立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

うすいピンクの馬酔木(アシビ)

2008年04月02日 | Zenblog
 同じ家の庭で咲いていました。薄いピンクも捨てがたいですね。

ぜひ投票を!ブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingをクリックしてください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白い馬酔木

2008年04月02日 | Zenblog
 白い馬酔木です。春先、関西を列車で走っていると山肌に点々と見えていたのを思い出します。これは、先ほどのお宅の庭です。

ぜひ投票を!ブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingをクリックしてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬酔木(アシビ)咲く大和・山城を思う

2008年04月02日 | Zenblog
 大和と山城の境のようなところにある浄瑠璃寺を思い出します。大和古寺の早春は馬酔木(あしび・あせび)の花と切り離せません。ことに阿弥陀堂の九体の阿弥陀さんがゆったりとくつろぐ九体寺の別名で呼ばれる、京都府南部の浄瑠璃寺の春は馬酔木です。いかにも極楽世界を現出していました。
 昨日散歩していて、ある家の庭に馬酔木が咲いていて回想の世界に引きづり込まれました。

ぜひ投票を!ブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingをクリックしてください。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

距離を置く

2008年04月02日 | Zenblog
 私は、騒々しい世の中と距離を置くということです。というより、もう世のまっただ中では暮らせなくなっているということかもしれません。じっと見ているだけです。いろいろと講釈は語るけれども、実際にあのように歳がいっていても「権力」や「経済力」にどん欲な方たちとは、争う気も失せています。
 ただ世から遠ざかっている私としては、権力や経済ムンムンのあの方たちがもう少しだけ知恵があったらなあと思うことです。知恵のある人はたくさんいますが、その人たちは知恵のない人々から遠ざけられています。野に置くのはもったいないし、残念なことです。その人たちとは、「カネ」よりも「ひと」を考え、「平和」の構築を考えている人たちです。その人たちが活躍する日を祈っています。

ぜひ投票を!ブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingをクリックしてください。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

騒がしい世

2008年04月02日 | Zenblog
 四月バカ!世は騒然としています。そして、それが決してそんなに好ましい形ではなくて我が身に迫ってくることを感じています。
 ガソリンが安くなるとか、まだだとか・・・、食べ物も色々上がって暮らしにくくなるとか、老人いじめが一層進むとか・・・。自民党の責任者は「ガソリンが下がったら生活にいろいろしわ寄せが及ぶのは、民主党が悪いんだよ」とか脅し、民主党は「これで、国会の歴史が変わる」とか・・・、強がってますが・・・
 まあ、いうほどそんなに深刻でもないし(と勝手に思っている)、めでたいことでもない。でも、よい方向に向いていないのは事実です。とにかく主権者はバカなわれわれのはずです。われわれはあんまり賢くないということです。さて、これからどうしよう?要は賢くなることです。

ぜひ投票を!ブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingをクリックしてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山東省臨沂へ(6)・王羲之故居6・・・JingShangの旅(中国)

2008年04月02日 | JingShang君からの上海レポート
 旧居のあとの普照禅寺は日本軍の進駐で破壊され、唯一残っていた鍾も文化大革命で逸失しました。
 その後、臨沂市政府が1989年から修復を開始したそうです。従って、現在ある建物は殆ど鉄筋コンクリートの新しい建物です。名前は古いですが、王羲之の生家が何処に有ったかを示すようなものはありません。どうもこの地は王羲之の生家があったと伝えられた場所で、王羲之の評価が高かった唐代に寺が建立され、それに応じて書法に因んだ建物が建てられたということではないかと思います。王羲之の王羲之たる所以の場所は、やはり浙江省紹興なのでしょう。因みに息子の王献之も有名な書家で、「二王」と言われるようです。

 写真は現在の普照禅寺です。右手門の奥の黒い壁は、蘭亭序を拡大したものを刻んだものです。

ぜひ投票を!ブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingをクリックしてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山東省臨沂へ(5)・王羲之故居5・・・JingShangの旅(中国)

2008年04月02日 | JingShang君からの上海レポート
 門を入った所にある洗硯池です。
 王羲之は、301年に生まれ、304年に浙江省紹興に移ったので、殆ど臨沂の記憶は無かったのではないでしょうか。彼が移転した後、旧居は寺になりました。現在は普照禅寺と呼ばれています。その後、色々な建物が増設されたりしましたが、日本軍の進駐と共に殆ど消滅し、唯一残っていた鍾も文化大革命で逸失したとのことです。

ぜひ投票を!ブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingをクリックしてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山東省臨沂へ(4)王羲之故居4・・・JingShangの旅(中国)

2008年04月02日 | JingShang君からの上海レポート
 王羲之故居を続けます。
 王羲之故居の案内図です。右向きブーツの形をしていますが、靴の底の踵に近い所が南門です。門を入った所に洗硯池があります。

ぜひ投票を!ブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingをクリックしてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする