あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

自民党の反動的な政治が続くのは大衆の政治意識が低いからである。(自我その422)

2020-10-17 15:59:09 | 思想
菅義偉首相は、学術会議が推薦した会員候補106人のうち6人を任命しなかった理由を明らかにしていなない。しかし、知識人ならば、誰しも、その理由は分かっている。6人は、自民党の国家主義思想に異議を唱えたことがあるからである。ここで、知識人と限定したのは、国民ならば誰でもわかるのに、大衆は気付いていないからである。なぜならば、国家主義という「国家を人間社会の中で第一義的に考え、その権威と意思とに絶対の優位を認める立場」という概念を理解していないからである。国家主義が、全体主義的な傾向を持ち、偏狭な民族主義・国粋主義と結びやすいのは当然のことである。自民党は、まさしく、全体主義的な傾向を持ち、偏狭な民族主義・国粋主義に陥っているのである。だから、現在の日本の政治は、民主主義という時代の流れに逆行しているのである。すなわち、反動的になっているのである。
文部科学省が、故中曽根康弘元首相の葬儀に合わせ、全国の国立大学に弔意表明を求める通知を出したのも、その一貫である。しかし、それは、安倍晋三内閣から如実になったのである。菅義偉首相は、「安倍政権の継承と発展」を掲げているから、自民党の国家主義による反動的な政治は、これから、いっそう強まることが予想される。しかし、安倍晋三首相や菅義偉首相が、国家主義による反動的な政治を堂々と行えるのは、大衆の支持があるからである。大衆の政治意識の低さが、自民党の国家主義による反動的な政治を許しているのである。さて、井上陽水の歌に、「傘がない」という歌がある。1970年代にヒットした、フォークソングである。歌い出しは、「都会では、自殺する若者が増えている。」とあり、衝撃的である。しかし、その後、すぐに、次のように、若者の自殺の多さに頓着しない歌詞が続く。「だけども、問題は、今日の雨、傘がない。行かなくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ。」つまり、この歌は、若者の自殺の多いという社会的な問題よりも、好きな女性に会えないという個人的な問題の方が大切だと説いているのである。歌詞は、その後、「テレビでは、我が国の将来の問題を、誰かが深刻な顔をして、しゃべっている。」とあるが、再び、「だけども、問題は、今日の雨、傘がない。行かなくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ。」と応える。ここでも、国の将来という政治的な問題よりも、自分の恋愛という個人的な問題の方が大切だと歌い上げている。このように、「傘がない」という歌の特徴は、社会的な問題よりも、政治的な問題よりも、自分の差し迫った恋愛の方が大切だと高らかに歌い上げているところにある。井上陽水は、利己主義者ではないかと非難されることを恐れず、自分の気持ちを高らかに歌い上げた。そこに、多くの若者が共感したのである。つまり、予想される大人たちの批判を意に介さず、他人のことよりも、全体のことよりも、自分の気持ちを大切にすることを高らかに歌い上げた井上陽水の姿勢を、多くの若者が支持したのである。しかし、現在は、この歌は成立しない。現代という時代は、社会的な問題や政治的な問題を無視して、自分の個人的な問題だけを語る時代ではない。現代は、田舎と都会の区別がなくなり、社会的な問題と個人的な問題の区別がなくなり、政治的な問題と個人的な問題の区別がなくなった時代なのである。井上陽水が「傘がない」を歌った時代は、日本が戦争をする可能性がなかったから、自分の個人的な問題に専念できた。しかし、現在、日本は、アメリカに追随して、いつ、戦争に参加しても不思議ではない時代に入った。井上陽水が「傘がない」という歌を歌った時代は、日本にとって、良い時代であった。