あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

人間は、偶然を、必然として生きるしかない。(自我その196)

2019-08-27 19:05:56 | 思想
人間、誰しも、気が付いたら、そこに存在しているのであり、自分で選択して生まれてきたのではない。人間には、自ら誕生するか否かの選択権は与えられていないからである。しかし、人間は、自殺できるから、死だけは選択できるように思われる。しかし、深層肉体(人間の意志とは関係なく生きのびようという意志を持っている肉体)は、常に、生きようとしているのに、表層心理(人間の意識や意志)が、敢えて、死を意志するのだから、それは選択ではない。心(精神)が苦しいから、自殺を選択したのである。つまり、自殺を選択させられたのである。TBSのテレビ番組で、「若者たちは、家族を守るために、特攻を志願した。」と解説していたが、いつまで、このような、小学生レベルの幼稚なことを言っているのだろうか。海軍・陸軍の指導者たちは、太平洋戦争が負け戦だとわかった段階でも、国体護持(天皇制の維持)を連合国側に認めてもらうまで戦いを引き延ばそうとし、自分たちに敗戦の責任があるので、降服を延ばそうとしていたのである。一億総玉砕とか本土決戦などと叫んで、国民を皆殺しにする作戦まで導入しようという上官が多かった。若者たちは、特攻を志願したのではない。志願させられたのである。特攻とは、戦果に関わりなく、自殺である。しかし、肉体は常に生きようとしているのに、精神が、敢えて、それに背いてまで自殺するのだから、それは選択ではない。上官に脅され、弱虫という汚名を受けたくないから、自殺、つまり、特攻を選択せざるを得なかったのである。つまり、本質的には、偶然生まれてきたのに、必然として生きるしか無いのである。また、子は、母親を選択することはできない。子には、宿る母親の選択権が与えられていないのである。もちろん、父親の選択権も家族(のメンバー)の選択権も与えられていない。子(息子、娘)という自我(自分のポジション、自分のステータス、自分の社会的な位置)を持って、ある特定の家族という構造体(人間の集合体、組織)に所属して、母親、父親という自我を持った人たちに服属して生きるしか無いのである。だから、良い母親、良い父親だと思われる家族に所属できれば幸運であり、悪い母親、悪い父親だと思われる家族に所属すれば不運であると言うしか無いのである。しかし、不運であっても、そこで生きるしか無いのである。他の家族は引き受けてくれないからであり、他の家族の実態はわからないからである。つまり、子(息子、娘)にとって、母親、父親、家族の出会いは偶然だが、必然的に、その母親、その父親に服属し、その家族に所属して生きるしか無いのである。また、親にも言えることである。母親、父親も、子(息子、娘)を選択することはできない。親は、生まれてきた子(息子、娘)は、どんな子であろうと、自分たちの家族という構造体に所属させ、我が子として育てるしか無いのである。つまり、母親、父親も、子(息子、娘)を選択することはできない。母親、父親にとって、偶然、生まれてきた子(息子、娘)であるが、どんな子であろうと、必然的に、自分たちの家族という構造体に所属させ、我が子として育てるしか無いのである。この後、成長するにつれ、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社、仲間、カップルなどの構造体に所属し、園児、生徒、学生、会社員、友だち、恋人などの自我を得るが、それらの出会いも、偶然であり、しかし、やはり、そこで、必然的に生きるしかない。なぜならば、人間は、誰しも、生まれてくる時代も場所を選選択することができないからである。もちろん、人間は、誰しも、生まれてくる国も選べない。自分の意志に関わりなく、気が付いた時には、その国に存在しているのである。だから、現在、韓国の文大統領と日本の安倍首相が、口角沫を飛ばして、相手を罵っているが、韓国人も日本人もそれに同調する必要は無いのである。韓国に生まれたのも日本に生まれたのも、偶然であり、そこにおいて、必然的な生き方は、自ら、探れば良いのである。さて、人間は、一人でいても、常に、構造体に所属し、自我を有しているから、常に、他者との関わりがある。自我は、他者との関わりの中で、役目を担わされ、行動するのである。