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立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

エンジェルトランペットが咲いています

2007年11月08日 | Zenblog
 確かに天使が上空から下界に向かって、トランペットを吹いているように咲いています。もう、クリスマスの予感もする頃になりましたから・・・
 しかし、不思議な花です。チョウセンアサガオとも言うらしいですが、上から下に花がだらりと咲いているのは、なにか妙な感じがします。黄・白・オレンジ色の花があるそうです。早くから咲いていますが、今が盛りのような気がします。雰囲気は夏のようなんですがね・・・

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「紅旗渠」は革命精神高揚のため?・・・JingShang君へ

2007年11月08日 | JingShang君からの上海レポート
 1960年から十年の歳月をかけ、「愚公移山」精神で完成したものです。「愚公移山」は通行に不便な山を移そうと箕(み)で土を運び始めた愚公に天帝がいたく感心し、山を移したという寓話で、毛沢東がこれを喩えて人民を鼓舞する文章を書いています。小生も大学1年生の読本で読みました。紅旗渠は、1250の山を削り、211のトンネルを穿ち、152の水路橋を造り、総延長1500キロの水路となっています。(JingShang記)

 文化大革命時代に中国について勉強した小生には昔懐かしいところもありますが、実際にすざまじい人海戦術です。ダイナマイトは使ったようですが、岩を穿つのも鉄棒に槌で打ち付けて穴をあけるもので、鉄棒の頭が小さく、槌が狙いを外れると鉄棒を持っている人の手(素手でした)に中りそうで怖いです。しかも、ヘルメットでなく、竹で編んだ帽子を被っています。地下トンネル開鑿の為に、縦坑が井戸のように作られましたが、そこを降りるのも、人がロープを巻きつけおります。ロープを上下するのは昇降機がありますが、動力は人です。石は、人がリレー方式で手渡しで運んでいます。機械的なものは、少なく、後は人とロバです。(JingShang記)
 
 以上はJingShang君の説明の一部を抜き書きしました。
 比較的最近(「改革開放」の時代)まで、中国では多くの事業が、このような人海戦術で進められていました。製鉄をはじめ各種の近代?工業生産が、「愚公移山」の精神で大衆を動かし、人海戦術で進められていたのです。近代的な能率や効率という面から見れば、全く考えられないような生産方式でした。しかし、「革命精神」を鼓舞することによって山をも移すことができると考えたのでした。そこには恐るべき精神論があります。そこに、私の疑問点もあります。その後、中国は大きく方向転換したのです。
 国民大衆を、そのように動かしていいものかということです。もはや120年前の琵琶湖疏水の時代ではなかったはずです。
 それから「1500㎞」は本当でしょうか?「70㎞」と書いてあるのもありました。(zen記)

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紅旗渠とは何だったのか?・・・JingShang君へ

2007年11月08日 | JingShang君からの上海レポート
 JingShangさんから、以前ブログに挙げたのに加えて「紅旗渠」についてのかなり詳細なレポートをいただきました。私は、それを前にして考え込んでいます。

 紅旗渠は、河南省林県の人たちが河川(しょう河)の水を引くために、1960年から崖を切り崩し、谷を切り開き、トンネルを掘り、集団的な人力で作った曲がりくねった水路です。10年の歳月がかかりました。長さ約70㎞、灌漑用水・飲料水・家畜用の飲み水として使われています。しょう河と紅旗渠が平行して眺められるなどの独特の景観と、その民衆の努力から「現代の万里の長城」とか「人造天の川」として有名です。

 一方、私の頭の中にあるのは「琵琶湖疎水」です。「紅旗渠」よりはるか以前の1895年(明治18)に着工して人力を頼りに琵琶湖から京都まで約20㎞の水路を造り、飲料水・水運・発電に利用しました。現在も京都市の重要な水源です。京都では南禅寺の水路橋・インクライン・哲学の道・・・として観光資源でもあります。

 自然条件も、社会の近代化の程度もかなり大きく違ったとは思います。しかし、中国で行われた「紅旗渠」の事業はどう評価されるべきなのか迷わざるを得ません。

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