自ら仕掛ける戦争の可能性も、アメリカに追随する戦争の可能性も全くなかったからである。日本国憲法が、日本の戦争の可能性をゼロにしていたのである。よく、日米安保条約があったから日本は戦争に巻き込まれなかったのだ、アメリカが守ってくれたから日本は戦争をしなくて済んだのだと言う人がいるが、それは全くの誤りである。アメリカは、朝鮮戦争の時も、湾岸戦争の時も、イラク戦争の時も、日本政府に、兵隊を派遣し、戦闘に参加するように要請してきた。しかし、日本政府は、その都度、「あなたの国が与えてくれた日本国憲法は、戦争をすることを禁止している。」と言って、日本国憲法を盾にして、あるときは、兵隊の派遣そのものを断り、あるときは、派遣したが、戦闘には参加しなかった。しかし、安倍晋三内閣は、安保法案を国会に提出し、憲法学者のほとんどが憲法違反だと主張しているのに、自民党・公明党は、強行採決によって、通過させてしまった。これで、集団的自衛権により、自衛隊がアメリカの軍隊に協力し、アメリカ軍の指揮の下、いつでも、戦争ができるようになったのである。もう、日本国憲法は、自衛隊員の戦闘行為を止めることができなくなったのである。総理大臣が、命令すれば、自衛隊員は戦場に赴き、戦闘行為に参加しなければならなくなったのである。安倍晋三の暴走ぶりは、森友学園・加計学園・桜を見る会で、公金を使って、身内に便宜を図り、官僚に、公文書を改竄させ、野党の国会議員に嘘の答弁をさせ、自らも嘘の答弁を繰り返したことにも、現れている。なぜ、そのような暴走ができるのか。それは、安倍晋三が、どのような不正な行為をしても、国民の支持率が下がらないからである。だから、現代と、井上陽水が「傘がない」を歌っていた時代、すなわち、「我が国の将来の問題を、深刻な顔をして、しゃべっている」人の心の中には、日本が戦争に巻き込まれる不安はなく、政治家の汚職や公務員の天下りなどを問題にしていた時代とは異なるのである。しかし、大衆は、そのことに気付いていないのである。井上陽水は、日本に戦争の不安がなく、若者が戦争に行かさせる虞がなかったから、「傘がない」を高らかに歌い上げることができたのである。しかし、今や、「傘がない」ことに専念できる時代ではなく、「平和という安心感がない」時代に入ったのである。しかし、これからも、選挙では、与党の自民党・公明党が勝ち続けるだろう。ニーチェは「大衆は馬鹿だ」と言ったが、ニーチェの高笑いが聞こえてきそうである。自民党内閣は、日本国憲法を改正して、徴兵制を導入して、自衛隊員だけでなく、日本人全体が戦争に行かせられるような体制を作り上げるだろう。戦前に逆戻りである。もちろん、憲法改正には、衆議院・参議院ともに3分の2以上の賛成票、国民投票で過半数の賛成票が必要であるが、現在の日本の大衆の意識ならば、自民党内閣に籠絡されるだろう。そして、後に、悔いることになるだろう。でも、そのときは手遅れである。後の祭りである。自民党の憲法改正案を見ると、現在の日本国憲法の民主主義を停止して、戦前の国家主義の大日本帝国憲法によく似た憲法を作ろうとしているのがわかる。大衆は気付いていないが、現在の日本国憲法を誰よりも守ろうと考えていたのが、平成天皇陛下であり、皇后陛下である。平成天皇陛下も皇后陛下も平和主義者だからである。だから、高齢で持病を抱えながら、太平洋戦争のアジア地域の激戦地を訪ね、戦死した人たちを慰霊しているのである。また、靖国神社には、太平洋戦争の首謀者が祀られているので、参拝しないのである。将棋の米長名人が、天皇陛下に、「私の夢は、日本中で、国家として君が代が歌われ、国旗として日の丸が掲揚されることです。」という意味のこと言った時、天皇陛下は、「無理をしないで下さい。」と言った。自民党の憲法改正案には、天皇陛下を日本の元首とし持ち上げ、日本を国家主義の国としようとしているが、天皇陛下は、現在の日本国憲法を評価し、常日頃から、日本の象徴としての自らのあり方に満足し、現在の民主主義がずっと維持されることを期待していたのである。