しても、何ら矛盾は存在しないのである。もちろん、オリンピックが始まっても、オリンピックに反対し、デモ行進をする人もいるだろう。オリンピックのテレビ番組は一切見ないし、オリンピックの報道を一切無視するという人もいるだろう。それは、個々の判断だからそれで良いのである。情況を考慮せずに、単純に終始一貫を求めるのは幼児の思考である。例えば、戦争に反対していても、太平洋戦争が起こると、日本のためだと思い、戦地に赴いた日本人は多い。その人たちに、誰が、終始一貫した考えを求めるだろうか。もちろん、ごく少数だが、それでも、反対し続けて、兵役を拒否した人も存在する。その人たちは、憲兵や特攻に逮捕され、拷問を受け、ある人は賛成に回り、ある人は反対し続けて戦争が終わるまで刑務所に入れられたり殺されたりした。誰が前者を責められようか。人間は、情況に応じて、すなわち、情況を判断して生きていくのである。








コメントを投稿