あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

人間は、一生、自由ではない。しかし。(自我その250)

2019-11-09 20:47:37 | 思想
人間は、自由ではない。人間は、深層心理が思考の範囲を限定し、表層心理でその限定された思考の範囲の中で思考しているに過ぎない。そのことを明確に認識しない限り、人間は、深層心理に一生踊らされるだけである。さて、人間、誰しも、いつでも、思考することができる。その時、自分が思考していると意識している。これが、人間の表層心理による思考である。しかし、人間、誰しも、自らは意識していないが、自らの心は思考している。これが、深層心理による思考である。むしろ、人間は、深層心理が主体であり、深層心理がまず思考し、その結果を受けて、表層心理で思考するのである。深層心理とは、一般に無意識と言われている。無意識は無意識の行動のように使われ、一般に、人間の例外的なあり方のように思われているから、私は、敢えて、深層心理という語彙を使うのである。人間は、深層心理が思考し、その結果を受けて、表層心理で思考するのである。無意識の行動とは、深層心理の思考の結果を受けての行動であるが、表層心理で意識されなかった行動である。多くの人は、無意識の行動は、誰も考えずに行動したものだと思っているが、そうではなく、深層心理が思考し、人間は、行動するまで、意識しなかっただけである。人間の行動は、全て、まず、人間の無意識のうちに、深層心理が、快感原則に基づいて、思考し、その結果を受けて、表層心理で、意識して、現実原則に基づいて、思考した結果、起こるのである。快感原則とは、心理学者のフロイトの用語であり、快楽を求める心の動きである。快感原則は、一般に、欲望と言われている。現実原則とは、自我に利得をもたらそうとする心の動きである。深層心理の快感原則、すなわち、深層心理が生み出す欲望は、道徳観や将来に対する配慮は有さず、ひたすら瞬間的な快楽を求めている。だから。深層心理が思考し、生み出す自我の欲望としての行動の指令には、社会的に善事なことも悪事なことも、個人的には将来利益をもたらすことも不利益をもたらすことも、存在している。それ故に、人間は、表層心理で、深層心理が思考し生み出した自我の欲望としての行動の指令を、審議するように創られているのである。確かに、人間は、深層心理の思考が生み出した行動の指令のままに行動すると、自我に悲劇をもたらし、他者に惨劇をもたらすことは目に見えている。しかし、深層心理は、快感原則に基づく、快楽を求める欲望があるから、目標や目的を創りだし、人間は、それを下にして、表層心理で思考し、行動できるのである。さて、人間は、社会的な存在であるから、抽象的な人間像を基にしては、深層心理は、欲望を形成できない。人間は、自分の社会的な位置が定まらなければ、深層心理は、欲望を生み出すことができない。社会的な位置とは自我である。それ故に、深層心理の求める欲望とは、快感原則に基づく、自我の欲望なのである。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、自我を持って、初めて、人間として、社会的な行動を取れるのである。自我を持つとは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、他者からそれが認められ、自らがそれに満足している状態である。構造体には、家族、日本、中学校、会社、店舗などの構造体があり、それに所属するものとして、父・母・息子・娘、日本人、生徒・校長・教諭、社員・課長・社長、客・店員・店長などの自我がある。さて、人間は、いつ、いかなる時でも、常に、ある構造体に所属し、その中で、ある自我を持って暮らしている。だから、深層心理が、快感原則に基づいて、その自我に応じて、自我の欲望を生み出すことができるのである。人間は、自分の意志で、意識して、欲望を生み出すことはできない。すなわち、表層心理で、自我の欲望を生み出すことはできない。深層心理が自我の欲望を生み出すのである。だから、人間は、自我の欲望は、心の底から湧いてくるように感じるのである。人間が最初に所属する構造体は、家族であり、最初の自我は、長男、次男、長女、次女などその家の子供である。フロイトの説く、エディプスの欲望とは、男児が、家族という構造体の中で、長男、次男などの男の子としての自我を持ったから、深層心理が、快感原則に基づいて、思考し、母親に恋愛感情という欲望を抱いたことから生じるのである。