もちろん、自民党議員も右翼も、平成天皇陛下のその姿勢が不満である。彼らは、天皇陛下には直接には言わないが、出版物で、天皇陛下の靖国参拝を期待すると言っている。天皇陛下も皇后陛下も、賢明だから、日本の政治的な動きを的確に捉え、危惧したのである。それは、言葉の端々から窺うことができる。平成天皇陛下は自民党の憲法改正案を知っていたが、大衆は、インターネットで調べるとすぐにわかることなのだが、知らないのである。知ろうとしていないからである。早晩、日本に、徴兵制が導入されるようになるだろう。それは、次のような過程をたどるだろう。まず、アメリカに要請され、日本政府は、アメリカの戦争に加担するために、自衛隊員を海外に派遣する。そして、何人かの自衛隊員が戦死する。すると、自民党やマスコミの一部(産経新聞、読売新聞、週刊新潮など)が、「自衛隊員だけを死なせるのはかわいそうだ。国民全体で責任を持つべきだ。」と声高に唱え、それが世論を動かし、徴兵制が導入されるだろう。しかし、世論調査では、常に、安倍晋三内閣の支持率が高かった。その第一の理由が、安倍内閣が成立しているから、就職率が高くなったからだである。しかし、確かに、就職率が高くなったが、それは、非正規雇用者が増えたからである。安倍内閣は労働規約を会社側に有利に変更した。そのため、会社側は、正規雇用者を減らし、非正規雇用者を大幅に増やすことができるようになったのである。会社側は、正規雇用者より非正規雇用者を歓迎する。なぜならば、正規雇用者に対しては、簡単に首にできず、年々給料を上げなければならず、厚生年金の半額を国に納めなければならないが、パートタイマーやアルバイトや派遣社員に対しては、簡単に首にでき、給料を据え置くことができ、厚生年金を国に納めなくても済むからである。だから、雇用者の犠牲の上で、就職率が高くなったのであり、決して、景気が良くなったのではないのである。だから、大企業や銀行の自民党への政治献金は増えているのである。大衆は、このことに気付いていないのである。さらに、自民党の戦前回帰を陰で後押ししている、大きな組織の一つが日本会議である。日本会議は、神社組織の神社本庁などが中心になって組織されたものである。日本会議は、暗躍して、これまで、国旗、国歌、建国記念の日の制定などで、地方議員や国会議員を動かしてきた。神社組織は、自民党と同じく、戦前回帰を目指しているのである。国家神道として、国から保護され、重用され、莫大な資金援助を受けたいのである。そこには、戦時中、軍人と一体となって、無辜の国民を戦地に赴かせたという反省はみじんもない。戦前のように、国家神道として、国民の心を支配したいのである。日本会議については、多くの本が出版されているが、大衆は、日本会議の暗躍ぶりにも気付いていないのである。このように、政治的にしろ、社会的にしろ、今、日本は、戦後史の曲がり角に来ている。圧倒的な戦前回帰、戦前の国家主義への回帰の勢いの中にいる。大衆は、政治意識が低いから、そのことに気付いていないのである。少し考えてみればわかることだが、安倍晋三が首相になってから、ナショナリストたちが跳梁跋扈してきた。街頭ヘイトスピーチをする恥知らずの集団が現れたのも、彼が首相になってからである。なぜ、そうなのか。簡単なことである。安倍晋三自身が、ナショナリストだからである。ナショナリストが日本の政治のトップに立ったので、巷のナショナリストたちがこの機会を利用して、活発に動き始めたのである。さらに、日本と中国、韓国の関係が急激に悪化したのも、安倍晋三が首相になってからである。彼が、A級戦犯が祀られている靖国神社を参拝をするのも、日本が起こした太平洋戦争を肯定しているためである。なぜ、肯定するのか。それは、祖父の岸信介を尊敬しているからである。岸信介は、東条英機が太平洋戦争を起こした時、その内閣の商工大臣であり、敗戦後、1945年にA級戦犯として逮捕され、1948年に釈放されている。