前の写真の道路よりやや広い省道の風景です。このあたりは割合貧しく、家内工業的な花火の工場がいくつもあるようです。花火は爆発の危険があり、裕福な地域では花火は造りません。中国人に瀏陽に行ったと言うと、大体誰も瀏陽の名前は知っています。瀏陽河と白酒とそして花火を連想するようです。
先ほど乗ったタクシーが事故を起こしたことに触れたので、それを続けます。胡耀邦の家をみて、瀏陽に戻る途中で拾った別客も瀏陽で下ろして、長沙の空港に向いました。その運転手は人はよいが、結構な飛ばし屋で、私は前席横に座ってひやひやしていたのですが、空港にあと15分程度のころで、事故を起こしました。横を並んで走っていた大型トラックを追い越し、前に割り込んだのですが、急に割り込んだので、大型トラックに追突されました。斜めに追突されたので、タクシーは対向車線に360度近くまわりました。分離帯の無い高速道路だったので、事なきを得ましたが、分離帯があればそれに叩きつけられていたかもしれません。また、対向車線の車が走っていればそれと衝突したかもしれません。ともかく、運転手も私も無事に車もそれほど大破せず、止まりました。
それから、トラックとタクシーの運転手の喧嘩です。通常は面白がって見ていてもいいのですが、今回は飛行機の時刻が迫っているので焦りました。周囲を見渡すと中型トラックが止まってこちらを見ていたので、その車に空港まで乗せてくれと頼んで了解を得ました。そして、タクシーの運転手に事前に空港までの料金として合意した金額に余分をつけて支払いました。タクシーの運転手は空港まで送れなくてすまないと言ってはくれました。
そこでその中型トラックに載せて貰いました。トラックで荷台はアルミのコンテナーがついています。3人掛けの座席に、運転手(これが主人です)と助手がいて、私が座る真ん中の席にはダンボールが一つあったので、それを荷台に入れようと、コンテナーを開けると、なんと生理用品の山でした。生理用品の配送をしている車でした。
道すがら運転手と話をして、本当はこの車は空港より手前で高速を下りるのだが、空港まで送ってあげると言ってくれました。勿論私が空港に行きたいのだがと頼み込んだこともありますが、私の願いを快諾してくれました。そしてタバコを取り出し私にも一本どうかとすすめてくれました。中国人が見知らぬ同士で親しくなろうとするときの典型的な行為です。偶然ですが、このトラックを捉まえて本当に助かりました。空港近くで高速料金を払う時、私が料金を出そうとすると要らないと制止しました。空港で下りる際になんとお礼をしてよいか判らないのでと財布を取り出すと、また、金なら要らぬとの返事でした。但し、このように生理用品を扱っているので、進んだ日本の生理用品を紹介してくれないかと頼まれて却って困りました。私は門外漢だから判らないと断りましたが、わかる範囲でいいからとのことで、断れなくなりました。
空港で飛行機には間に合い無事に上海に戻れましたが、それ以来インターネットで生理用品のことを調べて、なかなか大変だったのです。なんとか資料がそれなりに格好がつくようになって(日本語が多いのですが)、それを瀏陽の住所へ郵送しました。上海で売っている中華という高級煙草を2箱(90元)つけて送りました。以後先方は何とも言っては来ません。送った資料が役に立っているとは思いませんが、私の誠意は伝わったと思います。 このような中国人も居るということを皆様に知って頂きたい思いで紹介しました。
明日は譚嗣同の故居を始めます。
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先ほど乗ったタクシーが事故を起こしたことに触れたので、それを続けます。胡耀邦の家をみて、瀏陽に戻る途中で拾った別客も瀏陽で下ろして、長沙の空港に向いました。その運転手は人はよいが、結構な飛ばし屋で、私は前席横に座ってひやひやしていたのですが、空港にあと15分程度のころで、事故を起こしました。横を並んで走っていた大型トラックを追い越し、前に割り込んだのですが、急に割り込んだので、大型トラックに追突されました。斜めに追突されたので、タクシーは対向車線に360度近くまわりました。分離帯の無い高速道路だったので、事なきを得ましたが、分離帯があればそれに叩きつけられていたかもしれません。また、対向車線の車が走っていればそれと衝突したかもしれません。ともかく、運転手も私も無事に車もそれほど大破せず、止まりました。
それから、トラックとタクシーの運転手の喧嘩です。通常は面白がって見ていてもいいのですが、今回は飛行機の時刻が迫っているので焦りました。周囲を見渡すと中型トラックが止まってこちらを見ていたので、その車に空港まで乗せてくれと頼んで了解を得ました。そして、タクシーの運転手に事前に空港までの料金として合意した金額に余分をつけて支払いました。タクシーの運転手は空港まで送れなくてすまないと言ってはくれました。
そこでその中型トラックに載せて貰いました。トラックで荷台はアルミのコンテナーがついています。3人掛けの座席に、運転手(これが主人です)と助手がいて、私が座る真ん中の席にはダンボールが一つあったので、それを荷台に入れようと、コンテナーを開けると、なんと生理用品の山でした。生理用品の配送をしている車でした。