フロイトの説く、エディプス・コンプレクスとは、男児が、表層心理で、現実原則に基づいて、父や周囲の人々の禁圧を感じ、家族という構造体から追放されることを恐れて、エディプスの欲望を抑圧した結果、生じたものである。多くの人は、エディプスの欲望とは、不良男児が抱く欲望である、もしくは、精神年齢の発達していない男児の本能で抱く欲望であると説いているが、そうではない。家族という構造体で、男児の中に、長男、次男などの男の子としての自我を持ったから、深層心理が、快感原則に基づいて、思考し、母親に恋愛感情という欲望を抱く者が現れるのである。また、多くの人は、エディプスの欲望は自然に消え、エディプス・コンプレクスとなると説いているがそうではない。男児が、表層心理で、現実原則に基づいて、父や周囲の人々の禁圧を感じ、家族という構造体から追放されることを恐れて、エディプスの欲望を抑圧した結果、生じたものなのである。ちなみに、社会的にエディプスの欲望を禁圧している(インセスト・タブーの)理由として、レヴィー・ストロースは構造体を閉ざさないためだと言い、また、生物学的な観点から精神的・肉体的に障害のある子供が生まれる確率が高いからだとされているが、心理学者の岸田秀が家族という構造体を破壊しないためだという説が正しいように思う。さて、このように、人間は、まず、深層心理が、瞬間的に快楽を求める快感原則に基づいて、自我を主体にして、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。そのすぐ後、深層心理の生み出した自我の欲望を受けて、人間は、表層心理で、自我に利益をもたらそうという現実原則に基づいて、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が生み出した行動の指令の採否を思考するのである。しかし、人間は、表層心理で、深層心理を動かすことはできない。深層心理は、自ら、動くのである。しかし、深層心理は、無作為に自我の欲望を生み出しているのではない。深層心理は、快感原則に基づいて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出しているのである。深層心理の働きについて、心理学者のラカンは、「無意識は言語によって構造化されている。」と言っている。無意識とは、深層心理を意味する。ラカンの言葉は、深層心理は、言語を使って論理的に思考されているということを意味している。人間は、深層心理が、快感原則に基づいて思考した結果を受けて、表層心理で、現実原則に基づいて、思考するのである。その時、人間は、表層心理で、深層心理が出した行動の指令のままに行動しないことを決断することがある。なぜならば、深層心理は快感原則に基づいて思考するから、深層心理が出した行動の指令には、表層心理の現実原則に相容れないものが存在するからである。それは、快感原則は、道徳観や現実的な利得観を有さず、ひたすら快感を得ることを目的としているからである。この時、人間は、表層心理で、現実原則に基づいて、深層心理が出した行動の指令を、意識して、意志で抑圧しようとするのである。しかし、必ずしも、抑圧はしない。深層心理が生み出した感情が強過ぎると、表層心理の抑圧は功を奏さず、深層心理が生み出した感情に押し切られ、人間は、深層心理が生み出した行動の指令のままに動いてしまうのである。これが、感情的な行動であり、後に、自我には悲劇、他者には惨劇をもたらすのである。さらに、人間は、時には、表層心理で意識せずに、深層心理が生み出した感情のなかで、深層心理が生み出した行動の指令のままに、行動することがある。それが、無意識による行動である。無意識の行動は、表層心理で、現実原則に基づいて、意識して思考することが必要ではないような、安心できる、毎日繰り返す行動、つまり、ルーティーンのことが多い。ニーチェが、森羅万象の動きと同じように、人間の生活行動も永劫回帰(同じことを永遠に繰り返すこと)だと言う。それは、人間の無意識の思考である深層心理は、習慣的な行動を選べば、不快感から免れるからである。また、人間の意識しての思考である表層心理も、思考する苦労から免れるからである。つまり、人間は無意識の行動を毎日繰り返しやすいのである。さて、人間は、まず、深層心理が、動き、快感原則に基づき、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出す。深層心理は、他者に認められたい、他者を支配したい、他者と理解し合いたい・愛し合いたい・協力し合いたいという三種類の思いを基に、自我の欲望を生み出している。深層心理は自我を対他化することによって、他者に認められたいという欲望を生み出す。