さらに、岸信介は、1957年に首相となったが、1960年の日米安保条約改定が国民の反対にあい、それが安保闘争という戦後最大の反政府運動に発展し、内閣総辞職せざるを得なかった。安倍晋三は祖父の汚名を返上したいのである。彼は自らを岸信介と同一化しているのである。それ故に、安倍晋三はナショナリストにならざるを得ないのである。言わば、筋金入りのナショナリストなのである。巷のナショナリストや知識人のナショナリストは愛国心からナショナリズムを抱いているのだが、安倍晋三の場合、愛国心と血筋が相俟ってナショナリズムが掻き立てられているのである。そのような人間が日本の首相になったのである。日本を戦争ができる国にするように持っていくのは当然のことである。安倍晋三の言う、積極的平和主義とはこのことである。安倍晋三は、国家安全保障会議法案、特定秘密保護法案、安保法案を強行採決し、日本は戦争の道へと歩み始めた。それでも、安倍晋三は、「自衛隊員を戦闘地域に派遣しない。後方支援だけの任務にする。」、「日本に徴兵制を導入しない。」などと言う。そう言わなければ、国民から支持されなくなり、首相の座から降ろされるからである。虎視眈々と、まず、自衛隊の海外派兵をなし崩しに現実化させ、憲法を改正して名実ともに日本を戦争のできる国にし、徴兵制の導入を狙っていたのである。安倍晋三は、ナショナリストであるから、当然の行動である。問題は、ナショナリストの安倍晋三内閣を支持し、ナショナリズムが思想の母体になっている政党である自民党を衆参選挙で大勝ちさせた大衆である。蟹は自分の体に合わせて穴を掘ると言う。大衆も自分たちの力量に合わせて、政治家を選び、政党を選び、首相を支持しているのである。自業自得とも言える。しかし、絶望したり、諦観したりすることはない。なぜならば、いつの時代でも、どの国でも、その成立も政治も常に矛盾・過ちに満ちたものだからである。それは、愛国心が、国の成立、政治を支えているからである。誰しも、愛国心を持っている。愛国心とは、字義的には、国を愛する心であるが、それだけでは、意味をなさない。愛国心の実際の意味は、自分が所属している国に対して、矜持・自負・プライド・誇りの念を持つことなのである。その矜持・自負・プライド・誇りは誰に対して成されるか。言うまでもなく、他の国の人々に対してである。そのような愛国心によって、国が成立し、国の政治がなされているのであるから、大いなる矛盾・過ちが生ずるのは当然なのである。しかし、だからこそ、政治の矛盾・過ちを批判し続けなければならないのである。国民誰しも、愛国心を持っている。その愛国心は、常に、大衆のナショナリズムへと増大させ、ナショナリストを生み出す可能性を持っているのである。それ故に、大衆から離れて、国の政治を批判し続けなければならないのである。ナショナリスト安倍晋三は、ナショナリスト岸信介の孫である。岸信介は、満州国の高官を経て、太平洋戦争を起こした東条英機内閣の商工大臣になった。太平洋戦争中、軍部は、世界を一つの家にするという「八紘一宇」を掲げて、日本の中国、東南アジアの侵略を正当化しつつ、アメリカを中心とした連合国と戦争を行った。また、日本は、満州国の建国理念として、日本人、朝鮮人、漢族、満州族、モンゴル族が平等の立場で満州国を建設するという「五族協和」、王道主義によって各民族が対等の立場で搾取なく強権のない理想郷を実現するという「王道楽土」を掲げた。しかし、八紘一宇、五族協和、王道楽土は、見せかけだけのスローガンであった。真実は、日本軍人、日本人はアジアの諸民族を蔑視し、嫌悪していたのである。その証拠として、次のような実例を挙げることができる。日本軍、日本人は、中国や朝鮮や東南アジアにおいて、日本の神社を拝ませ、日本語を強制し、拷問、レイプ、虐殺を行った。陸軍の細菌戦部隊である731部隊は、中国において、ペスト、コレラ、チフスなどの細菌の研究を進め、実戦に使い、中国人、ロシア人などの捕虜・抗日運動家を使って人体実験を行った。その犠牲者の数は三千人近いといわれている。