道すがら運転手と話をして、本当はこの車は空港より手前で高速を下りるのだが、空港まで送ってあげると言ってくれました。勿論私が空港に行きたいのだがと頼み込んだこともありますが、私の願いを快諾してくれました。そしてタバコを取り出し私にも一本どうかとすすめてくれました。中国人が見知らぬ同士で親しくなろうとするときの典型的な行為です。偶然ですが、このトラックを捉まえて本当に助かりました。空港近くで高速料金を払う時、私が料金を出そうとすると要らないと制止しました。空港で下りる際になんとお礼をしてよいか判らないのでと財布を取り出すと、また、金なら要らぬとの返事でした。但し、このように生理用品を扱っているので、進んだ日本の生理用品を紹介してくれないかと頼まれて却って困りました。私は門外漢だから判らないと断りましたが、わかる範囲でいいからとのことで、断れなくなりました。
空港で飛行機には間に合い無事に上海に戻れましたが、それ以来インターネットで生理用品のことを調べて、なかなか大変だったのです。なんとか資料がそれなりに格好がつくようになって(日本語が多いのですが)、それを瀏陽の住所へ郵送しました。上海で売っている中華という高級煙草を2箱(90元)つけて送りました。以後先方は何とも言っては来ません。送った資料が役に立っているとは思いませんが、私の誠意は伝わったと思います。 このような中国人も居るということを皆様に知って頂きたい思いで紹介しました。
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比較的鮮明に取れた画像です。本当に田舎の風景です。今は白壁の二階屋が散在していますが、当時はよくてレンガむきだしか土壁の平屋が散在していたのでしょう。そういえば胡耀邦の家でも平屋です。
このような道をタクシーで走っていると、途中でバス待ちの人が手をあげて停めようとします。手を横に振って断る運転手もいますが、今回の運転手は後ろの座席に乗せてやっていいかと私に尋ね、私が同意すると、乗せてあげました。バスが滅多に通らないので、助けてあげる意味があるのでしょう。これらの人からは別途料金をとり、通常は運転手のポケットに納まるのですが、今回の運転手はその金を後から使う高速料金に使い、私には高速料金を請求しませんでした。このタクシーは流しを拾ったのですが、割合よい運転手でした。しかし、後で空港近くの高速道路で事故を起こしました。
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今朝の上海は曇りです。予報では小雨、気温は最高20度です。ちょっと寒そうです。
今日は湖南瀏陽の胡耀邦故居付近の風景です。これらは全部私の撮影です。最初は胡耀邦故居近くの集落にある小学校です。胡耀邦小学校というようです。
胡耀邦の故居についてコメントが抜けていましたので、ここでします。胡耀邦の故居に行ったのは、インターネットでみた説明では故居の造りが湖南省の典型的な農家の構造だというので、それを見たさに行きました。胡耀邦のことは嫌いではありませんが、敬愛している訳でもありません。通常の民家に立ち入るのは、現在でも簡単ではありません。このように開放されている故居は貴重なチャンスです。
胡耀邦故居の土地柄は決して豊かではありませんが、故居自体は集落から独立した小高い丘にあり、造りも立派で、地主とは言いませんが、富農に近い印象を持ちました。胡耀邦自身は瀏陽中学を出ているようで、あの故居から瀏陽の市街地に通うことは出来ないでしょうし、当時の中学に入るのは貧農では難しいでしょう。
湖南省長沙市の近傍には毛沢東の故居や劉少奇の故居や彭徳懐の故居があります。因みに劉少奇や彭徳懐は毛沢東の批判を受け、激しく迫害され失意のうちに死にますが、この3人の故居が比較的近い距離の三角形で結ばれる程であったのは何とも皮肉です。私は、毛沢東の故居と劉少奇の故居は大分前ですが、見たことがあり、劉少奇が生前言ったとおり、「毛主席の実家は小農、私(劉少奇)の実家は中農」という印象を受けました。胡耀邦の家は、劉少奇の家よりさらに立派な印象を受けました。
共産党はプロレタリアートの党と言いますが、本当の無産階級だけではないというか小資産階級(プチブル)の知識人が多いように思えます。
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今日は湖南瀏陽の胡耀邦故居付近の風景です。これらは全部私の撮影です。最初は胡耀邦故居近くの集落にある小学校です。胡耀邦小学校というようです。
胡耀邦の故居についてコメントが抜けていましたので、ここでします。胡耀邦の故居に行ったのは、インターネットでみた説明では故居の造りが湖南省の典型的な農家の構造だというので、それを見たさに行きました。胡耀邦のことは嫌いではありませんが、敬愛している訳でもありません。通常の民家に立ち入るのは、現在でも簡単ではありません。このように開放されている故居は貴重なチャンスです。
胡耀邦故居の土地柄は決して豊かではありませんが、故居自体は集落から独立した小高い丘にあり、造りも立派で、地主とは言いませんが、富農に近い印象を持ちました。胡耀邦自身は瀏陽中学を出ているようで、あの故居から瀏陽の市街地に通うことは出来ないでしょうし、当時の中学に入るのは貧農では難しいでしょう。
湖南省長沙市の近傍には毛沢東の故居や劉少奇の故居や彭徳懐の故居があります。因みに劉少奇や彭徳懐は毛沢東の批判を受け、激しく迫害され失意のうちに死にますが、この3人の故居が比較的近い距離の三角形で結ばれる程であったのは何とも皮肉です。私は、毛沢東の故居と劉少奇の故居は大分前ですが、見たことがあり、劉少奇が生前言ったとおり、「毛主席の実家は小農、私(劉少奇)の実家は中農」という印象を受けました。胡耀邦の家は、劉少奇の家よりさらに立派な印象を受けました。
共産党はプロレタリアートの党と言いますが、本当の無産階級だけではないというか小資産階級(プチブル)の知識人が多いように思えます。
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