深層心理は対象や他者を対自化することによって、対象や他者を支配したいという欲望を生み出す。深層心理は自我を他者と共感化させることによって、他者と理解し合いたい・愛し合いたい・協力し合いたいという欲望を生み出す。高校生は、深層心理が、家族という構造体の中で、長男・長女・次男・次女などの子としての自我を対他化することによって、親という他者に子としての自我を認めてもらいたいという欲望があるから、テスト勉強に励むのである。テストの結果を褒められると嬉しいからである。高校生は、深層心理が、高校という構造体の中で、高校生という自我を対他化することによって、教師や同級生という他者から自我を認めてもらいたいという欲望があるから、テスト勉強に励むのである。これも、また、テストの結果を褒められると嬉しいからである。そして、高校生は、国語、数学、英語などの教科のテスト勉強している時は、それらの教科を対象化して、学ぶという姿勢で支配し、喜びを得ようとしているのである。これが、深層心理による対自化の行為である。そして、男子高校生は、女子高校生を恋人としたいのである。彼は、彼女とカップルという構造体を創造し、恋人という自我を得たいのである。カップルという構造体を作り、相思相愛の関係になり、恋人という自我を得ることができれば、彼女と会うことで、喜びが得られるからである。さらに、深層心理は、自我が存続・発展するために、そして、構造体が存続・発展するために、自我の欲望を生み出す。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できないのである。だから、人間にとって、構造体のために、自我が存在するのではない。自我のために、構造体が存在するのである。だから、高校生は、家族という構造体・高校という構造体から、追放されないために、テスト勉強に励むのである。日本人に限らず、国民に愛国心があるのは、国民という自我を保証してくれるのは国という構造体であり、国が所属を認めているからである。ちなみに、国民が所属しなければ、国は成立しないから、国民という自我と国という構造体は対等の関係にある。このように、人間は、人間の無意識のうちで、深層心理が、快感原則によって、構造体において、自我を主体にして、対自化・対他化・共感化のいずれかの機能を働かせて、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出している。そして、深層心理は、自我が存続・発展するように、構造体が存続・発展するように、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我を行動させようとするのである。人間は、まず、無意識のうちに、深層心理が動くのである。深層心理が動いて、快感原則に基づいて、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。その後、人間は、表層心理で、現実原則に基づいて、深層心理が生み出した自我の欲望を受けて、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理の生み出した行動の指令を意識して思考し、行動の指令の採否を考えるのである。それが理性と言われるものである。理性と言われる表層心理での思考は、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が生み出した行動の指令を意識し、行動の指令のままに行動するか、行動の指令を抑圧して行動しないかを決定するのである。行動の指針を抑圧して行動しないことを決定するのは、そのように行動したら、後に、自分に不利益なことが生ずる虞があるからである。しかし、表層心理が、深層心理が出した行動の指令を抑圧して、行動しないことに決定しても、深層心理が生み出した感情が強過ぎる場合、抑圧が功を奏さず、行動してしまうことがある。それが、感情的な行動であり、後に、周囲から批判されることになり、時には、犯罪者になることがあるのである。そして、表層心理は、意志で、深層心理が出した行動の指令を抑圧して、深層心理が出した行動の指令のままに行動しない場合、代替の行動を考え出さなければいけない。なぜならば、心の中には、まだ、深層心理が生み出した感情がまだ残っているからである。その感情が消えない限り、心に安らぎは訪れないのである。その感情が弱ければ、時間とともに、その感情は消滅していく。しかし、それが強ければ、表層心理で考え出した代替の行動で行動しない限り、その感情は、なかなか、消えないのである。