日本軍、日本人は、朝鮮において、朝鮮人の姓名を日本式の氏名に改めるという「創氏改名」を強制した。日本軍人は、東南アジアにおいて、現地の若い女性をだまして、暴力的に従軍慰安婦に仕立て上げた。戦争は終わった。日本は敗北した。しかし、日本人の中には、アジアの諸民族対する蔑視感・嫌悪感を、現在も、持ち続けている人が存在するのである。それも、決して少ない数ではない。特に、中国、韓国、北朝鮮に対して蔑視感・嫌悪感を抱いている人が多い。それは、「在日韓国人や在日朝鮮人は日本から出て行け。」と叫びながら、デモ行進をする集団の行動にはっきりと表れている。戦前の亡霊が現在まで生き残っているのである。特に、安倍晋三が首相になってから、我が意を得たりとばかり、ヘイトスピーチする集団とともに、中国・韓国・北朝鮮に対して、あからさまに非難する人が増えてきた。岸信介は、太平洋戦争中、あくどいやり方で、中国で利益を上げた。それ故に、今もって、多くの中国人に嫌われている。当然のごとく、戦後、A級戦犯として逮捕された。しかし、共産主義国であるソ連の台頭、中国の共産党の勃興、朝鮮戦争が起こりそうな機運が高まってきたので、アメリカは政治判断を下し、岸を釈放した。その後、自民党の衆議院議員になり、そして、首相にまで上り詰めた。1960年、安保条約(日米安全保障条約)を改定した。旧安保条約には、アメリカ軍が安全保障のために日本に駐留し、日本が基地を提供することなどを定めていたが、新安保条約は、それに、軍事行動に関して両国の事前協議制などを加えた。旧新ともに、安保条約は、日本がアメリカの従属国家であることを示している。また、岸信介は、旧安保条約の細目協定である日米行政協定を、新安保条約では、日米地位協定と改定した。日米地位協定には、基地・生活関連施設の提供、税の免除や逮捕・裁判に関する特別優遇、日本の協力義務、日米合同委員会の設置など、アメリカ軍人とその家族の権利が保証されている。日本人がアメリカ人の下位にあることは一目瞭然である。岸信介は、政治家を退いた後も、自主憲法やスパイ防止法の成立を目指した。安倍晋三の父である安倍晋太郎も、自民党の衆議院議員であったが、首相にはなれなかった。岸信介の実弟が佐藤栄作である。つまり、佐藤栄作は安倍晋三の大叔父(おおおじ)に当たる人である。佐藤栄作も、自民党の衆議院議員であったが、首相となり、ノーベル平和賞を受賞した。安倍晋三は、祖父の岸信介についてはよく言及するが、父の安倍晋太郎、大叔父の佐藤栄作についてはほとんど触れることがない。それは、安倍晋三の深層心理が岸信介に繋がっているからである。安倍晋三の自我は岸信介に連なっているからである。安倍晋三が靖国神社を参拝したのは、そこに祀られているA級戦犯者の復権、延いては、A級戦犯者だった岸信介の復権を目指しているのである。安倍晋三の集団的自衛権は岸信介の対米従属外交、新安保条約、地位協定に繋がっている。自民党の憲法改正案は、岸信介の自主憲法制定の考えに連なっている。安倍晋三とは岸信介のことなのだ。そして、菅義偉とは、安倍晋三のことなのである。確かに、日本は、太平洋戦争でアメリカに敗れ、満州国は崩壊した。しかし、アジアの諸民族に対しての蔑視感・嫌悪感を残している人々がまだ存在する。特に、中国、韓国、北朝鮮に対してそうである。アメリカに対して敗北したのであって、中国や朝鮮に対しては敗北していないと言うのである。彼らは、日本をアメリカの従属国にしても、中国、韓国、北朝鮮と対峙しようと考えているのである。言うまでもなく、その一人が安倍晋三である。岸信介の満州国における見果てぬ夢を、安倍晋三が首相となって、そして、菅義偉が首相になって、今見ようとしているのである。戦前の亡霊が現在の日本を支配しようとしているのである。麻生太郎は、安倍内閣の副首相兼財務大臣であった。麻生は、「ワイマール憲法も、いつの間にか、ナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。」