多くの人は、自ら意識して、自らの意志で、つまり、表層心理で、自我を動かしていると思っている。しかし、自我をまず最初に動かすのは、人間の無意識の心の働きである、深層心理である。表層心理は、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が出した行動の指令を意識し、思考し、そのまま行動するかそれを抑圧するか決定するのである。抑圧する場合は、表層心理が、行動を考えるのである。それでは、深層心理は、どのように、自我を動かすのか。まず、言えることは、深層心理は、自我を、構造体の存続・発展に尽力させる。構造体が消滅すれば、自我も消滅するからである。だから、文大統領も安倍首相も、韓国、日本という構造体の存続・発展の危機を、国民に対して煽って、大統領、首相の自我の欲望を達成しようとしているのである。しかし、国民が、文大統領、安倍首相の主張通り行動しなくても、韓国、日本という構造体が消滅するはずが無いのである。また、無人の尖閣諸島、竹島の領有権をめぐって、日本・中国、日本・韓国と、厳しく、対峙しているのも、日本、中国、韓国という構造体の存続・発展のためという名目である。しかし、そのような無人の島を争うことは、逆に、日本、中国、韓国という構造体の消滅に向かうのである。次に、深層心理には、対他化・対自化・共感化の機能がある。対他化とは、人間が他者に対した時、無意識のうちに、深層心理が、その人に高評価・好評価を受けたいという願いを持ちつつ、その人が自分をどのように思っているかを探ることである。ラカンは、「人は他者の欲望を欲望する。」という言葉で、深層心理の対他化の機能を説明している。この言葉の意味は、「人間は、いつの間にか、無意識のうちに、他者のまねをしてしまう。人間は、常に、他者から評価されたいと思っている。人間は、他者の期待に応えたいと思う。」である。つまり、人間は、主体的な判断などしていないのである。他者の介入が有ろうと無かろうと、主体的な判断ができないのである。他者の評価の虜、他者の意向の虜なのである。他者の評価を気にして判断し、他者の意向を取り入れて判断して、それを主体的な判断だと思い込んでいるのである。家族という構造体において、父・母・息子・娘の自我の行動の仕方は、自分が育った家族や他の家族の構造体のそれを、深層心里が、取り入れている。次に、義務教育の中学校を終えての進路についてであるが、ほとんどの人は、高校に進学する。なぜ、ほとんどの人が高校に進学するのか。それも、また、ラカンの「人は他者の欲望を欲望する。」の言葉通りである。すなわち、他の生徒が高校に進学し、教師や親がそれを勧めるからである。対自化とは、人間が他者に対した時、無意識のうちに、深層心理が、自分の支配欲の欲望に照らして、その人に対応するために、その人の狙いや目標や目的などの思いを探ることである。ニーチェの言う「力への意志」とは、自我の盲目的な拡充を求める、深層心理の対自化の欲望なのである。共感化とは、人間が他者に対した時、無意識のうちに、深層心理が、その人を、味方として、仲間として、愛し合う存在としてみることである。しかし、深層心理の機能として、対他化が、対自化や共感化よりも、優先する。なぜならば、人間にとって、他者の存在は脅威だからである。共感化は、理想的であるが、理解し合ったり愛し合ったりする関係になるまでには、時間が掛かる。また、対自化するためには、自分が相手よりも上の立場であり、相手もそれを認める必要があるから、時間が掛かる。だから、対他化という、相手の自分に対する思いを探ることが、真っ先に、行われるのである。相手の気持ちが気になるのである。相手から評価されたいのである。相手から評価されると、大きな満足感・喜びを得ることができるからである。人間は、自我の働きが、他者から、好評価・高評価を受けると、気持ちが高揚するのである。逆に、自我の働きが認められず、他者から、悪評価・低評価を受けると、気持ちが沈み込むのである。当然のごとく、自我は、他者から、好評価・高評価を受けることを目的として、行動するようになる。他者からの評価が、絶対的なものになってくるのである。たとえば、学校という構造体に行けば、同級生たちと仲良く過ごしていたり、会社という構造体に行けば、上司から信頼されていたりすれば、深層心理は、本人に、楽しい感情を持たせると共に学校・会社に行くようにという行動の指令を出すのである。