高校生は、テスト勉強をしている時、深層心理が、本人の無意識のうちに、快感原則に基づいて、深層心理が思考し、辛いという感情と勉強を投げ出せという行動の指令という自我の欲望を生み出すことがある。そのすぐ後、高校生は、表層心理で、現実原則に基づいて、深層心理が生み出した自我の欲望を受けて、深層心理が生み出した辛いという感情の中で、深層心理の生み出した勉強を投げ出せという行動の指令を意識して思考し、勉強を投げ出せという行動の指令の採否を考える。そして、勉強を投げ出せという行動の指令を取り入れないことを決定し、意志で、勉強を投げ出せという行動の指令を抑圧し、勉強を続けるのである。勉強を続けることに決めたのは、勉強を投げ出したら、後に、悪い成績の答案が返ってきて、親や教師や同級生に、叱責されたり、軽蔑されたりするからである。しかし、「子供は正直だ」と言われる小学生ならば、深層心理の自我の欲望に正直だから、すぐに、勉強を投げ出すだろう。しかし、時には、人間は、表層心理で意識せずに、深層心理が生み出した感情のなかで、深層心理が生み出した行動の指令のままに、行動することがある。それが、無意識による行動である。それは、高校生が、テスト勉強の最中、いつの間にか、眠っていることなどである。さて、人間は、個々人によって、生来、深層心理が生み出す自我の欲望の力は定まっている。人間は、深層心理が生み出す感情の幅は決まっている。感傷の幅とは、感情の起伏である。深層心理の敏感な人とは、感情の欲望の強いであり、感情の起伏の激しい人であり、感情的な人である。深層心理の敏感な人は、感情の力が強く、傷付きやすく、感情に流されやすく、感情のままに、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動しがちである。深層心理の敏感な人は、感情が強いために、自分でもわかっているのだが、表層心理で行動の指令を抑圧できず、失敗することが多い。同じように、人間は、個々人によって、生来、表層心理で、自我の欲望を抑圧する力は定まっている。人間は、生来、頑張るや我慢するという表層心理の力も決まっている。表層心理の弱い人は、他者からの刺激から来る、頑張るや我慢するという力が弱く、他者の期待に応えて、同じ行動を続けることができない。表層心理の弱い高校生ならば、深層心理の勉強を投げ出せという自我の欲望を抑圧できず、すぐに、勉強を投げ出すことになる。「ネバー・ギブアップ」や「絶対に諦めない」という他者からの刺激を表層心理に変えて成功したのは、表層心理の強い人である。表層心理の弱い人は、「ネバー・ギブアップ」や「絶対に諦めない」を推し進めても、長続きせず、いたずらに、自己嫌悪に陥り、自分を責めるだけである。「ネバー・ギブアップ」や「絶対に諦めない」を推し進めることができないのは、決して、自分のせいではなく、生まれつきの性質なのである。だから、自己嫌悪に陥ることもなく、自分を責めることもないのである。しかし、深層心理の敏感な人も、深層心理の鈍感な人も、表層心理の弱い人も、表層心理の強い人も、他者の刺激があるなしに関わらず、ある分野においては、長続きすることがある。それは、他者からの刺激ではなく、自ら楽しんでいることだからである。もちろん、それでも、他者の目が気にならないわけではない。自ら楽しみながら、いつか評価してもらえるという思いで、続けるのである。人間は、自分の深層心理の傾向、表層心理の傾向を見極めつつ、現在自ら楽しみつつ、いつか他者に評価される分野を見つけ出し、それを活かすことことしか、後悔しない人生を送ることはできない。それはオタクと呼ばれる人から、哲学者、心理学者、画家、彫刻家、漫画家、小説家、物理学者などの本格的な人まで、さまざまな人が存在する。彼らは、深層心理が、対象を対自化することによって、対象を支配したいという欲望を持ち続けた人々である。彼らは、有名、無名に関わらず、玄人、素人に関わらず、対象を対自化することによって、対象を支配したいという欲望を持ち続けた人々である。だから、人間、誰しも、その一員になれるのである。人間、誰しも、対自化し、支配し続ける欲望を持てる対象は存在するからである。確かに、人間は、自由ではない。人間は、深層心理が思考の範囲を限定し、表層心理でその限定された思考の範囲の中で思考しているに過ぎない。しかし、そのことを明確に認識しつつ、対自化し、支配し続ける欲望を持てる対象を追究しない限り、人間は、深層心理に一生踊らされるだけである。







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