あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

ルーティーンと法則について。(自我その490)

2021-04-18 16:59:43 | 思想
人間は、毎日、同じようなことを繰り返して暮らしている。ルーティーンの生活を送っている。毎日、家で機械をもてあそび、学校へ行って勉強し、会社へ行って働き、店に立ち寄って買い物をし、仲間と戯れ、カップルで楽しむ。人間は、毎日、構造体で、自我を持って、同じようなことを繰り返して暮らしているのである。人間は、毎日、家、学校、会社、店、仲間、カップルなどの構造体で、自我を持って、同じようなことを繰り返して暮らしているのである。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。人間は、いつ、いかなる時でも、常に、構造体の中で、自我を持って、同じようなことを繰り返して暮らしているのである。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、国民という自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構造体では恋人という自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻という自我があり、人間という構造体では、男性・女性という自我があり、男性という構造体では、老人・中年男性・若い男性・少年・幼児などの自我があり、女性という構造体では、老女・中年女性・若い女性・少女・幼女などの自我がある。人間は、自我を持って、初めて、自らの力を発揮できるのである。もちろん、自らの力とは自我の力であり、人間は、自我以外の力を発揮できないのである。だから、人間は、一生、構造体と自我にこだわって生きるのである。そういう意味では、人間は、一生、自由になれないのである。しかし、自我を持つとは、ただ単に、ある構造体の中で、あるポジションを得るということではなく、自らがそれを認め、他者からもそれが認められている状態を意味しているのである。それは、一般に、アイデンティティーと呼ばれている。挨拶は、アイデンティティーを確立するために、アイデンティティーを確認するために存在するのである。しかし、人間は、自我を持つことによって安心するが、意識して、自我を持つのでは無い。深層心理が自我を持つのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。深層心理が、自我を持つことによって安心するのである。それが、真に、アイデンティティーが確立された状態を意味するのである。人間は、自我を持つと、深層心理が、欲動によって、快楽を求めて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間を動かすようになるのである。欲動とは、深層心理に内在している四つの欲望である。深層心理は、欲動にかなった行動を起こせば快楽を得られるので、欲動に迎合するのである。欲動の第一の欲望が、自我を確保・・存続・発展させたいという欲望である。端的に言えば、保身欲である。自我の保身化の作用を行う。この欲望によって、深層心理は、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出して、人間を、毎日、同じようなことを繰り返して、ルーティーンの生活を送らせているのである。さらに、この欲望は、深層心理に、構造体が存続・発展するように、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出させている。それは、人間は、この世で、社会生活を送るためには、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を得る必要があるからである。言い換えれば、人間は、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を持していなければ、この世に生きていけないのである。だから、人間は、現在所属している構造体、現在持している自我に執着するのである。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できないのである。だから、人間にとって、構造体のために自我が存在するのではない。自我のために構造体が存在するのである。欲動の第二の欲望が、自我が他者に認められたいという欲望である。端的に言えば、承認欲である。自我の対他化の作用を行う。この欲望によって、深層心理は、他者に会ったり、他者が近くに存在したりすると、自我が他者から見られていることを意識し、自我が他者に認められるように、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出して、人間を動かすのである。フランスの心理学者のラカンは、「人は他者の欲望を欲望する」(人間は、いつの間にか、無意識のうちに、他者のまねをしてしまう。人間は、常に、他者から評価されたいと思っている。人間は、常に、他者の期待に応えたいと思っている。)と言っている。この言葉は、過不足なく、この欲望を説明している。つまり、人間は、主体的に自らの評価ができないのである。人間は、無意識のうちに、他者の欲望を取り入れているのである。だから、人間は、他者の評価の虜、他者の意向の虜なのである。人間は、他者の評価を気にして判断し、他者の意向を取り入れて判断しているのである。つまり、他者の欲望を欲望しているのである。だから、人間の苦悩の多くは、自我が他者に認められない苦悩であり、それは、深層心理の自我の対他化の機能によって起こるのである。例えば、人間は、学校や会社という構造体で、生徒や会社員という自我を持っていて暮らしていて、深層心理は、同級生・教師や同僚や上司という他者から生徒や会社員という自我が好評価・高評価を得たいという欲望を持っているが、連日、悪評価・低評価を受け、心が傷付くことが重なる。すると、深層心理は、これ以上傷心せず、自宅で心を癒やそうとして、不登校・不出勤という行動の指令を生み出すのである。