逆に、学校という構造体に行けば、同級生たちから継続的ないじめにあっていたり、会社という構造体に行けば、上司から毎日のように叱責されたりしていれば、深層心理は、本人に対して、嫌な感情を持たせると共に学校・会社に行かないようにという行動の指令を出すのである。つまり、深層心理に対他化の働きで感情を生み出し、感情が、人間を動かすのである。ところで、気持ちの高揚や沈み込みの感情は、自ら、意識して、自らの意志で、つまり、表層心理で、生み出すことはできない。人間は、自分が気付かない無意識の世界で、つまり、深層心理が感情を生み出しているのである。だから、人間は、感情を自ら作ることはできないのである。もちろん、深層心理は、恣意的に感情を生み出すのではない。深層心理は、自我の状況を把握して、感情を生み出しているのである。つまり、人間は、自らは意識していないが、深層心理が、自我の状況を理解し、感情、それと共に、行動の指令を、本人に与えるのである。例えば、深層心理は、怒りの感情と共に殴れという行動の指令を本人に出したり、悲しみの感情と共に泣けという行動の指令を出したりするのである。しかし、表層心理が、深層心理の行動の指令を意識して、後の周囲の人の気持ちを考慮して、殴らなかったり、涙を止めたりすることがあるのである。それが、抑圧である。しかし、深層心理の起こした感情が強ければ、表層心理の抑圧が功を奏さず、本人は、殴ったり、涙を流したりするのである。また、家族に所属する母親・父母が、自分の子がいじめの加害者になり、いじめられた子供が自殺すると、自殺の原因を、自殺した子の家庭や自殺した生徒の性格などに求め、責任転嫁するのは、母親。父親という自我を守るためである。それもまた、深層心理による行動の指令による。深層心理が、自我にこだわっているからである。人間は、誰しも、自分は、自らの良心に従って、主体的に考え、判断して、行動できると思っている。しかし、深層心理が、自我の存続・発展を基に、判断して、行動の指令を出しているのである。もちろん、そこには、自らの良心による自己決断は存在しない。深層心理の対他化と「力への意志」による自我決断だけがが存在している。。その自我を動かすものは、深層心理である。深層心理とは、人間自身はその存在にも動きにも気付いていない、心の働きである。無意識の働きであると言っても良い。しかし、条件反射のように、思考せずに、本能的に行動しているという意味では決して無い。深層心理は、人間の無意識のうちに、心の奥底で、思考し、感情と共に行動の指針を生み出している。ラカンの「無意識は言語によって構造化されている。」という言葉はこの謂である。「言語によって構造化されている」とは、言語を使って、論理的に思考していることを意味している。その後、深層心理が生み出した行動の指針のままに、無意識のうちに行動することがある。これが、所謂、無意識による行動である。しかし、たいていの場合、表層心理は、深層心理が生み出した感情と行動の指針を意識する。その結果、行動の指令のままに行動したり、行動の指令を抑圧したりすることの選択をするのである。表層心理が、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動することを選択すれば、それは意志による行動になる。表層心理が、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧することを選択すれば、行動を起こさない。その代わり、自ら、次の行動を考え出そうとして、深い思考を始める。深層心理は、瞬間的に思考するから、浅い思考で、感情と行動の指針を生み出している。しかし、深層心理が生み出した感情が強い場合、表層心理が深層心理が生み出した行動の指針を抑圧しようとしても、抑圧できず、そのまま行動することになる。これが、所謂、感情的な行動である。それ故に、感情的な行動を起こさないために、表層心理は、常に、継続して思考をしていなければならない。そうすれば、深層心理による、感情の高ぶりは起こらないからである。感情の高ぶりは、深層心理による短絡的・短時間の思考から起こるから、常に、行動の決断は、長期的な表層心理によるものにしておかなければいけないのである。それが、偶然、生まれながら、必然的に生きるということなのである。


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