あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

この世の地獄とは何か。(自我その492)

2021-04-23 12:46:30 | 思想
サルトルは「地獄とは他者のことである」と言った。芥川龍之介は「この世は地獄よりも地獄的である。」と言った。なぜ、地獄とは他者のことであり、この世は地獄よりも地獄的なのか。それは、人間は、他者から、認められて、初めて幸福感を得ることができるからである。つまり、自分のことをどのようにすばらしい人間だと思っていても、他者がそれを認めなければ、そのすばらしさは無意味なのである。人間は、他者から認められて、初めて、満足でき、幸福感が得られるからである。しかし、人間は、他者に、悪評価・低評価されていても、他者の気持ちを容易に変えることができないのである。それでも、人間は、どのようにすれば他者から認められるか考えたり、他者から認められると思われる目標を立てて努力したり、他者から認められない自分のどこが悪いか反省したりするのである。それは、自分の幸・不幸は、他者の評価に委ねられているからである。つまり、人間の不幸は、他者の好評価・高評価があって満足でき、自分の評価だけでは満足できないところにあるのである。だから、人間は、他者を意識するのである。他者を意識することによって、自らを意識するのである。人間は、他者を意識すると同時に、自らを意識するのである。人間は、他者を意識しないと、自らを意識できず、どのように行動したら良いかわからないのである。人間は、他者がいて、初めて、他者に認められような行動、他者に褒められるな行動を考え出そうとするのである。それが、人間の行動である。確かに、人間は、意図的に、個人に対する攻撃、社会に対する攻撃をすることがある。しかし、それは、自分が他者に認められないことから来る復讐である。また、確かに、他者の存在を完全に無視できれば、人間には、他者からの評価から来る精神的な苦痛は無い。しかし、他者からの評価から来る精神的な喜びも無いのである。確かに、他者が存在するから、人間は、他者の悪評価・低評価によって心が傷付き、他者の悪評価・低評価によって反省し、他者の気持ちがわからないから不安を覚え、他者の力に恐怖を覚え、他者の悪評価・低評価に怒りを覚え、その怒りが罪を犯させるのである。しかし、他者が存在するからこそ、人間は他者の好評価・高評価によって心が癒やされ、心が穏やかになり、安心感を覚えるのである。確かに、他者が存在するから、他者の評価にこだわり、人間は自由ではない。しかし、他者が存在するからこそ、人間は自らを意識し、恥を知るのである。人間は、生きている間、他者を意識し続けるのである。それは、すなわち、自らを意識し続けることを意味するのである。人間は、死が訪れるまで、他者が鏡なのである。そして、人間は、死が訪れるまで、他者の虜なのである。それが、地獄とは他者のことであり、この世は地獄よりも地獄的であるという意味なのである。