あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

新しいことが高く評価されることは極めて少ない。(自我その454)

2021-01-12 19:26:09 | 思想
人間は、常に、構造体に所属し、自我を持って活動している。人間は、孤独であっても、孤立していても、常に、構造体に所属し、自我を持って、他者と関わりながら、活動している。人間は、常に、構造体に所属し、深層心理が、自我を主体に立てて、欲動に基づいて、快楽を得ようとして、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、それに動かされて生きている。深層心理とは、無意識の思考である。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、現実の自分のあり方である。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、国民という自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構造体では恋人という自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻という自我があり、人間という構造体では、男性・女性という自我があり、男性という構造体では、老人・中年男性・若い男性・少年・幼児などの自我があり、女性という構造体では、老女・中年女性・若い女性・少女・幼女などの自我がある。欲動とは、深層心理に内在している四つの欲望である。欲動の4つの欲望が深層心理が動かしているのである。深層心理は、欲動の四つの欲望のいずれかにかなったことが起きれば、快楽を得ることができ、満足できるから、快楽を得るために、欲動の四つの欲望のいずれかにかなうように、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間を動かそうとするのである。しかし、逆に、欲動の四つの欲望のいずれかと逆行したことが起きれば、深層心理は、傷心し、その傷心から立ち直るために、怒りという感情とその状況を変えるような行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間を行動の指令の通りに動かし、傷心から解放されようとするのである。自我の欲望は、感情と行動の指令の合体したものであり、自我である人間は、感情が強ければ強いほど、行動の指令通りに実行するのである。最も強い感情は怒りであるから、怒りが行動の指令を実行させる最も大きな力である。欲動の第一の欲望が、自我を確保・存続・発展させたいという欲望がある。それは、深層心理には、自我の保身化という志向性(思考の方向性)で現れる。深層心理は、保守的な志向性の下にある。深層心理は、毎日、同じような感情や気分で、同じようなことをすることを志向している。ニーチェの「永劫回帰」(全ての事象は永遠に同じことを繰り返すという思想)を支えているのは、この深層心理なのである。つまり、深層心理の志向は、習慣的な行動なのである。ルーティーン通り、行動することなのである。それでは、なぜ、深層心理は、毎日、同じような感情や気分で、同じようなことをすることを志向するのか。それは、その方が、安全だからである。人間にとって、深層心理による習慣的な行動の方が安全なのである。だから、夫が会社をを辞めて新しい仕事を始めようとすると、妻は、決まって、反対するのである。ルーティーンの生活が破られるからである。妻の中には、深層心理が怒りの感情と離婚という行動の指令という自我の欲望を生み出す者もいる。欲動の第二の欲望が、自我が他者に認められたいという欲望がある。それは、深層心理には、自我の対他化という志向性(思考の方向性)で現れる。来年、日本で、オリンピックが開催される。なぜ、東京オリンピックに、マスコミも国民も期待するのか。それは、それは、日本選手も自分も、日本という構造体に所属し、日本人という自我を持っているからである。日本国民は、日本選手が金メダルを中心にしたメダルを獲得すれば、世界中の人々から、日本という国・日本人という自我の存在が認められると思うから、嬉しいのである。それが、愛国心である。愛国心とは、国民という自らの自我を愛する心なのである。しかし、選手の中には、国民の期待に潰された人も存在する。それが、円谷光吉の悲劇である。円谷光吉は、1964年の東京オリンピックのマラソン競技で銅メダルを獲得し、次回の1968年のメキシコオリンピックでも日本中から活躍を期待されていたが、腰痛や椎間板ヘルニアの手術のために、十分に走れなくなり、同年の1月、「光吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。」という遺書を残して自殺している。27歳だった。円谷光吉は、国民の愛国心に答えられなくなり、国民の怒りや落胆を恐れて、自殺したのである。欲動の第三の欲望が、自我で他者・物・現象という対象をを支配したいという欲望がある。それは、深層心理には、対象の対自化という志向性(思考の方向性)で現れる。教諭が校長になろうとするのは、学校という構造体の中で、生徒・教諭・教頭という他者を校長という自我で対自化し、支配し、充実感を得たい欲望があるからである。大工は、材木という物を対自化し、加工し、家を建てるのである。哲学者は人間と自然を対象として、哲学思想で捉え、支配しようとし、心理学者は人間を対象として、心理思想て捉え、支配し、科学者は自然を対象として、科学思想で捉え、支配しようとする。だから、校長の中には、自らに刃向かう教諭を、怒りの感情で、他校へ移動させる者がいるのである。欲動の第四の欲望が、自我と他者の心の交流を図りたいという欲望がある。それは、深層心理には、自我と他者の共感化という志向性(思考の方向性)で現れる。共感化とは、自我と他者が心の交流をすること、愛し合うこと、友情を育むこと、協力し合うことである。つまり、自我の共感化とは、自分の存在を高め、自分の存在を確かなものにするために、他者と心を交流したり、愛し合ったりすることである。それがかなえられれば、喜び・満足感が得られるからである。また、敵や周囲の者と対峙するための「呉越同舟」(共通の敵がいたならば、仲が悪い者同士も仲良くすること)という現象も、共感化の機能である。だから、逆に、カップルという構造体を形成し、恋人という自我を持った者の中には、相手から別れを告げられたために、深層心理が、傷心し、その傷心から立ち直るために、怒りという感情と復讐しろという行動の指令をを生み出し、自我を、すなわち、失恋した者を復讐の行動の指令の通りにストーカーとして動かし、傷心から解放されようとする者がいるのである。このように、人間は、欲動に基づいて、深層心理が思考しているから、人間の評価は正当ではないのである。人間は、自らの欲動に合致すれば高い評価を与え、自らの欲動に抵触すれば低い評価を与えるのである。だから、同じ構造体において、新しいことが高く評価されることは極めて少ない。なぜならば、新しいことのほとんどは、他者の欲動に抵触するからである。人間は、好評価・高評価を受けたいという欲動の第二の欲望から、新しいことを創造したり始めたりするのだが、それは、逆に、往々にして、他者の欲動の第二の欲望を阻害するから、悪評価・低評価を受けるのである。他者も、また、好評価・高評価を受けたいという欲望を有するのである。人間は、誰しも、常に、自らが好評価・高評価を受けたいと思っているから、他者が評価されることに嫉妬心を覚え、他者の業績を正当に評価できないのである。だから、確かに、どのようなことに対しても、欲動の第二の欲望が阻害されない人は新しいことを正当に評価し、誰に対しても、欲動の第二の欲望を阻害しない新しいことは正当に評価されるのであるが、そのような人は存在せず、そのような新しいことは極めて稀なのである。また、人間は、誰しも、常に、安定した構造体の中で、安定した自我を持して、暮らしていたいという欲動の第一の欲望を持っているから、新しいことが、構造体の安定を脅かしたり、自我の安定を脅かしたり可能性が高いので、新しいことに反対するのである。他者から好評価・高評価を受けたいという欲動の第二の欲望や安定した構造体の中で安定した自我を持して暮らしていたいという欲動の第二の欲望は、全ての人間の深層心理に存在しているから、誰一人として、他者が新しく創造したり始めたりしたことに対して、正当な評価をしていないのである。





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