と発言し、憲法を変えずとも、解釈によって、実質的な憲法改正の道を示唆した。それは、安倍晋三が、ほとんどの憲法学者が反対する中で、強引な憲法解釈と強行採決によって、国会で、集団的自衛権を認めさせたのと、底で繋がっているのである。麻生太郎の祖父が、吉田茂である。吉田茂は、戦前は、外交官として、日本が太平洋戦争に突き進むために、暗躍した。戦後は、首相となり、最初の安保条約(旧安保条約)を成立させた。戦前は、無鉄砲にも、日本がアメリカと戦争するように仕向け、アメリカが世界の第一の強国だとわかると、戦後は、アメリカに気に入られようと、こびへつらった。所謂、阿諛追従である。麻生太郎の節操のなさは吉田茂と繋がっている。確かに、吉田茂は、アメリカからの要求である日本の軍備増強を拒否した面は評価しても良い。しかし、安保条約を成立させて、日本をアメリカの属国にし、沖縄をアメリカの基地の犠牲にした基礎を造ったことは、批判しても批判しつくせるものではない。中曽根康弘は、戦前、海軍主計中尉として、インドネシアにいた時に、従軍慰安施設を作った。自叙伝でそれを自慢げに語っていたが、従軍慰安婦が問題となると、沈黙を保っている。戦後、首相となるや、日本に原発を導入し、レーガン大統領に対して、「日本列島は不沈空母」と言い、アメリカの軍事行動を全面的に支援することを約束した。防衛費の対国民生産GNP比率1%枠を突破させた。さらに、首相として、初めて、靖国公式参拝を行った。また、国家秘密法の制定、有事法制の制定、イラン・イラク戦争末期の1987年に自衛隊の掃海艇の派遣を試みたが、いずれも党内外の反対意見が強く、成功しなかった。中曽根康弘の姿勢は、常に日本のナショナリズムを喚起することであり、海軍時代と全く異なっていなかったのである。文部科学省が、中曽根康弘の葬儀に合わせ、全国の国立大学に弔意表明を求める通知を出したは、笑止千万ものである。平沼赳夫は、郵政民営化関連法案に反対して自民党を飛び出したが、安保法案に賛成すると菅官房長官に表明し、復党を許された。また、「慰安婦は売春婦だ」と言って、物議をかもした。平沼赳夫のの養父が、平沼騏一郎である。平沼騏一郎は、1910年の大逆事件で検事を務め、冤罪で、幸徳秋水以下12名を死刑台に送り込んだ。世紀の大犯罪者である。その国家主義思想は、右翼団体の国本社を主宰するまでに至った。1939年1月から8月まで、平沼騏一郎内閣を組閣し、国民精神総動員体制の強化と精神的復古主義を唱えた。また、1945年1月から4月まで、枢密院議長として、降伏反対の姿勢で終戦工作をした。このような人物がいたために、戦争終結が遅れ、日本は、沖縄戦、本土爆撃、広島・長崎の原爆投下の大惨劇に見舞われるのである。戦後、逮捕され、A級戦犯として終身刑を下されたが、健康上の理由で仮出所を許され、その後、病死した。日本は、戦後のほとんどの内閣は、自民党によるものであった。自民党の本質は、憲法改正案に見られる通り、上意下達の全体主義なのである。それは、戦前の政治と同じである。つまり、戦前の亡霊が戦後の日本を支配しているのである。しかし、大衆はそのことに気付いていないのである。特に、安倍晋三が総理大臣になってから、国家安全保障会議(NSC)を創設し、秘密保護法、集団的自衛権を強行採決で政府が持つようになってからは、日本は、いつでも、アメリカの指揮の下、戦争に入れる状態になったのである。安倍晋三は、内閣の支持率が高かったから、日本を戦争のできる国にしたいという自らの欲望を実現できたのである。安倍晋三は、日本をいつでも戦争できる国にしたのには、三つの理由がある。一つ目の理由は、常任理事国の総理大臣になりたいがために、他の国や既にある常任理事国に、日本の軍事力を認めてもらいたかったのである。二つ目の理由は、自民党の憲法草案を見れば分かるように、戦前の日本のように上意下達の国にしたいからである。三つ目の理由は、アメリカの力を借りて、いつでも、中国・北朝鮮・韓国と戦争できるという姿勢を見せ、敗戦を否定し、祖父の岸信介のA級戦犯・自らのA級戦犯の孫といういう汚名を返上したいからである。