あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

日本は奴隷国家である。(自我その423)

2020-10-19 15:52:01 | 思想
日米関係は日米同盟ではない、同盟とは、両国が平等・公平の義務・権利を有する時に使う。日米関係は上下関係である。もちろん、アメリカは上位、日本は下位である。しかし、アメリカが主人、日本は家来という程度ではない。アメリカが主人、日本は奴隷である。日本はアメリカの奴隷なのである。日本は奴隷国家である。日米安全保障条約・日米地位協定によって、日本はアメリカの奴隷にさせられ、そして、それに甘んじているのである。それは、日本人は、中国、北朝鮮、韓国などのような国と戦争になったならば、アメリカが助けてくれていると思っているからである。しかし、日米安全保障条約・日米地位協定を熟慮すればわかるように、日本がどのような国と戦争になったとしても、アメリカが兵士を派遣して日本を守るという義務は存在しないのである。せいぜい、アメリカ議会に諮ることが義務である。考えてみるが良い、どこの国が自国の利益にならないことに大切な自国の兵士を派遣するだろうか。お人好しの日本人が、甘い幻想の下で、日米安全保障条約・日米地位協定によって、アメリカの奴隷になっているのである。日米安全保障条約・日米地位協定がアメリカの横暴を許しているのである。アメリカは、アメリカ軍基地の飛行場に日本の検査・審査無く自由に出入りができ、日本のいかなる場所においても基地を置くことができ、いかなる場所・時間においても戦闘機も訓練機も飛ばすことができ、日本での飛行空間を自由に占領することができるのである。だから、アメリカは日本の事情を考慮せず中国や北朝鮮を攻撃するのに便利な地域にアメリカ軍基地を置き、昼夜構わず住宅地すれすれに軍用機を飛ばし、違法薬物であっても日本に入れようと思えば自由に入れることができ、日本の民間機が迂回航路を強いられているのである。日本には、アメリカ兵が公務時間に犯罪を犯せば裁判権が無く、アメリカ軍機が日本領土内で墜落しても調査権は無いのである。だから、日本人の主婦がアメリカ兵士に射殺されても、日本の女子小学生がレイプされても、加害者であるアメリカ兵士は軽微の罪で放免され、アメリカ軍機が日本の大学の構内に墜落しても日本の警察は調べることができなかったのである。それなのに、日本は思いやり予算を含めて、在日米軍基地職員の経費の大部分をアメリカに献上している。2019年度は、思いやり予算の約1974億円を含めて約5800億円の在日米軍関係経費をアメリカに献上している。実に、在日米軍関係経費の74.5%をアメリカに献上していることになる。アメリカは、世界各国に米軍基地を置いているが、日本の国家負担率が断トツに高い。アメリカの奴隷である所以である。日本の戦後は、アメリカ軍の統治で始まった。日本は、アメリカ軍に占領されたのである。日本の権力者や官僚やマスコミは、そのアメリカ軍を、自ら、進駐軍と呼び、大衆にも、進駐軍と呼ばせた。しかし、アメリカ軍は、決して、進駐軍ではない。占領軍である。なぜ、彼らは、アメリカ軍を、自ら、進駐軍と呼び、大衆にも、進駐軍と呼ばせたのか。それは、大衆に対して、日本が、太平洋戦争でアメリカに敗北した屈辱を忘れさせ、自らが戦争を主導した責任を問わせないようにし、そして、アメリカ軍の統治を容易に行わせようとした思いからである。言わば、占領軍から進駐軍への言葉のすり替えは、日本の権力者や官僚やマスコミの責任回避とアメリカ軍への迎合の所産なのである。そのアメリカ軍総司令部がGHQである。連合国軍総司令部と和訳されている。言うまでもなく、内実は、アメリカ軍総司令部である。その総司令部の初代最高司令官が、マッカーサーである。マッカーサーは、アメリカの都合の良いように、日本の占領政策を推進し、戦後改革を行った。GHQは、対日講和条約発効とともに廃止になった。対日講和条約は、正式名を対日平和条約と言い、サンフランシスコで調印されたので、サンフランシスコ講和条約とも言う。第二次世界大戦は、日本が、1945年8月に降伏したことによって終結したが、国際法上の戦争状態はその後も続いていた。その戦争状態を終了させ、国交を回復させるために、1951年9月8日に調印され、1952年4月28日発効されたのが、対日講和条約である。日本と連合国48国との間に結ばれた。この条約によって、形式的には、日本は主権を回復した。だから、GHQも廃止になったのである。この条約によって、明治以降日本が併合した全領土の放棄(朝鮮の独立承認、台湾・千島列島・南樺太などの権利の放棄)、軍事力撤廃、賠償支払いが決定された。