そして、人間は、表層心理で、自我に現実的な利得を求めて、傷心という感情の下で、不登校・不出勤という行動の指令について意識して思考して、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧し、登校・出勤しようとするのである。現実的な利得の視点からは、不登校・不出勤は自我にとってマイナスだからである。そして、深層心理と表層心理での思考との葛藤が生じるでのである。しかし、深層心理が生み出した傷心という感情が強過ぎる場合には、深層心理が生み出したいので不登校・不出勤という行動の指令のままに行動し、人間は登校・出勤できないのである。そして、人間は、自室に居ながら、表層心理で、すなわち、理性で、不登校・不出勤を指令する深層心理を説得するために、登校・出勤する理由を探したり論理を展開しようとするのである。しかし、たいていの場合、それは上手く行かずに、苦悩に陥るのである。苦悩が高じると、深層心理は、現実から逃れるために、自らを鬱病にしたり、最悪の場合、自殺へと行動の指令を生み出すことがあるのである。欲動の第三の欲望が、自我で他者・物・現象などの対象をを支配したいという欲望である。端的に言えば、支配欲である。対象の対自化の作用を行う。この欲望によって、深層心理は、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出して、自我で他者・物・現象という対象を支配しようとしているのである。対象の対自化の作用は、「有の無化」と「無の有化」という言葉で表すことができる。「有の無化」とは、「深層心理は、自我の志向性(観点・視点)で、他者という対象を支配し、物という対象を利用し、現象という対象を捉えている。」という意味である。さらに、「有の無化」が高じると、深層心理は、実際に存在しているものやことを、存在していないように思い込んでしまうのである。犯罪者の深層心理は、自らの犯罪に正視するのは辛いから犯罪を起こさなかったと思い込んでしまうのである。いじめっ子の親の深層心理は、親という自我を傷付けられるのが辛いから、いじめの原因をいじめられた子やその家族に求めるのである。深層心理は、すなわち、人間は、自己正当化できなければ生きていけないのである。「無の有化」とは、「深層心理は、自我の志向性や趣向性に合った、他者・物・現象という対象がこの世に存在しなければ、この世に存在しているように思い込んでしまう。」という意味である。深層心理は、自我の存在の保証に神が必要だから、実際にはこの世に存在しない神を存在しているように思い込んだのである。深層心理は、すなわち、人間は、自我を肯定する絶対者が存在しなければ、生きていけないのである。欲動の第四の欲望が、自我と他者の心の交流を図りたいという欲望である。端的に言えば、共感欲である。自我と他者の共感化という作用を行っている。この欲望によって、深層心理は、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出して、自我が他者を理解し合う・愛し合う・協力し合うようにしているのである。つまり、自我と他者の共感化とは、自我の存在を高め、自我の存在を確かなものにするために、他者と心を交流したり、愛し合ったり、協力し合ったりすることのである。また、敵や周囲の者と対峙するための「呉越同舟」(共通の敵がいたならば、仲が悪い者同士も仲良くすること)という現象も、自我と他者の共感化の作用である。このように、人間の行動は、自ら意識しての思考では無く、無意識の精神活動である深層心理の思考によってなされるのである。自ら意識しての思考を表層心理と言う。一般の人が言う思考は、表層心理での思考である。なぜならば、一般の人は、無意識の精神活動である深層心理の思考を知らないからである。だから、勉強する気にならないとか、仕事をする気が起こらないなどと行って嘆くのである。なぜならば、行動は意志によって、すなわち、表層心理での思考によって起こされると思っているからである。しかし、行動は深層心理によって起こされているのである。だから、深層心理が思考して感情と行動の指令という自我の欲望を生み出さなければ、勉強する気にならず、仕事をする気が起こらないのである。それほど、深層心理の力は大きいのである。深層心理が思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間に、今日も、昨日と同じようなことをするように強いるのである。すなわち、ルーティーンの生活を強いるのである。なぜ、深層心理はルーティーンの生活を強いるのか。それは、深層心理は、すなわち、人間は、同じことを繰り返さなければ、力を蓄えることができず、力を発揮することができないからである。例えば、学問の進歩は、同じようなことを研究し続けることによって、技術の進歩は、同じ技を繰り返すことによってなされるのである。また、深層心理が、繰り返すことやものしか捉えられないから、深層心理は、すなわち、人間は、世界の中で、繰り返すことやものに注目し、焦点を絞るのである。それが現象である。深層心理は、世界の出来事を永遠に繰り返すように見ることによって、世界を支配しようとしているのである。世界が支配できるように思い込んでいるのである。つまり、これは、欲動の第三の欲望の自我で他者・物・現象などの対象をを支配したいという欲望である支配欲から発し、対象の対自化の作用を行っているのである。世界の出来事が永遠に繰り返すように見える様態が法則である。深層心理は、法則によって、世界を支配しようとしているのである。だから、人間は、法則が無ければ、世界を見ることができないのである。天動説という法則があるから地球の周囲を太陽が回り、地動説という法則があるから太陽の周囲を地球が回るのである。プラトンがイデアという法則を生み出したから、理性によってのみ実在が存在するのである。ヘーゲルは、弁証法という法則を見出したから、全世界を理念の自己発展として認識できたのである。ハイデッガーは、世界内存在という法則を見出したから、さまざまな存在者と関わり合いながら世界の中に住みついている人間を発見したのである。畢竟、深層心理は、自ら法則を生み出し、人間をその法則の下で生かせようとしているのである。