敗戦国という日本の構造体とA級戦犯という自我を消滅させたいのである。それでも、大衆は、このような日本の状況に対して、安倍晋三は戦争を起こすはずがないと静観し、右翼、産経新聞、読売新聞、安倍晋三に賛意を示したのである。中国・北朝鮮・韓国を嫌悪しているからである。しかし、否定しようにも、日本の現在は、いつでも、戦争に入るという状況にあることは間違いが無く、後は、自ら、判断して、投企するしかない。どれだけ現実の状況に背を向けていても、最後には、ハイデッガーが言うように、「自らを臨死(死ぬことが逃れられないこと)の状態において、自らの投企を決断しなければならない。」という状態に追い込まれることは間違い無いだろう。いつでも戦争できる日本という構造体の状況の中での、覚悟ある投企、つまり、一人一人の実存が問われる時が、必ず、訪れるのである。マルクスは、「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として。」と言った。至言である。人間は、惨劇を二度繰り返さないと、懲りないようである。ドイツは、第一次世界大戦の惨劇、第二次世界大戦の惨劇と、二度の惨劇を繰り返して、平和国家として甦った。日本は、国の存亡にかかわるような原発事故も敗戦の惨劇も一度しか経験していない。2011年3月11日に、福島第一原子力発電所事故が起こった。それから、5年しか経っていないのに、安倍内閣は全国各地の原子力発電所の再稼働を押し進めている。もちろん、その背後に、自民党、公明党が存在し、財界がそれを支持している。民進党も、全国の発電所の労働組合が加入している連合が原子力発電所の再稼働を容認しているから、原子力発電所の再稼働に大ぴらに反対することはない。原子力規制委員会も、安倍晋三の言うがままである。一部の良識のある裁判官を除いて、大半の裁判官は、原子力発電所の再稼働を容認している。原子力規制委員会に所属している委員も大半の裁判官も安倍晋三とその周辺の者が怖いのである。安倍晋三とその周辺の者ににらまれたら、現在の地位が脅かされるばかりか将来の立身出世がおぼつかないからである。彼らは、自己の良心が無く、自我の虜になっている。各電力会社の株主総会でも、一部の株主が原子力発電所の稼働禁止の提案をしているのだが、全て否決されている。原子力発電所がある地域の住民たちの多くも、交付金欲しさに、新発電所建設や原子力発電所の稼働に賛成している。お金がほしいのである。目先の利益に執着しているのである。彼らは、お金より命、目先の利益より現在から将来にわたっての安全が大切であることを忘れている。文字通り、朝三暮四である。彼らも、また、自己の良心を失い、自我の虜になっている。どうやら、この国の権力者たちも大衆も、もう一度、原発事故が起こらないと、原発事故の恐ろしさに納得しないようである。しかし、もう一度、原発事故が起こってから、全ての原子力発電所を止めても、もう、手遅れである。多くの人々、広い土地、自然が放射能汚染され、日本が破滅に向かう。何人の人が死に、何人の人が後遺症に苦しみ、どれだけの土地に人が入れなくなり、どれだけ自然が破壊されるのだろうか。果たして、もう一度、原発事故が起こった後、日本が日本として存続できるだろうか。日本人が日本人として存続できるのだろうか。もう一度、原発事故が起こった後、そこで、日本人は何を見、どのような考えを抱くのだろうか。思考を凝らして考えて見ると、末恐ろしい感じがする。そこで見るものは、絶望しかなく、何も考えられないのではないか。しかし、そこにおいても、暫くすると、日本人は、原発を差し止め、エネルギー政策を転換して、何かに希望を抱くようにするだろう。しかし、その希望を抱くために、だれだけの犠牲者の数とだれだけ大きな犠牲を払わなければならないのか。大衆は、もう一度、廃墟の地獄を味わわなければ、自民党政権の誤りに気付かないのだろうか。