しかし、沖縄・小笠原はアメリカの施政下に置かれた。そして、同時に、日米安全保障条約が結ばれ、日米行政協定(1960年からは日米地位協定と改名される)も同時に発行された。GHQが廃止されても、アメリカの日本支配は残ったのである。GHQの代わりの働きをするのが、日米安全保障条約、日米行政協定(1960年からは日米地位協定と改名される)、日米合同会議である。現在も、日本は、アメリカに依存し、支配されているのである。そのアメリカへの依存・アメリカの支配を推し進めているのが、自民党議員、一部のマスコミ、大半の右翼、官僚たちである。官僚たちは、姑息な手段を用いるから、目立たないが、戦後、一貫して、アメリカへの依存・アメリカの支配を推し進めてきたのである。日米安全保障条約には、旧条約と新条約がある。旧条約は、1951年9月8日、対日講和条約とともに、署名され、1952年4月8日、発行された。新条約は、1960年1月19日、署名され、1960年6月23日、発行された。旧条約には、国内にアメリカ軍の駐留を認めて基地を提供し、極東に平和維持の必要性がある時、日本に大規模の内乱・騒擾が発生して日本政府からの要請があった時、日本に外部からの攻撃があった時、アメリカ軍が出動できることが規定されている。新条約は、日本に大規模の内乱・騒擾が発生した時のアメリカ軍が出動の規定は削除された以外は、旧条約の規定がそのまま残り、新しく、両国が自衛力の維持発展に努めること、日本及び極東の平和と安全に対する脅威が生じた際には事前協議を行い得ること、日本施政権下の領域におけるいずれか一方への武力攻撃に対しては共通に対処・行動することなどが規定された。つまり、旧条約は片務的であったが、新条約は双務的性格が強まり、日本の軍事力強化、アメリカ軍基地の共同防衛、アメリカの極東における軍事行動への協力が義務付けられることになったのである。更に、新条約には、条約の有効期限を10年とし(1970年は自動延長となった)、いずれか一方が終了通告すれば、一年後効力が失うという規定が新しく盛られた。日米安全保障条約に基づき、アメリカ軍の日本国内及びその周辺における配備条件を決めた協定が、日米行政協定、日米地位協定である。日米行政協定は旧日米安全保障条約の実質的内容を為し、日米地位協定は新日米安全保障条約の実質的内容を為しているが、日米地位協定は日米行政協定を継承している。日米行政協定は、1952年2月28日調印され、4月28日発効した。日米行政協定の主な内容は次の通りである。アメリカ軍は陸・海・空軍の基地を無制限に設定・維持することができ、基地の設定・維持に必要な物資や労務に提供を受けることができ、基地設定のための費用は日米共同とし、鉄道・通信・電力はアメリカ軍優先とし、アメリカ軍構成員・軍属・家族は治外法権を持ち、日本に裁判権は無く、アメリカ軍用品の輸入関税が免除され、アメリカ軍人と船舶の出入国は自由であることなどである。そして、これらのことを実施するために、日米合同委員会が設けられた。日米地位協定は1960年1月19日調印され、6月23日新日米安全保障条約と同時に発効したが、内容は、日米行政協定と同じである。1853年7月8日、遠征艦隊司令官のペリーが日本を開港させるため、東インド艦隊の軍艦4隻を率いて浦賀に来航し、その後、江戸湾に到着し、大統領の親書を幕府に提出した。所謂、黒船来襲である。幕府は、恐怖におののき、翌年、ペリーと日米和親条約を結んだ。そして、幕府は、1858年7月29日、アメリカ総領事ハリスと日米修好通商条約を結んだ。5港を開くとともに、治外法権(アメリカの領事裁判権)を認め、日本に関税自主権が無いことを認めた。日本の近代外交の主眼は、この治外法権の撤廃と関税自主権の獲得にあったのである。大いなる苦闘であった。日本人としての誇りを取り戻すための苦闘であった。ところが、現在も有効な日米地位協定では、アメリカ軍構成員・軍属・家族は治外法権を持ち、日本に裁判権は無く、アメリカ軍用品の輸入関税が免除され、アメリカ軍人と船舶の出入国は自由であることが定められている。日本の自民党政府、官僚たちは、歴史から何も学んでいないのである。彼らには、日本人としての誇りは無いのであろうか。彼らは、馬鹿の一つ覚えのように、日米同盟という言葉を唱え続けている。しかし、現実は、日米同盟ではなく、日本はアメリカの奴隷なのである。アメリカは主人であり、日本は奴隷に過ぎないのである。しかし、彼らは、日本の大衆に対して、強いエリート意識だけは持っている。大衆は、いつ、日本の政治の不条理、日本の権力者たちの醜い自我に気づくのだろうか。自衛隊員、国民、国民の一人である知人、親戚、家族、そして、自分がアメリカ主導の戦争に駆り出されるまで気付かないのだろうか。さらに、日本がアメリカの奴隷であることの決定的な証拠がある。日本に対するアメリカ軍の占領終結直後、1952年7月23日と1954年2月8日の2度にわたって、当時の吉田茂首相が極東米軍の司令官に、口頭で、「戦争になれば、自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入る。」と約束している。所謂、密約である。この事実は、本国へ報告した公文書がアメリカに残っていることから確認できるのである。この自民党政府の国民蔑視、国民に対する裏切りは、戦前の国会議員と軍人と官僚の国民蔑視、国民に対する裏切り、国家に対する裏切りと同じものである。自民党は、憲法改正案に典型的に現れているように、戦前を志向しているのである。そして、その自民党政府、自民党議員(国会議員だけでなく、県会議員、市会議員、町会議員全てを含む。)を支えているのが、官僚である。官僚は、自民党政府、自民党議員と同じ考えをしているだけでなく、時には、彼らに悪知恵を授け、時には、自らも、暗躍する。2009年10月12日、日米協議で、高見沢防衛政策局長は、「アメリカ政府は、あまり早急に、日本政府に柔軟さを見せるべきではない。」と、アメリカ側の立場で、発言した。「最低でも、県外。」と述べていた鳩山首相の最初の正式な日米協議であったが、鳩山首相をないがしろにした発言であった。アメリカ追随という戦後一貫とした外務省の方針が傷つくのを恐れたからである。さらに、斎木外務省アジア大洋州局長も、キャンベル国務次官補に対し、「民主党(の鳩山由紀夫、小沢一郎)は、官僚を抑え、アメリカに挑戦する大胆な外交のイメージを打ち出す必要を感じているようだが、愚かだ。やがて、彼らは、そのことを学ぶだろう。アメリカ政府は、あまり、早急に柔軟さを見せるべきではない。」と助言している。さらに、日米合同委員会が大きな問題である。日米合同委員会は、日米地位協定(日米行政協定)に規定されていて、月2回、アメリカ軍と日本の官僚が行う会議で、この組織の決定事項を、日本の憲法も日本政府も止めることはできない。最高裁も検察庁も、日米合同委員会のコントロールの下にある。しかも、日米合同委員会の決定事項は、秘密のベールに閉ざされ、国民には知らされない。鳩山首相は、日米合同委員会の決定事項を覆そうとしたが、官僚たちの強い抵抗にあい、成し得なかった。鳩山首相は、2009年9月に着任し、日米地位協定の見直し協議にも取り組むことを表明したが、全く手を触れないうちに、退陣を余儀なくされた。さらに、2010年2月、鳩山首相は、外務官僚2人、防衛官僚2人、内閣官房2人を官邸に集め、この組織で、普天間問題について極秘ミッションを遂行してもらいたいと話した。鳩山首相が、「私は、あなた方を完全に信頼するから、普天間の移設先に関して、しっかり交渉をまとめてもらいたい。しかし、こういうミッションは、外に漏れたらままならないから、秘密厳守ということだけは理解してほしい。」と言うと、6人は、「わかりました。やりましょう。」と答えたが、翌日の朝刊にすっぱ抜かれた。そればかりでなく、このミッションのことは、アメリカ側にも密告されていた。官僚たちは、このミッションをつぶすために裏切ったのである。さらに、2010年4月19日、防衛省と外務省の官僚が首相官邸にやって来て、「普天間飛行場の移設先の件で、アメリカ軍と議論してきた。アメリカ軍は、ヘリコプターの基地が離れていては訓練場が離れていては、訓練ができないと言っている。」と言って、鳩山首相に、「訓練場の基地までの距離が65カイリまでなら良い。」と書かれた文書を手渡した。鳩山首相は、官僚たちの言葉を信じたので、それまで、普天間飛行場の移設先を、奄美大島や徳之島を考えていたが、辺野古に決がめざるを得なくなった。しかし、この文書は、「極秘」という判子が押され、外務省の極秘文書扱いであったが、実際には、外務省には残っていない。官僚たちがねつ造したのである。また、鳩山首相は、彼らに、「65カイリは、アメリカ軍のマニュアルに明記されていると。」と説明を受けたが、実際には、そのようなマニュアルは存在していなかった。官僚たちが、辺野古に移設させたいがために仕組んだ罠だった。この官僚たちの一人が、日米安保条約課長の船越健裕である。これらは、官僚たちの暗躍の氷山の一角である。官僚たちは、自民党議員とともに、日本をアメリカの奴隷にして、アメリカを盾に威張り、アメリカを背に日本を牛耳ろうとしているのである。